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第3章 公都へ…。


夕陽が山の端に沈みかけていた。赤く染まった空が、生い茂った森の木々の間から覗いている。風が葉を揺らす音と、どこかで鳴いている小鳥の声だけが、この静寂を破っていた。空気は湿っぽく、苔と土の臭いが鼻をくすぐる。

晴明は目を開けた瞬間、頭に鈍い痛みを感じた。柔らかい草の上に横たわり、頭上では枝葉が風に揺れている。

「セーメー、セーメー、しっかりしろ」

(誰かが私の名前を呼んでいる…。また、縁側で寝過ごしたのかな、そろそろ、陰陽師に行かねば行かない刻限か…。)

意識を失っていた晴明は、ゆっくりと目を開けた。

(ここは?? 転生した世界、生きている…助かったのか…)

「よかった、目が覚めたか? セーメー」

目の前にはなぜかほっとした女性の顔があった。黒い髪が汗で額に張り付き、灰色の瞳が心配そうに晴明を見つめていた。彼女は顔の下半分をマスクで隠していたが、その目からは安堵の色が見て取れた。

「怪我はないか? 何とか私が手を伸ばして、少しは、スピードが落とすことができたと思うのだが…」

シャロンの声は低く、やや息が上がっていた。右手で晴明の肩を支えながら、左手は常に腰の剣の柄に置かれていた。

「それで衝撃が減って、命拾いできたんですね」晴明はゆっくりと体を起こした。

「あなたは、シャロンさんですか?」

晴明の想定外の問いかけにシャロンは、はっと我に帰り、晴明から離れた。彼女の動きは機敏で、無駄がなかった。

「女性だったのですね」

「バレてしまったな」

シャロンは溜息をつき、少しだけ肩を落とした。細身ながらも筋肉質な体つきが、ゆったりとした上着の下からも見て取れた。

「なぜ、マスクをつけてまで、隠すのですか?」

「女だてらに剣など振り回しているのは、恥じすべきだという輩が多くてな、そういうこともあっていつの日かマスクをつけて変装するようにしたんだ」

シャロンの声に少しだけ苦さが混じった。彼女は無意識に右手で剣の柄を握りしめていた。

(決して理由はそれだけではあるまい…)

と晴明は心の中で思った。

「そうでしたか、確かに私の国でも女性が剣を持つことだと考えられないという風潮があります。私は、能力があれば、男女の差別なく、その能力を発揮すればいいと思っているのですが」

「この世界は、そんなことを言ってくれる人間はほとんどいないのが現実だ。まあマスクをつけてるのも意外としんどくてな、肌も荒れる」

シャロンは少し寂しげに笑った。

「私には正体がバレてしまったのですから、一緒にいる間だけでも外しても構いませんよ」

「そうだが、正体をバラすわけには行かない。誰が見ているかもしれないからな」

と言ってシャロンは再びマスクをつけた。無骨な手つきとは対照的に、その指先は意外なほど繊細だった。

晴明は、頑固なシャロンにため息をつきつつ、

「シャノンさんの方こそ、怪我はなかったのですか?」

「セーメーだから隠さず言うが、ちょっと右腕が…これではいざという時、剣も振れない」シャロンは右腕をそっと押さえ、顔をしかめた。

晴明は、シャロンに近づき、痛みのある右腕に手をかざした。

「蘇」

晴明が呪文を詠唱すると、右腕に淡い緑色の光が放たれ、みるみるうちに右腕の痛みが消えていった。空気がほんのりと草木の香りに包まれる。

「い、痛みが消えていく。なるほど、姫様の言うことは本当だったんだな」

シャロンは腕を回しながら驚きの表情を見せた。彼女の目が少し大きく見開かれ、マスクの上からでも笑みが浮かんでいることが分かった。

シャロンは、マルグリットに施した晴明の治療を見ていた時は、実のところ、半信半疑だったが、自分がやってもらうとその効果が実感できたようだ。

「こ、これは凄い…」

シャロンは腕を前後に振ってみせた。

「いったいどんな霊力術を使ったんだ?」

「我が国では陰陽道と呼ばれる術です。気の流れを整えることで、身体の自然治癒力を高めるものです」

「オンミョウ…ドウか」

シャロンは珍しい言葉を口にした。

「いずれにしても、セーメーは、大した魔術師だな」

夕闇が濃くなり始めていた。遠くからはオオカミの遠吠えのような音が響いてきた。


2人は、晴明の疲労とシャロンの右腕の回復の状況を見て、今夜はここから移動せず、野営することにした。焚き火を囲み、シャロンは、木の枝で地面に地図を書き、エルムフィールド公国を含むこの国の構図を説明してくれた。焚き火の明かりが彼女の鋭い横顔を照らし、影を大きく揺らしていた。

