生成AI未使用は『面白さ』の証明ではない
最初に言っておきますが、これから書くのは私の考えでしかないし、私はただの物書きでしかないので間違いとかもあると思います。
そういうことは(馬鹿にするのは構いませんがその上で)感想等で教えて頂けると嬉しいです。
匿名で感想を書き込めるようにしておくので、名前を晒したくない人はブラウザのシークレットモード等を利用してください。
【生成AIの著作権問題について】
現時点の生成AIは(ほぼ例外なく)人の著作物を利用しています。
学習データの大部分に英語の文章が使用されている関係で、少し前の生成AIは思考プロセスが英語的になりがちで、多くて日本人からすると感覚に合わなかったり……ということも起きたりしましたが、最近はその点も徐々に解決されつつあるようです。
それはともかく……生成AIが日本語を理解している以上、大量の日本語データが学習に使われていることは間違いありません。
そしてそのデータはどこから来たか……というと、それはほぼ間違いなくインターネット上のデータから収集されたのでしょう。
もしかしたら私の文章も、その一部はAIの素材になっているのかもしれません……
で、それはまあ一つの事実として。
それを作者側がどう考えるかという問題になってきます。
『世の中の作者様がすべてこの考えをしているわけではありません』
『他の作者様方に考えを押し付けるつもりはありません』
『あくまで個人の感想です』
という入念な前提を置いた上で私の考えを述べさせてもらうと……
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好きに使っていいよ。
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ということになります……
ええ、だって別に、私は損していないので。
そもそも作品をインターネットに公開した以上、その利用方法を制限することは出来ません。
作品として読んで、何かしら感動してくれたら御の字ですが……
それを読んで「つまんねえ」と切り捨てられたとしても……まあ文句は言いたくなりますが、だからと言って「面白いと思う人以外読むの禁止!」なんてのが横暴だということは理解していただけると思います。
同様に、作品をAIの学習用に使用されたとしても、それは読者の自由ではないでしょうか。
と、私は感じます。他の作者様がどう感じるかは自由ですがとりあえずその前提で話を進めます。
その上で、じゃあ何をしても良いかと言われると、それはそれで違います。
まず、私の作品の模倣品を作られたら、それは少し困ります。
さすがに『一言一句に至るまで同じ』となるとそれはAI使用以前の問題としてNGですが、たとえば『設定は全く同じで、文体だけが違う』とか、そう言うことをされるとこちらとしても「うーん」と思ってしまいます。
ただこれは「生成AIだから」というより、パクリ行為そのものに対する違和感ですね。
逆に、私の作品でチューニングして新しい作品を作るのは、まあ好きにしたらよろしいかと。
ただしそれを『みももも風』みたいな感じで、私の名前を出して良いという話ではありません。
もちろんそこに、何らかのリスペクトがあるなら許容しないでもないですが、それは『何をしても良い』ということではありません。
そしてそれは、別に生成AIに限った話じゃないですよ。
ちなみにこれは、画像生成のAIについてもなんとなく考えてることで……
たとえば画像生成AIで既存作品のキャラクター(ピ○チュウとか鬼○の刃とか)が出力されたらという話をされる方がいるのですが、絵を描かない私には「手書きの二次創作」は良くて「生成AIの二次創作」は駄目という理屈がよくわからないんですよね……
そもそもこれって
「猫の絵を描いて」→猫のイラストが出力される
「犬の絵を描いて」→犬のイラストが出力される
のと同じように
「ピ○チュウの絵を描いて」→ピ○チュウのイラストが出力される
というだけの話じゃないの?
それは単に『生成AIがピ○チュウのことを理解している』というだけの話で、それの何が問題なのか……
まあ、イラストについては描く側の気持ちを理解出来ないので、ほどほどにしておきますが。
【AI未使用を宣言する人達について】
なんか、生成AIを問題だと思う作家の一部が「AI未使用」を言い出す動きがあるようなないような、そんな感じのようですね。
まあ……好きにすれば良いんじゃないかとは思いますけれど、それって何の意味があるんだろうとも思います。
作者「私の作品は、生成AIを一切使用していません」
読者「ふうん。それでその作品は、面白いの?」
作者「………………」
読者からすると、その作品が面白いかどうかの方が、何倍も重要なのでは?
