38 影の中の暗殺者 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
影の中の暗殺者
第一幕:太后の暇つぶし
紫霄宮の庭園では、穏やかな風が柳の葉をそよがせ、池の面には日の光がきらきらと踊っている。白い蓮の花がゆらりと揺れ、鯉が時折水面を割って顔をのぞかせる。そんな平和な昼下がり、蘭明蕙は雅やかに腰を下ろし、湯気の立つ茶碗を指先でゆっくりと回した。
「はぁ……退屈ね。」
扇を開いて口元を隠しながら、わざとらしく長い溜息をつく。その様子はまるで、世界で最も贅沢な悩みを抱える人間のようだった。
側仕えの柳青荷は、内心で「また始まった」と思いつつ、表情を変えずに茶碗に新たな茶を注ぐ。
「またですか、太后様。」
「ええ、またよ。」太后は軽く頷く。「昨日の貴妃の毒殺未遂は、拍子抜けだったわね。ほんの一杯の酒に毒を仕込むなんて、あまりに単純すぎる。」
青荷は「普通、それで充分大事件ですけど!」と心の中で叫んだが、もちろん口には出さない。
「もっとこう……手ごたえのある事件が起こらないかしら。」
そんなことを言っていると、庭の奥から足音が近づいてきた。滑るような優雅な歩き方の宦官、蘭珀然だ。しかし、いつもの皮肉げな微笑は影を潜め、涼やかな瞳には珍しく緊張が浮かんでいる。
「太后様、後宮で殺人事件が起こりました。」
「まぁ!」
蘭明蕙の顔がぱっと輝く。さっきまで退屈そうに扇をひらひらさせていたのが嘘のように、明らかに目が輝いている。
「やっと退屈が紛れそうね!」
「……不謹慎です!!!」
青荷が思わず声を上げるが、当の太后はまったく気にしていない。青荷は目を閉じて深く息を吐いた。(またこれだ……)
蘭珀然は太后の反応を見ても、特に驚いた様子もなく、ただ淡々と続ける。
「被害者は皇帝の側近、陳義信。寝所で発見されました。」
「殺しの手口は?」
「まだ詳細は不明ですが、密室で発見され、外部からの侵入の形跡はないようです。」
「ふぅん……」
太后は扇を閉じ、指先で軽くトントンと叩く。瞳が怪しく輝き、すでに事件を楽しもうとする気配が漂っていた。
「密室殺人ね。いいわ、なかなか興味深いじゃない。」
「なぜ嬉しそうなんですか!」
青荷は再び叫ぶが、やはり聞き流される。
「じゃあ、さっそく現場を見に行きましょう。」太后はすっくと立ち上がると、優雅に裾を払った。
「えっ、今からですか?お茶は?」
「そんなもの、事件の解決の後に飲めばいいわ。」
「さっきまで暇だって言ってたのに!!!」
青荷の嘆きは、風に乗ってどこかへ消えていった——。
第二幕:密室殺人の謎
翡翠苑の一角にある寝殿は、静寂に包まれていた。金色の装飾が施された扉の前には緊張した面持ちの侍従たちが集まり、小声でひそひそと話し合っている。室内には幽かに香の匂いが漂い、昨夜の名残のように燭台の蝋が垂れたままになっていた。
そして、寝台の上——皇帝の側近・陳義信の遺体が横たわっていた。
「密室殺人ですね。」
腕を組みながら、柳青荷が真剣な顔でうなずく。しかし、隣の太后・蘭明蕙は扇を優雅に開き、どこか楽しげな表情を浮かべている。
「密室殺人……すてきね。」
「いや、素敵じゃないですよ!」青荷が即座にツッコミを入れた。
太后は軽く肩をすくめ、遺体を眺める。その後ろでは、蘭珀然が冷静な口調で報告を始めた。
「発見者は侍従です。朝になっても起きてこないため様子を見に行きましたが、扉が内側から閉まっていたので不審に思い、強引に開けたところ——この状態でした。」
遺体の胸元には鋭い刺し傷があり、出血も多い。しかし、不思議なことに凶器はどこにも見当たらなかった。部屋の扉も窓も、しっかりと内側から閉じられている。
「つまり、部屋には誰も入れなかったのに、彼は殺されたってこと?」
青荷が怪訝な顔をすると、蘭珀然はわずかに眉をひそめた。
「影衛司の報告によれば、昨夜、この部屋には誰も出入りしていません。」
「ふぅん……」太后はしばらく考えた後、おもむろに扇を閉じた。「つまり、犯人がいないのに殺人が起きたのね?」
「そんなバカな!」
青荷が思わず声を上げた。が、当の太后はどこ吹く風で、優雅にお茶をすすっている。
「でも、ありえないわね。」
「ええ、ありえませんよ!」青荷が再びツッコむ。
蘭珀然は静かに遺体を見下ろしながら、ふと腕のあたりに目を留めた。
「これは……?」
遺体の腕には、うっすらと奇妙な痕が残っていた。まるで何かで強く押しつけられたような跡だ。
「太后様、これを。」蘭珀然が指し示すと、太后は扇の先で軽く痕をなぞり、にこりと笑った。
「面白くなってきたわね。」
「また嬉しそうにしないでください!!!」
青荷の抗議は、やはり優雅な微笑みとともに流されるのだった——。




