3.自筆の反省文と謝罪文、そしてJUJU
11月9日木曜日朝9時。逮捕から42時間経過。
昨日とは打って変わった晴れ空。朝から気温が上がってきた。
検察官送致は今日の午後と予想される。昨日の経過をルカさんに報告すると、吉野さんとボクは書面の作成に取り掛かる。吉野さんは母親名の嘆願書。ボクは勾留請求回避に関する意見書。
9時半ころ。昨日面会した天歌警察署知能犯係捜査員の益田さんから電話。吉野さんが受ける。被害者の氏名・住所は開示されたが、連絡をとってよいかは、先方の意向を確認待ちとのこと。
10時に天歌警察署へ。吉野さんとボクで愛さんと接見する。
当方で用意した反省文と謝罪文の文例を見せた。
「これに署名したらいいいの?」と愛さん。
「反省文と謝罪文は、自筆であるかないかで全然効果が違うの。それと、できる限り自分の言葉で書いてあることが肝心。自分なりに推敲したうえで、手書きで各1通を作ってください」
「わかりました」
「今日の午後にもまた来るつもりだけれど、それまでにできるかな?」と吉野さん。
「うん。やってみる」
ボクが筆記用の便せんを差し入れる。
昨日の接見以降取り調べがあったかを確認。昨日の午後、夕刻と今日の朝、合計3回の取り調べがあった。犯行に至る経緯のについて聞かれたことは、昨日確認した自分の認識と相違なかったとのこと。3回とも何度も聞かれたことが、本当に初犯かということと、共犯者と面識がないかということ。今回が初めてだし、指示役と1度電話で話した以外はすべてネットのやり取りなので、相手がだれなのかわからず、顔を見たことも無い。出し子とはどうか?全然知らない。
「調書の作成はあった?」と吉野さん
「ないです。今のところ」
最後に差し入れ希望を聞いたところ、下着、靴下、歯磨き用品と現金を少し。留置管理係に確認してOKなら、今日午後に持ってくる。サイズは吉野さんと同じで大丈夫とのこと。
接見が終わって、留置管理係の窓口で差し入れ希望の品について確認すると、例によって自殺予防用にひも状になるものはNGだが、その他は問題なしとのこと。事務所に戻る途中に吉野さんが買い出しに行くこととなった。
午後1時過ぎに電話が鳴った。ボクが取ると、天歌警察署知能犯係の益田巡査長から。検察官送致が決定したことと、被害者にコンタクトをとってOKとのことを伝えられた。
「送検が決まったようです」
「じゃあ、少しタイミングを置いてから。地検天歌支部に連絡して、事件番号と担当検察官を聞いてください」と吉野さん。
その間に吉野さんは、被害者に電話して、今日の午後4時からの面会のアポをとった。
30分ほどして、十海地方検察庁天歌支部へ電話した。先ほど検察官送致された事件の弁護人ということで被疑者の名前を告げると、事件番号に続いて、担当検察官の名前が告げられた。
「山内孝子副検事が担当だそうです」
「副検事なら、本件の場合『事務取扱』だね」と内田さん。
「山内さんか。ベテランの優秀な検察官で、副検事にしておくのは勿体ないと言われているらしいね」とルカさん。
「私は何度か、担当事件で面談したことがあります。正義感の塊のような方です」と吉野さん。
事前に留置管理係に電話して、午後2時から接見可能と確認し、天歌警察署に。このあと地検支部に護送されるから、手短にとのこと。まずは依頼のあった品と封筒に入れた現金1000円札10枚を差し入れる。
愛さん自筆の反省文と謝罪文を受け取る。丁寧な字。内容もまずまず説得力がある。
検察官送致が決まったことについては、捜査員から愛さんに告知があったとのこと。本日たぶんこの後、検察庁に連れて行かれて検察官の尋問があるので、落ち着いて今まで通りの供述をするように。
「午前中の面会のあと、警察の取り調べがあって、供述調書に署名したよ」
「内容は大丈夫だった」
「『脅されて』と言った部分が『諭されて』となっていたけれど、あまり違いはないかなと思ってそのままにした」
