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68 時を違えた悲鳴 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」

 @太后の暇


 午後の紫霄宮ししょうきゅうは、まるで永遠に時が止まったかのように静かだった。


 蘭明蕙らん めいけいは、金糸の織り込まれた扇をゆるく振り、香り高い茶を口に含む。その仕草は優雅そのものだが、その目元には退屈そうな色が浮かんでいる。


「最近、平和すぎて暇だわ」


 ぽつりと漏らされた言葉に、すぐそばで控えていた柳青荷りゅう せいかの背筋がピンと張る。


(また始まった……!)


 彼女は一瞬、遠い目になった。


 蘭明蕙がこんなことを言い出すと、十中八九、後宮で何かが起こる。いや、もはや百発百中と言ってもいい。青荷はここ数ヶ月で学んだのだ——太后の「暇」はすなわち事件の予兆であると!


 心の中で「どうか何も起こりませんように……!」と祈る青荷。しかし、その願いは無情にも次の瞬間、打ち砕かれる。


 ドタドタドタドタ!!


 静寂を切り裂くような慌ただしい足音が、廊下の向こうから響いてきた。青荷はぎゅっと目をつむる。


(いやあああ! 絶対何か起こったわ!)


 その足音の主は、太后の息子にして宦官である蘭珀然らん はくらんだった。彼はいつも冷静沈着な男だが、今は普段よりもやや足早に、静かに扉を開けた。


「太后様、大変です」


 低い声でそう告げると、青荷の耳には運命の鐘の音が聞こえた気がした。


(来たわね……)


 蘭明蕙は微笑を崩さず、扇で口元を隠したまま、まるで天気の話でもするかのように訊ねた。


「何が大変なの?」


 珀然はさらりと言った。


「翡翠苑で宮女が首を吊って亡くなりました」


 その瞬間、青荷は(ほらね!!)と心の中で全力で叫んだ。


 太后が「暇」と言った数分後に事件発生——この展開はもう定番すぎて、もはや青荷の中では運命の法則と化していた。


 一方の蘭明蕙は、相変わらず余裕たっぷりの笑みを浮かべたまま、扇を軽く閉じる。


「ふふ……いいわね、少しは退屈しのぎになりそう」


 青荷は思った。


(……私の退屈はどこで解消してくれるんですか、太后様!?)


 こうして、またしても「太后様の暇つぶし」が始まるのだった。



 @密室の悲鳴


 翡翠苑の一室には、異様な緊張感が漂っていた。


 天井の梁から垂れ下がる紅い紐——そこに吊るされたのは、一人の宮女。彼女の顔は青ざめ、目を見開いたまま、苦悶の表情を浮かべている。まるで死の瞬間の驚きと恐怖が、そのまま固まってしまったかのようだった。


 室内には、沈痛な空気が満ちている。


「自殺……でしょうか?」


 柳青荷りゅう せいかが慎重に呟いた。


 その隣で現場を確認していた蘭珀然らん はくらんが、腕を組みながら首を横に振る。


「奇妙なのは、彼女の悲鳴だ。」


 青荷は目を瞬かせる。


「悲鳴?」


「そうだ。彼女は、叫び声を上げた後に発見された。 しかし——」


 珀然は部屋をぐるりと見渡し、淡々と言った。


「部屋は内側から鍵がかかっていた。 つまり、これは完全な密室だった。」


 その瞬間、青荷は 「は?」 という顔になった。


「ちょっと待ってください、それじゃあ……」


「そう」


 珀然は静かに頷く。


「死んでいたはずの人間が叫んだことになる」


 ……シーン。


 場の空気が一気に冷えた。


 青荷は思わず扉の外を確認したくなった。なぜなら、今すぐ逃げ出したかったからである。


(ちょっ……え、怖い話じゃないですよね!? 太后様の暇つぶしは推理もののはずじゃ!?)


 彼女の脳内では、「怪奇! 死者の叫び!!」という怪談風の見出しが浮かび上がる。


 一方、そんな不穏な空気を微塵も気にする様子のない人物がいた。


 ——そう、太后・蘭明蕙らん めいけいである。


 彼女は優雅に扇を広げ、ふんわり微笑んだ。


「……まぁ、面白いじゃない」


 パタン。


 青荷の心の中で何かが折れる音がした。


(太后様……いま、どんな状況かわかってます!?)


 しかし、太后は続ける。


「暇つぶしにはちょうどいいわね」


 扇がひらりと翻る。


 青荷は思った。


(……ちょうどよくないです!)


