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69 亡霊が下す死の裁き「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」

 蘭香院の朝は、いつになく騒がしかった。


 普段は、位の低い女官たちがひそひそと噂話を交わしながら掃除や洗濯に励む場所。しかし、今日はまるで市場のようなざわめきだ。


「亡霊よ! 亡霊が出たのよ!」

「昨夜、秀蓮が『見た』って言ってたの! そしたら今朝……ひぃっ!」


 そんな怯えた声が飛び交う中、紫霄宮からの一行が悠々とやってきた。


「さあて、どんな亡霊が出たのかしら?」


 蘭明蕙らん めいけいは、いつもの優雅な微笑を浮かべながら扇を軽く振る。

 まるでこれから茶会でも始めるかのような余裕ぶりだ。


 一方、柳青荷りゅう せいかは、内心ため息をついていた。


(ほらやっぱり……昨日あんなふうに「暇になっちゃうわ」なんて言うからですよ、太后様!!)


 それでも、彼女は忠実な侍女である。主に従い、現場に足を踏み入れた。


 そして、彼女たちが見たものは――


「裁きは下った」


 壁に赤々と残る血文字。


(ひぃぃぃぃぃっ!!!)


 柳青荷の背筋が凍る。


 しかも、そのすぐ下には、今まさに処刑されたかのような宮女・秀蓮の遺体が横たわっていた。


「ふむ、これは……」


 蘭明蕙は、まるで上質な茶葉でも選ぶかのように、のんびりとした口調で言った。


「確かに、それっぽい演出ね。」


「演出って……太后様!? これは亡霊の仕業かもしれないんですよ!?」


 柳青荷が慌てて言うと、蘭珀然らん はくらんがくすっと笑った。


「そんなわけないでしょう?」


 彼は秀蓮の遺体を一瞥すると、さらりと言い放った。


「争った形跡なし。目立った外傷なし。けれど、苦しんだ表情……つまり、これは毒殺ですね。」


「そ、そんなあっさり!?」


 柳青荷が驚くと、蘭珀然はにこやかに答える。


「だって、亡霊が毒を使うわけがないでしょう?」


「うっ……それは……」


「それに、」


 蘭明蕙が、ゆったりと扇を閉じた。


「この血文字、亡霊にしては筆跡が綺麗すぎるわね。」


 柳青荷は、絶句した。


(た、確かに……!?)