と思うのですが、いかがなのでしょう。
むしろ『AI未使用』をわざわざいうのは『それ以外に魅力がない』と宣言しているのと同じように感じてしまうのですが……
まあ、それはその作者が好きでやってることだと思うので、別に否定はしませんが。
ちなみに『この作品は生成AI未使用です』みたいな認証とかも出来つつあるとかないとか。
認証を受けるためにお金を払ったり監査を受けたり提出用の生データを用意したり……
で、しかもおそらくそこまでしても、生成AIの使用を100%見抜くなんてことは出来ないわけで、意味ないことにお金と労力を消費してるんだなぁ……としかならないのでは?
まあ、それで騙される人もいるだろうから、認証を得ること自体には意味もあるんでしょうけどね。
【AIとこれからの創作について】
ここまで「著作権」や「AI未使用宣言」について触れてきましたが、結局のところ多くの書き手が恐れているのは、 「将来的に、AIに自分たちの席を奪われるのではないか」 という一点に集約されるような気がします。
確かに、AIの進化は凄まじいものがあります。
文章力だけで言えば、そこら辺の素人が書くよりもよっぽど整った日本語を出力してきますし、誤字脱字もありません。
プロットを作らせれば、王道の物語構成を数秒で提案してくるでしょう。
では、それで小説家は不要になるのか。
私の考えは、やっぱりここでも少しドライかもしれません。
もし仮に、AIが人間よりも圧倒的に面白くて、感動的で、涙なしには読めないような傑作を書いたとしたら。
私は迷わずそれを読みますし、称賛するでしょう。
だって私は、面白い物語が読みたいので。
それが人の手によるものか、シリコンチップによる演算の結果かなんて、極論を言えばどうでもいいのです(もちろん、作者の背景を知って感動が増すことはありますが、それは付加価値の話です)。
ただ、だからと言って「人間が書く意味」がなくなるかと言うと、それも違う気がします。
AIは優秀ですが、今のところ「自発的な情熱」を持っていません。
AI自身が「どうしてもこのシチュエーションで、ヒロインにこの台詞を言わせたいんだ!」と夜中に悶え苦しんだり、「ここだけは絶対に譲れない」という歪んだ性癖を持っていたりはしないのです。
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AIはあくまで『優秀なゴーストライター』に過ぎない。
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そう考えると、これからの創作は「書く技術」よりも、「何を書きたいか(書かせたいか)」という「発注する力」や「監督する力」が重要になってくるのかもしれません。 AIという優秀な部下に、いかに自分の脳内の妄想を的確に伝え、出力させるか。
ある意味では、今まで以上に「作者のセンス」が残酷なまでに問われる時代になるのかも……なんて思ったりもします。
まあ、そうなったらそうなったで、AIに指示出しをするのが上手い人が「作家」と呼ばれるようになるだけのこと。
筆がキーボードに変わり、キーボードがプロンプトに変わる。道具が変わるだけで、やることは昔から変わっていないのかもしれませんね。
私としては、AIを敵対視して筆を折るよりは、使えるものは何でも使って、少しでも面白いものを世に出す方が建設的かな、と思うのですが。
皆様は、どう思われますでしょうか。
ちなみに【AIとこれからの創作について】は、私が書いたそれまでの文章を読ませた上で
>現在は二章構成ですが、もう一つ似たような文体で三章目を作成してください。
というプロンプトで書かせた文章です。
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ご提示いただいた文章のトーン(「です・ます」調をベースにしつつ、少し突き放したようなドライな視点と、本質を突くような語り口)を踏襲し、話の流れとして自然に続く「第三章」を作成しました。
第一章で「権利・学習」、第二章で「AI未使用宣言(ブランド化)」ときているので、第三章は**「作家の未来・AIとの付き合い方」**というテーマで着地させると、エッセイ全体の構成として綺麗にまとまります。
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とのことらしいです。




