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51 音のない鐘 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」

 ◇ 「密談の目撃」 ◇


 夜の翡翠苑。柔らかな灯りが揺れる中、静寂を破るように一人の宦官が足早に進んでいた。


「陳静安、貴妃様がお呼びです。」


 案内された部屋に入ると、そこには一人の美しい女性——文采薇が優雅に腰掛けていた。白魚のような指先で茶碗を持ち、ゆったりと茶を注いでいる。


「ふふ、お待ちしていたわ。」


 静安は軽く頭を下げ、慎重な態度を崩さない。


「貴妃様、私に何か——」


「まぁまぁ、お茶でもどうぞ。」


 采薇は微笑みながら、静安の前に茶を差し出した。その笑顔は柔らかいが、どこか底知れぬものを感じさせる。


「最近、あなたが皇后様から特別な命を受けて動いていると聞いたわ。」


「……それは。」


 静安の手が、わずかに固まる。


「あなたが何を探っていたのか、知っているのよ。」


 采薇は茶碗を持ち上げ、ゆっくりと揺らしながら言う。表面に映る灯火が、ゆらゆらと揺れた。


「貴妃様、私はただ——」


「言い訳はいいわ。」


 茶を一口含み、ため息交じりに微笑む采薇。


「でもね、知りすぎた者はどうなるか、ご存じでしょう?」


 ピシッ


 静安の背筋が凍りつく。


「……貴妃様、それは脅しでしょうか?」


「まぁ、そんな怖い顔しないで。私はただ、忠告しているだけよ。」


「……。」


 沈黙が落ちる。静安は采薇の瞳をじっと見つめた。


 やがて、彼は茶碗をそっと置き、ゆっくりと立ち上がる。


「……貴妃様、ご忠告、感謝いたします。」


「ふふ、それはよかった。」


 采薇は優雅に微笑み、茶碗をくるくると回す。


 その様子を最後に、静安は部屋を後にした——


 翌朝、鐘の音は鳴らなかった。


 鐘楼で発見されたのは、冷たくなった静安の遺体。


 采薇はその報せを聞くと、扇を広げ、ゆるりと笑った。


「まぁ、なんて悲しいことでしょう。」


 しかし、その扇の奥にある目は、どこか愉しげで——まるで全てを見通していたかのようだった。




 ◇ 「恐怖の囁き」 ◇


 ——事件の二日前。


 鐘楼の近くで、李春喜は黙々と掃除をしていた。朝露に濡れた石畳を拭きながら、彼女はふと辺りを見回す。


(最近、どうも嫌な感じがする……。)


 そんな不安を振り払うように、仕事に戻ろうとしたそのとき——


「春喜。」


 突然、低い声が背後から囁いた。


「ひゃあっ!」


 飛び上がる勢いで振り向くと、そこには陳静安が真剣な表情で立っていた。


「……もう! 静安様、驚かさないでください!」


「すまない。だが、大事な話がある。」


「え?」


 静安は周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、声を潜めた。


「俺たちは狙われているかも知れない。もし俺に何かあったら——」


「……は?」


 春喜はまばたきした。


「何の話ですか?」


「余計なことは考えるな。ただ、覚えておけ。絶対に誰にも言うな。」


「えっ、でも——」


「いいな?」


「……は、はい……?」


 真剣な眼差しに気圧され、春喜はしぶしぶ頷いた。


 だが、心の中では不安でいっぱいだった。


(いったい何が……? いや、私には関係ない、きっと……。)


 ——そして翌朝。


 鐘の音は鳴らなかった。


 鐘楼で発見されたのは、冷たくなった陳静安の遺体——


 春喜はその報せを聞いた瞬間、手に持っていた桶を落とした。


「えっ……?」


 足元で水が広がるのも気づかず、彼女は震える唇を押さえる。


(……もしかして、本当に私も……!?)