「ううむ...それって結構大違いだと思う。恐怖心に支配されていたかどうかは、重要なポイントだから」
「まずかった?」
「これからも取り調べはあるだろうから、『脅されて』だと言うように。何度でもね」
「わかった」
「私たちも訂正できるように努力するから」
昨日吉野さんが家主と会ったことについて。家主さんが心配していた。情状に関する資料として、生活状態を聞き取って書面にてもよいか確認。事前に中身を見ることを条件に、愛さん了承。
一通り用事が終わったところで、留置管理係の担当官がきて、そろそろ終わりにして欲しいとのこと、接見終了し、窓口で反省文と謝罪文に指印証明をもらい、事務所へと戻った。
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11月9日木曜日午後3時。逮捕から48時間経過。
季節外れの真夏日になったらしい。
先ほどの接見を早めに切り上げさせられたことから、たぶん今頃、愛さんは地検天歌支部に護送されて、山内副検事の取り調べを受けているに違いない。だいじょうぶだろうか。ちゃんと「脅されて」と言っているだろうか。
「特殊詐欺事件で組織犯罪だから、支部ではなく本庁の刑事部とかの管轄かもしれない」と吉野さん。
被害者の宮下佳乃さんの自宅は、鉄道線路の反対側、天歌城址公園の西に広がる住宅地の一角にある。事務所から歩いて10分もかからない距離ではあるが、迷うといけないので往路はタクシーで向かう。クーラーが嬉しい。
約束の午後4時の5分前に到着。小ぶりな一軒家。ドアフォンを鳴らすと、女性の声で応答。
出てこられたのは70代と思われる女性。応接間に通してくださる。少し待つと、お茶を3つ持って、入ってこられた。
「私、弁護士の吉野と申します」と吉野さんが立ち上がって名刺を差し出す。
「吉野と同じ事務所の深町と申します」とボクも立ち上がって名刺を差し出す。
「あらあら、吉野さんとおっしゃるの? 字は違いますが、私の名前と同じ読み」と言いながら宮下さんが、二人の名刺を受け取る。
「どうぞ、おかけになってください」とご自身もソファーに腰掛けながら宮下さんが言う。
二人揃って、腰掛ける。
お茶を一口啜ると、聡明な感じの宮下さんが話し始める。
「大して大きな家ではないんですが、子供たちが独立して、主人が亡くなって一人になると、がらんとしてしまうものですね」
「失礼ですが、ご主人は?」と吉野さん。
「2年前に亡くなりました。先月が3回忌だったんですよ」
「そうですか。それはお寂しいことかと」
「まあ、上の子、娘ですが、しょっちゅう顔を出してくれるので、心強いです。今回の件も、電話があった後におかしいなと思って娘に相談したら、警察に通報すべきだって、言ってくれたんです」
「それはなによりです。それで、おとりを買って出られた」
「少し不安ではありましたが、やって来るのが女性だと聞いていましたので」
「電話でも申し上げましたとおり、我々は被疑者、いわゆる容疑者である又一愛の弁護人の立場としてきています」
「はい」
「犯行の状況等を詳しくお聞かせいただき、事実を明らかにすることが目的ですが、それと同時に、被疑者に有利な材料を集めなければならない立場にあります」
「承知しております」
「宮下様は、被害者の立場でいらっしゃるので、決して無理強いはいたしませんが、何か被疑者にとって有利となるようなお話もお聞かせいただければと思います」
「そうですねえ...」と言うと宮下さんは視線を少し遠くにやった。
「あの方の、怯えたような姿が印象に残っています」と視線を戻した宮下さん。
「被疑者のですか」
「はい」
「それは、見せ金を渡そうとするときのことですか」
「そうです。私が『あなたですね』と言ってあの方が頷いて、私が持った紙袋のほうへ手を伸ばしながら私に向けた眼差しと振る舞いが、とにかく怯えたような感じだったんです」
「そうですか」
