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21 書庫に眠る毒の巻物「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」

「書庫に眠る毒の巻物」



「また暇になっちゃうわ」


 紫霄宮の奥深く、繊細な細工が施された卓の前に、蘭明蕙らん めいけいは優雅に座っていた。指先で白磁の茶杯を転がしながら、ゆっくりとため息をつく。


「これでは本当に暇で仕方ないわね」


 退屈そうな声が静かな殿内に響く。


 柳青荷りゅう せいかは、すぐ近くで盆を持ちながら苦笑した。太后がこう言うときは、決まって後宮で何か事件が起こるのだ。何も起こらない日などほとんどないのに、まるで日常の陰謀や騒動すら物足りないかのような口ぶりである。


 青荷はおそるおそる口を開いた。


「太后様、もしお暇でしたら、囲碁でもいかがですか?」


「もう打ったわ」


「筆写のお稽古は?」


「朝に済ませたわ」


「……では、新しい茶葉の試飲など……」


「それももう終わったわよ」


 青荷は内心、(太后様は本当に何でも早すぎる……)とため息をついた。


 その時、突然、宦官が慌ただしく駆け込んできた。


「太后様、大変です!」


 勢いよく駆け込んできた宦官が、青荷の足元に躓いて盛大に転び、手に持っていた絹の巻物や書簡をばらまいた。


「ああっ!  す、すみませ……」


「まあまあ、大丈夫?」


 明蕙は茶杯を軽く傾けながら、涼やかに微笑む。青荷は素早く宦官を助け起こしながら、溜息まじりに尋ねた。


「それで、大変とは何が?」


 宦官は息を整えながら、必死に報告を続けた。


「皇帝の書庫で、侍講・李博文り はくぶんが急死いたしました!」


 一瞬、場が静まり返る。青荷の顔がこわばった。


 しかし——


「……ほら、やっぱり事件が起きたじゃない?」


 明蕙はゆったりとした仕草で茶杯を口元に運び、楽しげに微笑んだ。


「太后様……」


 青荷は呆れたように、しかしどこか諦めたように肩を落とした。やはり、太后が退屈を口にすると、必ず事件が起こるのだ。


「じゃあ、行きましょうか。書庫へ」


 明蕙は悠然と立ち上がると、袖を優雅に翻しながら廊下へと歩き出した。青荷は慌てて後を追い、宦官も転がるように駆け出す。


 こうして、太后の「暇つぶし」はまた始まったのだった。



 ***



 事件が起こったのは、後宮に隣接する皇帝の書庫 「文華閣」。

 精緻な彫刻が施された書棚が並び、厳格な管理のもとで貴重な書物が保管されている場所だ。


 しかし、その静謐な空間に似つかわしくない出来事が起こった。


「おお……なんということだ……」


 現場に集まった侍従たちが、死体を見て震え上がる。

 息絶えたのは、皇帝に学問を教授する侍講・李博文り はくぶん

 今朝まで元気だったはずの彼が、書棚の前で倒れていた。


「うわぁ……何も食べずに突然死ぬなんて……青荷、あんたが言ってた『忙しすぎて餓死』ってやつじゃない?」


 蘭明蕙らん めいけいは、傍らの柳青荷りゅう せいかを見て、茶目っ気たっぷりに言った。


「そんなわけないでしょう! ちゃんと調べてください、太后様!」


 青荷が軽く頬を膨らませる。


 遺体には外傷がなく、そばには広げられた巻物がひとつ。


 御薬房の長・方慧仙ほう けいせんが静かに言った。


「……毒でしょうね」


「ひゃっ!」


 青荷が思わず飛び退く。


「え、え、まさか、この辺りにもまだ毒が漂ってるとか!?」


「落ち着きなさい、青荷」


 太后は、怯える侍女を涼やかに見つめながら、慧仙に尋ねた。


「どういう毒?」


 慧仙は淡々と遺体の口元を指し示す。


「微量の青黒い痕が見えますね。おそらく、空気中に舞った毒を吸い込んだのでしょう」


「空気中に……?」


