44 逆さまの血文字 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
第三幕:血のトリック
「えええ!? じゃあ、誰が書いたんですか!?」
青荷が目を丸くして叫ぶと、太后は「まったく……」と言いたげに微笑みながら、扇で壁をポンポンと叩いた。
「考えてみてちょうだい。殺害方法は絞殺。そして、血文字はあたかも被害者が残したように見える……」
扇をゆったりと開きながら、太后は言葉を続ける。
「つまり、後から誰かが細工をしたのよ」
「でも、どうやって?」
青荷が首を傾げると、方慧仙(御薬房の長)が静かに口を開いた。
「被害者の手に血をつけて、犯人が操るようにして書かせたのでは?」
「ひえぇぇぇっ!?」
青荷が思わず肩を抱いて震える。
「死んだ人の手を使って……そんなこと、考えつくなんて……やっぱり後宮って怖いところですね……!!」
「怖いのは事件じゃなくて、人の心よ」
太后は涼やかな笑みを浮かべながら、扇を閉じてトンと手のひらに当てる。
「ふふ……犯人は、あえて血文字を逆さまに書くことで、“死者の怨霊が残した言葉”に見せかけたかったのでしょうね」
「そ、そんな演出いらないです!!」
青荷は必死に首を振るが、蘭珀然はそんな彼女の様子を見てクスリと笑った。
「でも、確かに効果的ですね」
「やめてくださいよ珀然様まで! そんなに冷静に言われると、本当に幽霊が出そうな気がしてくるじゃないですか!」
「それは困るわね」
太后はどこまでも楽しそうに微笑んでいた。
「幽霊よりも、ずっと興味深い“生きている犯人”を探さなければいけないのだから」
——この後宮に、血のトリックを仕掛けた真犯人がいる。
幽霊より恐ろしい、狡猾な策略を持つ“生者”が。
第四幕:犯人の正体
「でも、犯人はどうやって血を?」
青荷が首をかしげると、方慧仙が冷静に答えた。
「おそらく、被害者が殺された後に、小刀か何かで手を傷つけたのでしょう」
「ひぇぇぇっ……!!」
青荷は思わず肩をすくめて震える。
「もう、本当にやめてください! 後宮の事件って、なんでこうも怖いんですか……!」
「怖いのは事件じゃなくて、人の心よ」
太后は優雅に扇を開きながら、ふっと視線を翡翠苑の人々に向けた。
「犯人は、被害者を殺す動機があり、さらに“血文字”という演出をする余裕があった人物……」
しんと静まり返る中、太后の視線がひとりの妃にぴたりと止まる。
「……麗妃、あなたね?」
「!? なぜ、私が?」
麗妃が目を見開き、周囲の妃たちも驚きの声を上げる。
「簡単よ」
太后は扇を閉じて、トン、と手のひらに当てながら微笑んだ。
「あなたの部屋の机に、小さな血痕がついていたのを見逃さなかったわ」
「そ、それは……!」
「おそらく、犯行後に手についた血を拭ったのね」
麗妃は青ざめる。
「な、何の証拠もなく私を犯人扱いするのですか!?」
「証拠ならあるわ。青荷、例のものを」
「はいっ!」
青荷は自信満々にずしりとした布を持ち上げた……が、重さに負けてバサッと床に落とす。
「わっ!? い、今のはわざとですからね!? 迫力を出そうと……っ!」
「青荷、余計なことはしなくていいわ」
太后は淡々としながら、落ちた布を指さす。
「これが、麗妃の部屋から見つかった布。そこには血の跡がついているわ」
「そ、そんなもの……!」
麗妃の顔が見る見るうちに青ざめていく。
「犯人は、事件の直後に血を拭う必要があった。だから、この布には被害者の血がついているはずよ」
「……どうして……?」
麗妃の声がかすれる。
「理由も簡単よ」
太后はどこまでも冷静に微笑みながら扇をひらひらと揺らした。
「杏蘭は、あなたが皇帝の寵愛を得るために仕掛けた策略を知ってしまったのね。だから、口封じをした」
麗妃の顔色が完全に変わる。
「……すべて、お見通しだったのですね……」
がくりと膝をつく麗妃。
「やっぱり太后様ってすごいですね……」
青荷が感嘆の声を漏らすと、蘭珀然がくすっと笑う。
「太后様の目は、ごまかせませんよ」
「当然よ」
太后は涼しい顔で、またお茶をひと口飲んだ。
「さて、麗妃。この後どうなるか……覚悟はできているかしら?」
麗妃は震えながら、ゆっくりとうつむいた——。
第五幕:暇つぶしの終わり?
紫霄宮の庭園には、ほんのりとした茶の香りが漂っていた。
事件が解決し、太后は優雅に茶杯を傾ける。
「やれやれ……ようやく平和が戻ったわね」
青荷はほっと息をつき、ぐったりと座布団に沈み込む。
「本当に……毎回事件ばっかりで、寿命が縮みますよ……。これでしばらくは、穏やかに過ごせますね!」
その瞬間——
ドン!!!
「きゃあああああ!!!」
宮殿のどこかから、悲鳴と何かが倒れるような大きな音が響いた。
青荷はピクリと動きを止め、太后を見る。
太后はゆったりと扇を開き、にっこり微笑んだ。
「ほらね?」
「ま、また事件ですかぁぁぁ!?」
青荷は両手で頭を抱えて、がっくりと崩れ落ちる。
「ちょっとくらい平和を満喫させてくれてもいいじゃないですかぁぁぁ!!!」
一方、蘭珀然はお茶をすすりながら、肩をすくめて笑っていた。
「後宮にいる限り、それは無理でしょうね」
「うぅ……私、来世はのんびりとした田舎娘になります……」
「残念ね、青荷」
太后は優雅に立ち上がり、すっかり慣れた様子で歩き出す。
「あなたはどうせ来世でも、好奇心旺盛な子になるわ」
「そんな確定事項みたいに言わないでくださいー!」
青荷の叫びが後宮に響く中、太后の暇つぶしは、まだまだ終わらないのであった——。
(終わり? いいえ、次の暇つぶしへ!)