「その瞬間、私は感じました。この人は悪い人ではない。なにかよほどの事情があってやっている、というか、やらされているのではないかと」
「今のお言葉を受けて、お願いをさせていただきたいのですが、申し上げてよろしいでしょうか」
「私にできることでしたら、なんなりと」
「被疑者は、現在警察の取り調べが終わり、検察官が取り調べて、引き続き勾留、身柄の拘束ですが、勾留するかどうかを検討している段階です。今回の事件については、おそらく勾留は避けられないと考えています」
「そうですか。ご不便なことですね」
「その後、検察が起訴、つまり刑事裁判にかけるかどうかを決めます。起訴をすれば、裁判が始まります」
「なんとなくわかります」
「私どもは、今回の事件はできれば不起訴で、実際には起訴猶予という形で、刑事裁判までいかずに終わらせることを目指しています」
「そうですか。まあ、実際になにか金銭的な被害があったわけではないですし、慰謝料を請求するほどのこともありませんでしたし」
「ありがとうございます。被疑者についてできる限り穏便な措置が取られるためには、被害者の方が、被疑者の謝罪を受け入れ、また、仰せのように、賠償を請求される意思がないことが、非常に重要な要素となってくるのです」
吉野さんのこの言葉を受けて、ボクは、愛さん自筆の謝罪文を宮下さんに渡した。
謝罪文に丁寧に目を通すと、宮下さんは言った。
「これは、ご自身の言葉で書かれたのですか?」
「正直に申し上げますと、私どもが原案を用意しました。それに対してできる限り自分の言葉で書くように、と話した結果、原案から相当表現が変わったものとなっています。自分の言葉と、ご理解いただければと存じます」と吉野さん。
「丁寧な筆遣いですし、とても心に響く文章です」
「では」
「はい。又一愛さんの謝罪を受け入れたいと存じます」
「ありがとうございます!」
吉野さんの顔に、安どの表情が浮かんだ。
「けれど、まだ事件から2日しか経っていないのに、弁護士さんは随分ご熱心に動いておられるのですね」
「はい。一刻でも早く、被疑者にとって正当な結論が導き出されるよう、できる限りのことをやっています」
「警察は、通報した後に少し話を聞かれ、あの人が捕まった後に、改めて詳しく話を聞かれました」
そう言うと宮下さんは、ご自身に起こったことの経緯をお話になられた。
金融庁を名乗る女性から「マネロンの容疑をかけられている。詳しくは検察から説明がある」との電話を受けた。しばらくした後、検察を名乗る男から「あなた名義の口座がマネロンに利用されている。訴追を免れるためには、警察による調査に協力するように」との電話。さらに警察官を名乗る者から「証拠金として100万円を引き出し、紙袋に入れて午後3時に天歌駅近くのAUショッピングモールの屋外駐車場内の時計台の下で、私服の女性捜査員に渡すように」という指示があった。
「今回はマネロンですね」とボク。
「愛さんはこのへんのことはご存知ないんですかね」と宮下さん。
「新聞を読んでいる様子はないですし、捜査員から聞いているかどうかですね」と吉野さん。
時刻は午後5時を回っていた。
「申し訳ありません。長居をしてしまいました」と吉野さん。
「いえいえ、お気兼ねなく」と宮下さん。
「本日はそろそろ失礼させていただきます。いろいろとご協力をお願いしたいところですが、日を改めてご相談させてください」
「なんなりとおっしゃってください。よれよれのお婆さんでお役に立つことであれば、喜んでご協力させていただきますわ」
玄関までお見送りいただいた。事務所へは徒歩で戻った。急に冷えてきたようだ。
母親の油田さんが、今日も午後6時に来所された。吉野さんとボクで応対。
最初に源泉徴収票のコピーと、自宅マンションの登記簿謄本を受け取る。それから、吉野さんが書いた勾留の解除についての嘆願書文案をご覧いただき、問題ないことを確認したところで署名捺印をいただいた。
今日の昼過ぎに検察官送致されたこと、24時間以内に勾留と関連する決定が裁判官によってされることを伝える。
