第7話
月明かりが照らす夜。
王配に事情を説明することが決まった日の夜のこと。
この日、この夜が王国史に残るなど、誰も予想だに出来ぬほどに静かな夜であった。
「第11話 村娘のマリー」
静かな夜であった。
星明りが綺麗な夜だ。
儀式に問題が起こり、遅々として進まなくなってしまってより幾日。
扉より紅い塊が転び出てから幾夜。
高位の貴族たちは王が定まらぬことにやきもきし始め、低位の貴族や平民から選ばれた代表者達は、普段味わえぬような待遇や暮らしにこのまま続いて欲しいと考えていた日の夜。
候補者達も、宿舎で働く者達も、皆が寝静まった深い夜。
寝息一つ聴こえぬほどに、平民からの代表者達と、低位の貴族達が眠る宿舎の一つは静まり返っていた。
そう、静まり返って【いた】。
静寂を破る異音が廊下に響く。
調子の外れたような鼻歌。
嬉しいことがあったかのように。
楽しいことが始まるかのように。
抑え切れぬ歓喜を表すように、その歌は館の廊下に響いていた。
「〜〜♪ 〜〜〜♪」
単調なリズム。
いや、歌ですらないのかもしれない。
ただ思うままに口ずさんでいるようにも聴こえる。
足取りは軽く、しかし走るようなことはせず、静々と廊下を歩く一人の少女。
その鼻歌は少女から聞こえてきている。
星明りがあるとはいえ、廊下にまで強くは差し込まず、体型や服装の影から少女であろうことは見て取れるものの、それが誰かまでは分からない。
少女は歌いながら歩みを進め、やがて暗がりへと消えていく。
鼻歌が消えた宿舎には再び静寂が戻り、寝息一つも聞こえぬほど、静かに夜は更けていった。
朝になり、儀式が始まるその時になっても、挑戦者の一部が姿を現さない。
この日より、王配に事情を説明するという運びとなるはずであったのだが、そのための挑戦者達が来ていない。
仲人たちが兵士に挑戦者達を呼びに行かせようと話していると、重い金属音が広間へと近づいてくる。
広間の扉からは鎧を纏った兵士達が現れ、その中でも鎧に飾りなどが多く付いた兵士が前に進み出る。
「皆様。神聖な儀式に備えるところへ失礼致します!私、第3王城警備小隊隊長のグーリン=ピースと申します!」
「一体何事ですか。神聖な儀式を乱す者がどうなるか知らぬわけではないでしょう!」
仲人の一人が叱責の声を上げる。
つまらぬことを言えば、ルールに従い処罰すると言下に言い含めながら。
「は!無論承知いたしております!ですが、緊急事態ゆえどうぞご寛恕いただきたい。」
「緊急事態?それと後ろの兵士達の行動は関係があるのですか。」
広間までピースの後ろに随伴していた兵士達は今は広間を取り囲むように展開していく。
広間を取り囲む金属の鎧と武器を身に纏った兵士達に候補者達、その状況に貴族達は怯えを見せている。
ピースは敬礼を崩すことなく仲人に答えた。
「昨夜未明、候補者の皆様方に用意されていた共同宿舎において殺人事件が発生いたしました。」
その報告に候補者達の間からざわめきの声が上がる。
警護され、安全であるはずの宿舎で起こった事件。
それ以前に、自分達に近しいところでそんなことが起きることなど誰一人予想していなかった。
誰が殺されたのか、どのようにしてか。
そんなことを候補者達は動揺しながらもひそめき合っている。
「――誰が、殺されたのだ。」
いち早く立ち直ったのはセシリア。
彼女はピースへとより詳細な情報を求める。
セシリアをはじめとした軍属の者たちは、何人もの候補者達が広間に現れないのは事情聴取の関係で候補者達を足止めしているのだろうと判断し、冷静さを取り戻していく。
しかし
「これはベルンガスト様。被害総数は、現在確認中であります。」
「どういうことだ?誰が殺されたのかを確認中ということか。」
誰が殺されたのだと尋ねた質問の答えに対して、要領を得ないピースの答えに、セシリアは質問を重ねる。
ピースは将軍の息女が相手、そして相手は軍務中ではなく軍の階級は適応されないと判断し、敬礼と言葉遣いを崩さぬまま報告を続けた。
「いえ、被害者の総数を確認中なのです。事件発生は昨夜の未明と見られます。合計で10ある共同宿舎のうち、4つの宿舎で寝泊りしていた候補者達。および、働いていた従事者達のほぼ全てが殺害されました。」
最初、その言葉を誰も理解できなかった。
一夜のうちに4つの宿舎の者たちが皆殺しにされた。
言葉にしてしまえば簡単だが、なんとも現実感のない言葉である。
4つの宿舎、女王になるやも知れぬ子女が寝泊りする場所なのだ。
その一つ一つに王城とまでは行かぬものの、それでもかなりの警備体制が敷かれていることは周知の事実である。
そんな場所に寝泊りしていた場所で人が殺された。
一人二人ならまだしも数十人が寝泊りする宿舎で全員が、だ。
それが4つにもなるのだから、被害者だけで数百人に及ぶ。
「どこかの、組織や国の仕業か?それとも、あの官僚どもの残党が生き残っていたのか。」
恐怖よりも怒りが勝ったセシリアは、憤りを隠せぬ声で詳細な情報をピースに求める。
