31 密室の湯殿殺人 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
「では、解説をお願いしましょうか?」
蘭明蕙が優雅に扇を仰ぎながら、静かに微笑む。
目の前では、青荷と珀然がまるで処刑を待つ罪人のような顔で正座していた。
「……あの、太后様?」
「何かしら?」
「なぜ私たちが正座を……?」
「真剣に聞くべき内容だからよ?」
にっこり。
この微笑みが、恐ろしいことを伝えると二人はすでに学んでいる。
「は、はい……!」
「……お手柔らかに」
二人が背筋を伸ばしたのを確認すると、蘭明蕙は優雅に扇を閉じ、事件の核心へと迫った。
「まず、春芳の死因は溺死に見せかけているけれど、実際には毒殺よ」
「ええっ!? でも毒の痕跡が……!」
青荷が勢いよく声を上げるが、蘭明蕙はゆっくりと首を振る。
「そこがポイント」
「……?」
「犯人は、湯殿の給湯機構を利用したの」
「えっ、給湯?」
今度は珀然が首を傾げる。
「ええ。この湯殿、数分で湯を総入れ替えできる仕組みになっているのよ」
「……え?」
青荷と珀然が同時にまばたきする。
「つまり、毒を入れたお湯で春芳を殺した後、すぐに新しいお湯に入れ替えたってことですか!?」
「その通り」
「そ、そんな大胆な……!」
青荷は驚愕しながら、思わず浴槽を指差した。
「じゃあ、春芳さんは知らずに毒のお湯に入って、そのまま……!?」
「ええ、恐らくね。」
蘭明蕙は扇を軽く回しながら、静かにうなずく。
「お湯に毒を仕込めば、あとは彼女がのんびり浸かるのを待つだけ。そして、死んだ後に給湯の仕組みを使ってお湯を入れ替えれば――証拠は跡形もなく消える」
「な、なんて手の込んだトリック……!」
青荷は鳥肌を立てながら、浴槽を覗き込んだ。
「しかも、これなら外から鍵をかける必要もない。密室の謎まで解けちゃいましたね……!」
「そういうこと」
蘭明蕙は満足そうに頷き、すっと立ち上がる。
「でも、この方法を使うには給湯の仕組みに詳しい者が関わっていなければならないわね」
「えっ……」
青荷がゆっくりと珀然を見る。
「なぜ私を見るんだ?」
「いや、なんとなく詳しそうだから……。」
「青荷、僕が事件の犯人だと思ってるのか?」
「だって知識量がえげつないし……」
「容疑者を増やさないで」
珀然が呆れた顔をすると、蘭明蕙がくすくすと笑った。
「つまり、犯人は――湯殿を管理する者の中にいる」
その瞬間、湯殿の外で待機していた侍女たちがぎくりと肩を震わせた。
「さあ、誰かしら?」
蘭明蕙が穏やかに微笑むと、湯気の向こうで誰かの喉がゴクリと鳴る音が聞こえた――。
「貴女がやったのね?」
蘭明蕙がしなやかに扇を閉じながら、静かに問いかける。
湯殿の隅で震えていたのは、湯殿の管理を任されていた女官の一人だった。
彼女の顔色は青ざめ、握りしめた拳は小刻みに震えている。
「……はい」
ついに、震える声で答えた。
青荷と珀然は、息をのんだ。
「春芳様は……私の秘密を知ってしまったのです」
「秘密?」
「……皇后様が、毒の研究をしていたことを」
「……!」
「皇后派の仕業だったんですね!?」
青荷が思わず声を上げた。
「ええ。でも、証拠がなければ、皇后には手が出せないわ」
蘭明蕙は静かに微笑みながら、扇を閉じる。
「だからこそ……犯人には、自白してもらう必要があったの」
女官は苦しそうに目を閉じると、震える声で言った。
「私が……私がやりました……。でも、命令したのは……」
しかし、その言葉の続きを、女官は飲み込んだ。
「……おやおや」
蘭明蕙は扇で口元を隠し、微笑んだ。
「せっかくここまで話したのに、最後で口をつぐむのね?」
「……っ!」
「まあ、いいわ」
蘭明蕙はすっと立ち上がり、青荷と珀然を振り返った。
「ねえ、二人とも」
「は、はい!」
「なんでしょう?」
「皇后派の影が、またひとつ見えたわね」
青荷と珀然は、お互いを見つめ合い、同時にため息をついた。
「……またややこしいことになりそうですね」
「ほんとに、太后様の『暇つぶし』は命がけですよ……」
「ふふ、それでも私の暇は潰れないのよねぇ」
優雅に微笑む蘭明蕙の背後で、湯殿の湯気がゆらゆらと揺れていた――。
紫霄宮の一室。
陽の光がふんわりと差し込み、窓際の小さな卓上には湯気の立つ茶と、美しく盛り付けられた菓子が並んでいる。
蘭明蕙は優雅に茶をすすり、満足そうに目を細めた。
「ふう……なかなか面白い事件だったわね」
「太后様、本当に事件が好きですね……」
青荷がぐったりと肩を落とし、疲れたようにため息をつく。
「だって、暇だもの」
蘭明蕙は涼やかに微笑みながら、再びお茶を口にした。
(……絶対『面白かった』って思ってる顔だ!!)
青荷は心の中で思わず叫んだが、口に出せるはずもない。
珀然が、茶菓子をつまみながら意味ありげに呟く。
「……でも、皇后派が動いているなら、またすぐ次の事件が起こるんじゃない?」
「うん」
即答。
「ねえ、もうちょっと否定してよ!!」
青荷の叫びが紫霄宮に響くが、蘭明蕙はただ静かに遠くを見つめていた。
「嵐の前触れって、こういう時に使う言葉なのかしらね」
そう呟く彼女の表情は、どこまでも穏やかだった。
――後宮は、今日も静かに嵐の前触れを迎えている。