「愛はどこかに移されてしまうのですか?」と油田さん。
「現段階では、引き続き天歌警察署の留置場で勾留されることになると思われます」
「いつになったら面会できるようになりますか?」
「現時点では確実なことは言えません。明朝一番から、勾留の阻止と接見禁止解除のための活動を始めます。勾留はやむを得ないと思われますが、お母様だけでも面会に行けることができるよう、力を尽くします」
情状資料にする被害者の上申書に署名を依頼するタイミングで、被害者に会いに行く際に同行するか、油田さんに確認。ぜひお会いして自分からも謝罪をしたいと思う、とのこと。
「お父様には連絡されましたか?」
「今のところ連絡がついていなません。今夜も連絡してみます」
油田さんがお帰りになると、吉野さんが家主へ改めて連絡した。面談は日曜が都合がいいとのことで、12日日曜日の午後2時にアポをとった。
明日提出する書面の準備にとりかかる。吉野さんが被疑者の反省文、謝罪文、そして母親の嘆願書に対する弁護士意見書を作成。一方ボクは、書式例を参考にしながら、検察官に対する勾留請求回避に関する意見書と、裁判官に対する勾留請求却下に関する意見書を作成する。いずれも接見禁止を付さない意見を予備的に主張する内容。吉野さんにチェックしてもらい完成した。
それぞれの意見書に、弁選、反省文、反省文に対する意見書、謝罪文、謝罪文に対する意見書、戸籍謄本、住民票、母親の嘆願書、嘆願書に対する意見書、監督誓約書、身元引受書、母親の運転免許証、源泉徴収票、マンションの全部事項証明書のそれぞれコピーを添付して、8時半頃、2セット完成した。まずは明朝一番、できれば面談のアポをとって、検察官に提出する。
雑務をこなして、事務所を後にしたのは午後10時頃。昼間の暑さが嘘のような冷気。
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11月10日金曜日朝9時 逮捕から66時間経過
今日も晴れているが空気が冷たい。
朝一ルカさんに状況の報告をする。今日はこれから地検支部に連絡して検察官との面談のアポを取り、勾留請求回避に関する意見書を提出する。その後愛さんに接見する。勾留請求がされたら、裁判官に対して勾留請求却下に関する意見書を提出する。並行して、勾留が決定した場合の準抗告の準備も始める。
地検支部にボクが電話して、担当の山内副検事と、午前中の早い時間に面談をしたい旨伝える。10時半から15分間のみ可能とのことで、予定を入れてもらった。さらに警察署に電話し、11時頃から接見可能と留置管理係に確認をとった。
天歌警察署の前を通って、10分ほど歩いたところに十海地方検察庁天歌支部の庁舎がある。隣が十海地方裁判所天歌支部。
約束の15分前に、受付で身分証明書を提示して、又一愛の件での山内副検事への取次ぎを依頼する。手続きをしてしばらくすると、2階の面会室に通された。
山内副検事は、10時半かっきりに入ってきた。40代後半くらいだろうか。表情は柔和だが、とにかく眼光が鋭い。
「お忙しいところ、お時間をいただき誠にありがとうございます。改めて名刺を」と言いながら吉野さんが名刺を渡す。
「吉野先生。貴女ですね。お手柔らかにお願いしますわ」と山内副検事。
「こちらの方は?」とボクに視線を向ける。
「事務所の弁護士で深町といいます」
「深町です。今回は吉野とともに担当させていただきます」と言いながら、名刺を渡す。
ボクの名刺を受け取った山内副検事が椅子に腰を下ろしたのを見て、ボクたちも着座する。
「さっそく本題に入りますが、又一愛の詐欺罪被疑事件についてですね」
「はい。昨日検察官送致されたと聞いております」
「たしかに、送致されました」
「被疑者について勾留の必要性はない、と私どもは考えております」
ボクが、勾留請求回避に関する意見書を副検事に渡した。
受け取って、目に通すと