「はい、いいえ。どうにもただ殺すということが目的ではないようでして、被害者は皆首を切られ殺害された後、右の手首から先が切り落とされていました。一人二人であれば怨恨の線で洗うのですが、人数が人数ですから。そういった邪教や、集団がいないかどうかの捜査も並行して始めております。」
殺した後に手首を切り落とす。
そのあまりのおぞましさ、残忍さに候補者達は身震いし、自分の身にも起こり得る知れないことへの恐怖と、昨夜の被害者にならなかったことに安堵した。
「また、我らがこうして参りましたのは、ベルンガスト閣下、クランプ閣下にご報告したところ、まずは儀式の進行を優先せよ。とのご命令が下りましたため、現在王城内を厳戒態勢に移行し、警護をおこなっておるためです。候補者の皆様方におかれましてはどうぞ安心して儀式に臨んで下さいますようお願い申し上げます。」
ピースは少しでも候補者達の心労を軽くしようと、勤めて明るく、自信に満ちた様子で告げる。
儀式の進行を優先する。
そう指示があった旨を聴いた仲人たちは儀式を始めるべく動き出す。
仲人たちが選定の書を確認すると、殺された被害者達の名前は、書より自動的に消去されていた。
そして、候補者達の動揺冷めやらぬ中、儀式は始まりを告げる。
昨日の会議での決定通り、候補者達は儀式のルールや事情を王配へ説明しようとするも。
「いえ、ですから話を。」
「お、押し付けないでくださ〜い。」
「いいから事情を聞きなさいよ!」
「せめて何か返事ぐらいはすべきでしょう!」
芳しくなかった。
物品を渡されてしまえばまた一日、ゲートを開くことは出来ない。
そのため、候補者達は手を握り締め、何かを受け取ることは無いようにしていた。
しかし、それでも王配は手に何かを握らせようとグイグイと押し付けてくる。
握らされまいと候補者達は手を握り締めるが、そんなに強く手を握ることなど人生でなかった貴族の子女達は、疲れた隙を見計られ、緩んだところに何かを掴まされてしまい、その日の説明は終わりになった。
懸命に候補者達は説明しようとしたものの、王配は返事一つ返すことは無く、伝わっているのかは疑問だった。
その日、ゲートから出てきたのは初日と同じ紅芋と呼称することになったものである。すぐさま紅芋は関係者へと渡され、会場にいた者達は記憶消去薬で紅芋のことを忘れるよう処置がとられた。
続きは次の日にということで解散になり、候補者達は厳戒態勢の中、警護を受けながらそれぞれの宿泊先へと帰っていった。
しかし、その夜も。
厳戒態勢にも関わらず、また宿舎の1つで候補者達と従業員が全員殺害されてしまう。
「国内の人間ではない王配。女王候補達の大量殺害事件。此度の結婚の儀は呪われているのか。」
明けた朝、再びの惨劇の報告を受けた王国の重鎮達は王城会議室において、緊急の会議を開いていた。
徹夜で兵士達を指揮し消耗している軍部の代表者たち。
女王候補が王都で殺害されるという事件が起こったことで、家族や関係者への説明や補償に追われる貴族や文官達。
皆が疲労を隠せぬ顔で列席する中、思わずゴートはそう溢す。
「ふん、もはや女神にも見捨てられたということか。」
皮肉気にそう応えるのは目に濃い隈が刻まれたレオン。
「冗談でも笑えぬよ。普段の憎まれ口に、ユーモアを効かせる余裕もなくなったかの、将軍。」
レオンに対して責任ある者が滅多なことを言うなと釘を刺したのは、灰色の長い髭を蓄えた老人。
彼は官僚の執政下において、唯一責任ある立場にありながら国家、国民を第一とする政治をおこなっていた者。
それゆえにクーデター時にも多くの下位文官たちからの助命嘆願があり、処刑を免れた人間であった。
「まったく。本来であればワシのような罪人を呼ぶなどあってはならぬことじゃぞ。新しい時代の準備に古い時代、それも排斥されるべき爺を担ぎ出すなど、諸外国へ国家体制の脆さを曝け出すことになりかねん行為じゃ。」
髭を手で梳きつつ、老人は嘆息する。
「ジジイ。嫌味を聞くためにお前を呼び出したんじゃねえ。無駄に長く生きてるお前にかつて同様の状況があったか、過去の王族や官僚たちだけが把握している警備の隙を突く穴はねえか。それを聞く為に呼んでんだ。聞かれた事以外に無駄に口を挟むんじゃねえ。」
軍部側に座る一人の青年から苛立ちが込められた声が上がる。
真紅の髪を逆立て、飾り立てられながらも実用性を失わない装飾を施された鎧を身に纏った青年だ。
「まあ、落ち着けホックル。ディクトン殿には長く王宮に仕えたその経験から意見をお聞きするためにこちらから招いたのだ、苛立つのもわかるが余り失礼な態度をとるでない。」
嗜めるレオンに、ホックルと呼ばれた青年は、老人へと渋々頭を下げる。
「……失礼しました。ディクトン殿」
「いえ、お気持ちは重々承知しております、ネイル殿。ワシとて王宮から身を引いたとて、国を思う気持ちは薄れておりませぬ。何かお役に立てるのであれば如何様にでもお使いくだされ。」
青年の名はホックル=ネイル。
王宮警備隊第1小隊の隊長で、昨夜の事件があった宿舎の警護に当たっていた責任者でもある。
そして老人の名はワルド=ディクトン。
官僚の暴政時代に働いていたため政治の世界よりは追放されたものの、王宮に勤めた長さは右に出るもののいない生き字引的存在である。
