70 夢の中の殺人「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
夢の中の殺人「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
@太后の暇は続く
紫霄宮の庭には、穏やかな春の日差しが降り注いでいた。花々は風に揺れ、鯉がゆったりと池を泳ぐ。まるで後宮の喧騒が嘘だったかのような、静かで平和な午後。
蘭明蕙は、庭の東屋に腰を下ろし、優雅に茶を啜る。白磁の茶碗から立ち昇る湯気が、かすかに蘭の香りを含んでいる。
「ふう……。やっと暇になったわね。」
薄紅色の唇が、満足げに微笑む。まるで長い長い戦を終え、ようやく訪れた休息を慈しむかのように。
しかし、その向かいに座る柳青荷は、少し頬を引きつらせながら(いやいやいや、絶対また事件来るでしょ……)と内心でツッコミを入れていた。太后様が“暇”と口にしたら、それは事件の前触れ。これまでの経験上、間違いない。
その予感は、わずか数秒後に現実となった。
「太后様、大変です!!翠竹庭でまた事件が!!」
慌ただしく駆け込んできたのは、一人の宮女。肩で息をしながら、必死の形相で報告する。
「ほらね!!!」
青荷が「やっぱり!!!」と言わんばかりに天を仰いだ瞬間、蘭明蕙はすっと茶碗を置き、楽しげに微笑んだ。
「仕方ないわね……行きましょうか。」
優雅に立ち上がるその姿は、まるで“次の暇つぶし”を待ち望んでいたかのよう。
こうして、太后の“暇つぶし”は、今日も続くのであった――。
@夢の中の死
翡翠苑の一室。
普段なら、柔らかな絹の帳が揺れ、雅な香がふわりと漂う――はずの空間。しかし、今はそんな風雅さなどどこへやら。室内は緊迫した空気で満ち、女官たちが壁際にギュウギュウに固まっていた。
中央の寝台には、蕭妃の遺体。
美しい顔は、まるで地獄の亡者でも見たかのように、目を見開き、口を引きつらせている。その表情は、見る者すべてに「怖い!!!」という感情を叩き込むほど強烈だった。
「……まるで何かに怯えていたようですね。」
静かに呟いたのは蘭珀然。
端正な顔を微かにしかめつつ、遺体の顎を持ち上げて唇の色を確認する。
すると――
「毎晩、悪夢にうなされていました……。」
「昨夜も、誰かと話しているような寝言を……。」
「でも、部屋には誰もいませんでした!!」
一斉に証言を始める女官たち。声は震え、目には涙が滲んでいる。中には完全に幽霊の仕業と決めつけ、ガタガタと震えながら「経文を唱え始める者」まで出る始末。
柳青荷の背筋に、冷たいものが走った。
「ま、まさか、本当に幽霊の仕業……?」
幽霊? 亡霊? それとも呪い?
思考が一気にオカルト方面へと暴走し始める青荷。
もしや後宮には、恨みを抱いた亡霊がウヨウヨと……!?
そんな青荷の背後で、誰かがスッと動いた。
「……これは、ただの夢ではないわね。」
蘭明蕙だった。
優雅に扇を広げ、口元を隠しながら、スッと部屋の隅へ視線を向ける。その仕草は、まるで「もうすべてお見通し」とでも言いたげ。
その落ち着きっぷりが、逆に怖い。
(いやいやいや!!!太后様!!!どう考えても今怖がるべき場面ですよね!?)
