47 「凍る毒薬」 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
4. 捜査開始:氷の謎
御薬房の奥、ひんやりとした石造りの調合室。無数の薬瓶が棚に並び、乾燥させた薬草の香りが漂っている。その中央、机の上に問題の茶碗が置かれていた。茶はすでに冷め、茶渋がうっすらと縁に残っている。
太后は扇を軽く振りながら、ちらりと蘭珀然を見た。
「さて、あなたの優雅な茶会も、どうやら毒入りだったみたいね?」
「母上、それを言うなら、私の茶ではなく彼の茶ですよ」
蘭珀然は肩をすくめ、問題の茶碗を見下ろした。
御薬房の長・方慧仙が慎重な手つきで茶碗の中を覗き込み、小さく息を呑む。
「太后様、これは……氷の中に仕込まれていた毒です」
「氷?」柳青荷が首を傾げた。「でも、お茶が出された時には、もう溶けてしまっていたのでは?」
「だからこそ、巧妙なのよ」太后は微笑しながら茶碗を指で弾いた。「氷が溶けるまで毒は無害。そのため、誰が仕込んだかを特定しづらいわけね」
柳青荷は目を丸くする。「そんな方法があるんですか?」
「ええ、特にこの時期は氷の使用が珍しくないから、誰も疑わないわ」太后はそっと目を細めた。「犯人は、計画的で冷静な人物ね」
蘭珀然が苦笑しながら扇を閉じる。
「また母上の ‘暇つぶし’ の時間が始まるのですね」
太后は優雅に笑い、扇を軽く揺らした。
「ええ、でもこれはなかなか面白い謎よ」
5. 容疑者たち
御薬房の調査が進むにつれ、太后たちは事件当時、茶室に出入りしていた人物の名を洗い出した。紫霄宮の一角に設けられた小さな書室。太后は優雅に席に座り、蘭珀然と柳青荷が控える中、容疑者たちが順番に呼ばれた。
最初に現れたのは御薬房の長・方慧仙。薬草の香りが染みついた衣を整えながら、彼女は深々と頭を下げた。
「私の管理下で毒が使われたこと、誠に申し訳ございません…!」
「確かに、これは大問題ね」太后は扇を閉じ、ちらりと蘭珀然を見やる。
「珀然、あなたならどうする?」
「そうですね…まずは管理責任を問うべきですが、彼女に動機はあるのでしょうか?」
蘭珀然が静かに方慧仙を見つめると、彼女は慌てて首を横に振った。
「ま、まさか!私はただ、御薬房を任されているだけで、馬貴安様に恨みなど…!」
「うん、だいたいそう言うわよね」太后はにっこり微笑み、次の人物を呼ぶよう柳青荷に指示した。
次に現れたのは宦官長・曹懐仁。年の功を感じさせる姿勢と冷静な表情の彼は、淡々と口を開いた。
「私は常に後宮の秩序を守ることを最優先しております」
「つまり?」太后が促すと、曹懐仁は穏やかに頷いた。
「必要とあらば、秩序を乱す者を排除することも辞さない、ということです」
「おやおや、随分と物騒な言い方ね」蘭珀然が皮肉げに笑った。
「ですが、後宮に不穏分子がいるとすれば、宦官長として手を打つのは当然のこと。とはいえ、私がこのような回りくどい方法を取るでしょうか?」
「それもそうね」太后は扇で口元を隠しながら、ちらりと柳青荷を見る。「こういう人物は、もっと直接的な方法を好むものよ」
最後に呼ばれたのは、妖艶な美貌を持つ貴妃・文采薇。ゆったりとした歩みで部屋に入り、流れるような動作で一礼した。
「ごきげんよう、太后様。まさか私まで疑われるとは…心外ですわ」
「あなた、毒の知識が豊富だと聞いているわ」