「それでは、まずは昨夜の報告から聞くとしよう。ネイルよ、警備体制や事件の詳細について報告を。」
「はっ!それではご説明申し上げます。」
気を取り直し、話を進めるべくゴートはネイルに報告を求める。
「まず、事件が起こったのは我ら第1小隊が警護しておりました第8宿舎です。警備人数は私を含めて20名。発生時刻は昨夜日付が変わる頃1刻の間と見られます。判断した理由としましては、半刻の砂時計の砂が落ちる度、内部の従業員と定期連絡を取るようにしておりましたが、日が変わった後の確認を最後に連絡が取れなくなり、すぐさま内部を確認したところ全員が殺害されているのが確認されました。半刻で宿舎に泊まっていた80名の候補者と従業員を全て殺害することは難しいと判断し、日付が変わる頃の1刻の間と判断いたしました。次に、殺害の方法についてですが、これも変わらず、首を正面から血管ごと断ち切るように切られたことによる失血死です。喉がやられているため助けを求める声も悲鳴も上がらなかったものと考えられます。また、殺害後に右手首を切り落とすというのも同様の手口です。そのため、2日前の犯人と同一犯であると判断する次第であります。」
「館内部の巡回はしていたのか?」
警備体制のより詳細な情報をレオンが求める。
「はっ!館内部には6名の隊員を配置し、常に2名1組で巡回にあたらせておりました。ですが、外部で警護していた我々も、内部で巡回していた兵士達も、誰一人宿舎に出入りする者も、宿舎内を出歩いている者も確認しておりません。」
「空を飛んで外の窓から侵入した可能性は?」
低いとはいえ、少しでも可能性があるのなら考慮すべきとゴートが重ねる。
「はっ!高高度からの飛行による侵入。窓からの侵入の可能性も考慮し、宿舎屋根の両端対角線上に隊員を2名配置し監視をおこなわせました。また窓からの侵入も考慮し、4名の隊員が四方より宿舎の監視を行わせ、残りの隊員たちで宿舎を囲むように警護を行い外部よりの進入に備えておりました。」
ネイルの説明に頭を抱える列席者達。
流石に王城警備、その第1小隊を任されているだけはある。
聞いた限り警備自体に穴は無く、想定される事態には備えていたのだ、
それでもなお事件が起こった。
犯人、その目的、侵入経路、何一つとして定かになっていない事態に王国の重鎮達は頭を悩ませる。
「ディクトンよ。今の報告で何か気付いた点はあったか?」
この時のために呼んでいたディクトンにゴートが意見を求める。
ディクトンはその灰色の髭を梳きながら思案顔を浮かべる。
「そう、ですな。宿舎の詳細な設計図や、建設したのはどこの者かは把握されておりますかな?」
「うむ。設計図、および建設責任者のボンド家には警備の穴となるようなところが無いかを確認済みだ。」
「ふむ、そうですか。ふぅむ。」
変わらず思案顔を浮かべるディクトンにネイルが不審気な表情を浮かべる。
「なにか、気になるところでもあるのかよ。」
苛立ちを見せながらネイルはディクトンに気になることがあるならさっさと言えと促す。
「ふむ。王城にはの、王族以外には建設責任者しか知ってはならぬ抜け道というのがあるんじゃよ。ワシも存在こそ前陛下に伺っておったが、どこにそれがあるかまでは知らぬ。ただ建設責任者の家の当主と、王族以外には教えてはならぬ抜け道があるというのは確かじゃ。それと同じく、女王となる可能性を持つものが宿泊する宿舎じゃ。万一に備え、作られている可能性はないかと思っての。この抜け道は実際に建設した者でも、建設後に記憶消去薬を飲まされておるからの、本当に把握しておるのは補修などの関係で建設した責任者の家の当主と、王族の方だけなんじゃよ。」
その言葉に会議室がざわめく。
王城の抜け道のことも把握しているものはここにはいなかった。
ネイルは髪と同じくらいに顔を真っ赤に染め震えている。
「つまり、なにか。ボンド家は、俺に、俺達に、隠し通路のことを、黙って、いたと。」
声に、震えに、込められた感情は怒りであった。
必死になってやり遂げようとした任務。
それが失敗し、それも隠された情報が原因である可能性もでてきた。
いくら隠匿するのが決まりとはいえ、とても納得できるものではなかった。
失意の部下へと事情を説明するわけにもいかず、失敗の理由を公言するなどもってのほか。
自分達の小隊は、ただ任務に失敗し、多くの子女を助けられなかった無能と言うレッテルを貼られ続けることになる。
自分達の誇りはそうだが、何よりもそのせいで多くの子女を守ることができなかった。
それが、何よりもネイルの怒を燃え上がらせていた。
「落ち着けネイルよ。まだ決まったわけではない。あくまでその可能性があるというだけだ。」
「ですが!そうであれば一番怪しいのはボンド家ということ!すぐさまボンド家の召喚と、尋問を許可願いたい!」
本当に隠していたのなら、残りの宿舎の情報も全て吐き出させてやると息巻くネイル。
どちらにしても話は聞かねばならんと、この場へとボンド家の当主を早急に連れてくるように指示を出すレオン。
ひとまずは一旦会議は終了となり、ボンド家の当主が到着次第、再び会議を行うことになる。
