29 「竹林の首吊り自殺」
竹林の事件現場——。
青荷は腕を組んで難しい顔をしながら、地面の水たまりをじっと見つめていた。
「うーん……何か見落としてるような気がするんですけど……」
「そうねぇ」
ふわり、と蘭明蕙が背後から現れる。極上の茶を片手に。
「……太后様、もしかしてお茶飲みに来ただけじゃないですよね?」
「ええ、ついでに事件を解決しに来たの」
「ついで!?」
青荷が驚く間もなく、蘭明蕙は竹林をざっと見渡し、ふっと微笑んだ。
「なるほどね。これは自殺に見せかけた他殺だわ」
「えっ、やっぱり……!」
「ほら、首を吊ったとき、普通は身体が揺れるものなのに、地面にはほとんど痕跡がないでしょう? それに、あの水たまりが気になるわ」
「そ、そういえば……!」
青荷はパッと顔を上げると、急いで影衛司の報告を思い出しながら手帳を開いた。
「遺体のそばに、氷の破片みたいなものが落ちてたって報告がありました!」
「それこそが答えよ」
蘭明蕙はゆっくりと茶を傾ける。
青荷は思わずゴクリと喉を鳴らす。
「つまり、どういうことですか……?」
「犯人は、春燕の足元に氷の台を置いたのよ」
「氷の台……?」
「ええ。最初は彼女をその上に立たせ、首に縄をかけさせる。そして、時間が経つと氷は自然と溶ける。そうすると——」
青荷の目が大きく開かれる。
「そ、そのまま春燕は宙吊りに……!!」
「ええ。そしてこの方法なら、犯人は現場にいなくても殺せるわけ。」
「な、なんて恐ろしい……」
青荷が震え上がっていると、後ろで蘭珀然が肩をすくめた。
「そんなに怖がらなくても、ここにはもう氷はないよ?」
「そ、そういう問題じゃありません!!」
青荷がぷんぷん怒る中、蘭明蕙は静かに茶をすすりながら、遠くを見つめた。
「これは単なる怨恨ではなく、後宮の権力争いに関係しているわね。」
「そんなの分かってますけど、誰が犯人なんですか!」
「さぁ、それを探るのが楽しいのよ。」
蘭明蕙はニコリと微笑みながら、悠々とその場を後にした。
「ちょっ……!! 太后様、待ってくださいよ!! まだ解決してませんよ!!」
青荷の叫びが竹林に響き渡る中、蘭明蕙はただ優雅に茶をすするのだった——。
***
蘭明蕙は悠然と椅子に腰掛け、扇を軽くあおぎながら、いつものようにお茶を楽しんでいた。
その向かいでは、青荷が一生懸命、影衛司の報告をめくっていた。
「太后様! 調査の結果、やっぱり春燕は貴妃・唐玉盈様の秘密を知ってしまったから狙われたみたいです!」
「ふむふむ、それで?」
「それで、ですね!」
青荷は勢いよく紙をめくる。
「唐玉盈様は、ある毒薬を密かに試していたんです!」
「へぇ、それは興味深いわね」
蘭明蕙はのんびりと茶碗を回しながら頷くが、青荷はそれどころではない。
「春燕はそれを知ってしまって……命を奪われる前に逃げようとしたんです!」
「だから蘭香院に移されたのね」
「ええ。でも、彼女はまだ危険を察知できていなかった……だから、呼び出された竹林にノコノコ向かってしまった……!」
青荷は拳を握りしめながら力説するが、蘭明蕙は相変わらず優雅にお茶をすする。
「うーん……」
「え、太后様、なんですかその『面白い推理小説を読んでいる時の読者みたいな反応』は!?」
「だって、これがまた絶妙に後宮らしい陰謀だもの」
蘭明蕙はゆっくりと扇を閉じ、ふっと微笑んだ。
そして、まるで舞台の幕が下りるように、決定的な言葉を告げる。
「これは、皇后派の仕業ね」
――シン……と静まる室内。
青荷は思わず畏まった姿勢を取り、珀然は「待ってました」と言わんばかりに涼しい顔をしていた。
「た、太后様、決め台詞かっこいいですけど、それってつまり……?」
「つまり?」
「……めちゃくちゃヤバい相手ってことですよね!?」
「ええ、だからこそ面白いのよ」
「いや、そんなこと言ってる場合ですかー!!」
青荷の叫びをよそに、蘭明蕙は優雅にお茶をすすり続けるのだった――。
***
紫霄宮、謁見の間。
艶やかな絨毯の上に、貴妃・唐玉盈が優雅に跪いていた。
