62 偽りの白粉 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
事件解決後 ~太后の退屈しのぎ~
紫霄宮の奥深く、繊細な刺繍が施された絹の帳が風に揺れる。庭の白梅がほのかに香る中、太后・蘭明蕙は金細工の茶碗を手にしながら、ふわりと微笑んだ。
「事件が解決したのはいいけれど……やっぱり暇ね」
彼女の膝の上では、雪のように白い猫・玉雪がご機嫌に丸まっている。そのふわふわの毛を撫でながら、太后は心底退屈そうに嘆いた。
柳青荷はすぐに反応した。両手を腰に当てて、呆れたように小首を傾げる。
「またですか? 太后様、ついさっきまで毒の謎に頭を悩ませていらしたでしょう?」
「それはそれ、これはこれよ。暇は暇なの」
ぴしゃりと言い放つ太后に、青荷は困ったように天を仰いだ。
「では、太后様の美しさの秘訣でも調べます?」
冗談めかした提案に、太后はくすりと笑う。
「ふふ、それも面白そうね。例えば、白粉に毒を混ぜてみると……」
「ちょっ、それは洒落になりません!」
青荷が慌てて手を振る。
その様子を見ていた蘭珀然が、静かに肩をすくめながら口を開いた。
「ですが、太后様が誰よりも美しいのは、知略があるからでしょう」
さらりと口にしたその言葉に、青荷が思わず吹き出しそうになる。太后はわざとらしく目を細めた。
「まあ、そんなに褒めても何も出ないわよ?」
「それは残念です」
蘭珀然は微笑みながら、ひょうひょうとした態度を崩さない。
そんな二人のやり取りを聞きながら、青荷は溜息をついた。どんなに事件を解決しても、結局太后様は退屈を抱えてしまうのだ。
——次は、どんな事件が起こるのやら。
太后は静かに茶をすすりながら、新たな謎が訪れるのを待っているようだった。
@ 妃の死と奇妙な現象
翡翠苑の一室、香の煙がゆらゆらと揺れる中、そこに横たわるのは美しき妃・鄭如芳。
——白い。
いや、もともと色白だったのだが、今の彼女は異様なまでに白い。青白いのではなく、まるで白粉を何重にも塗り重ねたような、不気味な白さだった。さらに、死後数日経っているというのに、肌はなめらかで腐敗の気配すらない。まるで上等な磁器の人形のようだった。
御薬房の長・方慧仙は彼女の手首に指を当て、脈がないことを確認した後、静かに呟いた。
「この状態、普通ではありませんね……」
周囲にいた妃たちが息を呑む。誰かが小さな声で「やっぱり……」と呟いた瞬間——
「呪いだわ!」
悲鳴のような声が響き、部屋の隅で震えていた妃がばっと袖で口元を覆った。すかさず別の妃が続く。
「そ、そうよ! だって如芳様は、先月占いで『白き死が訪れる』と言われていたもの!」
「ま、まさか本当に妖術が……」
妃たちは次々と顔を青ざめさせ、慌てふためく。誰かが「如芳様の恨みかもしれない」と言い出した途端、一斉に「ひぃぃっ!」と身をすくませた。
そんな騒ぎの中、後宮の主である太后・蘭明蕙は、のんびりと紅茶を楽しんでいた。
「後宮で妖術とは……面白いじゃない?」
どこか愉快そうに微笑む太后に、侍女・柳青荷が思わず頭を抱える。
「太后様……面白がっている場合ではありません!」
「だって、呪いなんてあるわけないでしょう? あるとしたら、ずいぶん手の込んだ“知略”かしらね」
太后は湯呑をそっと置くと、猫の玉雪を撫でながら静かに言った。
「さて、この“妖術”の正体……暴いてみるとしましょうか」
そして、その優雅な笑みとは裏腹に、後宮の誰もが震えるような事件解決劇が幕を開けたのだった——。
@ 証言と白粉の謎
柳青荷の聞き込み ~美しさの代償~
翡翠苑の中庭では、柳青荷が侍女たちを集め、事件の聞き込みをしていた。だが、彼女が「鄭妃様について何か気づいたことは?」と尋ねた途端——
「ええっと……」
「その……特には……」
誰もが妙に目をそらし、袖の端をいじり始める。まるで「余計なことを言うな」という空気が出来上がっているようだった。
——これは怪しい。
柳青荷がわざと穏やかに微笑みながら、さりげなく切り込む。
「まあ、みんな同じことを言うのなら、それでいいんだけど……太后様に『翡翠苑の侍女たちは何も知らないそうです』と報告するわね」
——ピクッ!
