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64  静かな笛「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」

 @太后の暇つぶし


 紫霄宮の庭園。春の陽気に包まれ、鳥たちが楽しげにさえずり、風が柳の枝をふんわりと揺らしていた。


 その優雅な景色の中心で、蘭明蕙(太后)は卓に肘をつき、手の中の茶碗を軽く回しながら、大きくため息をついた。


「はぁ……暇ね」


 この音を聞き慣れている柳青荷(侍女)は、そっと目を細めた。まるで儀式のように繰り返される、この「退屈」宣言。まさか、紫霄宮ほどの豪華な宮殿で、これほど退屈を嘆く人がいるとは——と、毎度のことながら思う。


 それでも彼女は心得たように微笑み、少し身を乗り出して言った。


「またですか? では、太后様にぴったりの話題を持ってきましたよ」


「ほう?」


 太后が茶碗を持ち上げる手を止め、興味深げに片眉を上げる。柳青荷は、効果的な間をとりながら続けた。


「昨夜、翡翠苑で若い貴族の娘が急死しました。妙なことに、そばには竹製の笛が転がっていたそうです」


「笛?」


 太后は茶をすすろうとしたが、興味が湧いたのか、半ばまで持ち上げた茶碗をそのまま静止させた。そして、しばし沈黙した後——


「ふふ……」


 抑えた笑みを浮かべると、ゆっくりと茶を口に含み、満足げに頷いた。


「それはなかなか面白そうね」


 柳青荷は、心の中でため息をついた。

(ああ、また始まった……)


 こうして、太后の新たな「暇つぶし」が幕を開ける。



 @貴族の娘の急死


 急死したのは、皇后派に近い名門・沈家のしん 沈雪蘭せつらん。彼女は入内したばかりの才女で、楽器の演奏を得意としていた。


 事件当夜、彼女は一人で笛を吹いていたが、突然苦しみ出し、そのまま息を引き取った。


 遺体は翡翠苑の庭で発見され、周囲に争った形跡はない。死因は不明。だが、手元に転がっていた竹の笛が妙に目を引く。


 太后は柳青荷に指示し、関係者に話を聞かせることにした。




 @笛の調査と関係者の証言


 翡翠苑の庭には、まだ沈雪蘭の突然の死の余韻が漂っていた。

 侍女たちは不安そうにささやき合い、いつもは優雅な妃たちも、どこか落ち着かない様子で顔を見合わせていた。


 そんな中、柳青荷は腕を組み、事件の鍵を握る「竹の笛」をじっと見つめていた。


「……うーん。ただの笛にしか見えませんね」


 彼女は慎重に手袋をはめ、笛をつまみ上げる。角度を変えて眺めたり、そっと叩いてみたりするが、特に変わった点はない。


「毒が塗られているわけでもなさそうですし……まさか、音を外した衝撃で死んだわけでは……」


 柳青荷の冗談に、周囲の侍女たちはギョッとして目を丸くしたが、彼女は気にせず続けた。


「この笛、どこから?」


 沈雪蘭の身の回りの世話をしていた侍女が、おずおずと答える。


「確か……麗妃・程麗真様から贈られたものです」


「麗妃?」


 柳青荷は目を瞬かせた。優美でおしとやかな麗妃が、毒入りの笛を贈るような陰謀家に見えない。しかし、後宮とは油断ならぬ世界。美しい花の陰に、毒蛇が潜んでいることもある。


「……というわけで、麗妃様を紫霄宮にお招きすることになりました」


 柳青荷は笛を布で丁寧に包み、腰に手を当てて大きく息をつく。


(太后様、また楽しそうにお茶を飲んでいるんだろうなあ……)


 そう思いながら、彼女は麗妃を呼びに向かうのだった。



 @麗妃・程麗真の証言


 紫霄宮の一室。雅な屏風の前に座る程麗真は、まるでそよ風のように穏やかな表情を浮かべていた。


「確かにあの笛を贈りました。でも、私は何もしていません……」


 そう言って、しなやかに首を傾げる。柳青荷はじっとその顔を見つめた。


(いやいや、その『私はやってません』って顔が一番怪しいんですけど!?)


 とはいえ、麗妃は焦る様子もなく、ただ静かに微笑んでいる。


「では、その笛はどこで手に入れたの?」


 太后が茶をすすりながら尋ねると、麗妃は品よく手を重ねて答えた。


「御薬房で作らせました。雪蘭様が音を気に入るように、特別に加工してもらったのです」


 柳青荷は思わず「御薬房!?」と声を上げかけたが、寸前で飲み込んだ。


(ちょっと待って、なんで楽器を薬屋で!? 笛ってそういうオーダーメイドができるものなの!?)


 一方、太后は「なるほど」と頷くと、ゆったりと微笑んだ。


「御薬房ね……。ふふ、面白くなってきたわ」


 その言葉を聞いた柳青荷は、背筋をゾクッとさせた。


(やばい、これ太后様の『暇つぶしスイッチ』が入っちゃった……!)


