61 千里眼の猫 「後宮の名探偵・大后様の暇つぶし」
◆宴の席にて——太后の推理劇、開幕◆
紫霄宮の広間には、豪華な料理と雅な調度品が並ぶ。けれど、その場にいる者たちの顔は美食を楽しむどころではなかった。
皇后・沈玉蘭は不機嫌そうに扇を閉じ、貴妃・李映月は落ち着かない様子で盃を撫でている。そして宦官長・蘇青荷は、汗ばむ額を袖でぬぐいながら、隣の皇后をちらちらと伺っていた。
そんな中、太后・蘭明蕙だけが悠然と微笑み、膝の上で猫の玉雪を撫でていた。
「さあ、せっかくの宴ですもの。美味しいお酒と共に、少し面白い話をしましょうか?」
青荷が酒を注ぐ音が響く。けれど、その場にいる誰もが太后の言葉の先を待ち、杯を口に運ぶ者はいなかった。
「まず、この密書は元々——李貴妃が皇帝に届けようとしたものだったのよね?」
「……っ!」
李映月がハッと顔を上げる。太后は軽く扇を振りながら続けた。
「でも、それを蘇青荷、あなたが盗んだ」
「そ、そんな証拠は——!」
「まあまあ、最後まで聞いてちょうだい?」
太后はにっこりと微笑む。
「あなたは密書を皇后に届けようとしたけれど、隠している最中に——うっかり台所の近くに立ち寄ってしまったのよね」
「台所……?」
「そう、ちょうど鰹の煮付けを作っていた場所よ」
太后の膝の上で玉雪が小さく「にゃあ」と鳴いた。
「うちの猫はね、魚の匂いにとても敏感なの」
蘇青荷の顔が青ざめていく。
「つまり、あなたが密書を隠した場所は、偶然にも玉雪の好奇心を刺激する香りがついてしまった。そして、私が発見することになった——ねえ、蘇青荷。これは想定外だったでしょう?」
「……っ!」
沈玉蘭がじろりと蘇青荷を睨む。
「まさか、そんな間抜けなミスで……!」
「陛下に渡る前に、どうにか密書を奪い返す必要があった。でも、その直後——」
太后はゆっくりと杯を回し、視線を鋭くする。
「宦官が毒殺されたのよね。彼は密書の盗難に関与していた。つまり——口封じのためだったのではなくて?」
蘭珀然が証拠を示すように、影衛司の報告書を差し出す。
「さらに、影衛司の調査で、毒の手配をしたのが蘇青荷だという証拠も出ています」
「…………」
蘇青荷は唇を噛み締めたまま言葉を発せない。
「あなたの計画は完璧だったかもしれないけれど」
太后は扇を畳み、涼やかに微笑んだ。
「うちの猫は予定に入っていなかったみたいね」
「……っ!」
沈玉蘭の顔色が一瞬で変わった。
「ち、違うわ、これは——!」
「皇后様」
蘇青荷が必死に庇おうとするが、影衛司の者たちが静かに彼の後ろへと回り込む。
「残念ながら、ここまでね」
蘭珀然が告げると、蘇青荷はぐっと拳を握りしめた。
太后はゆっくりと席を立ち、密書を手に取る。
「さて、この密書。今度こそ無事に皇帝へ届けなければね」
「……っ」
沈玉蘭は悔しそうに俯いたが、もはや反論する術もなかった。
「……はぁ」
太后は大きく息をつき、肩をすくめる。
「これでまた、暇になっちゃうわ」
そう言いながら玉雪の頭を撫でると、猫は満足そうに喉を鳴らした。
——こうして、一匹の猫が巻き起こした騒動は、静かに幕を閉じたのだった。
◆密書の中身、明かされる◆
紫霄宮の静寂を破るように、皇帝が密書を開いた。
広げられた紙に記されたのは、「皇后派の暗躍についての報告」。
沈玉蘭の顔が、まるで煮え立つ茶のようにじわじわと紅潮していく。
「これは……!」
皇帝は険しい表情で密書を読み進める。沈玉蘭は慌てて扇を握りしめ、冷や汗を拭う。
「で、陛下。この密書の内容、どう思われます?」
太后・蘭明蕙は、膝の上で猫の玉雪を撫でながら、まるで他人事のように尋ねた。
皇帝はしばらく沈黙し、やがて重々しく口を開く。
「……皇后」
沈玉蘭は息を呑む。
「そなたの周囲で、このような動きがあったとは知らなかった」
「陛下、それは誤解でございます……!」
「誤解かどうかは、これから確かめることにする」
沈玉蘭は思わず扇を落としそうになったが、すぐに持ち直した。
これにより、皇后派の重臣たちが次々と疑惑の目を向けられ、沈玉蘭の権勢はゆっくりと削がれていくことになるだろう。
「はぁ……やれやれ」
太后はわざとらしく大きなため息をつく。
「後宮は静かなのが一番なのに、どうしてこうも騒がしいのかしら?」
「……それを言うなら、太后様が一番楽しんでいらっしゃるのでは?」
柳青荷が小声でぼそっと言うが、太后は聞こえなかったふりをした。
一方、李映月はそっと息をつき、密かに安堵する。
「なんとか無事に済んだ……」
だが、その瞬間、ふわりと冷たい視線が彼女の背を撫でた。
——太后の目が、自分を見ている。
「……っ」
李映月は背筋を伸ばし、まるで玉雪のように静かに息を潜めた。
◆後宮に終わりなき暇つぶし◆
「ふふ、後宮は本当に退屈しない場所ね」
太后は満足げに微笑みながら、玉雪の柔らかな毛を撫でる。
猫は喉を鳴らしながら、気まぐれに彼女の指を甘噛みした。
次なる暇つぶしは、果たしてどこからやってくるのか——。
月が静かに輝く後宮で、太后は次の「退屈しのぎ」