それぞれの仕事を遂行し、休むべき者は休むため会議場を後にするのであった。
「そういえばレオンよ。今日はお主の娘が挑む日ではなかったか?」
はた、と思い出したようにレオンに尋ねるゴート。
「む――ああ。そのようだ。しかし、王配は事情を説明しようにも返事も無いと聞く。あれの女としての器量は、そう良くはないからな。恐らく無視されて終わるだろう。」
別になんでもない。と、言わんかりのレオンにゴートは苦笑する。
「まったく。少しは素直に娘を可愛がってやればよいものを。手放したくないと素直に言えばよかろうに。」
ふん。と鼻を鳴らしレオンは会議室を後にする。
その横顔は、僅かに耳が赤く染まっていた。
そして大広間。
この日、大広間は閑散としていた。
常ならば数百人はいた候補者達。
連日の殺戮事件によって怯え、儀式を辞退し、帰郷するものが続出しているためである。
だが、事件のことは現在明るみにはできぬため、帰郷する候補者達は記憶が消去され、挑戦を諦めた理由は一身上のものであると説明されて帰郷している。
最初は1000人いた候補者達も、約400人が殺され、約500人が帰郷し、もはや100名ほどが残るばかりであった。
そしてそんな日、とうとう軍部のトップ、ベルンガスト家の子女にして、もう一人の最有力女王候補。
セシリア=ベルンガストの儀式への挑戦が始まろうとしていた。
約100名の候補者達。
残るほぼ全ての候補者達に見つめられながら、セシリアは選定の書の前に立つ。
一息。深く吸い込み、広間中に通る声で告げる。
堂々と、強い意志を感じさせる声が響く。
「私の名はセシリア。セシリア=ベルンガスト。儀式に臨む者だ。」
どれだけ事件が起ころうと。
どれだけ候補者がいなくなろうと。
選定の書は変わらず、常のようにゲートを開く。
――ふん、無意味なことだ。どうせ断るか、何かを掴ませようとしてくるのだろう。
なかば諦めの気持ちを込めながら、セシリアは手袋を外す。
飾り気の無い、しかしセシリアという素材そのままの美しさを引き出すようなドレスに、同じように飾りこそないものの、滑らかな腕の曲線を魅せ付けるような手袋。
そこから現れるのは多くの訓練を乗り越え、多くの死線を乗り越え、民を、国を、ひたすらに守り続けてきた歴史を感じさせる手であった。
多くの子女が目を背ける。
軍部の子女達は涙目になりながらもセシリアを見つめていた。
そんな中、フィリアは目を背ける貴族の子女を尻目に、ただひたすらにセシリアを見つめていた。
何も気にすることなどないと。
何もおかしなことはないと。
尊敬すら篭めて、セシリアを見つめていた。
「王配よ、聞こえているのだろう。これは我らの国で結婚の儀と呼ばれる儀式だ。昨日より幾度も説明している訳だが、反応の一つも返してもらいたい。貴方の目の前にあるゲートと呼ばれる黒い穴から私の手が出ているのが分かると思う。その手を取ると結婚が成立となり、貴方はわが国に召喚され、王配となる。それが全てだ。これまで手の美しい子女ばかりであったと思う。気に入ったものがいたら、その子女の手を取って欲しい。その相手こそが貴方が生涯を共にする女性であり、女王となる女性だ。」
一息に説明をするセシリア。
しかし、やはり王配はなんの返事もしなかった。
まだ半分ほどの時間がある。
もう一度説明をしようと口を開くセシリアであったが、
「――ァアン!あ、ア、ッン。ック、フ。な、ア、何を。」
その口から出たのは突然の嬌声。
堪えるように左手で口元を押さえるも、漏れ出る声。
ミルクチョコレートのような滑らかな褐色の肌を朱色に染めて、身悶えしながらもセシリアは必死に声を抑えようとしていた。
「ック、ふぁ。ッンゥ。イ、ックぁ。」
ゴクリ。と、唾を飲み込むような音が大広間に響く。
セシリアを見つめていた候補者達がその扇情的な光景に、余りに蟲惑的なその声音に、思わず唾を飲み込んでいた。
悶え続けるセシリア。
ゲートから手を戻そうにも、断られたわけでもなく、時間が切れてもいない。
ゲートは手をくわえこんだまま、ただセシリアはその肢体を悩ましげに晒しながら、未知の感覚に翻弄されていた。
その情景に候補者達は頬を染めながらも、瞬きすら忘れて食い入るように見つめている。
中には無意識のうちに息を僅かに乱しながら、ふとももをこすり合わせる者もいた。
そのとき、時間が来たのであろう。
セシリアの手はゲートから吐き出され、こちらへと戻ってくる。
セシリアは思わずその場にへたり込み、手袋をはめることすら忘れ息を荒げていた。
「ッハァ、ハア、ハァ。――っ!?」
セシリアは自分の手を見ながら惚けるような顔を浮かべる。
数多くの戦いをくぐり抜け、古傷だらけとなっていた右手が、傷一つ無い美手へと、姿を変えていた。
セシリアは夢でも見ているかのように右手を左手でぺたぺたと触っている。
自分の右手にあるものが、本当に自分のものかを信じられないように。
「な、え、何。誰の、手?」
信じられない。
信じられない。
信じられない。
セシリアが悩み、苦しみ続けた傷。
諦めの言葉で心に蓋をしていた日々。
期待も何も、考えてもみなかった突然の救済。
セシリアの心は許容量を超え、溢れた思いは涙として形を成した。
