7.校歌斉唱、そして「星見る頃を過ぎても」
11月22日水曜日 勾留13日目
朝から冷たい雨。強くなったり弱まったり。
検察官の山内副検事に会うのは、初めてではない。たしかに切れる人という感じはするけれど、話し方は穏やかで、恐怖を感じたことは無い。ただ、そういう人のほうが、本気で敵に回すと怖いのだと思う。
約束は午前10時だったけど、9時半には地検支部に行った。当然待たされる。
「でも事務所でそわそわしてるよりは、こちらのほうがいいよね」と吉野さん。
「はい。ボクもそう思います」
9時50分くらいに呼ばれて、いつもの面会室に入る。
5分ほどしてその人、山内副検事が入ってきた。
二人立ち上がって会釈。副検事が着席すると当時に、再び席に着く。
「どうしました? 取って食おうなんて考えてませんから」
山内副検事のその言葉に、少しだけ緊張がほぐれた。
「本日は、起訴猶予処分を求める意見書と添付資料を持ってまいりました」と吉野さん。
ボクが一式を副検事に手渡す。
「いよいよやってきましたね。読ませていただきます」
そういうと、山内副検事は冒頭から、丁寧に読み始めた。
まずは本文を通しで読む。次は添付資料を読み進め、ときどき本文に戻りながら全部に目を通す。それが終わると、もう一度本文にざっと目を通す。
「趣旨は理解しました。これを手土産に、本庁の面々を説き伏せてこい、ということですね」
「おっしゃっていることが、検察内部で検討していただける、ということでしたら、そのとおりです」
「何度も申し上げましたが、本件は組織犯罪事件であることから、地検の上層部が関与しています。特に次席検事が積極的なのです。末端とはいえ、いったん確保した共犯者をなかなか手放したくない、ということです」
「でもそれって、『人質司法』...」
思わず出た自分の言葉に「しまった」という表情の吉野さん。
「世の中で、検察に対してそういう評価があるということは承知しています。でも、立場上私から何か申し上げることはできません」
「失礼な物言い、どうかご容赦ください」
「お気になさらずに。こういう仕事をしてると、いろんな言われようをするのは慣れっこですから」
「ありがとうございます」
「たしか前に『キャバ嬢がどうせホスト狂いでもして借金作ったんだろう』という捉え方があると申し上げました。今回の意見書は、そのような見方を否定するに足るだけの内容があることは認めます」
「動き回った甲斐があります」
「初犯かどうか、という点については、初犯であることを否定する裏付けとなるような証拠は、警察のほうでも集められなかったようです。今後何か新しい証拠が出てこない限り、主張されているとおり、初犯であるという結論とせざるを得ません」
「被疑者の供述が、いったん認められたのですね」
「ただ、申し上げましたとおり、本件は本庁管轄の事件です。いずれにしても、自分の一存で決められるものでないことは、理解してください。ただ、いただいた意見書は、本庁に持って行って、私から説明することをお約束します」
「ありがとうございます。お立場はあるかと存じますが、どうかお力添えいただければ」と吉野さん。
「よろしく、お願いします」とボク。
「ひとつ聞きたいのですが、どうしてここまでして起訴猶予を勝ち取ろうとするのですか? 法廷で執行猶予を求めて戦うこともできますよね」
「そうですね...」
「こう言ったら失礼ですが、ここいらの事務所では、そんなに大した成功報酬が取れるわけでもないかと」
「...もしも何か申し上げるとしたら、刑事弁護をする者としての『矜持』、とでも言うのでしょうか」
「『矜持』ですか。私も好きな言葉です」
緊張が解けてへろへろ気味になった吉野さんとボクが、雨の中事務所に戻ると11時を回っていた。
「どうだった?」とルカさん。
「はい。決まったわけではありませんが、手ごたえはありました」と吉野さん。
「山内副検事は、動いていただけそうです」とボク。
「まあ、検察のピラミッドを崩すのは大変だから、あまり期待しすぎないほうがいいけれど、よく頑張りました」とルカさん。
「お疲れさん。結論が出るまでは一息だね」と内田さん。
「お母様と一緒に、愛さんを励まし続けようと思います」と吉野さん。
午後1時。接見。最初に母親の油田さんが15分。入れ替わりに弁護士。
「今日午前中、起訴猶予の意見書を検察官に出してきました」と吉野さん。
