22 書庫に眠る毒の巻物「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
「お茶に毒を入れられたら、怖いでしょう?」
紫霄宮の一室で、太后・蘭明蕙は悠々と茶をすすっていた。
目の前には、御薬房の長・方慧仙が座っている。青荷はその隣で、 「毒……!?」 と怯えたようにお茶を見つめていた。
「太后様、それ、今飲んでるお茶は大丈夫なんですか……?」
「ええ、これは 昨日淹れたもの だから大丈夫よ」
「なんで昨日のお茶飲んでるんですか!? 普通、淹れたての方が美味しいでしょう!?」
青荷が慌てるが、太后は 「ふふ」 と微笑んだ。
「こういうこともあるかと思って、昨日の分を取っておいたのよ。 一度飲んで大丈夫だったお茶なら、安心でしょう?」
「そ、それはまあ、そうですけど……」
青荷は (そんな用心深いのかズボラなのか分からない対策、聞いたことない!) と密かに思う。
慧仙は静かに頷きながら、お茶を一口含んだ。
「さて、本題に入りましょうか」
慧仙はお茶を味わいながら、穏やかに話し始める。
「『霧隠』は非常に特殊な毒です。国内ではほとんど作られず、 外国から流れてくる ものです」
「外国?」
青荷が驚いて身を乗り出す。
「後宮の中で、そんな珍しい毒を手に入れられる人がいるんですか?」
「通常は無理ですね。 ものすごく高価 ですから」
慧仙は冷静に答えた。
「……ということは、密輸?」
太后がぽつりと言うと、慧仙は深く頷いた。
「ええ、おそらく。後宮に 外国の密偵 が関わっている可能性があります」
「密偵……!」
青荷は身震いした。
「まさか、李博文様が 外国の秘密を知ってしまったから 殺された……とか?」
「かもしれないわね」
太后は涼しい顔で茶を飲み干した。
「では、影衛司に調査を頼みましょう」
そう言いながら、そばに控えていた 蘭珀然 に目を向ける。
「珀然、陳星河 に密偵絡みの調査をお願いしてちょうだい」
「かしこまりました」
珀然は優雅に一礼し、 「さて、どういう手で調べますかね……?」 と独り言のように呟きながら部屋を出て行った。
「……後宮に密偵なんて、本当にいるんですかね?」
青荷は不安げに呟いた。
「さあ、どうかしら?」
太后は 「これで暇つぶしになればいいけれど」 と、にこりと笑った。
青荷は(絶対、楽しんでる……)と思いつつ、 「もう普通にのんびり暮らしましょうよ……」 と小さくぼやくのだった。。
***
「まあ! 私が毒を仕込んだですって?」
皇后・沈玉蘭は きゃしゃな指を優雅に唇にあて、 まるで恐ろしい冤罪をかけられた善良な貴婦人 のような顔をした。
「冗談ではなくて?」
太后・蘭明蕙は じっとりとした笑顔 を浮かべ、 まるで上等な茶葉を吟味するように 皇后を眺めた。
「ご冗談を。そんな恐ろしいこと、私がするはずがありません」
玉蘭は にっこりと微笑む。
青荷は (うわー、めちゃくちゃ怪しい……) と思いながら、そっと太后の後ろに隠れる。
「でも、この巻物はあなたが献上したものだと、はっきり確認されていますのよ?」
「ええ、確かに献上しましたわ。でも、もちろん 毒なんて仕込んでいません。そのまま書庫に運ぶよう、宦官たちに指示しただけです」
「ほう……」
太后は 茶杯をゆっくりと回しながら、じっと玉蘭を見つめた。
「ということは、その後に何者かが 勝手に毒を仕込んだ、ということかしら?」
「そういうことになりますわね」
玉蘭は優雅に微笑むが、目は 笑っていない。
青荷は(すっごく腹立ってそう……!)とひやひやしながら、思わず喉を鳴らした。
「となると、書庫に運ぶ間に 誰が巻物を触ったか が重要になりますね」
太后がそう言った途端、部屋の隅で 縮こまっていた宦官のひとり が、びくりと肩を震わせた。
「……あの」
震える声を出したのは 書庫の管理を任されている宦官・劉済安。
