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4.準抗告×2と夜のお仕事

 11月11日土曜日 勾留2日目


 朝から雲が立ち込めて、底冷えする。


 9時頃、吉野さんとボクは相次いで出勤した。

 まずは10時からの油田さんの来所に備えて、母親名の誓約書を2通作成した。1通は勾留の関係で、証拠隠滅に加担しない旨を宣誓するもの。もう1通は接見禁止の関係で、被疑者の精神的支えとなり、接見時に事件に関する話をしないと宣誓するもの。それが終わると準抗告2件と一部解除申立書、それから証拠保全に関する弁護士意見書を手分けして準備する。


 母親の油田さんは10時かっきりに来所された。

 まず、被害者に面会に行く件について、月曜午後で大丈夫かの確認をとる。OK。相手と確認して電話する。

 次に現在の状況と対応方針の説明。昨日の裁判官の決定で、愛さんは10日間の勾留と接見禁止となった。引き続き留置場で身柄を拘束されると同時に、弁護人以外との接見ができないことも変わりない。対応としては、勾留と接見禁止の決定について、準抗告という形で争う。同時に母親の面会が早期に可能になるよう、接見禁止一部解除の申立てを行う。

 用意していた宣誓書2通について、内容を説明して、油田さんが署名捺印。


「で、あの子は大丈夫なんでしょうか?」と油田さん。

「過大な期待を抱かせないようには気を配っていたつもりですが、やはりつらいお気持ちのようです」

「健康状態は大丈夫でしょうか?」

「私どもの見る限りでは、病気とか、著しく衰退しているということはなさそうです」

「ああ、早くあの子の顔を見たいです」

「ご本人も、最初はお母様と会うことに躊躇する様子でしたが、会いたい、という気持ちが出てきています。なので、先ほどお話しした、接見禁止一部解除だけでも、できる限り早期に達成したいと考えています」

「どうか、どうかお願いします」


 油田さんに少し待ってもらって、吉野さんが被害者へ電話をする。面会は月曜午後にしたいということで、時間を指定してもらったら午後2時とのことだった。

 次回は、月曜の午後1時半に来所いただくことにして、本日は終了。油田さんは帰宅された。


 その後、ボクが警察署の留置管理係に電話し、本日午後1時からの接見が可能か確認。「平日にできないか」と言われたが、「週明け早々の裁判所手続のために必要」と言って、承知してもらった。また書籍数冊を差し入れすると伝える。


 12時頃に事務所を出て、AUショッピングモール内の書店へ。スタッフに「20代後半の女性で、入院中で外に出られない。差し入れにあまり刺激が強くないマンガを3冊ほど持っていきたいので、アドバイス欲しい」と伝える。ほどなく候補として4冊持ってきた。表紙と帯を見て、どれもよさそうなので4冊とも購入し、領収書をもらった。

 フードコートでさっと昼食(吉野さんも結構食べるのが早い)をとって、警察署へ向かう。


 最初に、マンガを結局4冊、差し入れたと話す。

「なにがいいかわからなくて、書店の店員さんに選んでもらったものだから」と吉野さん。

「ありがとう」

 それから、いまやろうとしている申立てについての説明を、さらに詳しく行う。

 まずは準抗告。裁判官による勾留と接見禁止の決定について、それぞれ裁判所に対して異議申し立てをする。認められれば決定は取り消しとなる。勾留が取り消されれば釈放される。勾留はだめでも、接見禁止の決定が取り消されれば、母親をはじめ、誰とでも面会が可能になる。

「ただ、今回の準抗告が認められる可能性は、非常に低いと考えておいてください」

「そうなんだ」

「けれど諦めないで。こういう活動を積み重ねることで、少しでも有利な方向に持っていくことができるから」

 あと、接見禁止一部解除申立てについて。昨日も話したとおり、お母様との面会を可能にするための申立て。

「こちらは比較的認められる可能性が高いと思います」

「なら嬉しい」愛さん。笑顔が広がる。

「糠喜びにならないように、確実ではない、ということは申し上げておきますね。その上で、この申し立てのほうが、先に言った準抗告よりも先に結論が出ると思います。容認されたときに、接見禁止決定に対する準抗告を取り下げますか?」