「この国はヴァレンティア王国といい、マルグリット姫の曽祖父であるフレードリッヒ・ド・ローゼンブルグが、当時の王政の圧政を批判し、クーデターを決行した。そして、政権を倒し、新国王として即位したんだ。そのまま、安定した王政が続くと思われたが、フリーリッヒ国王が急死してしまった。あとを息子の長男であるマルグリットの祖父フィリップ皇太子が即位した」

シャロンは枝で地面に大きな円を描き、それを四等分した。

「フレードリッヒ国王は、フィリップ殿下が元々病弱であったため、広大な領土を維持するのは難しいと考えた。政策として、国を4つの公国に分割、フィリップ殿下の4人の息子に分け与え、それぞれを公国として統治することとなった」

「4つに分割ですか、ずいぶん思い切ったことをしたものですね」

晴明は地面に描かれた地図を見つめながら言った。

「4人の息子は、東西南北に分けられたそれぞれの領地を統治した。長男クラウスは、東部のエバーグロウ公国領主、次男ギヨームは、西部のグレムホルト公国領主、三男クロードは、南部のサンクトローゼン公国領主、四男ミシェル、マルグリット姫の父君は、北部のエルムフィールド公国を統治した。それぞれ公国として、公爵を名乗り、場所でイースト公、ウエスト公、サウス公、ノース公と呼ばれている。また、中央の王都・グランシュタットは、特別区として、王宮近衛軍とフィリップ国王がいる」

焚き火が弾け、火の粉が夜空に舞い上がった。晴明はシャロンの話に聞き入りながら、頭の中でその情勢を整理していた。

「なかなかの体制ですね。そこに何か問題でも?」

「当初は、それぞれの国が安定していたのだが、だんだんと欲が出てくる者が現れた。また、国王の体調も気掛かりで、後継者問題も浮上していたわけだ」

シャロンの声が少し低くなった。

「この国では、長男が継ぐのではないのですか?」

「もちろん、長男のイースト公が第一候補だが、それを快く思わない次男のウエスト公、サウス公がいるんだ」

「なぜ?」

「それぞれの公国に特徴があるからさ」

シャロンは地図の東の部分を指さした。

「イースト公の東部のエバーグロウ公国は、広大な穀倉地帯を抱えていて農業が盛んだ。ウエスト公、西部のグレムホルト公国は、工業地帯があり、工業が盛ん、巨大港があるサウス公のサンクトローゼン公国は、貿易、商業が盛ん、北部のエルムフィールド公国は、山地が多く、そこから採れる鉱物があり、鉱業が盛ん。それぞれの特色を生かして、交易することで、国が栄えてきた」

「そのバランスが崩れたのですか?」

晴明は鋭く質問した。

「さすがだな、セーメー」

シャロンは感心したように頷いた。

「実は、3年前、エバーグロウ公国で大飢饉が起き、穀物の収穫高が1/5となり、その窮地を救うために手を差し伸べたのがウエスト公とサウス公だ。飢饉は数年にわたって続き、イースト公国は国の体制を維持するのが難しくなった。そこにつけ込んだウエスト公とサウス公は、援助する代わりに王位継承権の権利を渡せと迫ってきた。幸いフィリップ国王がそれを止めに入り、一旦は休戦したが、まだその火種はくすぶっている」

