3 密室の死 ②
影衛司が封鎖した馮玉蓮ひょう ぎょくれんの寝所は、静寂と緊張に包まれていた。
太后・蘭明蕙らん めいけいが姿を現すと、部屋の前に立っていた影衛司の兵たちは一斉に跪いた。柳青荷りゅう せいかは、これだけの威厳を持ちながらも、さっきまで点心を食べていた彼女とのギャップに思わず苦笑する。
「ご足労をおかけしました、太后様。」
影衛司が頭を下げながら言うと、太后は軽く手を振った。
「いいのよ。暇つぶしにちょうどいいわ。」
そう言って、彼女は寝所の中へと足を踏み入れる。
室内はひんやりとした空気に包まれていた。窓も扉も固く閉ざされており、冷気が逃げていないせいか、まるで冬の朝のような肌寒さを感じる。
部屋の中央には、大きな寝台。そこに横たわる馮玉蓮の遺体は、薄桃色の衣が血に染まり、胸元には短剣で刺されたと思われる深い傷が残っている。顔は苦痛に歪み、白い肌に冷たさが際立っている。
柳青荷は顔をしかめた。
「……これは、かなりの力で刺されたみたいですね。凶器は見つかっていないと……」
「でも、不思議ね。」
大后は寝台に近づき、ゆっくりと周囲を観察する。
「血が、あまり広がっていないわ。」
柳青荷も気づき、首を傾げた。普通、心臓を一突きされたなら、もっと血が飛び散っていてもおかしくない。だが、この遺体の周囲は不自然なほどに血が少ない。
密室の確認
陳星河が状況を説明する。
「扉も窓も内側から施錠されていました。合鍵を持っていたのは侍女の春蘭しゅんらんだけですが、彼女は朝まで施錠されていたと証言しています。」
「部屋に他の抜け道は?」
「ありません。この部屋は構造上、外部からの侵入は極めて困難です。」
「なるほどね。」
太后は部屋の隅に目を向け、ふとあるものに気づいた。
「ねえ、青荷。少し寒くない?」
「え? ……言われてみれば。」
柳青荷は腕をさすりながら、改めて室内の空気の異変に気づいた。
「冬ならともかく、今はまだそこまで冷え込む時期じゃないですよね?」
「ええ。それに、この部屋、暖炉はあるのにまったく使われた形跡がないわ。」
太后はニヤリと微笑み、寝台の天蓋を見上げる。
「ねえ、青荷。はしごを持ってきて。」
「えっ!? 何をするんですか?」
「ちょっと確かめたいことがあるの。」
柳青荷が慌てて影衛司の兵に指示を出す。やがて持ってこられたはしごを使い、太后は天蓋の隙間に手を伸ばした。すると、指先に冷たい何かが触れる。
彼女はゆっくりとそれを取り出し、にんまりと笑った。
「やっぱりね。」
その手の中には、溶けかけた氷の破片があった。
柳青荷りゅう せいかは太后・蘭明蕙の手の中の氷を見て、目を丸くした。
「えっ……氷?」
太后は楽しげに氷の破片を弄びながら、ゆっくりと寝台を見下ろした。
「ねえ、青荷。この氷、ここにあるのは不自然だと思わない?」
「そ、そうですね。こんなところに氷があるなんて……でも、それがどう事件と関係あるんですか?」
陳星河ちん せいがも眉をひそめ、興味深げに氷を見つめる。
「……まさか、これが凶器?」
太后は満足げに微笑んだ。
「可能性はあるわね。」
太后は寝台の上の遺体を再び観察した。短剣で刺されたような傷があるが、血の広がり方が不自然で、部屋の冷たさも説明がつかないままだ。
「ねえ、青荷。この部屋、普通よりずっと寒いわよね?」
「はい。ちょっと鳥肌が立つくらいです。」
「それに、傷口の血もほとんど乾いているわ。これは、死後すぐに体温が下がったということ。」
柳青荷は一瞬考え、それから「あっ!」と小さく叫んだ。
「まさか、凶器が氷だったからですか!? つまり、刃が氷でできていて、時間とともに溶けてしまった?」
「ええ、その可能性が高いわね。」
太后は手の中の氷を転がしながら、天蓋を指さした。
「犯人は、天蓋の上に氷で作られた刃を仕掛けておいたのよ。時間が経つにつれて氷が溶け、ある瞬間に落下して被害者を突き刺す。凶器が溶けてしまえば、証拠は残らないわ。」
陳星河は腕を組みながら考え込んだ。
「確かに、それなら凶器が見つからないのも納得できます……しかし、どうやって氷を天蓋の上に固定したのでしょう?」
太后はすました顔で茶目っ気たっぷりに微笑む。
「まあ、それを調べるのがあなたたちの仕事よ。」
密室の謎も解決
柳青荷は天井を見上げながら、もうひとつの疑問を口にした。
「でも、それでも密室の問題が残ります。扉も窓も内側から鍵がかかっていましたよね? どうやって犯人は部屋を密室にしたんでしょう?」
「それも簡単よ。」
太后は扉の鍵穴に目を向け、ニヤリと笑った。
「犯人は外から氷の欠片を使って鍵を閉めたのよ。」
「氷の欠片……?」
「ええ。鍵穴の内部に細工をして、外側から氷の棒を使って鍵を回したの。時間が経てば氷は溶けて消え、誰も細工の痕跡を見つけられなくなる。」
柳青荷は「なるほど!」と手を打った。
「それなら、密室を作ることも可能ですね! でも、そうなると……犯人は相当冷静で計画的な人物ですね。」
「ええ。そして、氷を用意できる環境にいた人物でもあるわ。」
太后の言葉に、陳星河の表情が険しくなった。
「……つまり、後宮の中にいる者が犯人だと?」
太后は微笑みながら、ゆっくりと扇子を開いた。
「ええ、そうね。さて、犯人は誰かしら?」