「お疲れさま。どうだった?」
「手応えは、あったと思う」
「じゃあ、上手くいきそう?」
「あとは、そうねえ、検察のピラミッドを崩せるかどうかね」と吉野さんが、ルカさんの言葉をそのままに言う。
「なんか、よくわかんないな」
「例えばね。担当している検察官の山内さん。彼女は副検事」
「ふうん」
「そして地方検察庁には検事がたくさんいる」
「検事と副検事って、そんなに違うの?」
「検事は、私たちみたいに司法試験を受けて、司法修習って研修を終わった人の中から、選抜された人がなるの」
「じゃあ、エリートだね」
「それに比べて副検事は、たいてい検察事務官っていう一般職員の人の中から、難しい試験に受かった人がなるの」
「難しい試験に受かった、優秀な人だよね」
「でもね、検察官の世界の中では、偉さっていうか、立場が全然違う」
「どんなふうに?」
「副検事は、一定範囲内の小さな事件は自分で判断できるけど、少しでも大きな事件を担当することはほとんどないし、あっても検事の指揮のもとでしか、動けないの」
「今回の詐欺事件は、基本的に検事のテリトリー。支部の管轄内で起こったから、本来は検事が担当するところを、副検事の山内さんが、地方検察庁の検事の指揮を受けて担当している」
「そうか。山内さんが『本庁が』ってよく言ってたけれど、それって『地方検察庁の検事さんたちが』っていうことなんだね」
「だから、私たちが出した意見書を、山内さんが納得してくれたとしても、本庁の偉い検事たちが納得してくれないと駄目だってこと」
「そうか。駄目かもしれないんだ」
「待って。駄目って決まったわけじゃない。えーと、上手く言えないんだけれど」
「どうしたの?」
「なんていうか、なんか、山内さんが何とかしてくださるんじゃないかなって、そんな気持ちもしてる」
「わかった。今は待つしかないってことだね」と、投げやりではなく、しっかりとした口調で愛さんが言う。
「そう。希望は捨てないでね」
「気持ちが落ち着いてきているみたいですね」と吉野さんが油田さんに言う。
「私もそう思いました。覚悟を決めたって感じですかね」と油田さん。
「意見書は、手応えを感じています」
「ありがとうございます。引き続きよろしくお願いします」
明日は11時に接見に行くことにした。
ひとまず、現時点でやれることはやり尽くした。
吉野さんもボクも、たまっている案件をこなし、早めに退勤した。
雨は続いている。
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11月23日木曜日 勾留14日目
今日も雨。寒い、という感じがする。
出勤して、留置管理課に11時の接見を告げる。吉野さんとボクは、諸事片づけると、天歌警察署へ向かう。
11時から母親の油田さんが接見。15分経過して、入れ替わりに吉野さんとボク。
「昨日お会いした後に、取り調べはありました?」と吉野さん。
「ないです」
「こちらも特に進展ありません。検察で検討してくれているならいいのですが」
「待つしかないんだよね」
「お二人に聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」と愛さん。
「どうぞ}と吉野さん。
「はい」とボク。
「どうしてここまでいろいろやってくれるの。仕事で、お金取ってるとしても」
「そうねえ...弁護人としてやるべきことをやっている、ということになるんだけれど」と吉野さん。
「だって、結果が同じなら同じだけしか貰えないんでしょう? だったらもっと上手く立ち回って...」
「たしかに不器用って言うか、馬鹿正直かもしれない」
「そうですね」とボク。
吉野さんが続ける。
「弁護士ってね、私の考え方なんだけど、クライアントの人生の一時期に伴走する仕事だと思っている」
「伴走?」
「そう。だからクライアントのために、やれるだけのことをやりたい。後悔したくはない」
「法科大学院の頃から、刑事事件に関心はあった。同時に、弱い立場の人を守る仕事がしたかった。だから検察官ではなく、弁護士になって刑事事件を手掛けるようになった。小さな事務所だから、もちろん刑事事件じゃない仕事もやるよ。でも、今回のようにきっかけがあったら、受任して自分が担当させてもらうようにしている」
「そうなんだ」
「さっき、伴走ってことを言ったけれど、刑事事件はクライアントの人生にダイレクトに関わってくる度合いが高い。だから刑事弁護人として、あらゆる手段を使って伴走するの」
