19 龍の間の死体④ 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
蘭明蕙は紫霄宮の一室で、静かに手元の記録を眺めていた。
微かに香を焚いた空間に、紙をめくる音だけが響く。
「事件当日、方翠鳳は 皇后・沈玉蘭 のもとを訪れていたのよね?」
柳青荷が頷きながら記録を見つめる。
「ええ。宮女たちの証言では、皇后様は彼女に 特別なお茶 を勧めていたそうです」
蘭明蕙は指で扇の柄を軽く叩きながら、微かに笑みを浮かべた。
「特別なお茶、ね……」
蘭珀然が腕を組みながら低く呟く。
「皇后様がわざわざお茶を勧めるとは、意味深ですね」
「ええ。そしてさらに興味深いことがあるわ」
蘭明蕙は記録の次の頁をめくる。
「方翠鳳はその後 御薬房 にも立ち寄っていた。そして、そこで 手袋を受け取っていた という証言が出ているの」
青荷が驚いたように眉をひそめた。
「手袋……ですか? なぜそんなものを?」
「それが、まだはっきりしないのよね」
蘭明蕙は微笑を含みながら、扇を閉じた。
「ただ、一つだけ確かなことがあるわ」
珀然が静かに問いかける。「何でしょう?」
「 彼女は何かを警戒していた 」
燭火が静かに揺れ、蘭明蕙の影を壁に映し出した。
「方翠鳳は、何かを恐れ、何かを守ろうとしていたのよ。だからこそ、あえて 手袋 を必要とした……」
青荷の喉がごくりと鳴る。
「では、その何かとは?」
蘭明蕙の目が細められる。
「それこそが、この事件の核心よ」
沈玉蘭が勧めた 特別なお茶、御薬房で受け取った 手袋、そして龍の間に現れた 彼女の遺体。
すべての点が、一本の糸で繋がり始めていた。
紫霄宮の一室に、低く張り詰めた空気が満ちていた。
蘭明蕙は大理石の机の前に優雅に腰を下ろし、手元の記録を静かにめくる。
青磁の茶碗から立ち上る湯気が、微かに揺れて消えた。
柳青荷と蘭珀然が控える中、蘭明蕙はゆっくりと視線を上げる。
「龍の間に遺体を運ぶことができた者 は限られている……。その条件を満たす者は?」
青荷が小さく息をのみながら答えた。
「まず……床の仕掛けを知る者。龍の間は神聖な場所ですが、その仕掛けを作った者ならば構造を熟知しているはずです」
蘭明蕙は微かに微笑む。「ええ。つまり……宮廷大工・沈復 ね」
珀然が腕を組みながら続けた。
「次に……毒を扱える者。芙蓉露は一般的な毒ではなく、宮廷の限られた者しか手に入れられません」
「その通り。そして、方翠鳳が毒を仕込まれたとすれば、彼女の身近にいた者が関与しているはず」
蘭明蕙は、扇を開いてゆるやかに揺らす。
「では、事件当日 方翠鳳と関わりのあった者 は?」
青荷が記録を見つめ、静かに言った。
「貴妃・韓霜華 ……」
その名が告げられた瞬間、部屋の空気が一層冷たくなった。
「韓霜華は皇后派とは距離を取りながらも、方翠鳳とは親しかった。そして事件当日、方翠鳳と何らかのやり取りをしていた証言があるわ」
蘭明蕙は扇を閉じ、机の上に軽く叩く。
「沈復と韓霜華……この二人が交わることで、すべての条件が揃う。つまり——」
彼女はゆるりと微笑んだ。
紫霄宮の奥深く、夜の帳が静かに降りるなか、蘭明蕙は優雅に椅子へと腰を下ろしていた。
机の上には、丁寧に並べられた証拠品の数々。
微かに揺れる燭火が、その影をゆらゆらと映し出している。
「さて——」
蘭明蕙は、ゆっくりと扇を広げた。
「この事件の鍵は 方翠鳳の手袋 にあったわ」
沈黙が満ちる。柳青荷と蘭珀然は、彼女の言葉を待つように身じろぎもしない。
「彼女は 皇后派に寝返るつもりだった 。それを阻止したい者がいた……それが 貴妃・韓霜華 だったのよ」
青荷が小さく息をのむ。
「韓霜華様が……?」
「ええ。彼女は 御薬房 で、方翠鳳が受け取るはずの 手袋の内側に毒を塗らせた 。その毒こそが——」
扇の先で、机の上の小瓶を指す。
「芙蓉露 だったのよ」
燭火が揺れ、小瓶の中で透明な液体が微かに光る。
「芙蓉露は 皮膚から吸収され、時間差で発作を引き起こす毒 。方翠鳳は何も疑わず、その手袋を身につけた。ゆっくりと毒が体に回るなか、彼女は何も知らず、日常を過ごしていた……」
珀然が低く呟く。「そして、数時間後に——」
「命を落とした 。しかし、それだけでは終わらなかったわ」
蘭明蕙は静かに立ち上がり、龍の間を見つめるように窓の外へ視線を向けた。
「韓霜華は 宮廷大工・沈復を買収し、遺体を龍の間の床下へ隠すよう指示した 」
青荷の表情が強張る。
「つまり……方翠鳳様は亡くなったあと、龍の間へ運ばれた?」
「正確には、もともと別の場所で息絶えた彼女を、あたかも龍の間で死んだように見せかけたのよ 」
蘭明蕙は扇を閉じ、机の上に軽く叩く。
「沈復は床の仕掛けを利用し、ある瞬間に遺体を出現させた 。それによって、まるで突然、龍の間に死体が現れたかのように錯覚させたのね」
青荷は言葉を失い、珀然は静かに目を閉じた。
「……巧妙な手口ですね」
「ええ、だとしても——すべて暴かれてしまえば、それまでよ 」
蘭明蕙の唇に、微かな微笑が浮かぶ。
「さて、黒幕を呼びましょうか」
燭火が、彼女の瞳に妖しく映り込んでいた。