青荷は心の中で盛大にツッコミを入れたが、蘭明蕙はどこ吹く風。余裕の笑みを浮かべ、まるで幽霊どころか虫でも見ているかのような態度だ。
その瞬間、青荷は悟った。
――これ、絶対ただの怪談じゃ終わらないやつだ。
@寝室の調査
蘭明蕙は、優雅に袖を払いつつ、蕭妃の寝室をじっくりと調べていた。
室内は豪華な調度品で彩られているものの、どこか異様な雰囲気が漂っている。女官たちは壁際でガタガタ震えながら、怯えた目でこちらを見ている。
「何か気になることは?」
蘭珀然が静かに問う。
「うーん……?」
青荷は、畳まれた寝具をペタペタと触りながら首を傾げた。
「……なんか、枕が妙に重いんですけど。」
言いながら、よいしょっと枕を持ち上げる青荷。
しかし、思ったよりもずっしりとした重みがあり、持ち上げた瞬間にバランスを崩す。
「うわっ!? 何これ、石でも入ってるの!?」
慌てて枕の中を開いてみると――
もわっっっっっっ
「うげっ、何この臭い!?」
思わず鼻を押さえる青荷。蘭珀然もわずかに眉をひそめたが、唯一、余裕たっぷりだったのはもちろん蘭明蕙。
彼女は指先で枕の中身を少しすくい、匂いを嗅いで微笑んだ。
「……これは**『曼陀羅華』**の粉。」
青荷は思わず身を引いた。
「太后様!! なんでそんな余裕でクンクンしてるんですか!? 危なくないですか!??」
「大丈夫よ。私は一度や二度、こういうものを嗅いだくらいで幻覚を見たりしないわ。」
(……『一度や二度』嗅いだことあるんだ……。)
蘭明蕙の謎の経験値に、青荷はちょっとだけツッコミを入れたくなったが、とりあえず話を戻す。
「じゃ、じゃあ、蕭妃様は毎晩この毒を吸い込んで、幻覚を見るようになった……?」
「ええ、そして最後には毒が体に回りすぎて死んだ、というわけね。」
「ひえええ……。」
青荷はぶるっと震えた。
「でも……だったら、『寝言のように誰かと話していた』っていうのは?」
蘭明蕙はゆっくりと頷いた。
「そう、それがこの事件の本当のカギよ。」
そう言いながら、扇をパチンと閉じる。
――カッコいい!!!!!
青荷は思わず心の中で喝采を送ったが、それよりも問題は一つ。
(いや、待って待って待って……これってつまり、幽霊のせいじゃなくて……もっと怖い『人間の仕業』ってことですよね……!?)
青荷の背筋に、幽霊よりもタチの悪い寒気が走るのだった。
@夜の囁き
――深夜。
翡翠苑の寝室に、張り詰めた空気が漂う。
「……本当にやるんですか?」
青荷が不安そうに蘭明蕙を見上げる。
「ええ。現場検証は基本よ。」
蘭明蕙は、まるで夜のお茶会でも楽しむかのように、優雅に椅子へ腰掛ける。傍らには蘭珀然が控え、いつものように沈着冷静な表情を崩さない。
(……いやいや、こんな幽霊出そうな部屋で『基本よ』って言われても!!)
青荷は半泣きになりながら、ぎゅっと自身の袖を握りしめた。
そんな時だった。
――ふわり……。
空気が揺れた気がした。
「……!」
――サァ……サァ……。
かすかに、何かが聞こえる。
人の囁き声だ。
「……誰かいる……!」
青荷が息をのむ。
いや待て!? これ、もしかしなくてもめちゃくちゃホラー展開なのでは!?
彼女が内心で叫びかけたその時――
「動くな。」
蘭珀然が冷静に影衛司へ指示を出す。
次の瞬間、暗闇から素早く数人の影が飛び出し、廊下の奥へと走っていった。
「きゃっ!」
何者かが悲鳴を上げたかと思うと、ドサッという音が響く。
……どうやら、捕まえたらしい。
青荷は安堵の息をつこうとしたが――
「で、でた!? 亡霊!??」
思わず叫びかける。
「違うわよ。」
蘭明蕙が扇をパチンと閉じる。
影衛司に取り押さえられていたのは、一人の女官だった。
「これは……御薬房の女官、張蘭芝ですね。」
蘭珀然が淡々と言う。
張蘭芝は怯えた目で蘭明蕙を見つめる。
「ど、どうして……?」
「あなたは毎晩、寝室の近くで囁いていたのね。」
蘭明蕙はゆるりと立ち上がり、優雅に言葉を紡ぐ。
「毒の効果で幻覚を見始めた蕭妃は、あなたの声を『夢の中の誰か』だと思い込んだ。そして、恐怖を募らせ、最後には命を落としたのよ。」
「……!」
張蘭芝の顔がみるみる青ざめる。
青荷は心の中で大きく頷いた。
(うん、やっぱり幽霊じゃなかった!! よかった!!!)