「ごめんなさい。よくわからない」

「そうね。少しややこしいね。順を追って説明すると、一部解除の申立てが先に結論が出ます。認められればお母様との面会が可能になります。その後、準抗告の結論が出て、接見禁止決定が取り消されると、その時点からお母様以外の人たちとの面会も可能になります。けれど準抗告が却下されると、お母様との面会は引き続き可能ですが、それ以外の方との面会はできないままです。もし、例えばお父様と面会をしようとすると、別途申立てをする必要がある、ということです」

「じゃあ、とりあえずじゅんこ、こおこくは、取り下げないことでお願いします」

「了解です」


 午前中に会った母親の様子を伝える。月曜日に被害者に会って謝罪に行くことになった。貴女とも早く会いたいと言っている。

だから、どんな状況になっても、投げやりにならずに頑張って欲しい。愛さん了解。下着を追加で差し入れ希望。月曜日に届けることとして、接見終了。


 所に戻ると、ルカさんが来ていた。

「ちゃんと食べてる?」との質問。

「昨晩はJUJUに二人で行きました」

「そう。じゃあ当分エネルギーは大丈夫だね」

 本日の状況を報告。


 2つの準抗告と接見禁止一部解除申立ての書類を作成し、終了。月曜日の朝一に裁判所に提出する準備が整った。


 滞っていた案件を処理していると、いつの間にか午後6時を過ぎていた。

「わたしも内田君もバックアップするから、適当なところで切り上げて帰ってね」と言ってルカさんが先に帰宅した。

 吉野さんとボクは、午後7時頃に施錠して事務所を後にした。寒い。


-----*-----*-----


 11月12日日曜日 勾留3日目


 今日も曇り。夕方頃から冷たい雨になるとの予報。


 12時に事務所に集合して、吉野さんとボクは、十海市の愛さんの部屋の家主のところに向かった。


 約束の午後2時に家主宅へ。大川宗康おおかわ むねやすさんという70代の男性。応接に通され、初めてお会いするボクが名刺を渡す。

 状況と対応方針について説明。犯行自体は間違いないが、引っかかって脅されて実行に及んだ面があり、起訴猶予を目標としている。


 家主の大川さんの話。


 引っ越してきたのは5年前。夜の仕事だってことは知ってたが、家賃の滞納はないし、ちゃんと挨拶もするし、ゴミ出しもルール通りしっかりとしてた。真面目な賃借人という印象。仕事柄、男を連れ込んで騒ぐようなことがあったかっていうと、全然なかったね。だから刑事さんがやってきたときは、正直信じられない、と思った。犯罪を起こすような子なんて、とても思えない。牢屋に繋がれてるんだよね。元気でやってる? ならよかった。頑張りなさいと伝えて欲しい。


 お聞きした内容を書面にして、捜査機関や裁判所に提出してもよいか?と確認。もちろんOK。そのつもりでなければ、弁護士さんと会うのを断ってるよ。今後もご協力をお願いするかもしれないが、と聞くと、快諾いただけた。


 事務所に戻ると午後4時少し前。今日お聞きした内容を確認し、明日は朝一に書面を裁判所に持ち込めるよう、8時に出勤することとした。

 4時半に二人揃って退勤。雨はまだ降っていなかった。


-----*-----*-----


 11月13日月曜日 勾留4日目


 昨夜からの雨が、朝になっても続いている。


 8時に相次いで出勤した吉野さんとボクは、提出書面を最終確認すると、そのまま地裁支部へ。

 ドアの前で開庁を待ち、ドアが開くと同時に受付へ。勾留決定と接見禁止決定の準抗告と接見禁止一部解除の申立ての書面を提出する旨告げる。少し待つように言われてベンチで待っていると、係の事務官がやってきた。さっと確認してもらい、控えに受付印を貰いたいと告げる。いったん書面をもって事務官がカウンターの向こうに行き、しばらくすると、受付印の捺された控えをもって戻ってきた。3通受付印を確認し、それぞれ決定が出たら電話でご一報いただきたいとお願いする。承知したとのことで二人の名刺を渡し、地裁支部を後にする。


 9時に事務所に戻る。ルカさんに報告。準抗告と申立書を提出したこと、昨日家主の大川さんと面会したが、非常に好意的で協力を貰えそうなこと。

「特殊詐欺で組織犯罪だから、情状はいくらあっても足りないからね」とルカさん。

「今日午後、被害者に上申書の原案をお見せします」と吉野さん。


 吉野さんが、先日のお話しを元に被害者上申書の原案を作成する。一方ボクは、吉野さんが買ってきた差し入れの下着を差し入れるために、天歌警察署留置管理係に電話して、10時に接見に行くことを確認した。