「確かに受け取りました」と山内副検事が言った。
一息ついて、山内副検事が続ける。
「お察しかと思いますが、本件は組織犯罪であり、十海県で頻発している特殊詐欺事件との関係が疑われています。従って、地検本庁の刑事部が管轄しており、私はその指示に従って動いている身です。この意見書についても、私の意見を付したのちに、本庁の検事に報告します。勾留請求についても本庁の判断になります」
「かしこまりました。ところで、昨日被疑者を取り調べされたと聞いておりますが、警察の供述調書に重大な事実誤認があることはご承知ですか」
「『諭されて』の部分ですね。詳しく話を聞きましたが、『脅されて』とも『諭されて』とも受け取れる内容であったと思われます」
「脅迫のもとで行われたか否かは、重要な争点です。私どもは自発的意思を欠く状態で犯行にいたったものであると考えております。『脅されて』であるということは譲れません」
「それは、今後の取り調べで明らかにすることです」
「勾留請求を行われるとしたら、何時頃か、お聞かせいただけませんでしょうか」と最後に吉野さん。
「このあと、いただいた意見書の件も含めて本庁と打ち合わせをします。結論は12時までには出るでしょう」
「お教えいただき、ありがとうございます」
「他は、よろしいでしょうか?」と副検事。
「はい。今日のところは。お時間いただきありがとうございました」
「それでは」
3人揃って面会室を出ると、山内副検事は執務室のほうへ、吉野さんとボクは1階への階段の方へ向かった。
そのまま警察署に行って、愛さんと接見する。
担当の検察官と面談してきた。話では12時頃には裁判所に勾留請求がされる見込み。そうすると、72時間の期限である午後3時までに決定を出せるタイミングで、勾留質問がされる。勾留質問の流れを説明し、やはり事実に従って正直に話すように助言。
「勾留質問の前に、裁判官に、勾留すべきでないという趣旨の書面を提出します。その関係で言うと、釈放されたらどこに住むか、という質問には、お母様のところに住む、と答えてください」
「え、それって?」
「勝手に決めてしまったようで、申し訳ありません。お母様から、同居を前提とした身元引受書をいただいています。一刻も早く釈放されるためには、お母様のもとで生活する、ということが強力な説得材料になります」
「わかりました」
残念ながら勾留が決まると、留置場で言い渡しがされて、勾留状が交付される。別のところに連れて行かれるのか? 今回はおそらく引き続きここで勾留されることになると思われる。
「勾留の決定と同時に接見禁止の決定がされることがよくあります」
「そうなると、吉野さんたちとも会えなくなるの?」
「弁護人は禁止の対象になりません。ただしご家族は含まれますので、お母様との面会も引き続き禁止されます」
「そっか...」
この事件は共犯がいることから、接見禁止の可能性は非常に高い。検察官や裁判所への書面では、勾留の決定を行っても、接見禁止は付さないようにとの主張をする。勾留や接見禁止の決定には、可能な限り早くに対抗手段をとる。
「不安だとは思うけれど、落ち着いて、気を強く持って臨んでください」と吉野さん。
「わかりました」
12時頃、吉野さんから十海地方裁判所天歌支部に電話し、勾留請求があったことを確認。勾留質問は午後2時からの予定。勾留請求却下の意見書を提出し、できれば裁判官への面談を行いたい旨伝えていったん電話を切った。
15分ほどして折り返しの電話。担当は徳重判事。午後1時20分から10分間面談可能とのこと。
事前に書面を届けるべく、ボクが急ぎ地裁支部へ。受付で「徳重判事ご担当の事件。刑事受付にお願いします」と言って、勾留請求却下の意見書が入った封筒を渡す。
ボクは、道路沿いのコンビニで買ったパンを食べると、そのまま地裁支部のロビーで待機する。
午後1時少し過ぎに吉野さんがやってきて合流。受付で徳重判事とのアポで来たことを伝えると、2階の階段上がったところの長椅子で待つようにとのこと。