「ど、どうぞ、正直にお話しなさいな」
太后が優しく微笑むと、 劉済安はまるで寿命が縮んだかのような顔で 口を開いた。
「お、お許しください、太后様……! じ、じつは…… この巻物は、私の手に届くまでに何人かの宮女や宦官の手を経由していたのです……!」
「……つまり?」
「えっと、その……まずは 皇后様の宮殿で侍女が受け取り、それを 別の宦官が中継 し、その後 また別の宮女が運び……そして最後に私の元へ……」
「……リレーかしら?」
青荷が思わずつぶやいた。
「……そのようなものかと……」
劉済安は 情けない顔でうなだれる。
「で、でも! 私が受け取った時には 毒なんて仕込まれていませんでした! きっとその前の誰かが……!」
「その『誰か』が問題なのよねえ」
太后は ひらひらと扇を仰ぎながら、にっこりと笑った。
「ふふ、なんだか 宝探しみたい ね?」
「いや、殺人事件です!!」
青荷が思わずツッコむが、太后は 「まあまあ」 と軽く手を振るだけだった。
「さて、それじゃあ リレーの走者たち を一人ずつ呼んで、お話を聞きましょうか?」
「えっ、ぜ、全員ですか!?」
「ええ、もちろん」
太后は 「楽しい暇つぶしになりそうね」 とばかりに、にこやかに微笑むのだった。
青荷は(主様が一番楽しんでる……!)と心の中で叫びながら、 次なる尋問劇の幕開けを悟る のだった——。
***
「……また死んだの?」
朝の優雅なひととき。太后・蘭明蕙は 湯気の立つ茶杯を手にしながら、眉ひとつ動かさずに尋ねた。
青荷は 「また」って言いましたよね!? と思いながら、慌てて報告を続ける。
「そ、そうなんです! 昨日話を聞いた 書庫の宦官・劉済安が急死 しました……!」
「まあ」
太后は まるで天気の話でもするように 微笑む。
「で、原因は?」
「毒入りの茶を飲んだようです」
青荷が真剣な顔で言うと、太后は 茶杯をゆらゆらと傾け、ふむ、と首を傾げた。
「毒入りの茶、ねえ……」
「後宮では毎日何百杯ものお茶が出ますから、仕込むのは簡単です。でも……」
青荷は 眉を寄せて つぶやく。
「まるで『口封じ』のように思えませんか?」
「ええ、そうね」
太后は さらりとした手つきで茶杯を回しながら、微笑んだ。
「つまり、彼は 何か大事なことを知っていた のね」
「た、確かに……!」
青荷は はっとして 太后を見た。
「ということは、昨日の尋問で 犯人に繋がる何かを言った 可能性がある……」
「まあ、そうでしょうねえ」
太后は ひらひらと扇をあおぎながら、ゆったりとした口調で言う。
「……ねえ、青荷」
「はい?」
「この後宮には どれだけ毒が出回ってるのかしら?」
太后は ふとした疑問を口にした。
青荷は 考え込むように腕を組む。
「……確かに、最近 毒を使った事件が多すぎます よね」
「まるで 毎朝のお茶と同じくらいの頻度で毒が出てくる みたいだわ」
太后は 優雅に茶をすする。
「……本当に、お茶感覚で毒を盛られる世界なのでは?」
青荷は 背筋が寒くなった。
「そ、そんな世界……怖すぎますよ!」
「ええ、だからこそ 楽しいのではなくて?」
太后は 「次の暇つぶしができたわね」 とばかりににっこり微笑んだ。
(主様、本当に楽しんでる……!)
青荷は心の中で叫んだが、 すでにこの事件に巻き込まれている以上、逃げることなどできない のだった——。
さらに調査を進めると……
翌日、影衛司の密偵・陳星河が報告を持ってきた。
「太后様、書庫には 数日前に別の宦官が出入りしていた ことが分かりました」
「まあ、どなたかしら?」
「名は 王錦。普段は皇后様の御前で仕えている宦官です」
青荷は 「うわ、また皇后様の関係者……!」 とうめく。
太后は うっとりと茶杯を傾け、微笑んだ。
「ふふ、だんだん面白くなってきたわね」
「ええ、私は面白くないですけど!!」
青荷の叫びが、紫霄宮に響き渡るのだった——。