 差し入れの下着の袋を係員に渡してチェックしてもらった後、ボクは接見室に入った。ほどなく愛さんが入ってくる。

「今日は深町先生だけ?」

「ええ。吉野先生は書面の準備があって、今日のところは来られません」

「そう」

「吉野さんが買ってきた差し入れは、さっき係官に渡したので」

「ありがとう。ほんといろいろと」

「マンガは面白い?」

「うん。楽しかったよ」

「ならよかった」

 土曜日に説明した申立ての書面を今朝一番、裁判所に提出してきたことを報告。どれくらいかかるの? 接見禁止一部解除の申立ては、早ければ明日にも出る。準抗告は早くて明後日、さらに一日二日かかるかもしれない。待つしかないのね。いや、先を見ていろいろと準備をやっている。吉野先生がいま作成している書面もその一つ。昨日家主の大川さんに会ってきた。愛さんに対して非常によい印象を持っていて、協力してくれそう。お聞きした内容を書面にして、提出してもよいか。提出前に中身を見させてもらいたい。


「ところで、深町先生って、大学はどちらなの?」

「国立天歌大学」

「ふうん。じゃあ高校は」

「県立天歌高校」

「なんか天歌エリート一直線だね」

「そんなことないです。司法試験の予備試験2回落ちてるし」

「でさあ、吉野先生って、ひょっとしてルミナス出身?」

「どうして?」

「なんとなく、名前に記憶があるような...」

「それは...ご本人に聞かれるのがよいかと」

「そうだよね。わかった。ありがとう」


 約束の午後1時半に、油田さんが事務所に来られた。菓子折りらしき紙袋を下げている。

「こういうのって、やめといたほうがいいですか?」

「いえ、弁護士からでなければ大丈夫かと。あまり高価ではないですよね」

「はい。常識的なところかと思います」


 先日自分たちが会ったときのことを中心に、軽く打ち合わせをすると、呼んでいたタクシーが到着。降り続く雨の中、3人乗り込んで、被害者の宮下さんのお宅へ向かう。


 吉野さんとボクで伺ったときと同じ応接間に通された。母親の油田さんを真ん中にして、左手側に吉野さん、右手側にボクが座る。宮下さんがお茶を持ってきて、各自の前に置くと、油田さんが口を開いた。

「このたびは、娘がご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございませんでした」

 そう言って頭を下げると、用意していたお菓子を差し出した。

「まあまあ、こんなお気遣いいただかなくとも。じゃあ、一人では食べ切れませんから、お手伝い願いましょうかね」と言って宮下さんは、菓子折りを持ってキッチンに行かれた。

 水羊羹をお皿に載せ、小さなフォークを添えたものを4つお盆に載せて運んでくると、お茶の横に置く。

「この水羊羹、主人が好物でしたのよ」

 そう言って宮下さんがひとくち、口に含む。

 ボクたちもそれに倣って口にする。


「先生方にお聞きしているところでは、娘のためにご協力をいただけるとか」と油田さん。

「ええ。私のできることがあれば」と宮下さん。

「このようなことをしでかした娘に過分のご厚意、誠にありがとうございます」

「お聞きしたところでは、離婚をされたとか」

「はい。もうかれこれ15年近くなりますが」

「私は、自分も含めて身近に離婚をした者がおりませんので、どのようなお気持ちになるか、知る由もございません。ただ、ご両親が離婚されたお嬢さんのお気持ちが、さぞやつらかったであろうことは、理解いたします」

