20 龍の間の死体⑤ 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
紫霄宮の大広間 に、厳かな緊張が満ちていた。
燭台に灯された無数の炎が、壁に影を揺らめかせる。
蘭明蕙は 玉座に静かに腰を下ろし、その前には 韓霜華、沈復、御薬房の長・方慧仙 らが並んでいた。
宮廷の侍女や宦官たちも、固唾をのんで成り行きを見守っている。
「さて、ここに集まっていただいたのは、ひとつの 真相 を明らかにするためです」
蘭明蕙はゆるりと扇を開く。
「方翠鳳がなぜ 龍の間 で亡くなったように見せかけられたのか——その答えが、ついに分かりました」
韓霜華の眉が、かすかに動く。
蘭明蕙は、その一瞬の反応を見逃さなかった。
「彼女は 毒殺 されていたのです。そして、その 毒を仕込んだ手段 は——」
扇の先で、机の上に置かれた品を示す。
「この手袋 でした」
青荷が証拠品の手袋を持ち上げる。
その内側には、微かに変色した跡が残っていた。
「これは、方翠鳳が 御薬房で受け取った手袋 です。しかし、この手袋には 芙蓉露 が仕込まれていました」
低いざわめきが広間を満たす。
「芙蓉露は皮膚から吸収され、時間差で発作を引き起こす毒 。つまり、方翠鳳は 自らの手で、ゆっくりと毒を取り込んでいったのです 」
沈復は沈黙を保っていたが、韓霜華の指先が小さく震えているのを、蘭明蕙は見逃さなかった。
「……そして、この毒を持ち出せた者は限られている」
蘭明蕙は、御薬房の長・方慧仙を見つめる。
「方慧仙、御薬房の記録を」
方慧仙は静かに書状を広げた。
「調査の結果、事件当日、芙蓉露が持ち出されていたことが確認されました 。持ち出しを指示したのは——」
彼女の視線が、ある人物に向けられる。
「貴妃・韓霜華 です」
広間の空気が張り詰めた。
韓霜華の表情が、一瞬にして凍りつく。
「な、何の証拠があって——!」
「あなたの指示で、手袋の内側に毒が塗られたのです 。 さらに、あなたは 宮廷大工・沈復を買収し、遺体を龍の間に隠させた 」
蘭明蕙は じっと韓霜華を見つめる。
「これで、すべてが繋がりました」
沈復はうつむいたまま何も言わない。
しかし、韓霜華の唇は震え、目に見えて動揺していた。
「……」
沈黙ののち、彼女は苦しげに笑った。
「ふふ……さすがは、太后様。すべてお見通しなのですね」
彼女の瞳に、追い詰められた者の諦めが滲む。
「方翠鳳が皇后派に寝返るという話は、すでに側室派の間で囁かれていました。もし彼女が皇后側につけば、私たちは 完全に不利になる 」
韓霜華は、唇を噛みしめながら続けた。
「だから、彼女が動く前に消すしかなかったのです 」
広間の中に、冷たい沈黙が流れた。
蘭明蕙は、静かに扇を閉じる。
「これで、言い逃れはできませんね」
韓霜華は、目を伏せたまま 笑みとも、涙ともつかぬ表情 を浮かべていた。
蘭明蕙の推理が、 すべての闇を暴いた瞬間 だった。
蘭明蕙の前に、跪く者たちの影が揺れていた。
「韓霜華、あなたの罪は明白です」
蘭明蕙の声は静かだったが、その響きには 抗えぬ威厳 があった。
「あなたは方翠鳳を毒殺し、その死を利用して後宮の均衡を守ろうとした……だが、それは許される行為ではない」
韓霜華は、蒼白な顔のまま微かに笑った。
「ええ……分かっています。けれど、太后様、あなたもお分かりでしょう?」
蘭明蕙は、静かに扇を閉じる。
「——後宮とは、そういう場所なのです」
「だからこそ、秩序が必要なのですよ」
蘭明蕙の声に、 揺るぎない冷ややかさ が滲んでいた。
「韓霜華、霜華楼へ幽閉とします 。二度と、この後宮の外へ出ることはできません」
韓霜華の肩がわずかに震えた。
それでも彼女は、最後まで誇りを捨てることはなかった。
「……御意」
低く囁くように答え、彼女は立ち上がる。
美しい衣が、牢獄への道を静かに引いていった。
一方——
「沈復」
宮廷大工の男は、すでに覚悟を決めたように頭を垂れていた。
「お前はこの事件に加担し、遺体を隠す手助けをした。重罪である」
「……申し開きもございません」
「よって、宮廷大工の職を解き、流罪とする 」
沈復は深く礼をし、 静かにその場を去った。
長きにわたった事件は、こうして 幕を閉じた 。
それから数日。
後宮は、再び静けさを取り戻していた。
しかし、その静けさの奥に潜むものが、また新たな波乱を呼ぶのかもしれない。
皇后・沈玉蘭はこの事件に 直接の関与はなかった 。
だが、 後宮の混乱を利用しようとしていたこと は明らかだった。
蘭明蕙は、ただ 微笑を浮かべるだけ だった。
何も言わずとも、その視線は すべてを見通していた。
***
藤棚の下。
風に揺れる藤の花が、甘やかな香りを漂わせている。
蘭明蕙は、 紫檀の卓に静かに腰を下ろし、茶碗を手に取った。
香り高い茶の湯気が、ゆるやかに立ちのぼる。
柳青荷と蘭珀然が控え、事件の終息に安堵するように並んでいた。
蘭明蕙は、 ゆっくりと茶を啜る。
「……これでまた、暇になっちゃうわ」
微笑とともに放たれた言葉に、青荷と珀然は 小さく苦笑した。
後宮に平穏が訪れたのも束の間——
「大后様、実はまた一件、妙な噂が……」
青荷が申し訳なさそうに口を開いた。
蘭明蕙は、 扇を広げ、楽しげに目を細める。
「——ウフフ。どうやら、私の暇つぶしは、まだ続きそうね」
風が、藤の花を揺らしていた。