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50 音のない鐘 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」

 音のない鐘 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」



 ◇ 退屈な朝のはずが… ◇



 紫霄宮の朝は、静かで穏やかだった。


 広々とした寝殿の奥、金糸の刺繍が施された緞帳どんちょうの向こうで、蘭明蕙は優雅に茶を啜っていた。しんとした空気に、湯気の立つ香り高い茶の香りが漂う。


「はぁ……暇ね。」


 ため息混じりの声に、侍女の柳青荷が手元の茶器を片付けながら苦笑する。


「太后様、昨日は事件があったばかりですよ?」


「だからこそ暇なのよ。」


 蘭明蕙は退屈そうに湯呑を回しながら、窓の外をぼんやりと眺める。


「もう少し楽しませてくれればいいのに……。」


 青荷は「事件が娯楽なんですか」と言いたそうに目を瞬かせたが、口には出さなかった。


 そこへ、朝の静寂を破るように、早足の足音が近づいてくる。


「母上、後宮で事件が起こりました。」


 蘭珀然が殿中へと入るや否や、明蕙はふっと微笑んだ。


「まあ、それは素敵な報せね。」


「……反応が普通と違います。」


 蘭珀然は半ば呆れたように、手にした報告書を軽く揺らした。


「今朝、鐘楼係りの宦官が殺害されました。鐘の音が響かなかったことで異変が発覚しました。」


「鐘の音が響かなかった?」


 明蕙は瞳を細め、ふっと唇に手を添える。


「ふふ、面白いわね。」


 そう言って、おもむろにまた茶を啜る。


「……やっぱり普通じゃありませんよね。」


 蘭珀然は額に手を当てつつ、柳青荷と目を合わせた。


「ねえ青荷、お前も思うだろう?」


「ええ……太后様が本当に退屈していらしたんだなと。」


 そんなやり取りを他所に、蘭明蕙は優雅に茶を飲み干し、にっこりと微笑むのだった。




 ◇ 事件現場:静まり返る鐘楼 ◇


 鐘楼に到着すると、そこは異様な静けさに包まれていた。


 朝の空気はひんやりとしているはずなのに、現場の空気はどこか湿り気を帯び、重苦しかった。侍衛たちが、倒れた宦官の遺体を囲みながら、緊張した面持ちで太后たちを出迎える。


陳静安ちん せいあんという宦官です。」


 柳青荷が屈み込み、遺体を確認する。


「首に絞められた跡があります。でも、争った形跡はないですね。」


「まあ、苦しまずに済んだのなら、ある意味幸運だったのかしら?」


 太后はさらりと言い放つが、青荷はぎょっとした顔で振り返る。


「太后様、それは……あまりにも……。」


「冗談よ、冗談。」


 にこりと微笑みながら、蘭明蕙は優雅に歩を進め、鐘楼の中央にそびえ立つ巨大な鐘に目を留める。その艶やかな瞳が細まり、口元が楽しげに歪む。


「ふふ……。」


「……母上、また何か思いついた顔をしていますね。」


 蘭珀然がすかさず指摘するが、明蕙は気にせず扇を取り出し、軽く鐘の内側を叩く。


「青荷、鐘を鳴らしてみなさい。」


「え? 私ですか?」


「他に誰がいるの?」


「……蘭様とか。」


 青荷は渋々槌を持ち、力を込めて鐘を打とうとする。しかし——


「……あれ?」


 おかしい。音が響かない。いや、まったく鳴らないわけではないが、妙にこもった音がする。


「太后様! 鐘の音が響きません!」


「でしょうね。」


 明蕙は余裕たっぷりに微笑みながら、鐘の内側を指でなぞる。そして、その指先を青荷の目の前に見せた。


「見なさい、細かい繊維がついているでしょう?」


「……布?」


「そう。鐘の内側に布が仕込まれているわ。」


「布……? つまり、鐘の音を消すために?」


 青荷が驚きの声を上げると、蘭珀然がすかさず呆れたようにため息をついた。


「なるほど、母上が妙に機嫌がいいのは、この仕掛けが面白かったからですね。」


「ええ。そして、犯行時刻を錯乱させるためよ。」


 蘭明蕙は楽しそうに頷くと、また扇で鐘を軽く叩いた。ぼふん、と間抜けな音が響く。


「ふふ、鐘の音とは思えないわね。」


「それはもう鐘じゃなくて、ただの大きな壺では……?」


 青荷が苦笑すると、蘭珀然はますますため息を深くした。


「……母上、楽しそうなのは結構ですが、これは立派な殺人事件です。」


「ええ、もちろん。だからこそ面白いのよ。」


 太后はくすくすと笑いながら、鐘の中に手を伸ばした。


「さて……犯人はどんな手を使ったのかしら?」


 その優雅な仕草とは裏腹に、青荷と珀然は同時に「これ、また後宮が大騒ぎになるやつだ……」と直感したのだった。




 ◇ 「消された報告」 ◇


 後宮の奥深く、宦官たちの管理を司る執務室。その一角で、許静雲は書類の山に埋もれながら、ひどく機嫌の悪い顔をしていた。


「ったく、またどうでもいい報告書か……!」


 彼の前には、一枚の書類を差し出す陳静安。眉目秀麗でいつも冷静沈着な彼は、淡々とした口調で言った。


「……これは?」


「皇后様より、宦官の配置についての見直しの指示です。」


 その瞬間、許静雲の目がピクッと動いた。


「……ふん。最近、皇后様はお前に随分と目をかけているようだな。」


「私は皇后様のご命令に従っているだけです。」


 静かな口調で言う陳静安に対し、許静雲は眉をひそめた。


「そのつもりかもしれんが、目障りなことこの上ない。」


 嫌味たっぷりに言いながら、彼は書類を受け取ると——


 バリバリバリバリ!!!


「おおっ!? そんなに!? 破るの!?」


 思わず周囲の宦官たちが振り返るほどの勢いで、書類は細かく引き裂かれた。静安は微動だにせず、その様子を見つめている。


「許宦官長、その報告書は……?」


「なんのことだ? そんなものは最初からなかった。」


「いえ、ついさっきまで手元にありましたが。」


「知らん!」


「ですが——」


「知らんものは知らん!!」


 許静雲は腕を組み、ぷいっと顔をそらした。


 陳静安は目を細め、ため息をつく。


「……皇后様にお伝えしておきます。」


「勝手にしろ!」


 バンッ! と乱暴に机を叩き、許静雲はそっぽを向いた。周囲の宦官たちは「また始まった……」という表情で、そーっと距離を取る。


 そして、事件当日。


 陳静安は鐘楼で殺害され、鐘の音は鳴らなかった。


 許静雲は両手を腰に当て、大げさに肩をすくめながら、ため息をついた。


「……だから言っただろう。アイツ、目障りなことこの上ないって。」




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