「当事者である私から、返す言葉もございません」

「お嬢さんとの接点は、あの一瞬しかありません。ただ、あのときのお嬢さんの視線といい、振る舞いといい、お嬢さんの悲しい気持ちが滲み出ていたように思い起こされます」

「誠に、誠に、申し訳ないことです」

「離婚のことで貴女を責めているのではありません。お嬢さんが出てこられたら、精一杯の愛情を注いであげていただきたいのです」

「お言葉、重く受け止めさせていただきました」


 一同しばらく黙ってお茶を啜った後、吉野さんが言う

「先日お話ししました書面ですが、文案を作ってまいりました。ご覧いただけますでしょうか」

 そう言って吉野さんが、用意していた上申書の文案を宮下さんに渡す。

 宮下さんが目を通す。沈黙が走る。

「これは、捜査機関と裁判所に提出されることになるのですよね」

「はい。その前提で作成しております。差し支えありますでしょうか」

「いえ。それはそのように考えておりましたので、問題ありません。ただ、文章のこの部分をもう少しなんとかできませんでしょうか」

 そう言って宮下さんが示したのは、見せ金を受け渡ししているときの視線について。

「もっと怯えとか悲しみとか、ありとあらゆる負の感情が入り混じったような視線、ということで」

「かしこまりました。非常に重要な部分です。ご指摘ありがとうございます。持ち帰って修正して、差し支えなければ明日の午前10時にお持ちします。そちらをご覧いただいてよろしければ、ご署名とご捺印をお願いします。

「承知しました。お待ちしております」


 しばし雑談ののち、宮下さんが言う。

「そうそう、お父様は、今回の件ではどうされているのですか」

「連絡はしたのですが、あまり関わり合いになりたくないようで」

「それは残念です。別れたとはいえお嬢さんにとっては父親ですから」

「引き続き、関わってくれるように働きかけます」


 玄関の外で見送られる宮下さんに、何度か振り返って会釈して、3人は事務所へと向かう。雨は止んでいた。


 会議室に油田さんをお通しし、吉野さんとボクとで振り返り。

「巡り合わせがよかった、というと語弊がありますが、宮下さんのようか方でよかったです」

「そうですね。事と次第によっては、慰謝料とか迷惑料とか騒がれる方がいますから」

「ある程度のことなら覚悟しておりましたが、本当にほっとしています」

「ところで、お父様と連絡がついた、とおっしゃってましたが」

「はい、昨晩連絡がつきました。事件のことは報道で知っていたようですが、いまの家族には知られたくない。だから申し訳ないが関われない、とのことでした」

「そうですか。まあ、今のご家族があることですからお気持ちはわかりますが、愛さんの弁護人の立場からは、お父様に何らかの形で関与していただきことをお願いせざるを得ません」

「わかりました。引き続きコンタクトをとります」


 早ければ明日にも母親の接見が可能になるかもしれないので、次回は改めて電話することで油田さんは帰宅した。


 宮下さん指摘部分を吉野さんが修正して、被害者上申書の第二稿が完成。明日朝10時にボクが持参することになる。

「もしも他の部分も含めて指摘されたら、ちゃんとお話を伺って戻ってきてね。宮下さんのご厚意に甘えているんだから」

「了解しました」


 所員一同で作戦会議。

 接見一部解除になれば、愛さんの精神的ケアをある程度任せることができるようになることを期待。

 先のことを見据えて、これまでに作成した書面のバージョンアップも考えるべき。反省文、嘆願書、誓約書等。特に反省文は、その後の進展もふまえて、大幅に書き直すのが得策。

 おそらく検察官が取り調べを行う頃合いなので、検察官との面談を明日、明後日にも行ってはどうか。明日アポをとってみる。


 作戦会議を受けて、反省文(本人)案、嘆願書(母親)、誓約書(本人×2、母親)のバージョン2の作成に、吉野さんとボクの2人で相談した後、手分けしてとりかかる。午後6時頃いったん終了。


 もう少しやっていくという吉野さんを残し、ボクは午後8時頃退勤。さらに冷え込んできた。


-----*-----*-----


 11月14日火曜日 勾留5日目


 朝から快晴。けれど寒い。


 朝一番で、吉野さんが地検支部に電話して、山内副検事との面談のアポを取った。午後1時から15分。


 被害者の宮下さん宅に。ボクは約束の10時の10分前に着いた。同じ応接に通される。

 宮下さんが上申書の第2版に目を通されている間に、出されたお茶をひとくち啜る。

 ほどなく宮下さんの目線が、書面の一番下まで行った。

「いかがでしょうか」

「ええ、申し上げた点をちゃんと汲み取っていただいて、これでよろしいかと思います」

「ありがとうございます。それでは、ご署名とご捺印を」

「少しお待ちください」と言って立ち上がると、宮下さんは印鑑を持ってこられた。

 万年筆で署名されると、ボクが持参した朱肉に印鑑を何度かつけて、これもボクが持参した捺印パッドを敷いて、丁寧に捺印された。

「ありがとうございます。これで大丈夫です」

「愛さんとお母様によろしくお伝えください」

「かしこまりました」

「何かありましたら、いつでもご連絡ください」

「ありがとうございます」


 丁寧にお辞儀して、ボクは宮下さん宅を辞した。


 事務所に戻ってしばらくした11時頃、電話が鳴った。吉野さんが出ると、果たして接見禁止一部解除容認の決定。決定書をFAXで送ってもらうようお願いする。ほどなくFAXで送られてきた書面を確認。まずは一安心。

