36 「夜の宴での毒殺」
「夜の宴での毒殺」
第一幕:華やかな宴と突然の毒殺
天瑞国の後宮、夜風が涼やかに吹き抜ける中、太后・蘭明蕙主催の宴が華々しく開かれていた。
煌びやかな宮灯が揺れ、琴の音が穏やかに流れる。貴妃たちは絹の袖を翻し、まるで「私は皇帝に寵愛されていますわ」と言わんばかりの笑みを浮かべながら、優雅に盃を傾けている。
そんな中、ひときわ美しい装いの貴妃・文采薇が、艶然と微笑みながら盃を持ち上げた。
「太后様に敬意を表して、今宵のこの美酒をいただきますわ」
しなやかな指が盃の縁をなぞり、赤い唇が酒に触れた——その瞬間。
「……っ!?」
文采薇の顔が一瞬にして青ざめ、目を見開くと、喉を押さえながら苦しげにうめいた。
「け、けほっ、けほっ!な、なにこれ……」
次の瞬間——バタン!
貴妃、優雅さも何もかも捨て去ってそのまま椅子から転げ落ちる。
「貴妃様!?」「文貴妃が倒れたぞ!」
宮女たちが悲鳴を上げ、宦官たちは右往左往。誰もが大混乱に陥る中、宦官長・曹懐仁が渋い顔で叫んだ。
「毒だ!!!」
その一言で、宴は一気に修羅場と化した。酒器を持っていた者たちは、一斉に盃をテーブルに置き、飲みかけの酒をそっと遠ざける。
「えっ、さっきの酒……私も飲んだけど?」
「お前、さっき干してたじゃないか!」
「違う違う、貴妃様と同じ酒かどうか分からないでしょ!」
あちこちでささやきが飛び交う。
そんな喧騒の中、ただ一人、太后・蘭明蕙は優雅に扇を動かしながら、微笑を浮かべていた。
「……あらあら」
すっと盃を持ち上げると、香りを確かめるように軽く揺らす。
「毒見役の宮女は無事なのに、貴妃だけが倒れる……?」
「太后様! い、今はそんなことを考えている場合では……!」
柳青荷が慌てて耳打ちするが、太后はまるで人ごとのように盃を指でなぞる。
「ふふ、なるほどね……」
「太后様、まさか楽しんでいらっしゃるのですか!?」
青荷のツッコミをものともせず、太后はしみじみと呟いた。
「これは……面白いわね」
——事件の幕が、上がったのであった。
第二幕:太后の調査と毒の謎
——翌朝、紫霄宮。
昨夜の宴の余韻……など微塵も残っていない。なぜなら、朝から大事件の調査が始まっていたからである。
「ええと……昨夜の盃、全部集めましたけど?」
宦官・蘭珀然が、片眉をわずかに上げながら、ずらりと並べられた盃を指し示す。
数十個もの盃が、まるで証拠品のように整然と並んでいる。
「まるで骨董市ね。」
太后・蘭明蕙は扇を軽く振りながら、優雅にそう呟いた。
「……で、どれが毒入りなの?」
「これです。」
蘭珀然が指差した盃を、太后はゆっくりと手に取る。その一方で、御薬房の長・方慧仙が落ち着いた口調で説明を始めた。
「盃の底に、ごく薄く乾燥した毒が塗られていました。普通は気づかないほどですが、酒が注がれると溶け出し、瞬時に作用する仕組みですね」
「つまり、酒自体には毒は入っていなかったってこと?」
侍女・柳青荷が腕を組み、盃をまじまじと見つめる。
「毒を入れるなら、普通は酒に混ぜるのが王道じゃありません?」
「そうね。でも、毒見役の宮女は無事だった。つまり、酒には毒はなかったのよ」
太后はにっこりと微笑みながら、盃をひっくり返し、指で底をなぞった。
スッ……と滑る指先。そこには、わずかにざらついた感触が残る。
「となると、問題は——この盃を使うと分かっていた者がいるということね」
しん……と静まる空気。
宮廷ミステリーの香りが漂い始めた。
……のだが。
「でもさ、宴の直前に宮女が配膳したんでしょ? 誰も怪しい動きはしてないって話だったけど」
柳青荷が首を傾げながら、じっと盃を見つめる。
「じゃあ、まさか盃が自分から毒を仕込んだとか?」
「自律型盃って何よ」
「ほら、盃が意志を持ってて、『この貴妃、気に入らないわね。毒で倒しちゃえ!』とか考えて……」
「青荷、あなた疲れているのよ」
太后がさらりと流す。
「でも、確かにおかしいわね」
蘭珀然が、盃をひょいと持ち上げながら呟いた。
「盃の配膳は、宮女たちが一斉に行ったはず。それなら、誰がどの盃を使うかは偶然のはずだったのに……」
「狙い通りに毒入りの盃が貴妃の手元に行った。偶然のふりをして、ね」
太后の扇がふわりと揺れる。
——さて、この小さな盃に仕込まれた大きな陰謀。
犯人はどのようにして、この盃を文采薇のもとへ導いたのか?
「ふふ、ますます面白くなってきたわ」
——太后の”暇つぶし”は、まだまだ続くのであった。