言われたとおり待っていると、1時15分頃に、事務官と思しき男性がやってきて、「徳重判事面談の弁護人の方」と呼ばれ、面会室に通された。すぐに徳重判事と書記官が入ってきた。判事は30代と思われる男性。
「さっそく要件に入りましょう」と徳重判事。
「捜査関連の書面といただいた意見書には、一通り目を通しています。お話ししたいことは」
「本事件は、初犯で、しかも詐欺まがいの勧誘に引っかかり、最後は脅迫を受ける形で犯行に至ったものです。供述調書には『諭されて』と記されているとのことですが。これは『脅されて』と修正されるべきです」といつもより早口の吉野さん。
「悪質性は低いとのことですね」
「すでに証拠はすべて保全されているものと承知しております。共犯者との面識も一切なく、証拠隠滅の恐れも著しく低いです」
「証拠隠滅恐れなし、との主張ですね」
「被害者と面談しましたが、謝罪を受け入れ穏便な処置を希望しています」
「被害者が宥恕しているとの主張ですね」
「釈放された場合には、母親が監督し、同居の形で身元を引き受けるとの意思表示をしています」
「なるほど」
「以上から、本事件において、被疑者又一愛を勾留する必要性はないと主張します」
「主張される点については承知しました。勾留質問後に決定します」
「どうか、よろしくお願いします」
吉野さんとボクは立ち上がり、会釈すると部屋を出た。
裁判所の窓口で、勾留に関する決定が出たら連絡してほしい旨の相談をする。内線電話で呼ばれた先ほどの事務官がやってきて「連絡の件承知。連絡先を」と言う。二人の名刺を渡した。
いったん事務所に戻る。
「そろそろ愛さんが裁判所に護送されている頃ですかね」とボク。
「何度やっても、この72時間に向けてのタイミングは、そわそわしてしまうの。ある程度結果はわかっていてもね」と吉野さん。
「二人ともお昼食べた?」とルカさん。
「ポテチを少し」と吉野さん。
「ボクも菓子パン1個です」
午後2時半を少し回った頃、電話が鳴った。ボクが取ると、裁判所書記官からの電話。
勾留と接見禁止の決定が出たとのこと。
勾留期間は10日間。今日が勾留1日目で、19日日曜が期限となる。
「実質2日間対応可能な期間が減るから、結構大変だね」と内田さん
「愛さんには悪いけれど、ここまでは序曲。いよいよ本格的な戦いだね」とルカさん。
ボクが再び裁判所に向かい、勾留状と接見禁止決定書の謄本の窓口交付を請求。先ほどの書記官に「本日中にいただきたい」とお願いしたところ、「4時半頃来るように」とのこと。いったん事務所に戻る。吉野さんが準抗告に必要な、愛さん名の誓約書2件(逃亡しない旨と証拠隠滅しない旨)を作成していた。
「お母様に勾留のことを電話で伝えて、明日来所していただくようお願いした」
週明け早々に準抗告を行うためには、土日もおろそかにできない。
天歌警察署に電話し、午後4時から接見できるかを確認した。可能との返答。
吉野さんと二人で、接見。
「さっき、なんか書類を見せられて、11月19日まで勾留されるって言われた」と愛さん。
「勾留状の執行ね。接見については」と吉野さん。
「面会は弁護士さん以外はだめだって言われたよ」
「残念ながら、勾留決定前の活動は功を奏しなかったことになります。申し訳ありません」
「いいよ、そんな。いろいろやってくれてるし」
「次は、裁判官の決定を覆すための活動をします」
「そんなことができるの」
「準抗告って言って、受け入れられる可能性は低いけれど、勾留と接見禁止の決定を両方または接見禁止だけでも取消させることを主張する手続きをします」
「そっか」
「同時に、接見禁止を一部の者について解除するよう働きかける手続もとります。ご親族とか、なるべく少ない人に限定した方が認められやすいけれど、お母様に限定するってことでよろしいでしょうか」
「そうだね。母さんには会いたい。心配かけてるし。父親はいいや」