美しい笑みを浮かべながらも、わずかに指が震えているのは気のせいではない。
その正面では、太后・蘭明蕙が相変わらず優雅にお茶をすすっていた。
「貴妃。貴女、何か隠しているのではなくて?」
蘭明蕙はにこやかに扇を広げる。その姿はまるで「真犯人はお前だ」と言わんばかりの名探偵のようだった。
唐玉盈は、ほんの一瞬目を細めたが、すぐに微笑みを取り繕う。
「太后様、まさか私がそんなことを……?」
「ふふ、違うと言うのなら……これを見ても?」
蘭明蕙はすっと指を動かし、青荷が大事そうに持っていた書簡を差し出す。
「これは……?」
「春燕の部屋から見つかった薬の処方箋よ。」
唐玉盈の手がピクリと動く。
「何か問題でも?」
「……いいえ?」
「ふぅん。でもね、貴妃、この処方箋の筆跡……」
蘭明蕙は扇を軽く打ち鳴らし、にっこりと微笑んだ。
「貴女の筆跡と一致するのよね」
――シーン。
「……」
唐玉盈の笑顔がぴきりと引きつる。青荷は「おお……これは完全に詰んだやつ……」と心の中で呟きながら、後ろでゴクリと唾を飲んだ。
「貴妃様、偶然にしてはずいぶん都合がいいわね?」
蘭明蕙が楽しげに問いかける。
唐玉盈は青ざめた顔で言い訳を試みようとするが、扇の音とともに太后の言葉が続く。
「さて、どうなさるの?」
「……太后様、私をどうなさるおつもりで?」
唐玉盈の声がわずかに震えていた。
蘭明蕙は、静かにお茶をすすり、ふっとため息をつく。
「罪を認めるなら、静かに霜華楼に移ることね」
「し、霜華楼……!」
唐玉盈の顔が一気に蒼白になる。
霜華楼――そこは、問題を起こした妃が幽閉される場所。表向きの死刑ではないが、二度と後宮の表舞台には戻れない。
蘭明蕙は変わらぬ微笑を浮かべたまま、静かに扇を閉じた。
「表向きには『病気療養のため』ということにしてあげるわ。せっかくの美貌、後宮の闇に埋もれるのももったいないでしょう?」
「……っ!」
唐玉盈は崩れ落ちるように座り込み、肩を震わせる。
一方、青荷はこっそり珀然に囁いた。
「ねえねえ、太后様ってこういう時めっちゃ怖くない?」
「今さら?」
「いや、なんていうか、こう……笑顔で優雅に相手を詰ませる感じがえぐいというか……」
「だからこそ、後宮の名探偵なんだろう?」
珀然は涼しい顔で肩をすくめる。
その横では、蘭明蕙が満足げにお茶をすすっていた。
「これでまた暇になっちゃうわ」
青荷と珀然は、思わず目を見合わせた。
(――いやいや、またすぐ事件起こるやつじゃん!?)
後宮の名探偵・蘭明蕙の「暇つぶし」は、今日も続くのであった。
——エピローグ
紫霄宮、夕暮れの縁側。
事件が無事(?)に解決し、後宮には再び穏やかな日常が戻ってきた。
蘭明蕙は、ゆったりとした仕草で茶碗を傾ける。
「ふう……なかなか面白い事件だったわね」
まるで「面白い本を読んだわ」とでも言いたげな顔で、満足げに茶をすすっている。
――一方、柳青荷は、完全に呆れ果てていた。
「太后様、本当に事件が好きですね……」
「ええ。だって、暇だもの」
蘭明蕙はさらりと微笑む。
(……絶対に「楽しかった」って思ってる顔だ!)
青荷は内心で突っ込みながらも、肩を落とした。
「はあ……普通、後宮ってもうちょっと平和じゃないんですか?」
「平和よ?」
「どこがですか!? 毎回、誰かが消えたり倒れたりしてますけど!?」
蘭明蕙はすっと視線を遠くに向ける。
翠竹庭の竹が風に揺れ、静かにざわめいた。
「平和なのは、表面だけでいいのよ」
「……また何か企んでるんじゃ?」
「ふふっ、それはどうかしら?」
蘭明蕙は優雅に扇を広げ、風を仰ぐ。
そんな彼女の瞳の奥には、また新たな陰謀の気配を捉えているような鋭さがあった。
青荷は、ふと嫌な予感がして蘭珀然の方をちらりと見る。
「ねえ、珀然……」
「うん?」
「またすぐ事件が起こると思わない?」
「うん。」
「ねえ、もうちょっと否定してよ!!」
青荷の叫びが夕暮れの後宮に響く中――
蘭明蕙は、静かに次の「暇つぶし」の幕開けを感じ取っていた。
後宮は、今日も静かに嵐の前触れを迎えている。