しかし、ホッとしたのも束の間――
「……さて、では詳しく話を聞かせてもらおうかしら?」
蘭明蕙が微笑みながら扇をトントンと手のひらに当てる。
その笑みが、どこかゾッとするほど余裕たっぷりで――
(あ、これ幽霊より太后様のほうが怖いパターンだ……。)
青荷は再び、背筋が寒くなるのを感じるのだった。
@真相の暴露
「でも、どうしてそんなことを?」
柳青荷が身を乗り出して尋ねる。
張蘭芝は唇をギュッと噛みしめ、視線を泳がせた。
「……私は、ただ命令に従っただけ……。」
「命令?」
「岑若梅様が……。」
ピタッ。
青荷の動きが止まる。
「皇后派の貴妃……!」
頭の中で事件相関図が組み上がる音がした。つまり、こういうことだ。
皇后派の貴妃 → 張蘭芝に命令 → 幻覚作戦 → 蕭妃を精神的に追い詰める → あれよあれよと死亡。
「こ、怖っ……。」
思わず口に出してしまった青荷をよそに、蘭明蕙は優雅に扇を開き、涼しい顔でため息をついた。
「まったく、手の込んだ暇つぶしをするものね。」
――いやいやいや!?
思わず心の中で全力ツッコミを入れる青荷。
(こっちは必死で事件を追ってたのに、太后様の感想、それ!?)
しかも、「暇つぶし」という単語がやたらさらっと出てくるあたり、本当に“暇つぶし”扱いなのが伝わってくる。
そんな中、張蘭芝はがっくりと肩を落とし、小さく呟いた。
「……でも、まさか本当に死ぬなんて思わなくて……。」
それな!!!
青荷は心の中で強く頷いた。
本当に思いもしなかったのだろう。
青荷もまた、思いもしなかった。
まさか太后様が、あっという間に全てを見抜いてしまうとは――。
蘭明蕙はゆるりと立ち上がると、微笑みながら言い放つ。
「さて、そろそろ皇后派にも“ご挨拶”をしなければね。」
青荷は背筋がゾクリとするのを感じた。
(……この後、本当の恐怖が始まるのでは?)
幽霊よりも、何よりも。
太后様の「暇つぶし」のほうが、よっぽど怖い――。
@犯人への裁き
張蘭芝の証言により、黒幕が岑若梅であることが確定した。
皇后派の貴妃という立場上、そう簡単には手を出せないが――
「さて、どう料理しましょうか?」
バチンッ。
蘭明蕙は微笑みながら、扇を閉じた。
ピシャーン!(背筋が凍る音)
柳青荷と蘭珀然は、思わず視線を交わす。
(い、今の「料理」って、比喩……だよね?)
(比喩でしょう……たぶん……。)
――だが、太后様の前例を考えると、冗談で済まされない気がする。
一方、蘭明蕙は優雅にお茶を啜りながら、何かを考えている様子だった。
「……直接罰を与えてもつまらないわね。」
「つまらない……?」
「ええ。どうせなら、もう少し“楽しませてもらわないと”。」
青荷の脳裏に過去の「太后様の暇つぶし」(※容赦なし)が走馬灯のように蘇る。
「た、太后様……あの、ほどほどに……。」
「大丈夫よ、ちょっとした“趣向”を凝らすだけ。」
その“趣向”が恐ろしいのですが!?
蘭明蕙はゆるりと立ち上がると、蘭珀然を見つめた。
「珀然、皇后様に“親切な忠告”を届けてちょうだい。」
「承知しました。」
即答する宦官・蘭珀然。
そして、何も知らない岑若梅は――
後日、自ら「自分の意思」で宮廷を去ることになるのだった。
青荷はため息をつきながら、しみじみと思う。
(やっぱり、太后様が一番怖い……。)
――こうして、また一つ太后様の「暇つぶし」が終わるのであった。
@太后の暇は続く
数日後。
紫霄宮の庭。
風に揺れる藤棚の下、蘭明蕙は優雅に茶を啜っていた。
「ふう……。やっと暇になったわね。」
その表情は穏やかで、どこか満ち足りたようでもある。
――が、柳青荷は思う。
(いやいやいや、絶対また事件来るでしょ……!)
これまでの経験上、太后様が「暇になった」と言った数日後には、必ず何かが起こる。
――そう、その瞬間だった。
「太后様、大変です!!」
庭に飛び込んできた宮女が、息を切らせながら叫ぶ。
「翠竹庭でまた事件が!!」
ガタンッ!!!!
青荷の持っていた茶碗が震える。
「ほらね!!!!」
バンッ!!と机を叩いて立ち上がる蘭明蕙。
――と、その隣では、柳青荷が天を仰いでいた。
(ですよねーーーーーーー!!!!!!!)
心の中で叫びながらも、彼女は悟る。
――太后様の“暇つぶし”が終わる日は、永遠に来ないのだと。
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