「了解。ではお母様を対象として解除する手続きをしますね」
「最初はさあ...会わせる顔がないっていうか、会いたくはなかったんだけど、ここにいて、先生たちから母親についての話をきくと、会いたくなってきた」
「わかりました。頑張りますね」
準抗告のための誓約書2件に署名、指印されたところで、ボクは謄本交付のために裁判所へ向かった。
午後4時半を少し回った頃に受付へ。書記官がでてきて、勾留状と接見禁止決定書の謄本を、確認のうえ渡してくれた。
裁判所から戻ってしばらくすると、接見を終えた吉野さんが帰ってきた。
ボクが退出した後の話について。
母親から聞いていた、幼いころから家を出るまでの経緯について確認し、間違いないことがわかった。情状を有利にするため、被害者から書面を出してもらうことをお願いに行こうとしているが、愛さんの生い立ちからこれまでについて、話をしても構わないか確認する。どちらかって言うと、恥ずかしい人生だけれど...でも先生たちの活動がやりやすくなるなら、OK。
「マンガを3冊ほどの差し入れを希望らしいけれど、どんなのがいいかな?」と吉野さん。
「わたしは、マンガもアニメも疎いから」とルカさん。
「おれも。ドラえもんのレベル」と内田さん。
「ボクも...」
「じゃあ、本屋さんでお薦めしてもらいます」と吉野さん。
午後5時頃から、勾留決定を受けての所員全員での作戦会議。すでに準備を始めている準抗告と母親を対象とする接見禁止一部解除申し立て。解除の対象は母親一人でいいか? 父親はまだ連絡とれていないようだし、対象をあまり広げないほうが得策と考えられる。
「勾留理由開示請求は?」と内田さん。
「公開で行われる手続きではあるけれど、そのメリットが生かせる段階ではないと考えます。準抗告と一部解除請求に集中した方がよいかと」と吉野さん。
さらに、準抗告より先に結論が出るであろう一部解除申し立てが認められた場合、接見解除の準抗告を取り下げるかどうか。これは愛さんの意思を確認して決めることとする。
次に母親が来所するのは? 明日午前中。
「ところで、君たちの週末の予定はどうなっているかな」
「はい、明日土曜日の午前中はお母様との面談で、午後には接見に行く予定です」と吉野さん。
「日曜はたしか、午後から家主さんの話を聞きに行くことになっていましたよね」とボク。
「OK。ならば業務命令」とルカさん。
「今日は、どうしても必要な連絡と書面の作成だけにして、他は土曜以降にやること。二人とも早めに切り上げて帰るように。いいね?」
所長のありがたい命令を受けて、ボクは書類の整理をする。吉野さんは被害者の宮下さんへ電話して、母親同行でお伺いし、書面のご協力について相談したいことを告げた。月曜なら午後、火曜は終日可とのことで、母親と確認してまた連絡することにして電話を終わった。
内田さんが先に事務所を出た。クライアント企業の担当者と、打ち合わせを兼ねた会食があるらしい。
「ねえ、よかったら夕飯食べてかない?」と吉野さん。
「そうですね」とボク。
「旦那は会食だから、なんか一人で作って食べるのも億劫で」
「どこに行きますか」
「昼あまり食べてなくて、お腹減ったからJUJUとかどう?」
「いいですねえ」
ボクたちは、まだ残って仕事を片付けるルカさんを残して、事務所を後にした。
「やあ、お久しぶり。今日はお二人で?」と、JUJUのオーナーの半澤さん。
天歌駅前商店街にある、独立系ハンバーガーショップJUJUで、吉野さんは高校生から法科大学院まで、アルバイトをしていた。
腹ペコの二人はカウンターで、ボリューム満点のクラシックバーガーセットを頼むと、奥の座席に向かう。
「なんか落ち着くんだなあ、このお店に入ると。家と学校の次くらいに長い時間を過ごしてるから」
「改装とかしてないんですか?」
「何度かメンテはやってるみたいだけれど、配置とかインテリアはほぼ昔のまま」