 が、この場で太后に意見できる勇気はない。


 こうして、「暇つぶし」という名の本格推理が、またしても幕を開けたのだった。





 @宮女の秘密


 翡翠苑の一角、調査中の紫霄宮ししょうきゅうチームの面々。


 その中心にいるのは、「退屈すぎて死にそう」と豪語する太后・蘭明蕙らん めいけい


 しかし、彼女の目の前には 「本当に死んでしまった宮女」 の事件がある。


「亡くなった宮女の名前は白蓮はくれん。最近、ずいぶん不安げな様子だったらしいですね。」


 柳青荷りゅう せいかが、宮女仲間から集めた証言を報告する。


「でも、具体的に何を怖がっていたのかは、誰も知らないようです」


「ふむ……」


 蘭明蕙は扇を持ったまま、軽く指先で「トントン」と叩き始めた。


 (あっ、考えてるときの癖だ……)


 柳青荷は反射的に察する。


 そして、察した上で思う。


 (つまり、あと数秒後には「青荷、何か妙なものはなかった?」って振られるパターンね!?)


 しかし、その瞬間、助け舟が入った。


「彼女の部屋から、これが見つかりました」


 そう言って差し出したのは、宦官・蘭珀然らん はくらん


 手には破れた紙片。


「枕の下に隠されていました」


 蘭明蕙が紙を指先でつまみ、優雅に広げる。


 そこには、震える筆跡で 「夜に聞こえる声を信じてはならない」 と記されていた。


 ——場が凍る。


 柳青荷はそっと蘭珀然を見た。


 (ねぇ、こういうの怖い話じゃないって言ってましたよね!?)


 一方、蘭明蕙はというと——


「……まぁ、面白いじゃない」


 また出た!


「これは……?」


 柳青荷が恐る恐る尋ねると、珀然は淡々と答えた。


「どうやら、何者かに脅されていたようですね」


「つまり、宮女白蓮は何者かから『夜に聞こえる声』について警告を受け、それを恐れていた?」


 蘭明蕙は紙片をひらひらと振りながら、扇を持ち替える。


「怖がるくらいなら、こんな紙を書かないほうがよかったのに」


 柳青荷は叫びたかった。


 (そんなこと言ってる場合じゃないです!)


 が、もちろん言えなかった。


 ——こうして、「暇つぶし」と称する謎解きは、さらに深まっていくのであった。



@悲鳴の謎


翡翠苑ひすいえんの一角、調査を続ける太后探偵団(?)。


すでに「暇つぶし」という名目が建前でしかなくなっているのは、関係者全員が気づいていた。「亡くなった白蓮はくれんは、最近、夜になると『誰かの声が聞こえる』と言っていました」


そう証言したのは、白蓮の同僚だった宮女。


「でも、私たちには何も……」


「誰の声かも分からないのね?」


柳青荷りゅう せいかが問い返すと、宮女はこくりと頷く。


「はい。彼女は、『最初は囁き声、次にうめき声、最後には悲鳴になる』と怯えていました」


「……まるで死の予告のようね。」


——嫌な予感がする。


柳青荷は本能的に背筋を伸ばした。


そして、ちらりと太后・蘭明蕙らん めいけいの方を見る。


すると、やはり太后は微笑んでいた。


「ふふ……」


(ほら来た……!)


柳青荷は心の中で叫んだ。


これはもう、太后様が『面白い』って思ってしまったサインだ!


「でも、その悲鳴が問題なのよ」


扇をすっと閉じながら、蘭明蕙が言う。


柳青荷はすでに覚悟を決めていた。


「……どういうことですか?」


仕方なく聞くと、太后は扇を軽く振り、にっこり微笑んだ。


「彼女が発したとされる悲鳴は、既に死亡していたはずの時間に聞こえたのよ」


「えっ?」


「つまり——」


太后は優雅に指を立てる。


「死後に声を上げる仕掛けがあったということ」


——沈黙。


その場にいた全員が息を飲んだ。


「し、死後に……」


柳青荷は震えながら考える。


(そんなのって、まるで……)


「幽霊の仕業みたいですね……」


そう呟いた瞬間、


「まぁ、幽霊だったら面白かったのに」


太后は涼しい顔で言い放った。


柳青荷は絶望した。


(絶対に面白がってる!)


だが、その一方で、蘭珀然らん はくらんは冷静に呟いた。


「……なるほど、仕掛けですか」


「ええ、きっとこの宮廷のどこかに、その『声』の秘密が隠されているわ」


太后は扇を軽く打ち鳴らすと、優雅に微笑む。


「さぁ、調べましょう。暇つぶしの続きよ」


——こうして、太后の退屈な午後は、さらに深まることになったのだった。



@トリックの解明


「死んだ人間が悲鳴を上げることはない。でも、あらかじめ仕込んでいたら?」


翡翠苑ひすいえんの薄暗い部屋の中、太后・蘭明蕙らん めいけいは涼やかに微笑んだ。


彼女の言葉に、柳青荷りゅう せいかは目を瞬かせる。


「まさか……!」


(また太后様が“暇つぶし”の真相にたどり着いてしまった……!)


