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太郎君には。

作者: 亥口一人
掲載日:2026/02/23

 リリリリリ……と耳慣れた音で目を覚まし、「うーー」と意味のない唸り声を上げた後、枕元のスマホの画面に目を向ける。

 

 時刻は6:03。想定通りの時間。起き上がらなければならない時分。

 

 のっそりと布団を這い出て、薄寒い空気に「さみー……」とダミ声で溢し、階段を下りる。顔を洗って鏡を覗き込むと、しなびた薄汚い男が半眼で睨んでいた。放浪者のような風情があるが、れっきとした会社員だ。在宅勤務日が続いた分だけ髭が伸びてしまっている。電気シェーバーを頬に当てながら、毎日テレワークなら楽なのに、とため息をつく。

 

 それが済んだら、ダイニングキッチンへ向かう。ふわっと米の炊ける良い匂いがした。

 

 大振りの弁当箱を五つ並べて、それぞれに米を詰め込む。冷凍庫からいくつか冷凍食品を取り出し、電子レンジで解凍する。その間に、棚からおかずカップを取り出し、昨日の残り物を適当に詰める。中途半端に空いた隙間に、フライパンで焼き目をつけたウインナーをぐいぐいと押し込む。

 

 それなりに弁当の様相が整ったら、今度は食パンをトースターにぶち込んだ。朝はパン派だ――というより、パンを食べる他ないのだ。五合炊きの炊飯器に残った白米はすべて、万年食べ盛りの次男と三男の腹に収まることになっている。あいつらは、圧倒的米派なのだ。

 

 腹が落ち着いたら、皿と調理器具を洗う。ついでに、シンクの中で水を湛えていたコーヒーカップも洗う。飲み口に口紅が付いているを見つけて、「飲み終わってから化粧しろよ……」と独りごちる。

 

 後はもう惰性だ。いつものスーツを着て、いつもの電車に乗り、いつものオフィスに行く……。

 

「おはようございます」

 

 誰にともなく言うと、「おはようございます」と、呪文めいた覇気のない声がパラパラと返ってきた。大半は自分の手元から目を離すこともなく。

 

 挨拶然とした挨拶を返してくれたのは、二人だけだった。同期入社の榛名さんは「おはようございまーす」と小慣れた調子でにこりと微笑み、堀君は「おはようございます!」と青さの残る張りのある声を上げた。

 

 角張ったリュックを背から下ろし、ノートパソコンを取り出す。液晶モニターに繋いで、メールソフトを立ち上げる。急を要する連絡がないことを確認すると、急激に眠くなってきた。

 

 欠伸を噛み殺して、目頭をぎゅっとつまむ。急ぎの仕事はなくとも、やるべき業務は腐るほどある。

 

 カチカチとマウスを鳴らし、作りかけのファイルを開いた時、画面の端でチャットの通知が閃いた。送信者は、「榛名」。スッとカーソルを滑らせ、通知をクリックする。

 

『太郎君、今日、ランチどう?』

 

 ランチの誘いだった。短く「OK」と返す。

 

『ありがと!』

『じゃあ12時食堂で!』

 

 続け様にメッセージが送られる。それにも「OK」と返す。

 

『ちなみに、寝癖すごいよ笑』

 

 げっ、と思う気持ちと、うるさいな、と思う気持ちを抑えて「ww」とだけ返した。何も面白くないけど。面白くないけど、まあ、目は覚めた。

 

 

 ◆

 ◆

 ◆

 

 

 四人掛けのテーブル席に座りしばしぼんやりとしていると、向こうからお盆を抱えた榛名さんがやってきた。そしてその後ろに、同じくお盆を携えた堀君。それぞれの盆の上に湯気が立っている。

 

「堀君も誘ってみましたー」

 

 榛名さんはこの会社に入る前はアメリカで仕事をしていたらしい。そのせいなのか何なのか、非常にフレンドリーな性格をしている。

 

「お疲れ様です!」

 

 一方で堀君はまた、礼儀正しく挨拶をした。それに対して、俺が「お疲れ様」と返し、榛名さんは「どうぞどうぞ座って」と席を勧めた。俺の正面に榛名さん、右前に堀君が座り、各々「いただきます」と唱えた。

 

 しかし榛名さんはすぐには箸を取らず、俺をじろじろと見やった後、半笑いになって、

 

「今日は一段と眠そうでー」

 

