11.大本命
斑鳩-その1 です。
「本命」って、一頭ですよね。で、「対抗」が居て、「穴」も居る・・・・。
ちょうど、JC? 競馬をちらっとテレビで眼にした後で書いてます。
賭け事は、基本的にはしないのです。あ、宝くじは賭け事には入らないです
よね。
昔むかしおおむかし、地方競馬のスタンドで、馬券を握り締めたおじさんと
隣り合って、ゴールに駆け込むお馬さんに向かって
「 ばっかやろー 」
と、叫んだのも、ほぼ・・・忘れました。
で、隣のおじさんの嘆きは、もっともっと深かった・・・、まるでお家が全焼
したとか、親の死に目に会えなかったくらい深かった・・・。そう言う場面に
出くわしてないので、想像なんですが・・・。
で、「いくら賭けてたの?」って聞いたら、おじさん、もっと不機嫌になって
顔をしかめて
「300円」・・・。
この章は、「柿食えば・・・」で、始めようと想ったのです。
そうです。斑鳩の法隆寺です。
たぶん 斑鳩は長くなると思いますので、覚悟をお願いします。
何で「本命」なんだと疑問をお持ちでしょうが、私にとって「法隆寺」は、
奈良における「本命」も「大本命」なのです。ですが、「西の京」も捨てがた
いし、もちろん「興福寺・東大寺界隈・鹿」も・・・、さらにさらに、
「新薬師寺から春日大社まで歩く」、「西大寺はどうするんだ」、「室生寺と
長谷寺」のセットも捨てがたい、「宇治の平等院」はどうする?、あ、京都・・
等 と並び立て、
結局 出走全頭に 100円ずつ投票して赤字になるという・・・、単です。
連勝とか複式とかわかなくなるので買いません・・・。あれぇ、賭け事はしな
い筈・・・・、ハッ。
で、「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」に戻るのですが・・・。
今年の前半?に、テレビ放送で、
「正岡子規は、本当に 法隆寺寺内もしくは法隆寺の鐘の音が聞こえる範囲内
で 柿を食ったのか?」
検証するという番組がありまして、思わず見入ったのを覚えています。
境内の句碑の近辺には、柿の木はありません。昔から無いというのも、お寺
の方の証言がありました。聞き込みにより「鐘の音が聞こえる範囲」にも、柿
の木は無いし、句の詠まれた時代も今も 柿の木は無い! そうです。
いいじゃ無いですかぁ。
番組でも、申し訳程度に、最後に言い訳をしておりましたが、
昔の旅です、岐阜あたりで名物の富有柿を買ってカバンに入れていたかもしれ
ませんし、おばあちゃんがくれた干し柿が懐紙に包んで袂に入れたあったかも
しれない。
もし柿が無かったとしても、現場に居なかったとしても、想像の力で、あの
臨場感を醸し出す力があるってことは素晴らしいことだと思います。
私にはその句から、
空に法隆寺の五重の塔が黒々と立っている秋の夕暮れ
が見えてきます。
・・・・ハアハア・・・、ハッ。
さて、斑鳩、まず法隆寺です。
10年ほど前ですが、ある歴史書に出会いました。
日本人の「水に流す」体質に触れながら、「怨霊」「言霊」などの言葉を
使って、神話の頃からの歴史を解説している書です。ここは、著者と書籍名を
述べた方が良さそうです。
井沢元彦さん の 「逆説の日本史」 です。
週刊誌の連載がある程度区切りになって、まとまって単行本となり、やが
て「文庫」になります。
ベストセラーだそうですので、いろんな形でご存じの方も多いかと思います。
私は、現代史が好きではないので、本棚には、江戸中期の第17巻まで並んで
います。
( たった今 巻数を確認して来たのです。 )
で、その中に法隆寺の中門に
「まるで通せんぼをするように柱が真ん中に立っている」というお話が
あって、奈良へ通い始めてから数年経って、そのお話を知ったのです。
「 なるほど! 」
合点して、次に行ったときに、「通せんぼしている」柱をしっかり確認した
のです。
「 建立した蘇我氏は、聖徳太子を祀るために壮大な寺院を建てたんじゃ
無くて、太子の怨霊を閉じ込めるために建てたんだ。
その時代は、それが最新の科学だった。」
かなり言葉不足で、もっと説明したいんですが・・・。
面白いじゃあないですか!!! (びっくり 3つ)
今では多くの学者がそれに賛同し(井沢さんの独自説ではありません。
さらに先駆者が居るそうです。)通説に成りかかっているそうです。
過去も変化するんですよっ。
さて、お参りです。
法隆寺、中宮寺だけで、いつもほぼ一日かかります。
一度、「奈良駅-斑鳩-西の京-(他)-平城京」(一日)という定期観光
バスに乗りました。
その早足について行けず・・・、やっぱり自分のペースが一番です。
1歩も境内に足を踏み入れていませんが、長くなりますので、
ここで区切り・・・。
看板に 偽りありぃ ですね。
読んで頂いてありがとうございます。