「兄弟とはいえ赤の他人なのですね。我が国にもそういうことがあります」

晴明は日本での転生前の日本での政治状況を思い出した。

晴明が生きている時代は、藤原氏全盛の時代で、藤原の兼家、兼道、道長の三兄弟の権力争いがあった。他人事とは思えない話だなと晴明は感じていた。

「そんな状況の中、クリムゾンたちの台頭もあり、世の中が混沌としてきてしまった」

シャロンは溜息をつきながら言った。

「複雑ですね。でもなんとかしなければ民が苦しみます」

「その通りだ。権力争いによって民を路頭に迷わせてはならない。民を守ることこそこの国の、我々の使命だからだ」

シャロンの目が強い意志を宿して輝いた。

晴明は黙ってその話を聞いていた。小さな動物が茂みの中を走り抜ける音が聞こえた。

翌日、晴明の体力も回復し、シャロンの腕の具合も晴明の治療のおかげで、すっかり回復していた。これなら、なんとかルクセリオンまでたどり着くことができそうだ。


二人は早朝から出発し、午後には公都・ルクセリオンに到着した。夏の日差しが石畳を照らし、花々の香りが風に乗って漂ってきた。街の中央には大きな公爵城が聳え立ち、その周りを取り囲むように整然と建物が並んでいた。

「ここがエルムフィールド公国の公都、ルクセリオンだ」

シャロンが晴明に城を指さした。

城門では衛兵たちが厳重な警備を敷いていたが、シャロンの姿を見るとすぐに通してくれた。

「シャーマー・シャロン様、お帰りなさいませ」

衛兵長が深々と頭を下げた。

「シャーマー?」

晴明は小声でシャロンに尋ねた。

「この国では腕の立つ剣士に与えられる称号だ。『魂の剣』くらいの意味だな」

シャロンは少し照れくさそうに答えた。

城内に案内された晴明は、マルグリットの父・シャルル公爵に謁見することになった。広間は豪華な調度品で飾られ、窓からは山々の景色が見渡せた。

シャルル公爵は玉座のような椅子に座っていた。彼は40代半ばの男性で、まだ若々しさを保っていたが、目の下には疲れの色が見えた。茶褐色の髪に銀糸が交じり始め、緑色の瞳はマルグリットには似ていない感じがした。彼は晴明が入ってくると微笑んで立ち上がった。

「そなたが我が娘を助けてくれたセーメー殿か」

シャルル公爵の声は温かく、威厳があった。

「はい、僭越ながら陰陽師の安倍晴明と申します」

晴明は深々と頭を下げた。

その瞬間、晴明は不自然な臭いに気づいた。シャルル公爵から漂う体臭は、普通の汗の臭いではなかった。かすかに腐敗したような、甘く重い香りが混じっていた。晴明の陰陽師としての感覚が、その臭いから何か異常を感じ取った。

「陰陽師とやら…マルグリットからその話は聞いた。異国の術だそうだな」

「はい、偶然、姫様にお会いすることができ、この場におります」

会話が続く中、晴明はシャルル公爵の様子を注意深く観察していた。彼の顔色は少し青白く、時々右手が小刻みに震えていた。そして何より、あの臭い…何か邪なものが彼の体内に潜んでいるような予感がした。

