56 死者の手紙 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
@ 霜華楼の怪しい証言者
黄昏時の霜華楼そうかろう。ここは問題を起こした宮女や側室が幽閉される場所であり、今日もまた薄暗く、湿気と絶望の香りが充満していた。
「本当にこんな場所に、事件の鍵を握る証人が?」
柳青荷りゅう せいかは眉をひそめながら、あたりを見回した。蘭明蕙らん めいけいは悠然と扇を開き、うっすら微笑む。
「こんな場所だからこそ、真実が眠っているのよ」
そこへ、ガタガタと震えながら引き出されてきたのは、やつれた女官。頬はこけ、目には怯えの色が浮かんでいる。
蘭珀然らん はくらんが冷静に尋ねた。
「さて、妃様の死について何か知っているのか?」
女官はカタカタと歯を鳴らしながら、小さな声で囁いた。
「妃様は……皇后様の命令で、ある薬を飲まされていたのです……精神を弱らせる薬を……それで……」
蘭明蕙は扇をパタリと閉じ、好奇心に満ちた目で身を乗り出す。
「それで?」
女官はゴクリと唾を飲み込む。
「そして、ある夜……池のほとりへと連れ出され……」
「まあまあ、なんと!」
柳青荷は目を見開き、蘭珀然はため息をついた。
「つまり、妃様は意図的に追い詰められていたわけか」
すると、蘭明蕙が突然、ニッコリと笑った。
「……ところで、あなた」
「は、はい?」
「そんな大事な秘密を抱えていたのに、どうして今まで無事だったの?」
女官の顔色が一気に真っ青になる。
「えっ……?」
柳青荷と蘭珀然も顔を見合わせた。
「ほら、本当に命に関わる秘密なら、普通なら口封じされるでしょう? でも、あなたはここで生き延びている。これって、不思議よねえ?」
女官の震えが増す。冷や汗が滝のように流れる。
「え、えっと、それは……」
「さては、あなた——」
蘭明蕙はニコニコしながらも、目は全く笑っていない。
「『ある程度のことを知っているけれど、核心部分は知らない』ってところかしら?」
「……」
女官はひきつった笑顔を浮かべた。
「そ、それは……」
「ふふっ、まあ、いいわ。半分でも真実なら、十分楽しめるもの」
そう言って蘭明蕙は再び扇を開き、満足げにパタパタと仰ぐ。
「さて、次は皇后様にお話を伺いに行かなくちゃね」
柳青荷と蘭珀然は同時にため息をついた。
こうして、太后の”暇つぶし”はさらに賑やかになっていくのだった。
@ 御前会議。白熱の攻防戦
広々とした殿内。冷え冷えとした空気の中、蘭明蕙らん めいけいは優雅に茶を啜っていた。その対面には、氷のように冷静な皇后・沈玉蘭しん ぎょくらんが座している。
「証拠があるのかしら?」
皇后の声音は穏やかだったが、その視線は冷たく鋭い。
蘭明蕙は扇で口元を隠しながら、にこやかに答えた。
「まあ、証拠ねえ……直接的なものはないわ。でも、貴女が徐瑶華を追い詰めたことは、誰の目にも明らかね」
沈玉蘭は眉一つ動かさず、「それがどうしたの?」とでも言いたげな表情。
一方、横で縮こまっているのは皇后の側近である貴妃・李映月り えいげつ。彼女は冷や汗を拭いながら、小声で囁いた。
「……手を引きましょう、皇后様」
「まだ何も証明されていないわ」
沈玉蘭が静かに言い返す。だが、すでに表情はわずかに険しい。
そこへ、柳青荷りゅう せいかが控えめに手を挙げる。
「ちなみに、妃様の薬について御薬房の記録も確認済みです。ええと……『精神を不安定にする作用のある薬』が処方されていたことが分かりました」
「ほう……?」
蘭明蕙は楽しげに目を細めると、扇を畳んで軽く卓に打ちつけた。
「これは偶然? それとも……計画的犯行かしら?」
「……」
沈玉蘭は微動だにしない。
そのとき、皇帝が咳払いをした。
「……この件、これ以上は追及しない。しかし、今後、皇后派に対する監視を強化する」
沈玉蘭の肩がほんの少しだけこわばる。
蘭明蕙は満足げに微笑み、扇を開いた。
「まあ、それで十分でしょう」
皇后の顔はまるで能面のように無表情だったが、李映月はというと、まるで水をかぶった猫のように震えていた。
こうして、太后の“暇つぶし”はまた一つ、見事に幕を閉じたのだった。
@ 紫霄宮の優雅な午後
陽光がやわらかに差し込む紫霄宮の庭園。そよ風が牡丹の花びらを揺らし、心地よい香りが漂っている。そんな中、蘭明蕙らん めいけいは優雅に紅茶を啜りながら、ため息をついた。
「……これでまた暇になっちゃうわ」
対面の柳青荷りゅう せいかは、もはや慣れた様子で淡々と茶菓子を口に運びながら答える。
「本当に太后様は事件がないと退屈なんですね……」
その言葉には、ほんのりとした呆れがにじんでいた。
「ええ、本当に」
蘭明蕙は深く頷くと、扇をパタリと開き、頬杖をつく。
「陰謀も毒殺も、ないと物足りないものね」
「普通は逆です!」
青荷がすかさずツッコミを入れるが、蘭明蕙は涼しい顔のまま。
そこへ、蘭珀然らん はくらんが盆を手に、お茶のおかわりを持ってきた。彼は苦笑しながら言う。
「ですが、皇后様が次に何か仕掛けてくるのは時間の問題でしょう」
「そうねえ」
蘭明蕙は紅茶のカップを持ち上げながら、愉しげに目を細める。
「……ますます面白くなりそうね」
その言葉に、柳青荷は思わず背筋を伸ばした。
「……太后様?」
蘭明蕙は優雅に微笑みながら、くるりとカップを傾ける。
「皇后が仕掛けるなら、それを上回る遊びを考えなきゃ」
青荷は頭を抱え、蘭珀然は肩をすくめた。
——静かに、しかし確実に、次の嵐が後宮に迫りつつあった。
……主に太后のせいで。