「さて……亡霊の裁き、なんて怖がるのもいいけれど。」


 太后は、微笑みながら、そっと目を細める。


「この裁きを『演出』したのは、誰なのかしら?」


 後宮に広がる「亡霊」の噂。

 だが、そこには人間の影がちらついていた――。




 ***


 紫霄宮ししょうきゅうの朝は、今日も穏やかだった。


 鳥がさえずり、春の陽光が差し込む。

 だが、蘭香院らんこういんは完全にホラー空間と化していた。


「亡霊よぉぉぉぉ!!!」


「李芳蘭様の琴の音を聞いたら死ぬのよぉぉぉ!!!」


「昨日の夜も聞こえたって……!! しかも、秀蓮様が亡くなる直前には悲鳴まで!!」


 宮女たちが顔を青ざめさせながら、怯えた目でひそひそと噂している。


 そんな中――


「琴を弾く亡霊が現れると、死が訪れる……ですか。」


 冷静に呟くのは蘭珀然らん はくらん


「都合が良すぎる噂ですね。」


「えぇ……ほんとに亡霊なら、もっと恨むべき人のところに出ません?」


 柳青荷りゅう せいかは、腕を組んで首を傾げた。


「なんでわざわざ宮女を呪うんですかね?」


「そうねぇ。幽霊にも優先順位があるはずだけど?」


 蘭明蕙らん めいけいは扇で頬を軽く叩きながら、優雅に微笑む。


「まあ、どうせ何かの仕掛けでしょうね」


 ***


「亡くなった秀蓮は、最近、夜になると『誰かの声が聞こえる』と言っていました。」


 証言をする宮女の顔は、怯えきっている。


「でも、私たちには何も……」


「誰の声かも分からないのね?」


 柳青荷が問い返すと、宮女はこくこくと頷いた。


「はい。彼女は、『最初は囁き声、次にうめき声、最後には悲鳴になる』と怯えていました」


「……まるで死の予告のようね。」


 蘭明蕙は扇を閉じると、にっこり微笑んだ。


「でも、その悲鳴が問題なのよ」


「どういうことですか?」


 柳青荷が恐る恐る尋ねる。


「彼女が発したとされる悲鳴は、既に死亡していたはずの時間に聞こえたのよ。」


「えっ……?」


「つまり――」


 蘭明蕙は、まるで他愛のない話をするようにさらりと言った。


「死後に声を上げる仕掛けがあったのよ」


「……え??」


 柳青荷と蘭珀然が顔を見合わせた。


「死後に……悲鳴?」


 柳青荷の頭には、ホラー映画のワンシーンが浮かぶ。


(亡霊になっても悲鳴をあげる秀蓮……ひぃぃぃぃ!!)


「いったい、どうやってそんなことが……?」


 蘭珀然が興味深げに眉を上げる。


「例えば……」


 蘭明蕙は、扇で秀蓮の遺体の近くを示しながら言った。


「彼女の体のどこかに遅れて作動する音の仕掛けがあったとしたら?」


「……!」


 柳青荷の顔が真っ青になった。


(ま、まさか秀蓮の体の中から悲鳴が……!? そ、そんなのホラー映画どころの話じゃないです!!!)


 彼女の恐怖が伝わったのか、宮女たちがますます震え出す。


「ほ、ほらね!! やっぱり亡霊の仕業ですよ!!」


「お化け怖い~~~!!」


 宮女たちはぎゅっと身を寄せ合い、半泣きになっている。


「……違います。」


 蘭珀然が、少し呆れたように溜め息をついた。


「これは人間の仕業でしょう」


「ええ、その通りよ」


 蘭明蕙は、ひらりと扇を広げながら言う。


「この『亡霊』……どうやら生きている人間のようね」


 柳青荷は、心の中で天を仰いだ。


(ほらね!? やっぱりこういうオチになるんですよ!!)


 こうして、「亡霊の正体」を暴くべく、太后の暇つぶし――もとい、捜査が始まるのだった。


 ***


 紫霄宮ししょうきゅう・午後――


「死んだ人間が悲鳴を上げることはない。でも、あらかじめ仕込んでいたら?」


 蘭明蕙らん めいけいが優雅に扇を動かしながらそう言うと、柳青荷りゅう せいかはぱちぱちと瞬きをした。


「まさか……!」


 蘭珀然らん はくらんが遺体の口元をそっと確認し、淡々と呟く。


「――ありましたね。氷の玉が」


「氷の玉……?」


 柳青荷が困惑する。


「何それ、秀蓮様、最後にアイスキャンディーでも食べてたんですか?」


「そんな優雅なものじゃありません。」


 蘭珀然は肩をすくめながら、指先で氷の残骸をつまみ上げた。


「おそらく、小さな穴の開いた氷の玉を口の中に仕込んでいたのです。」


「小さな穴の開いた……?」


「時間が経てば氷は溶ける。そして、最後に穴から空気が流れ込む。すると――」


 柳青荷は息を呑んだ。


「……まるで悲鳴のような音が響く……!」


 蘭明蕙は満足げに頷き、お茶を一口すする。


「そういうこと」


「そ、そんな……! そんなホラー演出、いらないですよ!」


 柳青荷は鳥肌を立てながら、ぶるぶると震える。


(なにそれ!!  ただでさえ亡霊の噂で怖いのに、実際に幽霊の悲鳴みたいな音まで仕込むとか、演出過剰すぎでしょ!!)