 さっそく母親の油田さんに連絡。本日午後3時半、警察署の前で待ち合わせて接見に向かうことに。留置管理係の確認をとり、問題なし。


 昼食後、吉野さんとボクで地検支部へ向かう。約束の1時の10分前に受付で山内副検事への取次ぎを依頼する。前回と同じ2階の面会室に通された。ほどなく山内副検事が入ってくる。

「おかげさまで、一部解除の決定が出ました」

「裁判官から意見を求められたので、地検にも確認して同意する意見書を出しておきました」

「ありがとうございます」

「それから?」

「はい。被害者からの上申書を持ってきましたので、お渡しします」

 ボクが、つい先ほど宮下さんに署名捺印いただいた上申書のコピーを、副検事に渡す。

 山内副検事は一通り目にすると言う。

「被害者が優しい、理解のある方でよかったですね。慰謝料の請求もないとは」

「はい。示談の手間がかかりませんでした」


「そうそう、午前中に被疑者の取り調べを行いました」

「内容をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか」

「主に犯行に至るまでの生活状況です。地検の中で、『キャバ嬢で風俗も考えていたなら、ホスト狂いとかで生活が乱れて借金があって犯行に及んだのではないか?』という声がありますので」

「それは...」

「私は女性として、そのような男性中心的な見方とは距離を置きたいと思います。ただし、世の中の一般的な考え方が、そのようなものであることも否定できません」

「ありがとうございます。弁護活動の参考にさせていただきます」

「他に?」

「本件、準抗告も行っていますが、勾留理由がなくなっていると考えます。取り消しをされるお考えはありませんか?」

「なんとも申し上げられません」

「私どもが知り得る限りでは、本件は起訴猶予が相当ではないかと考えますが」

「それは、我々が判断することです」

「証拠品の中に、被疑者の預金口座の取引履歴はありますか」

「たしかあったと思います」

「履歴全部が無理でも、最終残高だけでも開示いただけませんか」

「書面にて申し入れていただきたい。そろそろ時間なのでよろしいですか」

「ありがとうございました。引き続きよろしくお願いします」


 二人が立ち上がり、会釈して面会室を辞した。


「なかなか手強いけど、弁護活動の材料ができたわ。戻ったらさっそく取り掛かりましょう」

 帰途、吉野さんが言った。


「まずは信用調査機関に愛さんに関する履歴がないかを確認します。以前にルカさんの家事事件のサポートのときに使ったことがあるけれど、刑事弁護人の立場での取得申請方法については、改めて聞いてみる必要があると思う」

 そう言うと、吉野さんは3つの調査機関の電話番号が書かれたメモをくれた。

「サイトを調べてるより、電話しちゃったほうが早いと思う」

「1件、わたしが聞いてあげようか?」とルカさん。

「助かります。じゃあ一番上をお願いします」

 吉野さんが2つめ、ボクが3つめに電話をかける。


 3人で手分けして調べた結果を持ち寄ると、結局、いずれも本人の委任状と写真入りの身分証明書のコピーが必要と判明。

「このあと接見に行くときに貰ってくるしかないね」と吉野さん。

 さっそく委任状3通と、警察に出す運転免許証コピーの取得申請書を作成する。


 午後3時半に、天歌警察署のロビーで油田さんと待ち合わせし、接見管理課へ。最初に母親が15分の時間制限で接見する。

「本当に久しぶりなので、緊張しますわ」と母親の油田さん。

 接見室へ向かう後ろ姿を見送る。


 吉野さんと雑談をしていると、あっという間の15分が過ぎた。

 戻ってきた油田さん。話を聞きたいのだが、係官が急かすので吉野さんとボクは接見室に入った。

 気のせいだろうか、愛さんの頬に一筋涙の跡が見えたように思えた。

「どう、本当に久しぶりにお母様にお会いして」

「うん。嬉しいのと、申し訳ないので」

「これからは、土日以外は1日に1回、面会が可能だからね」

「ありがとう」


 あまり聞きたくない話だが、検察のほうで、借金まみれじゃなかったのか、という話が持ち上がっているらしいけど、どう? 家を出てから借金をしたことは一度もない。カードのキャッシングも? ない。そのことを確認する証拠として、信用調査機関、つまりその人の借金の状況を教えてくれるところに、問い合わせをしようとしている。構わないか。潔白を証明できるなら、ぜひやって欲しい。必要な委任状はあとで署名指印してもらう。あと必要な運転免許証のコピーはあとで係官から貰うけれど、構わないか? 大丈夫。