「深町先生は?」
「自分は、弁護士になってまだ1年経っていない見習いです。いろんな専門分野を持つ事務所の先輩弁護士のもとで、まずは、あらゆる事件を一人でこなせるようになりたいと思います。今回は刑事専門の吉野先生について、刑事事件についての経験を積ませてもらっています」
「行政書士も法律に関連する仕事だよね」
「ええ。刑事法はほとんど関係ないですけど」とボク。
「釈放されたら、丸山先生のところで働かせてもらうことになるけれど、私って、行政書士になることはできるのかな」
「起訴猶予で釈放されれば、基本的には問題はないです」と吉野さん。
「高校中退でも?」
「行政書士に学歴要件はありません。実は弁護士も、その気になって試験に合格すれば、学歴に関係なくなることができる」とボク。
「実際に働いてみて、興味が続くようなら、勉強してみようかな」
「いいと思います。ノナさんが『真面目なマナちゃんに向いてる』って言ってましたよ」と吉野さん。
接見を終えると、油田さんの予定を確認して、少し事務所で話をすることにした。
会議室にお通しして、本日はルカさんも加わる。
「少しずつ、ですが、前向きな姿勢が感じられました」と油田さん。
「そうですね。私たちにも、釈放後のことについて話をしてくれました」と吉野さん。
「さて、私どもは起訴猶予について、かなりの手応えを感じております」とルカさん。
「いろいろとありがとうございます」と油田さん。
「とは言うものの、こればかりは検察の判断になります。早ければ明日、おそらく週明けには、起訴か不起訴かの結論が出ると思われます」
「左様ですか」
「あまり考えたくはないのですが、結論が起訴になった場合のことも想定して、この時点でお話をさせていただいたほうがよろしいかと思います」
「承知しました。お願いします」
「愛さんは現在、被疑者として扱われていますが、起訴されると被告人という立場になります」と吉野さんが説明する。
「はい」
「身柄は原則として十海の拘置所に移されることになりますが、早期に保釈ができれば、そのまま警察の留置場から出てこれる可能性もあります」
「拘置所はどこにあるのですか?」
「十海市の市街地の東側にあります。最寄りの駅から歩いて15分。ここからですと片道1時間半ほどかかります」
「遠いですね」
「なので、早期に保釈されるよう動きたいです。保釈請求に必要な書面は、すでにほぼ揃っていますが、ご本人やお母様の書面について、さらに掘り下げたものを用意した方がよろしいかもしれません。明日中に結論が出なければ、準備を始めたいと思います」
「かしこまりました」
「保釈されるには、保釈金の支払いが必要になるのですね」と油田さん。
「はい。今回の事件の場合は100万円から200万円程度と思われますが、情状が考慮されれば100万円以内で収まるかもしれません」
「返ってくるのですよね」
「はい。愛さんが逃亡したり、期日、裁判の日のことですが、期日に理由なく出頭しない、などがなければ、判決の確定後に全額戻ってきます。それなりの金額なので、立替という形で支援してくれる機関もありますが、その場合手数料が必要です」
「お聞かせいただいたくらいの金額であれば、私と父親で折半して用意できます。今回の件についての費用は、先生たちへのお支払いも含めて、折半することにしております」
「お父様とはコンタクトがとれているのですね」とルカさん。
「毎日、愛の状況と進捗について連絡しております」
「なによりです」
吉野さんが続ける。
「起訴された場合の弁護の方針は、以前にもお話ししましたが、執行猶予を勝ち取ることです」
「無罪、というわけにはいかないのですね」
「脅迫を受けて実行に及んだ、ということから、『期待可能性の欠如』というのですが、責任を問えないとして無罪を主張すること自体は可能ですが、認められる可能性は極めて低いです。仮に認められて無罪判決になっても、検察は間違いなく控訴して、決着までさらに時間がかかることになります」
「なるほど」
「今回のケースで、その他に無罪を主張できる要件には、いずれも該当しません。ですので、犯行は認めたうえで情状を申し立てて、執行猶予付きの判決を得るのが、早期決着の近道と考えます」
「どれくらいの期間を想定しておけばよいのですか?」