「確認してみましょう。」


蘭珀然らん はくらんは冷静に遺体へ歩み寄ると、白蓮はくれんの口元をそっと開いた。


「――ありましたね。氷の玉が」


「氷の玉……?」


柳青荷は思わず身を乗り出す。


そこには、わずかに溶けかけた小さな氷の玉があった。


「おそらく、小さな穴の開いた氷の玉を口の中に仕込んでいたのです」


蘭明蕙は優雅に茶を啜る。


(またそんな器用なことを……)


「時間が経てば氷は溶ける。そして、最後に穴から空気が流れ込む。すると――」


柳青荷が息を呑む。


「……まるで悲鳴のような音が響く……!」


「そういうこと」


太后は満足そうに微笑み、扇をひらりと翻した。


パチン!


(もはや、事件解決の決めポーズと化している……!)


柳青荷は心の中でツッコミを入れたが、太后は続ける。


「でも、なぜこんなことを?」


柳青荷は眉をひそめた。


「犯人は、白蓮を殺すだけじゃなく、恐怖を広めたかったのよ」


「恐怖……?」


太后は優雅に扇を振る。


「この事件を噂にして広めるためよ」


その言葉に、柳青荷はぞくりと背筋を震わせた。


“死人が悲鳴を上げる”なんて噂が宮廷中に広まれば——


「みんな、幽霊の仕業だと怖がるでしょう?」


「そ、そんな……!」


柳青荷が青ざめる中、太后は楽しげに微笑んだ。


「……まぁ、実際に幽霊がいたら、もっと面白かったのだけど」


柳青荷は絶望した。


(やっぱり楽しんでる!)


こうして、太后の暇つぶしはまたしても宮廷の闇を暴くのであった——。



@真犯人


「そして、犯人はすでに分かっているわ」


翡翠苑ひすいえんの静寂を破るように、太后・蘭明蕙らん めいけいは扇をひらりと翻しながら言った。


柳青荷りゅう せいかは息を呑む。


(き、きた! これぞ“暇つぶし”の最終局面……!)


太后の視線が、部屋の隅にいる人物を鋭く射抜く。


「――李映月り えいげつ、あなたね?」


場が凍りついた。


「……何のことかしら?」


貴妃・李映月はゆったりと微笑むが、その瞳はまるで鏡のように冷たい。


柳青荷は思わず(こわっ……!)と背筋を伸ばす。


「白蓮は、あなたが密かに毒薬を試していたことを知ってしまった。そして、脅迫されるようになった。でも、それを逆手に取ったのね?」


「証拠は?」


李映月は涼しい顔で扇を持つ手を組み替える。


(この“余裕の貴妃スマイル”が一番怖いのよ……!)


しかし、太后は微笑んだまま、ゆっくりと扇を閉じた。


パチン!


(また出た! 太后様の“決めの一手”!!)


「白蓮が残した紙よ」


蘭珀然らん はくらんが再び破れた紙を差し出す。


『夜に聞こえる声を信じてはならない』


「これは、あなたが仕掛けた恐怖の演出に気づいていたからこそ、彼女が自分に言い聞かせるために書いたのよ」


「……」


李映月は沈黙する。


(おお……これはついに“認めるか? ”のタイミング!?)


柳青荷はごくりと唾を飲む。


そして――


「……さすがは太后様」


李映月はくすっと笑い、まるで舞台のカーテンコールのように、そっと手を広げた。


「私の“暇つぶし”はこれで終わりかしら?」


柳青荷は絶望した。


(もう……ほんとに……! 宮廷の人って暇つぶしのスケールが大きすぎるのよぉぉ!)


こうして、また一つ、太后の優雅な暇つぶしが幕を閉じるのであった――。




@太后の「暇」再び


紫霄宮ししょうきゅうは、再び穏やかな午後を迎えていた。


庭に吹く風は心地よく、すだれの隙間から揺れる木漏れ日が差し込んでいる。


蘭明蕙らん めいけいは、金糸の模様が美しい茶碗を手に取り、優雅に茶を啜った。


「これでまた暇になっちゃうわ」


――静寂。


柳青荷りゅう せいかはその言葉を聞いた瞬間、思わず背筋を伸ばした。


(で、出たぁぁぁあああ! 太后様の『暇』宣言!)


いやな予感しかしない。


いや、もう確定事項だ。


「……太后様、何も起こらないことが平和でよろしいかと……」


「ええ、そうね。でも退屈じゃない?」


「いえ、退屈くらいがちょうどいいかと!!」


柳青荷は必死に訴えるが、太后は余裕の笑みを浮かべるだけ。


その時――


ドタドタドタッ!!!


またしても、慌ただしい足音が響いた。


「太后様、大変です!」


蘭珀然らん はくらんが静かに扉を開け、低く告げる。


「今度は翠竹庭すいちくていで――」


「ほらね!」


柳青荷は思わず天を仰ぎ、心の中で絶叫した。


(もうやだぁぁぁぁ! 後宮に平和って概念はないの!?)


こうして、太后の優雅な“暇つぶし”は、終わることなく続くのであった――。

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