 と言ってきた。それから、自身の側頭部を指差した。俺の頭髪に残る寝癖の名残を揶揄しているのだろう。トイレで直そうと試みたのだが、思うようにいかなかったのだ。

 

「今朝は弁当作るために早起きしたから」

 

 と言い訳をする。すると、斜向かいの堀君の目がくわっと開いた。

 

「え、須田さんが作ったんですか!?」

 

 体を乗り出す勢いで俺の弁当箱を覗き込んでくるものだから、途端に恥ずかしくなってきた。

 

「いや、作ったって言っても、ほとんど冷食だから」

 

 と誤魔化して、あからさまに冷凍食品っぽいチーズカツを口に放り込んだ。

 

「あれ、でも須田家って、子沢山の弁当をママがせっせと作ってる家じゃなかったっけ?」

 

 榛名さんが、うどんに息を吹きかけながら尋ねる。変な日本語だな、と思ったが、意を汲んで「大抵はそうなんだけど、今日は明け方から家を出てて」と返した。

 

「ふーん。あれ、超子沢山だったよね、何人だっけ」

 

 榛名さんは俺の回答を待つことなく、ずるるっと豪快に麺を啜った。

 

「五人。男ばかりの」

 

 俺の答えに、堀君は「五人!?」とステレオタイプな驚き方をしていたが、榛名さんは「んー」と言ってこくこくと頷くだけだった。「そうそう五人兄弟だったね」と言っているのかもしれなかった。お互い在宅勤務が多いので顔を合わせる機会はさほど多くはないが、タイミングが合った時にはこうしてランチを食べながら雑談を交わしている。うちの家族構成についても、何となく話したことがあった。


「ご、五人……それは、今時珍しい、子沢山ですね……」

「まあ、子沢山って言っても……ウチ、再婚同士だしね。子連れ同士の再婚」

「そうだったんですか……」

「だから、兄弟たちの名前がアレなんだよね、アハハ」

 

 榛名さんはつくづく気安い。少し失礼過ぎる程に。

 

「名前、ですか」

 

 興味津々、といった様子の若い視線が突き刺さる。あんまり、ハードルを上げないで欲しい。

 

「まあ……兄弟の名前は、一郎と次郎と三郎と四郎」

 

 連れ子の名前が「一郎」「次郎」だったことで、次に生まれた子供たちの名前も自ずと(と言えるのかわからないが)「三郎」「四郎」に決まったのだった。おかしいと言えばおかしいのだが、誰かを大笑いさせられるようなネタという程ではない。変な空気になることさえある。

 

 ちらっと堀君の様子を見やる。ピチピチの新人社員は、先輩の微妙な家族事情にどう反応するだろうか。

 

「へえ……」

 

 堀君は口の中で呟き、首を捻る。

 

「……五番目のお子さんの名前は?」

 

 思わぬ返答に、一瞬言葉が詰まった。堀君は、純粋なまなこで俺を見ていた。

 

「……五番目が、四郎」

 

 ひょっとして。そう思った時、

 

「あはははは!」

 

 と、榛名さんが高らかに笑った。

 

「もしかして、太郎君のこと、お父さんだと思ってる?」

 

 そんな、皆まで言うなよ。俺は俺で傷付くが、堀君も堀君で青ざめた顔をしている。「どうしよう、やらかした」と顔に書いてあるようだ。

 

「たしかに老け顔だけど、五児のパパはひどいよ、堀君」

 

 ひどい、と言いながら、誰よりも笑っている榛名さん。「すみません、すみません、そういうわけじゃないんですけど、須田さんすごくしっかりしている方だから、そうなのかなって」と慌てふためく堀君を見てもうひと笑いし、「いやいや大丈夫だよ」と、何故か言い出しっぺ自らフォローしていた。

 

「それより私、良いこと思いついた。ちょっと、聞いてくれる?」

 

 どこまでも楽しそうな榛名さんの申し出に、堀君は律儀に「はい、お願いします」と返しながらぺこぺこと頭を下げる。

 

「なぞなぞです。太郎君のお母さんには、五人の子供がいます。一郎、次郎、三郎、四郎ともう一人は誰?」

 

 榛名さんは俺を見て、にこっと歯を出して笑った。

 

■完■

 

 

 

参考:各種定番なぞなぞ問題集


という定番なぞなぞがあるようです。

どんな家族だよ、とずっと気になっていました。


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