「判決までのスピードだけを重視すれば、保釈されない状態で進めることですが、それでは本末転倒です」
「ですね」
「保釈が認められたとすると、少し長くなりますが、起訴から第一審の判決までに、本件の場合3ヶ月程度かかると存じます。保釈のメリットは、準備の自由度が増すこともありますが、保釈後の生活状況を情状に加えることができることです。愛さんの場合、勤務先の候補が見つかっているので、なおさらです」
「なるほど」
「裁判については、事実関係に争いがないので、おそらく1回で結審。場合によっては同日中に判決が出る場合もあり得ると思われます」
「それで執行猶予で確定すれば、そのまま生活が続けられるのですね」
「そうです」
「さっきおっしゃられた控訴になる可能性は、他にもありますか?」と油田さん。
「これも検察次第ですが、なにか新たな事実が愛さんについて出てこない限り、第一審で確定することが十分見込まれると思います」
「保釈が認められたなら、執行猶予も確実ですか?」
「直接関係はありません。裁判所がまったく別々に判断します。ただし、保釈が認められる理由は、一般的に執行猶予の判断に関係してくるものが多いと言えます。それと先ほどお話しした、保釈期間中の生活態度が良好であることは、執行猶予の判断について大きく影響すると言われます」
「あくまで検察と裁判所があってのことですが、極端に悲観する必要はないと考えます」とルカさん。
「ありがとうございます。見通しがついたのが、なによりもよかったです」と油田さん」
「ご心労、お察しします」
「今は、待つことですね」
話が終わると、午後1時を回っていた。明日の予定は、別途連絡して決めることにした。
別件を片づけたのち、今日も早めに切り上げた。
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11月24日金曜日 勾留15日目
朝から晴れ。雨が二日続いたせいか、空気が澄んでいるような気がする。
9時半、地検支部から電話があった。11時から又一愛の取り調べを行う。希望があれば弁護人の同席を認めるが、どうか、という内容。同席を希望と伝えると、10分前までに来庁するように言われた。
「いよいよ結論かな」とルカさん。
「弁護人の同席を認める、というのは異例だよね。起訴猶予の可能性がかなりある?」と内田さん。
「糠喜びになるといけないので、あまり期待はしないようにします」と吉野さん。
油田さんにボクが電話する。状況を話し、何らかの決定が出る可能性があるので、11時半に事務所に来て待機していただけるか確認する。OKとのこと。
15分前に地検支部の受付に行き、来意を告げると、しばらくしていつもの検察事務官がやってきた。2階の、いつもの面会室とは違うコーナーにあるベンチに連れてこられた。再び呼ばれると、取調室らしき部屋に案内された。
愛さんはすでに着いていて、検察官が座るであろう席の真正面の椅子に腰かけていた。
吉野さんとボクは、その後ろに2つ並べられた椅子に腰を下ろす。
愛さんが、少し不安そうな顔で、吉野さんのほうに振り向いた。
「大丈夫。大丈夫だから」と小さな声で吉野さんが語りかけた。
山内副検事が、先ほどの事務官を連れて入ってきた。
半ば自動的に、愛さんとボクたちは立ち上がった。
副検事と事務官が腰掛けたのを見て、ボクたちも再び席に着く。
「それでは、取り調べを開始します。本事件の概要について、再度確認します」
そう言うと、山内副検事が事件について、書面を見ながら一通り話し始めた。
話し終わるとこう言ってしめくくった。
「以上、被疑者のほうで何か言いたいことは?」
「いえ。ありません。おっしゃられたとおりです」
「弁護人。何かおっしゃることはありますか」
「いえ。当方の認識と相違ありません」と吉野さん。
「本日の取り調べは、以上です。それでは...」
「十海地方検察庁刑事部長である検察官、吉本検事の決定として、本事件は起訴猶予となりましたので告知します」
やった! 立ち上がってガッツポーズしたいのを堪えて、続きを聞く。
「被疑者はいったん留置場に戻り、手続きの後すぐに釈放となります。出迎えなど、天歌警察署留置管理係と打ち合わせしてください」
愛さんが吉野さんのほう、そしてボクのほうに向いた。うっすらと涙を浮かべている。
事務官が立ち上がって、書面を1通愛さんに渡し、もう1通を吉野さんに渡した。
待ちに待った「不起訴処分告知書」だ。