 蘭珀然は冷静に続ける。


「遺体が発見されるころには氷はほぼ溶けきり、穴から『ピーーー』という音が鳴る仕掛けだったのでしょう」


 柳青荷の顔が引きつる。


「……いや、それもう幽霊というか……笛じゃないですか?」


「亡霊の笛ね。」


 蘭明蕙がクスリと笑う。


「それで、人々は恐怖に震えるわけね。『亡霊が悲鳴を上げた!!』と」


「ひどい!!  亡霊も巻き込まれ事故ですよ!!」


 柳青荷は憤慨した。


「そんな仕掛け、ただのビックリお化け屋敷じゃないですか!!」


「ええ。でも、その目的は明白よ」


 蘭明蕙は涼しい顔で扇を軽く振る。


「この事件を、恐怖と噂にして広めるためよ」


 柳青荷はまたしても天を仰ぐ。


(ほらね!?  これ絶対、幽霊じゃなくて人間の仕業ですよ!!!!)


 こうして、亡霊の悲鳴トリックは暴かれたのだった――。



 ***


 紫霄宮ししょうきゅう


「そして、犯人はすでに分かっているわ。」


 蘭明蕙らん めいけいは優雅に扇を動かしながら、静かに視線を上げた。


 部屋の隅、誰もが息を呑む中、彼女は微笑みながら告げる。


「――陸晴芳りく せいほう、あなたね?」


 場が凍りついた。


「……何のことかしら?」


 陸晴芳りく せいほう――高貴な微笑みを浮かべるも、その瞳には冷たい光が宿っている。


 柳青荷りゅう せいかは内心で震えながらも、(うわ、悪役の笑い方だ!)と密かに思っていた。


 蘭明蕙は涼しい顔で扇を閉じ、言葉を続ける。


「秀蓮は、あなたが密かに毒薬を試していたことを知ってしまったのよ」


「……私が?」


「ええ。そして、彼女はそれをネタにあなたを脅迫し始めた。でも、あなたはそれを逆手に取ったのね?」


 陸晴芳りく せいほうは口角を上げ、冷たい笑みを浮かべる。


「証拠は?」


(出た、犯人のお決まりのセリフ!!)


 柳青荷は心の中で叫びながら、蘭明蕙をチラリと見る。


 しかし、太后は余裕たっぷりの表情で、軽く扇を振る。


「証拠なら、ここにあるわ」


 蘭珀然らん はくらんがスッと手を差し出し、破れた紙を示す。


「『夜に聞こえる声を信じてはならない』――これは、あなたが仕掛けた恐怖の演出に気づいた秀蓮が、自分に言い聞かせるために書いたものです」


 陸晴芳りく せいほうはしばらく沈黙した。


 柳青荷は(おお、ここで観念して『くっ……』ってなる流れ!?)とワクワクしながら見守る。


 そして――


 陸晴芳りく せいほうは、くすっと笑った。


「さすがは太后様」


(うわ、余裕の笑みで降参パターンだ!!!)


 柳青荷は内心で拍手を送りつつ、(こういう犯人、絶対また何かやらかすやつ……)と小さくため息をついた。



 ***


 事件が解決し、静寂が戻った紫霄宮の庭。


 蘭明蕙は湯気の立つ茶を啜りながら、ふっと微笑む。


「これでまた暇になっちゃうわ。」


 柳青荷の肩がビクッと跳ねた。


(き、来た……!)


 思わず彼女は太后の顔を見つめる。


 その瞬間――


「太后様、大変です!!」


 息を切らした宮女が、庭へと駆け込んできた。


「今度は翠竹庭すいちくていで――!」


 柳青荷は反射的に天を仰いだ。


「ほらね!」


 心の中で叫ぶどころか、今度は思わず声に出してしまう。


 蘭明蕙は微笑んだまま、ゆったりと扇を開いた。


「では、行きましょうか」


 柳青荷の顔が引きつる。


(もう、この人、絶対『暇つぶし』って言ってるけど、むしろ事件を楽しんでる!)


 こうして、太后の“暇つぶし”は、決して終わることなく続くのであった――。

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