 それから勤め先のキャバクラの人の話も聞きたい。マネージャー? そうね。それから同僚のだれかが可能なら。じゃあ、「ノナちゃん」の名でお店に出ている、同い年で親友の子がいる。その子にあたって欲しい。了解。二人に話を聞いたら、やっぱり検察とか裁判所に出すの? そのつもり。なら、出す前に一度見せて欲しい。そのつもりです。


 あと、一度反省文や誓約書を出してもらっているけれど、その後の経緯を踏まえて、書き直したものを作りたい。反省文は文案を作ったので、前と同じで、自分の言葉にして自筆で書き直してほしい。わかった。それから誓約書2通と委任状3通に署名と指印を。計6通の書面をターンテーブルでアクリル板越しに渡し、反省文以外の5通に署名と指印をして、戻してもらった。


「明日もお母様と一緒に来て、同じような感じで面会するね」

「先生と母親が一緒ではだめなの?」

「それは許されていないの」


 留置管理課の窓口で誓約書2通と委任状3通に指印証明をもらうと、ボクは一足先に油田さんと一緒に事務所へ戻る。吉野さんが残って運転免許証コピーを手に入れる。


 先に戻ったボクが、油田さんに嘆願書のバージョン2をお見せして、署名と捺印をいただいた。

 ほどなく吉野さんが免許証コピーをもって戻ってきた。

「先ほどはお聞きできませんでしたが、面会はいかがでしたか」

「いろいろな思いが溢れてきて、最初は言葉になりませんでした。それは愛も同じようでした」

「本当に久しぶりで、しかもこんな形ですかからね」

「次第にポツリ、ポツリと言葉が出てきました」

「そうですか」

「15分はあっという間で、すぐに『元気で。また来るね』と言って終わりになりました」

「明日も面会に行かれますか?」

「はい。許されるなら。着替えを少し差し入れようかと」

「ご用意される前に、留置管理係に差し入れ可能か、確認されるのがよろしいかと思います」

「かしこまりました」

「時間は、また別途ご相談ということで」


 油田さんが事務所を後にし、吉野さんとボクは、3つの信用調査機関宛の照会書面を完成させ、それぞれ返信用のレターパック赤を同封し、同じくレターパック赤に封入した。駅前の天歌郵便局にボクが持ち込み、発送する。午後5時になっていた。


 郵便局から戻り、ボクは愛さんの勤め先のキャバクラへ電話を入れ、マネージャーに出てもらった。愛さんの事件のことは、捜査員が聞き込みに来たので知っているとのこと。できるだけ早くにお伺いしてお話を聞きたいと言うと、最速で今夜7時から30分間可能とのこと。その時間に伺うと告げて通話を終わった。


 午後5時45分。ルカさんに勤め先へ行くことを告げる。

「了解。シンジくん。ちゃんと帰ってくるんだよ」とルカさん。

「ま、うちの給料じゃ、遊んでる余裕ないね」


 天歌駅から電車で十海駅へ行き、駅前からタクシーに乗る。

「長者町のキャバクラ『エンジェル』へ」

 運転手がバックミラーを覗いて、訝しげな表情を見せる。


 長者町は十海市一番の繁華街。飲食はもとより風営法による規制対象の店舗も林立する。南北に貫く通りの真ん中あたりに、目的のキャバクラ「エンジェル」はあった。

 事前に言われていたところに従って、いったん店の前から電話を入れた。すぐにマネージャーと思しき男性がおりてきて、エレベーターで3階に上がって、女性のお化粧や香水の匂いが漂う通路の奥の、事務室に案内される。