「少しお話をさせていただきます」と言って、咳払いをすると山内副検事が続ける。
「今回の決定はあくまで起訴猶予です。先生方はお分かりかと思いますが、公訴時効期間が経過するまでは、起訴の可能性があります。詐欺罪の場合、犯行終了の時点から7年間です」と言うと、愛さんのほうに視線を集中させて、続ける。
「本件は組織犯罪で、関与していると思われる者が多数存在することが推認されます。今後事件の捜査が進み、新たな事実や関与した人物が浮かんできた場合、末端とはいえ事件に関わった貴女に、事情聴取をして証言を求める必要が出てくるかもしれません。起訴猶予に条件をつけることはできませんが、捜査へ協力いただけることを強く希望します」
愛さんが頷いた。
「今回の決定には、先生方が提出された情状に関する資料が大きく影響しています。ですので、今後の捜査への協力姿勢いかんによっては、事情の変更を認めて...といったこともあるかもしれませんので、その点は十分ご理解ください」
まあ、実質的な条件ではある。
「今回の犯行に至った過程には、ご両親の離婚以来、様々な事情があったこと、先生方の資料から理解しました。また、宥恕した被害者、両親を始め、更生を期待している方が多数いることもわかりました。そのことを理解のうえ、新しい生活を一刻も早く軌道に乗せてください」
「発言してもよろしいでしょうか」と吉野さん。
「どうぞ」
「今回の件は、いろいろとご尽力いただいたものと存じます。本当に、ありがとうございました」
「ありがとうございます」と愛さん。
「ありがとうございます」とボク。
「自分は、何が社会正義に叶うのか、という基準で、やるべきことをやっただけのことです。礼には及びません」といつもの表情で言うと、山内副検事は、少し小さな声で続ける。
「ただ、お礼していただいて、悪い気はしませんね」と言うと、ふだん見せることのない、茶目っ気のある笑顔を浮かべた。
「以上。よろしいでしょうか」と山内副検事。
三人が頷く。
「では、弁護人から退出してください」
吉野さんとボクが、取調室を後にした。
地検支部のロビーから結果を一報し、事務所に戻ると、ルカさん、内田さん、そして油田さんが迎えてくれた。
「本当に、本当にありがとうございます」と涙声で油田さん。
「いや、本当によかった。お疲れさま」と内田さん。
「吉野弁護士は、これでまた一つ、実績ができたね」とルカさん。
「ありがとうございます」
「そして深町先生は...『刑事弁護初歩の初歩』を修了かな」
「でも深町先生のおかげで、本当に助かりました。もし一人でやってたら、もっと時間がかかってたかもしれません」と吉野さん。
「お役に立てたなら」とボク。
「お父様にはご連絡されました?」
「ええ。先ほどしました。用事を片付けて、至急こちらに向かうそうです」
「お世話になったところに。ひとまず連絡を入れよう」とルカさん。
「被害者の宮下さんへは、私から連絡させてください」と母親である油田さん。
「家主の大川さんへは、私がします」と吉野さん。
「丸山先生にはわたしかな」とルカさん。
「じゃあ、十海保護観察所の広瀬さんにはボクから連絡します」とボク。
「キャバクラ関連は、本人からがいいかな」
一通り連絡が終わると、地検支部から愛さんが警察署に戻っている頃合い。
留置管理係に連絡すると、ちょうど先ほど戻って、不起訴処分告知書を確認したとのこと。
釈放に立ち会う旨申し出たところ、午後2時頃に来るようにとのこと。
デリバリーの弁当で昼食をとっているところに、お父様がやって来られた。
「本当に、至らぬ父親ですが、お礼を申し上げます」
「お父様が監督にご協力いただけることになったので、大きくポイントを稼ぎました」とルカさん。
「今まで関りを避けていたのを、少しでも取り戻せるよう、愛の今後の生活をサポートしていきたいと思います」
「このあと、警察署に出迎えに行きますが、ご一緒しますか?」
「ええと...なんか合わせる顔がない立場ですし...こちらで待たせていただいて、よろしいですか」
「そうですね。愛さんも、いきなりですと当惑されるかもしれませんし、そのほうがたぶんよろしいですね」
指定の午後2時の10分前に、天歌警察署1階の受付で来意を告げる。そのまま待機。
果たして2時5分過ぎ、留置管理係の担当官に連れられて、愛さんが現れた。