 案の定、太后は優雅に湯呑みを置き、軽く指を弾いた。


「では、青荷。ちょっと御薬房まで行って、調べてらっしゃいな」


「えっ、私ですか!?」


「他に誰がいるの?」


「……ですよねぇ」


 柳青荷は内心でため息をつきつつ、そそくさと紫霄宮を後にした。


 背後では、太后が「さて、次はどんなお茶を飲もうかしら」と呑気に呟いている。


(ほんとにもう、太后様の暇つぶしに巻き込まれるの、そろそろ手当がほしい……)


 そんなことを思いながら、柳青荷は御薬房へと向かうのだった。




 @御薬房の調査と毒の正体


 御薬房の奥、棚にずらりと並ぶ薬瓶の間で、方慧仙は笛をじっと観察していた。


 柳青荷は、その細い目が一瞬鋭く光るのを見逃さなかった。


(うわ、あの目はヤバい……完全に『面白い実験結果が出た』って顔してる!)


 しばらくすると、方慧仙は満足そうに頷き、静かに言った。


「なるほど……これは神経毒ですね」


「神経毒……ですか?」


 柳青荷が眉をひそめると、方慧仙は笛の吹き口を指でなぞりながら説明を続ける。


「この毒は、一度に大量に摂取すればすぐに死に至りますが、微量ならば徐々に体を蝕むものです」


「つまり?」


「沈雪蘭様は、笛を吹くたびに少しずつ毒を吸い込み、時間をかけて中毒が進行していたのです。そして、ついに致死量に達した」


 柳青荷は思わず笛から一歩後ずさった。


「そんな巧妙な方法で殺害するなんて……」


 まるで舞台の脚本のような話だが、実際に起こってしまった以上、笑えない。


「それにしても……」


 方慧仙は笛をそっと置きながら、どこか楽しげに微笑んだ。


「この毒の使い方、とても手が込んでいますね。犯人は、すぐに殺すつもりはなかったのでしょう。むしろ、じわじわと毒を蓄積させ、いつ死ぬかも予測できない状態を作りたかった……」



 @犯人の告白


 御薬房の記録を調べた結果、笛を最終的に仕上げたのは、薬房の女官・韓蓮香かん れんこうだった。


 韓蓮香を問い詰めると、震えながらこう語った。


「私は……私は、あの方を憎んでいました……!」


 沈雪蘭は美しく才能ある娘だったが、裏では女官たちを見下し、冷たく扱っていたという。


「私の妹も、彼女の理不尽な命令のせいで命を落としたのです……だから、復讐したかった……」


 韓蓮香は笛の吹き口に毒を仕込み、沈雪蘭がそれを使い続けるよう細工していたのだった。


 だが、罪の重さに耐えかねた彼女は、その場で泣き崩れた。



 @太后の一言


 紫霄宮の一室。


 韓蓮香は小さく震えながら、正座していた。


 目の前には、悠然と茶をすすっている太后・蘭明蕙。その隣では柳青荷が興味津々といった顔でメモを取っている。


(ああ、どうして私はこんな恐ろしい人の前に座っているの……)


 韓蓮香の膝はガクガクと音を立てそうだった。


「さて」


 太后は、杯を静かに置き、にっこりと微笑んだ。


「あなたが笛を仕上げたのね?」


 その声は優雅だったが、韓蓮香の耳には 地獄の審判 のように聞こえた。


「は、はい……」


 彼女は小さく頷き、ぎゅっと手を握りしめる。


「私は……私は、あの方を憎んでいました……!」


 言った瞬間、部屋の空気がピリリと張り詰めた。柳青荷の筆が止まり、方慧仙は興味深そうに首を傾げる。


「ほう?」


 太后は微笑みながら、さも面白い物語でも聞くように頷いた。


 韓蓮香は歯を食いしばりながら続ける。


「沈雪蘭様は……表向きは才女でしたが、裏では女官たちを見下し、冷たく扱っていました。私の妹も、彼女の理不尽な命令のせいで……命を落としたのです……」


 その言葉に、柳青荷の表情が険しくなる。


「そんなことが……」


 韓蓮香は涙をこぼしながら、声を震わせた。


「だから、復讐したかった……!」


 太后は静かに目を細めた。


「それで?」


 韓蓮香は唇を噛みながら、罪を白状した。


「私は、笛の吹き口に毒を仕込みました。彼女が長く使い続けるように、少しずつ毒が蓄積するように……」


 彼女の肩が震え、涙が次々と頬を伝う。


「でも……でも、こんなにも苦しいなんて……」


 その場で泣き崩れる韓蓮香を見て、柳青荷はなんとも言えない顔をした。


(いや、そりゃ罪の意識に押しつぶされるでしょ……)


 一方、太后は涼しい顔で茶を一口飲むと、静かに言った。


「さて、問題は……この告白を聞いた私が、あなたにどんな お仕置き をするか、ね?」


 韓蓮香の顔が一瞬で青ざめる。


「ひっ……!!」


 柳青荷は苦笑しながら、そっと太后に囁いた。


「太后様、怖がらせすぎです」


 太后はクスリと笑いながら、ゆったりとした仕草で立ち上がった。


「さて、この話……どう 面白く まとめましょうかしら?」


 そう言う太后の目は、まるで 新しい暇つぶしを見つけた猫 のように楽しげだった。

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