「ごめんなさい。二人だと思わなかったから、椅子もう一つ持ってきますね」

 そう言って出ていくと、パイプ椅子を一つ持ってすぐに戻ってきた。

「急なお願い、申し訳ありません」と電話をしたボクが、名刺を渡しながら挨拶する。

「どうぞよろしくお願いします」と同じく吉野さんが名刺を渡す。

「そう。貴女も弁護士さんなんだ。よかったらうちでバイトしません?」

「光栄ですが、辞退させていただきます」とにこやかに吉野さん。

「すみません。口が過ぎました。私、当店のマネージャーの久夛良木くたらぎです」

 そう言いながら、その40代半ばくらいの男性は、吉野さんとボクに名刺を渡した。


 マネージャーの久夛良木氏の話した内容。


 警察? 先週の木曜に刑事が来たよ。あんまりやる気がなさそうで、「形だけ話を聞いた」って感じですぐに帰った。

 けど、本当にマナちゃんがオレオレの受け子をやったの? 間違いない? そんなにお金に困っていたなんて、全然気づかなかった。たしかに最近は、ほとんど指名もなくって、お給金は少なくなってたけどね。

 働き始めたのはちょうど二十歳になった頃からかな? ルックスはいい線行ってるから、最初のころは結構人気だった。売上トップ5の常連で、毎日のように同伴入店してた頃もあったかな。けど25になる頃からだんだん人気が下がってきた。新陳代謝って言うのかな、若い子がどんどん新しく入ってくるからね。そうすると、どれだけ自分の個性を出して、固定客を増やしていけるかが分かれ目になってくるんだけれど、彼女、とにかく真面目でしょ。キャバ嬢っぽくしようとするんだけれど、遊びがないって言うか、真面目さが鼻についちゃうんだよね。若いうちは、それもチャーミングに見えるけれど、ある程度年齢が上がってくると、教科書通りでは、御贔屓さんがつかなくなっちゃう。まあ、空回りっていうことかな。

 男関係? 特定の男性と付き合っていたという話は聞かない。パパ? いなかったみたい。ホストに入れ込んでた? いやあ、たしかにうちの店の子でも、ホスト狂いで、首が回らなくなって消えちゃった子も何人かいたけれど、マナちゃんに限って、そんなことは無いと思うし、実際にそんな話を聞いたこともない。借金ねえ。他のキャストの子に借金して返せなくなって、トラブルになって辞めてく子もいるけれど、マナちゃんは決してそんなことなかった。他から借金してるかは知らないけど、取り立てが店にやってくるなんてこともなかった。あの性格だし、借金はしてないんじゃないかなあ。


「いろいろとお聞かせいただき、ありがとうございます。今お聞きした内容を書面にして、愛さんの弁護の目的で検察や裁判所に提出してもよろしいでしょうか」とボク。

「いや、まあ、構わないけど、あんまり店の内情が出ないように注意してくださいね」

「出来上がった書面にご署名をいただくことは可能ですか?」

「えっ? それは...自分の名前出すのは勘弁だなあ」

「わかりました。それでは、『勤務先エンジェルのマネージャー』として作成します」

「あと、愛さんの同僚のノナさんにお会いしたいのですが」と吉野さん。

「来てるかなあ。ちょっと待ってね」

 マネージャーの久夛良木氏は部屋から出て、しばらくすると、開店の準備をすませた「まさにキャバ嬢そのもの」といういで立ちの、小柄な女性を連れてきた。

「こちら、マナちゃんのことで、ノナちゃんの話を聞きたいんだって」

「ええと...警察の方ですか?」

「いえ、弁護士です。愛さんの弁護を担当しています」

「じゃあ、マナちゃんの味方だね。なんでも聞いてください!」

「今日はさあ、そろそろ開店だから、別の日にしてくれるかな」と久夛良木氏。

「それじゃあ、明日のお昼1時に、駅前のファミレス、改札出て北側正面のところでいいですか?」とノナさん。

「はい。大丈夫です」とボク。

「連絡先こちらです」とノナさんが名刺を渡してくれた。いい匂いがした。

 ボクと吉野さんも名刺を渡す。


 お店を出て、十海駅に吉野さんとボクは歩いて向かった。

 お店のサインやら照明やらが眩しい。ボクたちのホームグラウンドである天歌駅前にはない、独特の雰囲気。

 愛さんはこういう景色を見ながら生きてきたんだ、ということを実感する。


 8時半に事務所に戻る。マネージャーから聴取した内容をボクがまとめて吉野さんに見せる。そのまま体裁を整えて「被疑者勤務先責任者からの聴取内容に関する意見書」として、書面とする。

 午後10時に退勤。さらに冷え込んでいる。


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