両手いっぱいに差し入れの品を抱えている。担当官も本を何冊か持っている。
母親が持ってきた、大きなショッピングバックに詰める。
「お世話になりました」と愛さんが担当官にあいさつ。
「私どもも、いろいろと無理をお願いしました。どうぞ、皆様によろしくお伝えください」と吉野さん。
「はいはい。ではこれで」と担当官は戻って行った。
逮捕されたときから半月以上経っている。
母親から渡されたジャンパーを羽織って、愛さんが外に出る。
しばらく立ち止まって空気を吸うと、母親と並んで、事務所へと向かう。
事務所に着くと、愛さんが口を開く。
「先生たち、ここで私のために書類を作ったりしてくれてたんだ」
一通り見渡すと、視線の先にルカさん、内田さん、お父様。
最初にルカさん、そして内田さんが自己紹介。
最後にお父様のほうを向く。
「元気そうだね。よかった」とお父様。
「まあ...いろいろあったけど」
「落ち着いたら、飯でも食おう」
お母様が寄り添う。
三人揃うのは離婚のとき以来。もう15年振りくらい。
ご両親、愛さん、ルカさん、吉野さん、ボクの6人で大会議室に入る。内田さんが2回に分けてコーヒーを持ってくる。
「留置場では缶コーヒーしかなかったから、ドリップコーヒーはほんと久し振り」と嬉しそうに愛さんが飲む。
「さて、今後のことですが」とルカさん。
「土日はお母様のもとでゆっくりされて、大丈夫なら、週明けからいろいろなところにご挨拶されるのがいいと思います」
「はい、わかりました」と愛さん。
「まずは被害者の宮下さんね」と吉野さん。
「愛さんとお母様と担当弁護士2名が揃っていくのがいいね」とルカさん。
「家主の大川さんは、解約して退去することも含めて、私の同伴でどうでしょう」と油田さん。
「必要なら同行しますので言ってください」とボク。
「キャバクラは、退職届を用意して行くのがいいでしょう。不安なら同行しますよ」と吉野さん。
「いっぺん連絡してから相談します」と愛さん。
「あとはノナさんかな?」
「ノナちゃんには、あとでLINEして、会ってお礼を言います」
「そして、丸山先生は、わたしから連絡してアポ調整しますね」とルカさん。
「そうそう大事なお話し」とルカさん。
「成功報酬と実費費用の精算について、お見積りのときの条件で計算して、請求書ができたらご連絡します」
「かしこまりました。お願いします」と油田さん。
話が終わると午後3時を回っていた。
オフィスに全員が揃う。
「そうだ。せっかくルミナスが三人揃ったから、記念に校歌を歌おう」とルカさんが言った。
「え、いきなりそんな...」と吉野さん。
「私...覚えてません」と愛さん
「歌ってれば思い出すよ。じゃあいくね。サン、ハイ」
風光明媚 天歌の
空海蒼く 輝きて
杜の翠も 涼やかに
集えルミナス 我らが母校
今回も「天使の独唱」になるかと思ったら、ルカさんがちゃんと歌ってる、っていうか先導している感じ。
きっとあのあと、一人カラオケで練習したんだろう。
ルカさんのそんな負けん気の強いところも、ボクにはチャーミングに思える。
歴史を刻む 天歌の
祖先の英知 敬いて
温故知新の 言葉のまま
我らルミナス 学びの朋
「これは、俺たちも天高校歌を、本気で練習しなくちゃなあ」と内田さん。
「対抗戦ですね」
愛さんも口パクが、少しずつそれらしくなってきた。
今までのボクの例からすると、彼女の背中の肩甲骨のあたりに白い羽が見えるところなんだけれど、今回は見えない。
ボクの中で、何かが変わってきてるのだろうか。
そういえば、あの日は、ちょうど事件が起こった日だった。
だとすれば、こういう形で終わるのが、よいのかもしれない。
片隅なれど 天歌の
一隅照らす 一条の光
明日に繋ぐ 想いを込め
灯せルミナス 希望の光
正真正銘ルミナスの三人が歌い終わると、誰からともなく拍手が起こった。
愛さん、ご両親は、お辞儀をしてもう一度お礼を言うと、帰って行った。
午後6時を過ぎると、JUJUは酒類を提供する。
7時に4人で行って祝杯。
「おや、お二人は3週連続ですね。毎度御贔屓に」とオーナーの半澤さん。
それなりにいける口のお三方につられて、ボクも相当酔った。
自宅への道。
火照った体に、キーンと冷えた、透明感を湛えた空気が気持ちいい。
見上げる夜空。いつもより星がたくさん見える。
今夜は、封印していた、H△Gの「星見る頃を過ぎても」を、久しぶりに聴こうと思う。
<了>




