7 蝋燭の揺れる影 ①
蝋燭の揺れる影
紫霄宮の広間では、太后・蘭明蕙が茶を啜りながら、柳青荷の軽口に微笑を浮かべていた。
「退屈ねえ。最近は些細な揉め事ばかりで、少しも刺激がないわ」
「太后様、前回の事件でようやく後宮が落ち着いたばかりです。少しは穏やかな日常を楽しんでは?」
「平穏も長く続くと、退屈という毒になるのよ」
青荷が呆れたように口を開きかけたその時、廊下の向こうから足音が響いた。影衛司の密偵、陳星河が血相を変えて駆け込んできた。
「太后様、翠竹庭にて、麗妃・楊雪蓮様が――」
「また誰か死んだのね?」
陳星河は一瞬言葉に詰まったが、すぐにうなずいた。「今朝、侍女が発見しました。寝所の中で……喉を掻きむしりながら絶命していたそうです」
太后は扇をゆっくり閉じた。「まあ、それは興味深いわね。」
楊雪蓮の寝所は、翠竹庭の奥まった静かな場所にあった。彼女は普段から慎み深く、派手に振る舞うことはなかったが、その慎重さが仇になったのか、あるいは――。
太后が部屋に入ると、そこには異様な光景が広がっていた。
床には倒れた楊雪蓮の姿。喉には爪で掻きむしったような深い傷があり、唇は紫色に変色していた。周囲に争った形跡はない。しかし、どことなく違和感があった。
「死因は毒の可能性が高いですね」陳星河が呟いた。「ですが、不審な点がいくつかあります。食事や酒には毒の痕跡はなく、部屋は密室。争った様子もなし……」
「つまり、毒は食べ物以外から摂取された、と?」
大后は視線を巡らせる。机の上には昨夜灯されていたであろう蝋燭の残骸。銀の燭台に乗せられたそれを手に取り、くるりと回した。
「ふむ……」
「青荷、蝋燭をもう一本持ってきて」
青荷は素早く部屋の隅にあった未使用の蝋燭を手に取った。それを確かめると、大后は満足そうに微笑んだ。
「蝋燭の芯、よく見ると色が違うわね」
陳星河も覗き込み、眉をひそめた。「確かに……何か染み込ませているようですね」
「これは“燃えると気化する毒”よ」大后は扇を軽く振った。「火を灯せば、蝋燭の芯に染み込んだ毒が煙となって部屋中に広がる。楊雪蓮は昨夜、寝る前にこの蝋燭を灯した。そして、知らぬ間に毒を吸い込み、眠ったまま苦しみながら命を落としたのね」
「……そうか!」青荷が手を打った。「それで喉を掻きむしったんですね。毒を吸って苦しくなり、本能的に呼吸をしようとして……」
「そういうことよ。」
「問題は、この蝋燭を誰が仕込んだかね」太后は悠然と扇を広げた。
蝋燭は後宮の生活に欠かせないものであり、侍女や宦官が日常的に扱う。それゆえ、毒を仕込んでも目立たない。
「御薬房の記録を調べます。.」陳星河が即座に動き出す。「この蝋燭がどこから来たものかを突き止めれば、犯人の手がかりが掴めるかと」
「ええ、お願いね」
だが、太后はすでに目星をつけていた。蝋燭という日常の道具に毒を仕込む――これは、単なる思いつきでできる犯行ではない。毒の知識に精通し、なおかつ、後宮で誰にも怪しまれずにそれを実行できる者……。
「蔡麗華」
青荷が息をのんだ。「皇后の側近の貴妃……」
「ええ。彼女ならば、毒の扱いにも長けているし、楊雪蓮を排除する理由もある」
太后は静かに微笑んだ。
「さて、どんな言い訳を聞かせてくれるのかしら」
事件はこれで終わりではない。蔡麗華が黒幕であったとしても、彼女一人で動いていたとは考えにくい。皇后・沈玉蘭の指示か、それともさらに別の黒幕がいるのか――。
「青荷、私たちの“暇つぶし”はまだ続きそうね」
「はあ……もう少し平和な日常を楽しみたいものです」
青荷の嘆息をよそに、太后は扇を軽やかに翻しながら、次なる一手を考え始めていた。