一瞬にして、侍女たちの顔色が変わる。
「そ、それはちょっと待ってください! えっと……そういえば……!」
「そういえば、鄭妃様ってお肌が白くて美しかったですよね!」
「ええ、それに最近、さらに白くなられたような……」
——来た!
柳青荷は内心で勝ち誇りながら、さりげなく問いを重ねる。
「最近って、どれくらい前から?」
「ここ数カ月です! なんだか以前よりも一層美しくなられて……」
「へぇ~、それは羨ましいわね。でも、何か特別なことでも?」
すると、鄭妃の侍女だった少女が、唇を噛みしめながら震える声で告白した。
「妃様は……毎日、特別な白粉を使われていました。それを使うと肌が白くなると、とても喜んでおられました……!」
その場の空気が一気に張り詰める。柳青荷は目を細め、すぐに鄭妃の部屋へと向かった。
——数分後。
柳青荷は棚の上に並ぶ白粉の壺をひとつずつ確認しながら、ある異変に気づく。
「……これだけ、やたらと減りが早いわね」
他の化粧品は普通の使用量なのに、この白粉だけが不自然なほど減っている。まるで何かに取り憑かれたように、使い続けていたかのようだった。
その頃、紫霄宮では太后が優雅に茶を飲んでいた。柳青荷からの報告を受けると、興味深そうに小さく笑う。
「ふふ、面白いわね」
白粉の壺を手に取り、蘭珀然に向かって微笑む。
「さて、この白粉、調べてみる価値がありそうね」
それを聞いた蘭珀然は静かにため息をついた。
「母上、また“暇つぶし”ですね?」
「ええ、そうよ。でもね——」
太后は微笑みながら、指先で白粉を軽くすくい上げると、
「こういう暇つぶしこそ、最高に楽しいのよ?」
そう言って、優雅に扇で口元を隠したのだった。
@白粉の秘密 ~毒の香りに誘われて~
紫霄宮の一角、御薬房では、方慧仙が白粉の壺を手に取り、慎重に中身を調べていた。柳青荷と蘭珀然が興味津々といった様子で見守る中、慧仙は溜め息まじりに結果を告げる。
「……鉛ね」
「鉛?」
柳青荷が首を傾げると、慧仙は苦い顔で続けた。
「鉛を含む白粉は、確かに肌を白く見せる効果があるわ。でもね、長期間使えば、中毒を起こし、やがて衰弱して死に至る……」
その瞬間、柳青荷は凍りついた。隣で蘭珀然も軽く目を伏せる。
——つまり、鄭如芳は美しさを求めた代償として、ゆっくりと毒に蝕まれていたのだ。
「まさか、本人は知らなかったの?」
柳青荷がそう呟くと、慧仙が肩をすくめる。
「さあ……少なくとも、こんなに大量の鉛を含む白粉は普通ではありえないわ。つまり、誰かが意図的に仕込んだ可能性が高い」
——毒入り白粉!?
柳青荷はすぐさま翡翠苑に戻り、侍女たちへの再聞き込みを開始した。
「鄭妃様の白粉、いつからこの新しいものを?」
すると、侍女のひとりが思い出したように答える。
「ええと……半年前からです。以前は別のものを使われていましたが、その頃から変えられました」
「半年前……?」
柳青荷が目を細める。
「その白粉は、誰が用意したの?」
侍女たちは顔を見合わせたあと、しぶしぶ口を開く。
「それは……妃様がいつもお世話になっていた女官、韓蓮香です」
——韓蓮香!?
柳青荷が驚いて尋ねると、さらに衝撃的な事実が飛び出した。
「でも、その韓蓮香様、事件の直前に突然翡翠苑を辞めて、蘭香院へ異動してしまったんです……」
「……異動?」
柳青荷は眉をひそめる。
——これは偶然? それとも……?
その頃、紫霄宮では、太后がのんびりと玉雪を撫でながら茶をすすっていた。
「ふふ、これは随分と“香り”の強い話になってきたわね」
蘭珀然が控えめにため息をつきながら言う。
「また暇つぶしの時間ですね?」
「ええ、でも今回はちょっと刺激的でしょ?」
そう言って、太后は楽しそうに微笑むのだった。