表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鹿のお尻なでほうだいツアー  作者: ペンネームは「匿名」です
10/32

10.考える

 三千院に行く前に。(書き落としたとも云う。)


寂光院を拝観した後のことです。

来る道で、営業している茶店の目当てを付けつつ歩いてきました。

これが判然としないのです。灯りはついているが、お客さんも誰一人居ない、

従業員の姿も見当たらない・・・。

 漬け物の店には、丈夫そうなご婦人が店番をしていました。

 ようやく「寂光院」の門前はす向かいのお店。灯りが入っていて、店番の

女性の姿がちらりと見えたんで、当たりをつけておきました。

 この季節は、お客さんも少ないようで、まだ誰一人お客さんは居ません。

「 いいですかぁ 」

と、あいさつをして店内に入りました。

 かなり慌てた様子で、店番の女性が 「どうぞ」といざなってくれました。

 全部で五、六十人は座れるくらいのテーブルが並んでいたと記憶しています。

古びた店内、だるまの薪ストーブ。ちゃんと閉まらない入口の引き戸。吹き込

む冷たい外気。

 ええ、山が南側にあって、陽もさえぎられていたんです。

 入口すぐのテーブルに座ろうとすると

  「 そこは 端近 ずいいいっと こちらへお寄りなんせぇ。 」

なんてことは云いませんでしたが、

  「 暖かい方へ どうぞ 」

と、薪ストーブのそばへ招き寄せてくれました。

  「 ぜんざい できますか。 」

だって、心配だったのです。メニューにはあるけれど、お客は居ない、今から

小豆を煮るなんて言われたら、どうしよう。

  「 はい。できますよ。少々、お待ち下さい。 」

 この少々がかなり長くて、薄めのぜんざい・・・・でした(薄めたかな?)

500円也。

 席を立とうか迷い始めた頃、少し歳が上の年配のご夫婦が入ってきました。

少し安心・・・。

 だってねえ、一日の売上、500円じゃあストーブの薪代もあがなえないかも

知れない。



 三千院は、南向きの山の斜面にあって、登る道もほぼ陽が差しています。


  えいこら えいこら 子分とふたり・・・。


 坂道を登ります。距離は数百メートルですが、全部坂道の登りです。


 「 おやびん・・・ 」


 みなまで云うな。もうそこに石碑が見えるぞ。「三千院門跡」。

で、三千院です。

 しかし・・、なのに・・・、参観の入口はずっと先・・・。さっきの石碑は

院の境界を表す看板代わり。

 砂利道の参道の左側には、ずいぶん立派なお店が並んでいます。土産物屋

さんなんて云えないくらい立派です。


 たどりつき・・・。

 ここは、建物内は下足を脱いで、しかも入口と出口が違う場所にあるんで

すね。脱いだ靴を入れるポリ袋を手渡されます。

 で、リュックに無理矢理押し込んで、拝観開始です。


 「ああ、そうか。皇族が住持したから、門跡だな。門の跡じゃあないぞっ。」


今さら・・・です。

 ご本尊は、「阿弥陀如来」、右に「観音菩薩」、左に「勢至菩薩」、揃えば

「阿弥陀三尊」と称する・・・。

 口元に特徴のある如来像、めずらしい座り方をしている観音像二体。

 この口元は、どこかでお目にかかったような気がします。・・・。

宇治の平等院のご本尊? 作者の系統が同じなのか、その時代の決まり事なのか。

 観音像は、正座?の膝が、少し開いています。確かにこの座り方は、記憶に

ありません。

 単に忘れてるわけじゃ無い筈です。見上げると、少しだけ観音像は参拝をす

る人に、顔を向けて居るようです。うつむいて居るんですね。

 

 で、恐そうな不動像や切れ長の目が鋭い救世観音を拝観し、院内の庭園を

巡りベンチに腰掛け、所要の電話をかけたのです。

 びんびん電波は入ったんですが・・・。

 庭園の手入れの最中、チェーンソーの音が広い広い敷地にひびいていました。


  うぃいいん、きゅうん、びいいん。きゅう、きゅう、うぃいん。


 ちょっと 興ざめ・・・。


 木々の間は清らかで、よく気配りのされた庭園だったと記憶しています。

明らかに人の手の入った庭園とか箱庭めいた石庭よりは、自然にみえる風景の

方が心に沁みます。

 「手を入れていないように見える手入れ」ってあるんでしょうね。


○ここでちょっと

 「考える」

 ここの救世観音は、半跏はんかのお姿をしています。「跏」は、脚を組む、片足だけあげて組んでいるのが、「半跏」で「手を頬に当てる、もしくは

頬の近くに持っていく」のは、考えて居ることを表すんだそうです。この場合は、「想っている」と云う言葉を当てる方が正しいような気がします。

「腕を組んで考える」「手をあごに当て、頬杖をついて考える」ことは、現代人でもやることですよね。で、ロダンの「考える人」を思い起こしました。

頬ではなく、あごに手をふれているが・・。考える時の姿勢は共通点があるように想います。

 で、仏像でも彫刻でも、組む、手を顔に近づける(触れる)ことが、思考を表す・・・。

( 飛躍しすぎかなあ? )


  子分がすぐにへろへろになりそうな下り坂です。

 直線距離を引けば、250mくらいですが、曲がった道を下ります。

 想わぬところに、クレープ屋さんもあったりしますが、今夜の宿も都合で

大阪です。

 まだ 遙か先。

 精一杯頑張って、はげまして(子分を)ターミナルへたどり着いたのです。

戸外にあるトイレの傍、喫煙所がありました。

 

 すうううぅ、ふいいぃ と 吸って吹いたのです。


 今日は、良く歩きました。ご苦労様。


 まだ今日の旅は終わりません。バスから地下鉄、そしてJR在来線で大阪に

向かいます。

 

 なにしに・・・? ええと・・・、まあ。いいじゃないですか。






 ムダでも、「考える」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