「っふぅ、うぅ、ぅ、ぅううぁあぁあああああ!」
少女のように、童女のように、赤子のように。
大きすぎる喜びに、突然すぎる奇跡に、セシリアは声を上げて泣く。
本当なら笑って喜びたい。本当なら感謝を述べたい。
しかし、心の奥底で長年押さえつけられてきた願いは、セシリアに涙を流す以外の感情表現をさせてはくれなかった。
・
・
・
セシリアは落ち着いた後、手袋をはめ、元いた場所へと戻っていく。
涙を流し、化粧は崩れてしまっていたが、今までの中で一番喜びに輝いた瞳をしていた。
広間には、一転して王配への好感情が満ちていた。
反転現象というものをご存知だろうか。
まあ、ギャップ萌えという言葉でも構わない。
普段悪いことばかりしている人間がいい事をすると、それが強く印象に残る現象をいい、それまでの悪感情があった分、まるっとそれが好感情に変わってしまう現象を指す。
いわゆる真面目な子が不良と付き合うことになるようなベタな設定がある。
それは、普段ツンケンしているのに私には甘えてくる。
周りにはケンカを売るのに私には優しい。
自分には知らない世界を知っている。
と、自分の持っていないものを埋める&ギャップにより良い所が強く印象付けられ、反転現象が起こりやすいためだ。
真面目な彼の横顔に惹かれた。よりも危険な状況から助けてもらった。の方がセックスシンボル的に読者に魅力が伝わりやすい。
また、そういったケースが想像しやすいということもあり、ベタな設定として存在しているわけだ。
今回も同様のケースが起こっていた。
フィリアへの侮辱(当人がどう思っているかは別として)、完全な無視、マナーを無視した振る舞い。
正直、いくら王配になる人間とはいえ、ここまでのことをされて気にしない者はいない。
しかもここにいるのは皆年若い少女ばかりなのだ。
夢見ていたはずの結婚の儀式を侮辱し、無碍にする王配に思うところがないわけがない。
しかし、そんな悪感情も王配であるという一点の理由で、まだ嫌悪というレベルにまでは至っていなかった。
そのため今回のセシリアの心を救う行為により反転現象が起こり、王配への悪感情がそのまま好感情へと反転したのだ。
そして、そこまで単純ではなかった少女ももちろんいたが、周りは王配ってステキね。などと言って来る者ばかりで、自分ひとり否定するなんて、きっと自分が間違っているんだ。と、迎合してしまい結局王配への感情は良いものとなった。
ちなみに、悪感情が生理的な嫌悪にまで至ると何をしても悪くしかとられず、この反転現象もギャップ萌えも発生しないため、この手法を使おうという人はやりすぎない程度に気をつけてもらいたい。
そんなこんなを言っている内に、今日のゲートを開ける規定回数となり、儀式の終わりを告げる。
そうすると、殺されるかもしれない宿舎に泊まる必要があるということを多くの少女達は思い出し、身震いする。
中には恐怖の余り、街中の宿屋に泊まりたいと言い出す少女も出ていた。
そんな少女達に、広間の外で待機していたグーリン=ピースが会議で決まった対策を説明する。
「候補者の皆様方。本日も儀式への挑戦、お疲れ様でございました。本日より、皆様方には宿舎とは別の建物。ルカ王国の迎賓館にてお泊りいただくであります。各お部屋の前に警護を付け、館周辺も約100名の兵士により警戒いたします。どうかご安心いただきたい。我々は命に代えても皆様をお守りする所存であります。これより、皆様を迎賓館へとご案内いたします。私物につきましては明日、護衛を付けた状態で取りに行っていただく予定であります。」
ピースに連れられ、宿舎に泊まる予定であった候補者達は迎賓館へと移動していく。
元々別宅等で過ごしていた候補者に被害はなかったことから、下手に彼女らを動かして被害を受けたらシャレにならないと、別宅組みはそのままということになった。
迎賓館はボンド家の担当の建築物ではなかったため、たとえ隠し通路があったとしても、犯人がボンド家縁の者でも隠し通路からの侵入は不可能だろうと判断してのことだった。
その夜のこと。
候補者達が不安を抱きつつも寝入り始めた頃。
月が雲間に隠れ、明かりのない夜。
兵士達が部屋の前、迎賓館周辺で厳戒態勢を敷いているなか。
迎賓館のとある部屋から鼻歌が聞こえる。
調子はずれの鼻歌。
単調なリズムの歌ですらなく、思うままを口ずさむような曲。
あの、静かな夜に宿舎で響いていたような歌。
兵士達が夜遅くに聞こえてきた歌に、流石に状況が状況なので様子を伺うと、
中からは嬉しいことがあっただけ。と、返事が返ってくる。
なるべく早くお休み下さいと兵士は告げると警戒に戻る。
一方、その部屋の中では。
「うふふふ。本当に馬鹿よねえ。自分の守っている部屋の人間の声くらい覚えていないものかしらぁ。」
コロコロと、鈴が鳴るように笑う少女が一人、寝台の傍らに立っていた。
片手に持つのはぎらりと鈍く輝く大きな鋏。
「うふふ、まず一人。それにしても運がいいわぁ。ここに来てくれるだなんて、何たる行幸!女神様の祝福というべきかしら!いいえ、運命なのよ!これこそが私のすべきこと!これこそ私が選ばれた証よぉ!あははははは!」