 怖い。知りたくない。


 だけど、彼が最後に遺した言葉が、頭から離れなかった——





 ◇ 容疑者たち ◇


 ——紫霄宮の一室。


 蘭明蕙は、ゆったりとした姿勢で腰掛けながら、茶を一口。湯気がふわりと舞い上がる。


「さて……誰が、どんな理由で鐘を沈黙させたのかしら?」


 優雅に微笑む太后。その横では、柳青荷が真剣な顔で記録を取っていた。


「太后様、今のところ容疑者は三名です。」


 柳青荷は手元の書状を整えながら、ひとりずつ説明していく。


「まずは許静雲きょ せいうん——宦官長です。」


「陳静安と以前から対立していました。」


「なるほど、対立する者を排除するのは基本ね。」


 蘭明蕙は軽く頷く。


「次に、文采薇ぶん さいび——貴妃です。」


「皇后の密命を受けていた陳静安を警戒していたという噂があります。」


「うふふ、女の戦はいつだって陰湿ね。」


 太后は楽しそうに扇で口元を隠した。


「そして最後に、李春喜り しゅんき——鐘楼で働く侍女です。」


「陳静安と親しかったのですが、最近は何かを恐れていた様子がありました。」


「ふむ、何を恐れていたのかしら……。」


 蘭明蕙は優雅に指先を組み、ゆっくりと目を閉じる。


「こうして見ると、それぞれに動機があるわね。」


「ええ、ですがまだ証拠が足りません。」


「証拠は現場が語るものよ。」


 太后は扇を閉じると、くるりと手首を返した。


「では、少し遊びに行きましょうか。」


「……太后様、“捜査”ですよね?」


 柳青荷が苦笑しながら確認すると、太后はすました顔で微笑んだ。


「もちろん。“暇つぶし”よ。」


 蘭珀然が小さくため息をつく。


「母上の暇つぶしは、いつも後宮の誰かを震え上がらせますね……。」


 ——そうして、太后の”優雅な捜査”が始まるのだった。




 ◇ 真相の暴露 ◇


 ——鐘楼の静寂を破るように、太后・蘭明蕙は優雅に扇を広げた。


「さて……もう分かったわ。」


 侍衛や侍女たちが固唾をのんで見守るなか、太后はゆっくりと鐘の縁を指でなぞる。そして、ほんの軽く叩いた。


 コン……


 通常なら澄んだ音が響くはずの鐘が、まるで布に包まれたようにくぐもった音を立てる。


「ふふ。鐘の音を消す方法、簡単なことよ。」


 柳青荷がそっと頷き、畳の上を指差した。


「ここに、布を仕込んでいた跡があります。」


 太后は微笑みながら、ゆっくりと視線を巡らせた。そして、狙いを定めるように視線をある人物に向ける。


「犯人は——許静雲ね。」


「なっ……!?」


 許静雲の顔が引きつる。周囲の宦官や侍女たちもざわめいた。


「陳静安は、皇后派の密命を受けていた。でも、それだけではなく——彼が”知りすぎた”情報があったのね。」


 蘭明蕙は軽く扇を閉じると、許静雲をじっと見つめた。


「だから、あなたは鐘の音を消した。そして、陳静安を絞殺したのよ。」


 許静雲の顔色がみるみる青ざめる。


「馬鹿な……証拠は……!」


「証拠? それなら、すぐそばにあるわ。」


 太后はニッコリと微笑むと、また扇で鐘をコンッと叩いた。


「“鐘”と引っ掻き傷が、あなたの犯行を証言しているのよ。」


 柳青荷が布を持ち上げると、そこにはわずかに残った血の染みが、そして許静雲に手首にわずかな引っ掻き傷も。


「……太后様、なんと恐ろしいお方だ。」


 許静雲は苦々しく笑った。しかし、蘭明蕙は涼しい顔で扇をゆっくりと閉じた。


「ふふ、暇つぶしにはちょうどいいわ。」


 その一言で、鐘楼の緊迫した空気が一気に崩れた。柳青荷がため息をつき、蘭珀然は小さく肩をすくめる。


「母上の暇つぶしのせいで、また一人捕まりましたね……。」


 ——こうして、鐘が沈黙した謎は解かれたのだった。






 ◇ 事件解決後◇


 紫霄宮の庭に、ようやく平穏が戻った。風が優しく吹き抜け、先ほどまでの騒ぎがまるで幻だったかのように静けさが広がっている。


 太后・蘭明蕙は優雅に茶を啜りながら、ふと耳を澄ませた。


「ゴーーン……ゴーーン……」


 鐘楼から聞こえる鐘の音が、朝の後宮に響き渡る。


「青荷、やっぱり鐘の音は心地いいわね。」


「は……?」


 柳青荷は手元の急須を危うく落としそうになった。


「太后様、事件が起きたばかりなのに、そんな感想をお持ちですか?」


「ええ、だって——」


 蘭明蕙は扇をひらひらと仰ぎながら、にっこり微笑む。


「鐘が鳴るってことは、事件が解決した証でしょう?」


「……まあ、そうですけど……」


 納得できないような表情の柳青荷に、蘭珀然が小さく肩をすくめる。


「母上、もう少し平穏に過ごすことはできませんか?」


「ふふ、それは無理な相談ね。」


 蘭明蕙はくすくすと笑い、再び茶を一口。


「それにしても、暇つぶしには少し刺激が足りなかったかしら。」


「……もう十分です!!!」


 柳青荷と蘭珀然の息の合った抗議に、太后は優雅に微笑むだけだった。


 風が吹き、再び鐘が鳴る。


 後宮には、まだまだ太后の「暇つぶし」が必要になりそうだった——。


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