39 影の中の暗殺者 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
第三幕:奇妙な凶器
翡翠苑の寝殿。先ほどまでの張り詰めた空気は少し和らぎ、しかし依然として事件の謎は残されたままだった。
そこへ、御薬房の長・方慧仙が静かに歩み寄る。彼女は淡い藤色の衣を揺らしながら、手に持った小さな木箱を掲げた。
「太后様、遺体の傷ですが、普通の短剣ではなく、特殊な仕掛けが使われているようです。」
「ほう?」
太后・蘭明蕙は興味深げに扇をゆるりと仰ぎながら慧仙を見つめる。その目が輝いたのを見て、柳青荷は(また面白がってる……)と心の中で嘆息した。
「折りたたみ式の短剣が、ある条件で作動する仕組みになっていました。」
「折りたたみ式?」
慧仙は静かに頷き、箱を開く。中には小さな短剣の模型が入っていた。慎重に取り出し、机の上に置くと——カチリ、と小さな音が鳴り、刃がバネ仕掛けで勢いよく飛び出した。
青荷は「ひっ」と肩をすくめる。
「陳義信様の寝衣には、その刃を固定するための細工が施されていました。」慧仙が淡々と説明を続ける。
「つまり?」
「寝返りを打った際に、刃が飛び出し、自らの体を突き刺したということです。」
「……えっ?」
青荷は目を丸くした。「えっ? えっ? 自分で自分を刺したってことですか!?」
「そういうことね。」
太后は涼やかに微笑んだ。まるで「これは興味深い遊びね」とでも言わんばかりの顔だ。
「誰も入ってこなかったのなら、彼は自分で自分を殺すしかないもの。」
「そんな馬鹿な!」青荷が思わず叫ぶ。「誰がそんな面倒な自殺を!? いや、そもそもこれは自殺なんですか? それとも他殺!?」
「それをこれから探るのよ。」
太后は優雅にお茶を一口すする。扇の先で机を軽く叩きながら、まるで楽しい謎解きでもするように言った。
「ねえ、青荷。」
「……はい?」
「こういうのって、面白いと思わない?」
「思いません!!!!」
青荷の全力のツッコミが寝殿に響く中、太后は扇で口元を隠しながら、ますます楽しそうに微笑むのだった——。
第四幕:事件の真相
紫霄宮の広間。静かに揺れる燭台の光が、太后・蘭明蕙の白くしなやかな指先を照らしていた。
「皇后と密かに手を組んでいた……?」
蘭珀然が目を細め、卓上に置かれた書状を見つめる。その筆跡は間違いなく、沈玉蘭皇后のものだった。
「でも、それならなぜ殺される必要が?」
青荷が首を傾げる。その顔には「また厄介な話に巻き込まれた!」という気持ちがありありと表れていた。
太后は優雅に微笑みながら、書状を広げる。
「簡単なことよ。」
扇の先で紙を軽く叩き、ふわりと香が舞う。
「彼は用済みになったのね。」
「用済み?」
「彼は皇后の密命を受けて動いていたけれど、何かを知りすぎたのではないかしら? だから、始末されたのよ。」
青荷は眉をひそめ、顎に手を当てて考え込む。
「でも、どうやって?」
「それが面白いところね。」
太后は、近くにあった折りたたみ式の短剣を手に取る。そっと刃に触れながら、にこりと笑う。
「この仕掛けを作れるのは、限られた職人だけ。そして、その職人は最近、皇后の命で後宮に呼ばれていたそうよ。」
「……つまり、これは巧妙な自殺に見せかけた暗殺だった?」
蘭珀然が低く呟く。その瞳には、冷たい光が宿っていた。
「そういうことね。」
太后はゆったりと扇を閉じ、卓上を軽く叩いた。
「残念ね、せっかくの密室殺人だったのに。」
「え、そこですか!?」
青荷は思わず叫び、思わず卓に身を乗り出した。
「もうちょっと感想の方向性、間違えてません!? 『恐ろしい陰謀ね』とか、『なんて非情なの』とか、そういうのじゃなくて!?」
「だって、せっかく密室だったのに、ただの暗殺だなんてつまらないじゃない?」
「つまらなくないです!!」
青荷の全力のツッコミが響く中、太后はお茶を一口すする。
「……まぁ、犯人が皇后だと確定したわけではないわ。」
「えっ?」
「この職人、他の誰かにも雇われていた可能性は?」
「……あっ。」
青荷が言葉を詰まらせる。その一方で、蘭珀然は黙って頷き、静かに言った。
「つまり、まだこの事件には続きがある、ということですね。」
太后は楽しげに微笑みながら、扇で口元を隠した。
「ええ、退屈しないわね。」
青荷は心の中で叫んだ。(この人、やっぱり事件を楽しんでる!!)
第五幕:暇つぶしの終わり
静寂が広がる紫霄宮。春の陽光がふんわりと庭の花々を照らし、柳の葉がそよ風に揺れていた。
「……結局、不慮の事故として処理されたんですね。」
青荷は湯気の立つ茶碗を手にしながら、ため息混じりに呟いた。
「そうね。」
太后・蘭明蕙は気怠げに扇を揺らしながら、悠然と茶をすする。
「でも、本当は皇后様の仕業なんでしょう?」
「ええ、たぶんね。」
太后はにっこり微笑みながら、まるで他人事のように答えた。
「……たぶん、って。」
青荷は思わず額を押さえる。どうしてこんなに淡々としていられるのか。
「じゃあ、皇后様を糾弾しないんですか?」
「それは野暮というものよ。」
太后はゆったりと立ち上がり、庭の藤棚へと向かう。その仕草にはどこか優雅な退屈さがにじんでいた。
「事件は解決した。犯人も大方わかっている。でも、証拠がない以上、騒いでも意味はないわ。」
「……まぁ、そうですけど。」
青荷が渋い顔をしていると、太后はくるりと振り向き、にこりと笑った。
「それよりも……」
「それよりも?」
「また暇になっちゃったわ。」
ぱたん、と扇が閉じられる。
「はぁぁぁぁ……。」
青荷は思わず天を仰ぎ、心の中で叫んだ。(やっぱりこの人、事件を楽しんでる!!)
こうして、太后の「暇つぶし」は一つの幕を閉じた。しかし、後宮に陰謀が尽きることはない。
次なる事件の足音が、もうすぐそこまで迫っていた——。