コロコロと、ケタケタと、ゲタゲタと、段々と荒く笑い声を上げながら、寝台へと上り眠る少女の首筋に大鋏を添える。
いざ切らんと、大鋏を持つ手に力を篭めるが。
「クスクスクス。やっぱり貴女だったんですね。やっぱり私のところに来たんですね。クスクスクス。」
ぱちり。
寝入っていたはずの寝台の少女が目を開く。
いや、眠ってもいなかったのかもしれない。
寝起きのようにぼんやりとすることもなく、寝台の上に立つ少女の顔をハッキリと見つめおかしそうに笑っている。
「あらぁ、起きたのねえ。眠ったままなら苦しくなかったでしょうに。折角気持ちよく眠れるようにお食事に美味しいハーブを入れて差し上げましたのに。」
大鋏を持つ少女は慌てることも無く寝台の少女を見下ろしながら嗤う。
「でも、ざぁんねぇん。起きてるなら逃げれば良かったのにねえ。捕まえようとでも思ったのかしらあ?でも、こんな状況で出来ることなんて何もないわよねえ。それじゃあ、さようならぁ♪」
満面の笑みを浮かべながら少女は大鋏に力を込める。
その首に切れ目を入れるべく鋏がその顎を閉じ始める。
「クスクスクス。フィリア様のため、ですか。クスクスクス。」
ぴたり。
鋏が動きを止める。
「クスクスクス。ほぉらあたった。クスクスクス。」
クスクス笑い続ける寝台の少女。
先ほどまでの壊れたような満面の笑みのまま、目だけはギラギラと寝台の少女を睨み付ける鋏の少女。
「違うわぁ。私がやりたいからやっているの。私がやるべきだからやっているのよぉ。」
「嘘ですね。いえ、嘘じゃないけど正しくない。」
間髪いれずに嘘だと断じる寝台の少女。
鋏の少女は憎憎しげな目をしていたが、ふと、面白いと再び目を細める。
「そう、それじゃあ答え合わせをしましょう?当たっていたら見逃してあげるぅ♪」
いい提案だといわんばかりに手を打ち合わせる鋏の少女。
その鋏を首が挟まるギリギリまで閉じると寝台の少女を急かす。
もちろん見逃すつもりなどないのだろう。
少しでも間違っていたら切ってやる。
少しでも腹立たしいことを言ったら切ってやる。
少女は笑みを浮かべたまま寝台の少女を見つめていた。
「クスクスクス。ええ、それでは答え合わせといきましょう。醜い醜い貴女の正体を曝しましょう。」
歌うように寝台の少女は語り始める。
「始まったのは数日前、事を起こす原因はもっと前。きっと決めたのはずっと前。」
取って置きの宝箱を開くように寝台の少女は語る。
クスクスと笑いながら鋏の存在など無いかのように少女は紡ぐ。
「きっときっかけはフィリア様との出会いまで遡る。フィリア様との日々まで辿りつく。あの方を女王にする為、あの方を王配の隣に立たせるため、きっと貴女は決意した。きっと貴女達は決議した。」
その言葉に鋏の少女は笑みを浮かべながらも眉が動く。
その微小な動きも見逃さず、寝台の少女は、大当たり。と、クスクスと笑う。
「原因は儀式が遅々として進まなくなったこと。一日にひとりしか挑めなくなったこと。これでは何時まで立ってもフィリア様までまわらない。あの侮辱の借りを返せない。あの屈辱を拭えない。だから貴女は動き出した。だから貴女達は殺し始めた。」
「――さい」
「どうやって移動したかだけがわかりませんでした。ですが、貴女が暖炉の裏から出てきたことでそれも繋がりました。恐らく同じような隠し通路が宿舎にもあったんです。それを貴女達の誰かが知っていた。それを貴女達は聞き出した。そして隠し通路を使って他の皆様を殺して回った。」
「――めなさい」
「貴女達が殺す基準はとても明快。最優先にはあの時フィリア様を笑った奴ら。次にフィリア様より前に挑戦する者たち。この二つの基準に適う子が多くいる宿舎から殺して回った。無関係な者も関係なく、条件に当てはまらないものすら区別無く。貴女達自身ですら差別無く。何人を殺したんですの?どれだけの血を浴びましたの?殺すと決めた者たちの、無関係な方達の、貴女と同じ同志達の。」
「やめろッ!!」
鋏の少女の顔にはもはや笑みは浮かんでいなかった。
目は限界まで開かれ、瞳孔は開き、口の端からは涎がたれている。
そこには、最初の頃の着飾った可愛らしい貴族の面影など、かけらも感じられなくなっていた。
「なによ!なんなのよ!あんたは一体なんなのよおッ!?」
怯えるように、怯むように、それでもこれがある限り優位なのは自分だと、手に持つ鋏にさらに力を篭めて握る。
「くす、クスクスクス。あははははは、あはははははははははははははは!!」
寝台の少女はおかしくてたまらないと笑う。
それまで纏っていた儚げな空気をすべてを吹き飛ばすように嗤う。
「恐いわよねえ!恐ろしいわよねえ!言ってもいないのに知られているんですもの!知ってる方は誰も残ってないのに語られるんですもの!知りたい?ねえ!知りたい?何故わかったか。何故知っているか。教えて欲しいかしらぁ!!?あはははははははははははははははハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハは!」
かちかちかちと音がする。
ガチガチガチと音色が響く。