「ボクは昔から知ってましたけれど、頻繁に来るようになったのは、事務所に入ってからです」
「公正証書の二人の成功報酬代わりの会食と、それから持ち株比率10%のJK、だったっけ」
「なんか、まだ半年以内のことなのに、懐かしいです」
注文した品を、オーナー御自ら運んできてくださった。
「ヨッシー、最近も忙しいの?」
「はい。受任した刑事事件の取っ掛かりで、ここ数日走り回ってまして」
「それはそれは」
「ただ、シンジくんが付いてくれてるので、本当助かってます」
「そう。まあ、あまり根詰めない程度に、頑張ってくださいね」
そう言うとオーナーはカウンターへと戻った。
「あの、本当にボクは役に立ってますか?」
巨大なバーガーを二口、三口しながら、ボクは吉野さんに聞く。
「ひょっとして、あの言葉気にしてる?」
「ええと、最初の接見のあとのことですか」
「うん。ちょっときつ過ぎたかな、と思って」
「いえ、ボーっとしてたのは事実ですし、気を引き締めることができてよかったと思っています」
「それなら、よかった...」
バーガーとポテトが半分くらいになったところで、吉野さんが話しだす。
「私、ダメもとで大学3年と4年のときに予備試験受けて、不合格で、結局法科大学院に行くことにした。もちろん勉強には励んだけれど、ゆっくり考える時間もあって、そのころから刑事事件に思い入れがあった」
「ボクは、予備試験と本試験に受かることで精いっぱいで、民事、刑事、特に意識したことはありませんでした」
「弁護士の仕事は、クライアントの人生の一部に伴走すること、だと思っている」
「ええ」
「別に民事がどうってことではないんだけれど、あのとき言ったように、刑事事件の場合は、よりその人の人生にダイレクト影響してくる。事件によっては生命に関わることだってある」
「そうですね」
「私の刑事事件の思い入れは、そこにある。だから、あんなきついことを言ってしまった」
「...」
「ごめんなさいね」
「いえ、実際悪いのは自分ですから」
「今回の事件は、シンジ君のおかげで本当に助かっている、っていうか心強いよ」
「本当ですか」
「手分けしてできることもあるけれど、まさに『伴走』してくれるからね」
「勉強させていただいている身ですが、お役に立っているなら嬉しいです」
「頼りにしてるからね。よろしく」
バーガーが終わって、ポテトとドリンクも少なくなってきた。
「お腹にまだ余裕があるなら、名物のミニチョコレートサンデーをおごるよ」と吉野さん。
「じゃあ、ご馳走になります」
吉野さんが立ち上がって、カウンターに注文に行った。
ちょうどポテトが終わったくらいのタイミングで、アルバイトの女性がデザートを運んできた。
「美味しそうですね」とボク。
「でしょう? ミクッツでいいことがあると、オーナーがご褒美に出してくれた」
「ミニ」と言っても結構ボリュームのあるその一品を食べ始める。
「ミクッツは4人組のバンドだったんですよね」
「うん。けど、ベース兼メインボーカルが交代しているから、メンバーは通算5人」
「ボクは高校生時代がちょうど入れ替わりでしたから、ライブを見る機会はありませんでした」
「懐かしいなあ」
「今はみなさん、どちらにいらっしゃるんですか?」
「リーダーでギターのマイ、初代ベースのミク、ケイさんの妹でドラムスのタエコは東京。二代目ベースのミカとキーボードの私が天歌。もっともミクは頻繁に天歌に帰ってくるみたいだけどね。『あの人のママに会うために』ルカさんの実家にね」
「そうか。ルカさんの兄君とミクさんが、ご夫婦揃って何度か事務所にも来られたことありましたね」
「ルカさんもミクもハイソなのに、全然そんなところを感じさせない。ルカさん結構ポンコツだし」
「ボクも、ルカさんのお家柄のことを聞いたのは、入所してから2ヶ月ほどしたころでした」
「だから、心配しないで大丈夫だよ、シンジ君」
「え、ええと...何のお話しでしょうか」と、あたふたしてしまうボク。