「我が娘を助けてくれたこと、そして共に旅をしてくれたことに感謝する。エルムフィールド公国はそなたに借りができた」

シャルル公爵は晴明に向かって深々と頭を下げた。


謁見の後、晴明はマルグリットとシャロンに、自分の懸念を伝えた。

「マルグリット殿下、シャロン殿。シャルル公爵のお体に異変があるように感じます」

晴明は真剣な表情で言った。

「シャルル公が?」

マルグリットより先にシャロンが驚いた顔で晴明を見つめた。

「はい。公爵様から漂う気と臭いに、何か邪なものの気配を感じました。長い間、何か毒のようなものが体内に蓄積されているようです」

「毒だと?」

シャロンの声が鋭く響いた。

「まさか…クリムゾンの仕業」

マルグリットが続いた。

「断定はできませんが、自然のものではありません。誰かの意図を感じます」

マルグリットは、青ざめた顔で立ち上がり、窓際まで歩いた。

シャロンの顔色も同様に青ざめていた。

「ずっと殿下の様子がおかしいと思っていた。最近、判断力が鈍り、時々混乱するようになった…」

シャロンの声は震えていた。

「私たちには見えなかったものが、セーメー様には見えたのですね?」

マルグリットは寂しそうな顔をした。

「私に『内観符術』 という 符を使って体内の状態を診断する術があります。公爵様の体内ただし、呪符を使いますので、準備が必要です」

「呪符?」

マルグリットが尋ねた。

「文字や記号、図形などを組み合わせ、神秘的な力持たせ田道具です。私の場合は、紙に文字を書いたものを使用します」

護符アミュレットみたいなものだな」

シャロンは立ち上がり、剣の柄に手をかけた。

「セーメー、もし本当にクリムゾンの仕業なら、公爵暗殺の計画かもしれん。我々も危険だ」


突然、廊下から急いだ足音が聞こえ、ドアが勢いよく開いた。侍女が青ざめた顔で駆け込んできた。

「大変です、殿下!公爵様が突然倒れられました!」

マルグリットの顔から血の気が引いた。

「父上が…!」

三人は慌てて公爵の寝室へと駆けつけた。シャルル公爵はベッドに横たわり、苦しそうに呼吸をしていた。その額には冷や汗が浮かび、顔は灰色に変色していた。

晴明は即座に公爵の側に駆け寄り、懐から呪符を取り出し、侯爵の額にあてた。

「内観符術 発動!!」

その瞬間、晴明の目に奇妙な光景が映った。シャルル公爵の体内を黒い蛇のような影が這い回り、心臓に絡みついていた。

「崩陽陣!」

晴明が突如として叫び、両手を広げた。部屋中に金色の光が満ちる。シャロンとマルグリットは驚いて後ずさり、その光景を見守った。

「これは…」シャロンの目が見開かれた。

晴明の周りに五芒星が浮かび上がり、その中心から赤い光線が公爵の胸に向かって放たれた。ドゴン!と地響きのような音とともに、公爵の体から黒い霧のようなものが吹き出した。

「出てこい、邪気よ!」

晴明の声が厳かに響く。

ギュルギュルと不気味な音を立てながら、黒い霧が床に落ち、蛇はその場から逃亡を図った。

「悪縛の蛇…古くからの邪術だな」

晴明は冷静に言った。

「だがここで終わりだ」

「八方封縛陣!」

晴明が鋭く手を振り下ろすと、床に光の輪が現れ、悪縛の蛇を囲んだ。ザシュッ!という音とともに、悪縛の蛇が光の中に閉じ込められていく。

「ギアアァァ!」

悪縛の蛇が悲鳴を上げたかと思うと、パチパチと火花を散らして消滅した。

部屋が静寂に戻る。公爵の呼吸が穏やかになり、顔色も少しずつ戻り始めた。

「何が…起きたんだ?」

シャロンは呆然と尋ねた。

「公爵様は呪いをかけられていました。『悪縛の蛇』と呼ばれる古い邪術、陰陽でいう蠱毒の一種です。蛇が少しずつ生命力を奪い、最後には心臓を止めるもの」

晴明は疲れた様子で説明した。

「殿下が…呪われていた」

シャロンは青ざめた表情で言った。

「おそらく長期間にわたって少しずつ毒を与えられていたのでしょう。その毒が悪縛の蛇となり、体内を蝕んでいました」

「蛇が、体内を…」

マルグリットは震えながら、呟いた。

「蠱毒は、遠隔でできる術ではありません。公爵殿下のお側に仕えるもの出なければ」

「つまり…父上の近くにいる誰かが?」

「そうでしょう。信頼している人物が、継続的に何かを公爵様に与えていた可能性が高い」

シャロンの顔が硬くなった。

「公邸内に裏切り者がいるということか…」

「マルグリット様、シャロン殿」

晴明は二人を見つめた。

「これはただの病ではなく、明確な暗殺計画です。そして、これを操っていたのは単なる毒殺者ではない。強力な黒魔術の使い手です」

部屋の中に重い空気が流れた。

「クリムゾンか…」

シャロンが低い声で言った。

晴明は窓の外を見た。

「おそらく、そして、これはまだ始まりに過ぎないでしょう」

シャルル公爵がかすかに目を開き、弱々しい声で言った。

「シャロン、マルグリット…危険だ…逃げろ…」

そして再び意識を失った。

シャロンの目に決意の色が浮かんだ。

「殿下を救い、この国を守るのが私の使命です。セーメー、

どうか力を貸してくれ!」

「私からもお願いします」

マルグリットがシャロンに続いた。

晴明は黙って頷き、シャロンも剣に手をかけて姿勢を正した。

窓の外では、不気味に赤い夕陽が沈みかけていた。何者かの放った邪気の波動が、まだかすかに空気中に残っている。真の敵はまだ姿を見せていない。

本当の戦いはこれからだった。




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