「ええ、それは貴妃として身を守るための心得に過ぎません。」文采薇は涼しい顔で微笑む。「それに、私は馬貴安などという宦官と何の関わりもございませんわ」
「本当に?」太后がゆっくりと扇を開くと、蘭珀然が小さく笑った。
「母上、貴妃様は過去にも毒に関わる事件で噂がありましたよね?」
「それは噂にすぎませんわ」文采薇は優雅に肩をすくめた。「それよりも、私は甘いお菓子の方が好きなのです。毒など、そんな苦いものには興味がございませんわ」
「ふふ…」太后は楽しげに微笑みながら、扇を閉じた。
「さて、誰が犯人なのかしらね?」
6. 真相の暴露
紫霄宮の静寂な一室。太后・蘭明蕙は優雅に席へと腰を下ろし、手元の茶碗を指先でくるりと回した。蘭珀然と柳青荷が見守る中、集めた証言と証拠をもとに、ついに彼女は犯人を導き出す。
「さて、皆さん」太后は扇を軽く広げながら、集まった者たちを見回した。「この事件、実に興味深いものだったわ」
文采薇が小さくため息をつきながら扇を開く。「太后様、それはつまり…真相が解明されたということですの?」
「ええ、もちろんよ」太后は頷き、涼やかな目元を細める。「犯人は…馬貴安自身よ」
一瞬、室内の空気が固まった。蘭珀然がゆっくりと首を傾げる。
「つまり…自殺だったのですか?」
「ええ」太后は茶碗を軽く傾け、一口すする。「彼は曹懐仁に命を狙われていたのよ」
曹懐仁は顔色一つ変えず、静かに応じた。
「太后様、それは穏やかではありませんな」
「ええ、でも事実よ」太后は微笑みながら扇を閉じる。「茶室の管理を担当する女官たちの証言によれば、馬貴安は事件の数日前から妙に落ち着きがなかったそうよ。それに、あの日彼が飲んだ茶を用意したのは…他でもない彼自身」
柳青荷が思わず声を上げる。
「でも、氷に仕込まれた毒が発動するタイミングは不確定では……?」
「そこが面白いところね」太后は茶碗を置き、にっこりと微笑んだ。「彼は自ら毒を仕込み、氷が溶ける頃には誰かが犯人として疑われるよう細工したのよ」
「……復讐というわけですか」蘭珀然が静かに目を伏せた。「死後、自分の死が混乱を引き起こすよう仕向けた」
「ええ、復讐の形としては実に皮肉ね」太后はため息混じりに茶をすする。「まるで、死後も後宮の誰かを試しているようだわ」
文采薇が扇の向こうで微笑む。「まあ、後宮とは実に厄介な場所ですこと」
「だからこそ、退屈しないのよ」太后はおおらかに笑い、そっと蘭珀然を見た。「さて、そろそろ本当に甘いお菓子が恋しくなったわね」
7. 事件解決後
紫霄宮の庭園では、すっかり冷めた茶と、少しばかりしなびた菓子が並んでいた。事件の騒動のせいで、せっかくの優雅な午後のひとときが台無しになってしまったのだ。
太后・蘭明蕙は、ひょいと菓子をつまみ上げ、じっとそれを見つめる。
「…しっとり感がなくなっちゃったわね」
蘭珀然は横で静かにため息をついた。
「母上は、こんな事件が続いても楽しそうですね」
「ええ、もちろんよ」太后は微笑み、冷めた茶をひと口含む。「だって、これでまた暇になっちゃうもの」
柳青荷がすかさず反応する。「太后様、またすぐに何か起こるのでは?」
「まあ、それもそうね」太后は飄々とした表情で、扇を軽く振る。「でも、少しはゆっくりさせてほしいものだわ」
その言葉とは裏腹に、彼女の目はどこか楽しげに輝いていた。
蘭珀然は肩をすくめ、静かに茶をすする。太后が退屈しない限り、後宮の平穏は永遠に訪れないのかもしれない。