鋏の少女は自覚も無いままその歯は震え、鋏から手が離れていた。
一歩でも少女から離れたい。
少しでも少女から遠ざかりたい。
その感情に突き動かされ、少女は窓へと後ずさる。
窓に当たっても、なお遠くへ行こうと、体を押し付け続ける。
笑いながら、嗤いながら、寝台の少女は鋏をどかして立ち上がる。
先ほどまで見下ろして優位に立っていたはずの鋏の少女は、いまや寝台の上の少女から見下ろされるようになっていた。
「あは♪さあ、続けましょう。とは言っても明かすことなど殆ど残っておりませんわね。
どうやって殺したの?――食事に混ぜたハーブで寝かせて、隠し通路を使って部屋へ直接忍び込んで。
なぜ殺したの?――フィリア様のためと独りよがりに暴走して。
さあ、さあ、これが最後ですわ。これでおしまいですわ。楽しみ、とっても楽しみでしたの。貴女がどんな顔をするのか。貴女がどんなことをするのか。こうして貴女達のしでかしたことが分かったときから、この瞬間が楽しみで楽しみで仕方ありませんでしたの。
誰が殺したの?――ねえ、マリーナ=グラナス様。フィリア様の取り巻きの一番の側近。グラナス伯爵家唯一のご息女。グラナス伯爵家の次期当主様。私、貴女のことがとっても憎らしかったの。私、貴女のことがとっても羨ましかったの。生まれが違っただけでこうも違った。フィリア様を慕う思いは同じなのに。持つ権力が違っただけでこうも違った。フィリア様を女王陛下にという願いは同じなのに。思いも同じ、願いも同じ、名前も同じマリーなのに、ここまで違ったのはなぜかしら?なぜ貴女なんかがフィリア様のお側にいるのかしら?ねえなぜかしら!?あははははははははははははははははははは!!」
笑うマリーに、マリーナは震えながらも状況を打開しようと口を開く。
「そ、それなら私に従いなさい!フィリア様を女王にというのなら私と同じはずでしょう!?今夜のことを忘れ、黙って儀式の挑戦を辞退するというのなら殺しはしないわ。い、いえ!私の側近として雇い入れましょう!そうすればフィリア様が女王となられたときには貴女もお側に上がれるでしょう!?ど、どう?悪くないはずよ!」
ここが正念場。
これこそが最後の道とマリーナは提案する。
平民のお前では不可能な夢を叶えてやると。
私に従えば甘い蜜を吸わせてやると。
しかし。
「はぁ。」
しん、と静寂が訪れる。
先ほどまで笑い声を上げていたマリー。
マリーナの提案を聞くと呆れたように、酷く詰まらない芝居を見たときのように吐息を吐き、侮蔑の視線をマリーナへと送る。
打って変わったマリーの態度に、マリーナは薄気味の悪さを感じていた。
「な、なによ?」
「いいえ、やはり違いましたわね。ええ、違いましたわ。全然、全く同じなんかではありませんでした。」
「だから何がよ!?一体なんだというの!?たかが平民の分際で!貴女と貴女の家族を殺すことくらいわけもないのよ!そもそも何を偉そうにしているのよ!」
静かに、そして打って変わって詰まらなそうに語るマリーに、マリーナは激昂する。
平民にやり込められたことを恥に思い。平民に見下されることに我慢ならないと。
「違うと申し上げたのは、まず私は、たとえ追い詰められてもそのようには取り乱しませんわ。そして何より、フィリア様の女王への道を血で穢すことなど決して認めはしないということです。」
ぎちり、とマリーは歯を食いしばり口角の端から血が流れる。
笑っていたはずの表情は、無表情になっていたはずの顔は、いまやそれだけで人を殺せそうなほどの殺意を篭めてマリーナを憎憎しげに睨み付けていた。
マリーナは反論しようと口を開くも、マリーのその視線に気圧され声にはならなかった。
「フィリア様なら私達などが何かをするまでも無く女王陛下になられるお方。それを信じることすら出来ず、あのお方の歩む王道を血に塗れさせようとしたこと。あのお方の人生に汚点を生み出そうとしたこと。たとえ、たとえ一族郎党使用人どもまでの全ての両手と首を切り落として曝したとて、到底釣り合うわけもない!何故貴様のような端女があのお方の側近などと持て囃された。何故貴様のような屑が貴族を名乗っている。何故?なぜ?ナゼ!?貴様達さえこんなことをしなければもっと平和裏に動かせた!フィリア様の王道を穢すことなく、1000人の候補者の全てをフィリア様に傅かせることができた!表から、裏から。金銭で、弱みで、暴力で!私が暴走したフリをして他の候補者を私に従わせる。そしてその真実をフィリア様に裁いてもらえれば、全てはフィリア様の功績となり、フィリア様が女王となることを全ての候補者が祝ったと言うのに!貴様達が中途半端な忠誠で事を起こすから、計画がメチャクチャだ!中途半端に近くにいるから、貴様達のしでかしたことをフィリア様の指示と勘違いする馬鹿もいるかもしれない。セシリア様がフィリア様を糾弾するかもしれない!フィリア様が責任を感じて女王になることを、結婚の儀への挑戦を、辞退してしてまうかもしれない!そんな恐ろしい可能性すらある!何の考えもなしに、忠義と言う言葉に酔って行動を起こした馬鹿共め、忠誠と言う言葉を履き違えた痴れ者共め!貴様らがフィリア様を穢す!貴様らがフィリア様の唯一の弱みとなる!しね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネェ!!まだ一片の羞恥心があるのなら死ね!まだ僅かでもフィリア様への忠義があるのなら死ね!一族郎党使用人に至るまで、全てを鏖殺してからその両手を切り落とし、肥溜めに叩き込み、穢れながらに死んでいけ!!」