 青荷は眉をひそめる。


「毒って、普通は食べ物とかお茶に混ぜるものでしょ? こんなところで、どうやって吸い込むのよ?」


「いや、私も知らないわよ。毒を仕込む趣味なんてないんだから」


「うん、でも食べるのは好きでしょう?」


「太后様、今それ関係ないです!」


 青荷のツッコミを受け流しながら、明蕙は巻物を見つめた。


「この巻物、誰が最後に触れたの?」


 宦官が一歩前に出て答える。


「李博文様が自らお開きになりました」


「ふむ……」


 太后は巻物をそっと持ち上げ、表紙に指を滑らせる。


「……?」


 かすかに 白い粉 が残っていた。


 指で軽く触れると、さらりとした感触。


「なるほどね」


 太后は微笑み、手を払った。


「えっ、えっ!? 太后様、それ大丈夫なんですか!? 毒なんじゃ!?」


「だって、もう乾燥してしまっているもの。大したことはないわよ」


「いやいや、毒なんですよ!? 普通、そんな気軽に触ります!?」


 青荷の動揺をよそに、太后はごく自然に袖で指先を拭い、微笑んだ。


「この巻物に仕掛けがあったのね……さて、どんな細工かしら?」


 彼女の目が、まるで上質な謎解きに出会ったかのように楽しげに輝く。


 青荷はため息をついた。


「……ほら、やっぱり太后様、事件に遭遇すると生き生きするんだから」


「だって、暇がつぶれるもの」


 太后はくすりと笑い、巻物をそっと卓上に置いた。


 こうして、「文華閣の毒の巻物」 の謎解きが始まる——。


 ***


 文華閣の一室。


 机の上には問題の巻物が広げられ、その周囲に明蕙めいけい青荷せいか慧仙けいせんが集まっていた。


 慧仙が真剣な顔で説明する。


「この毒は 『霧隠むいん』 と呼ばれるものです」


「む、むいん……?」


 青荷が首を傾げる。


「それって、まるで忍者が『ドロン』ってするみたいな……」


「忍者はいませんけれどね」


 太后が淡々と茶をすする。


 慧仙は軽くため息をつき、続けた。


「特定の湿度で粉末状になり、乾燥した場所では舞い上がる性質を持つ毒です。おそらく、この巻物の紙に 極薄く塗り込められていた のでしょう」


 青荷の表情が凍りつく。


「……つまり、巻物を開いた瞬間に毒が舞い上がって、李博文様はそれを吸い込んでしまったってこと……?」


「ええ、その通りです」


「……っひぃぃっ!!」


 青荷は バッ!!  と距離を取り、大げさに咳払いをする。


「な、なんでそんな恐ろしいものを、こんな大事な書物に仕込むのよ!? これ、読んだら死ぬ巻物じゃないの!」


「まぁ、実際に読んだら死にましたものね」


 太后がさらりと返す。


「そんな冷静に言わないでください!?」


 青荷は半泣きになりながら太后を見た。


「太后様、さっきこの巻物 指で触ってましたよね!?」


「ええ、触ったわね」


「なんでそんなに平然としてるんですか!? 普通、すぐ手を洗うとか、慌てるとか……!!」


「だって、今の私は 読んでない もの」


「そこ!?  そこがポイント!??」


 青荷が崩れ落ちそうになる。


 一方、太后は相変わらず優雅な微笑みを浮かべながら、巻物を指でつついた。


「とはいえ、この毒が使われた理由が気になるわね。わざわざ 読まなければ発動しない毒 ……なんだか趣があるわ」


「趣とかじゃなくて! 犯人を捕まえないといけないんですよ!?」


「ええ、ええ、それはわかってるわ」


 太后はにっこり笑うと、青荷の肩を軽く叩いた。


「だからこそ、これから探るのよ。これこそ、暇つぶしに最適でしょう?」


「……ほんとにもう……」


 青荷は心の中で(絶対、事件が楽しくて仕方ないんだ……)とため息をついた。


 

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