息を乱し、マリーは全てを言い終えると一度深く息を吸った。
すると先ほどまでの睨まれるだけで殺されそうな恐ろしい形相は消え、また元のクスクスと笑う表情へと戻る。
「それに、私が何もせずに、誰も呼ばずに、こうして貴女をまっていたとでも思うんですか?」
取って置きのイタズラが成功したかのように嬉しそうにマリーは告げる。
その言葉に、先ほどまでもマリーに完全に飲まれ、気圧されていたマリーナはギョッと周囲に目を巡らせる。
衣装を入れておくべきクローゼットから、月が隠れ光差し込まぬ窓から、鎧を纏った兵士が、ゴートが、レオン達が現れる。
「クスクスクス。いかがでしたか?申し上げたとおりでしたでしょう?」
楽しそうにゴート達へと語りかけるマリー。
ゴートは一歩、マリーナの前へと歩を進める。
「まさか、な。まさかと思った。いや、思いたくなどなかった。マリーナ=グラナスよ。お主なら、フィリアが女王になろうとなるまいと、最も信のおける忠臣として仕えるに相応しいと考えておった。それが…まさかな。」
ゴートは寂しそうにマリーへと声をかける。
「始めはこのマリーという娘がとち狂ったのだと思った。候補者の小娘達だけでこのようなことをしでかすなどありえんと思っていた。じゃが、両手を賭けるとまでいうのでな。自分が真っ先に狙われるというのでな、来るはずがないと信じながら隠れておった。まさか、事実であったとは。」
沈痛な面持ちで語るゴート。レオンはマリーナを逃がさぬ様、身振りで兵へと指示を送っている。
マリーナは目の前の情景が信じられないように首を横に振る。
かすかにその口から聞こえてくるのは現状を否定する声。
違う、違うと声にもならないような声で呟き続けている。
「娘に知らせぬことが主の今までの忠義への報いと思え。――ネイルよ、グラナスを捕らえよ。また、グラナス家の一族郎党を連座を以て死罪に処す。確実に捕らえ、そして殺せ。」
ゴートは指示を出すと部屋から退出していく。
その後にはレオンやマリーも続き、部屋の中には自失して目を見開いたまま乾いた笑い声を上げ続けるマリーナと、マリーナをすぐにでも切り殺してやりたいと柄に手をかけ耐えるネイルと、その部下だけになった。
いつまでも、いつまでも。首を落とされるその時まで、マリーナは笑うことをやめなかった。
「それで、何が望みだ。」
打って変わり、退出したあとのマリーとゴート達。
迎賓館内の別の部屋へと場所を移し、犯人を捕らえて何を望む。と、ゴートは尋ねていた。
「いいえ、閣下。何も望むことなどございません。あるとすればフィリア様が女王陛下となられることのみ。それだけが私の望みです。」
「ふむ、あれだけ狂信ともいえるほどの執着を見せながら側にいることを望まぬとは。裏があるのかと疑わざるをえんな。」
あれだけフィリア様フィリア様といっていたマリーがその側にいることを望まない。
それにゴートもレオンも戸惑い、怪訝な顔を浮かべる。
それをクスクスとマリーはおかしそうに笑いながら。
「あらあら、それはそうですわ閣下。私のような狂人がフィリア様のお側にだなんて、それこそフィリア様を穢す行為です。それこそ私が私を許さない。故郷で、フィリア様のご活躍を楽しみに日々を過ごすだけですわ。」
「そうか…理解は出来んが、お主がそういうのならばよかろう。表立って表彰するようなことはできんが、この事件のことを黙っていられるなら報奨金として平民が一生を大過なく過ごせる程度の金子はやろう。黙って居れぬというのなら記憶消去薬を飲んでもらうがな。」
「クスクス。どうぞ記憶消去だけはお許し下さい。私の人生で唯一フィリア様のお役に立てた今宵のこと。どうぞ夜の帳の中、夢の中で一人誇ることだけはお許し下さい。」
そうか、とそれを許すゴートとレオン。
下がってよいと告げられ、マリーは別に用意された寝室へと帰っていく。
そんな背中にレオンが声をかける。
「それにしても、よくグラナスが犯人だとわかったものだ。」
マリーはやはりクスクスと笑い、振り返りながら語る。
「あら、申し上げたでしょう私と彼女は似ているって。何も起こってなければ、似たようなことを私がするつもりでしたもの。立場さえフィリア様に近くなければ、私は彼女達を賞賛いたしましたわ。だってフィリア様を侮辱した者共を掃除したんですもの。フィリア様に迷惑さえかからなければ褒められこそすれ、問い詰める必要などございませんでしたわ。」
ばたん、とその言葉を笑顔で言い残し、扉が閉まる。
後に残るのは、背筋をうすら寒く感じた二人の重鎮であった。
お久しぶりです。
キリの良いところまで書いていたらシリーズ最長というよりも、異常に長くなってしまいました。
それでは、続きは次回のお話で。
どうぞお付き合いください。




