白い孔雀の呪い 「後宮の名探偵・太后様の暇つぶし」
白い孔雀の呪い
太后・蘭明蕙は、日がな後宮の庭で茶を嗜みながら、心底退屈そうにため息をついた。
「はぁ……。青荷、何か面白い話はないの?」
侍女の柳青荷は、慣れた手つきで茶を注ぎながら答える。
「では、新しい菓子をお持ちしました。『極上の練り蜜菓』とのことですが……」
「甘いわね」
「ええ、菓子ですので」
「そういう意味じゃなくてよ」
青荷は眉をひそめ、「退屈されているのは存じていますが、いくら大后様でも事件を呼び寄せることは……」と言いかけた、その時。
「太后様、大変です!」
女官が息を切らして駆け込んできた。
「またです! 翡翠苑の麗妃様が、今朝お亡くなりになりました!」
「ふむ……?」
太后は茶碗を持ち上げ、ゆったりとした仕草で一口含む。まるで「ついに退屈しのぎが来た」とでも言わんばかりに。
「……で?」
「それが、麗妃様も『白い孔雀の羽根』を持っておられたのです!」
「白い孔雀の呪いだわ……!」
女官たちは震え上がり、後宮のあちこちで「白い孔雀を持つ妃が次々と死んでいる」という噂が広まった。
「呪い、ねえ……?」
太后は静かに微笑みながら、そっと茶碗を置く。
「青荷、調べなさい」
青荷はため息をつきながらも、主の命には逆らえない。
「はいはい、太后様の暇つぶしのお時間ですね」
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### 調査
柳青荷は、亡くなった妃たちの遺品を調べ、共通点を探した。その結果、どの妃も「白い孔雀の羽根」を枕元や衣に挟んでいたことが判明する。
① 翡翠苑の侍女たちへの聞き込み
翡翠苑の一角、風に揺れる薄絹の帳の下、青荷は麗妃に仕えていた侍女たちを集め、一人ひとり慎重に話を聞いていった。窓から差し込む柔らかな陽光が、侍女たちのこわばった顔を浮かび上がらせる。
彼女たちは皆、怯えた様子で「呪いよ……」「白い孔雀を持っていた妃様たちは皆……」と噂話を繰り返すばかりだった。だが、一人の若い侍女が、おずおずと口を開いた。
「麗妃様は、白い孔雀の羽根を枕元に置くと良い夢を見ると信じていらっしゃいました」
「良い夢?」青荷が問い返すと、侍女は少し迷ったように口を噤む。
「ええ……以前、ある占い師が『白い孔雀の羽根を枕元に置くと、吉兆の夢を見て運が開ける』とおっしゃって、それ以来、麗妃様は毎晩枕元に羽根を置かれていました」
「その占い師の名は?」
「分かりません……でも、宮中には出入りしていない方でした」
青荷は内心で眉をひそめた。後宮に属さない者が妃の習慣に影響を及ぼすのは珍しい。さらに、同じ習慣を持っていた妃たちが相次いで亡くなっているのなら、ただの迷信では済まされない。
「その羽根は、どこから手に入れたの?」
「麗妃様は……魏貴妃様の女官からいただいたと……」
青荷は静かに息をのんだ。
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② 御薬房での調査
青荷は、後宮の奥深くにある御薬房へと足を運んだ。
そこは薬の香りと乾燥させた草木の匂いが満ちた静かな空間だった。
棚には無数の薬材が並び、薬師たちが忙しげに調合を行っている。
「失礼いたします」
青荷が声をかけると、白髭の老薬師が顔を上げた。
「これは珍しいお客様だ。太后様のご命令か?」
「ええ、少しお尋ねしたいことが」
青荷は持参した白い孔雀の羽根を差し出す。
老薬師は羽根を慎重に手に取り、しばらく観察した後、鼻に近づけて香りを確かめた。
「ほう……微かに苦い香りがするな。これは……」
彼は隣の若い薬師に指示を出し、羽根の端をすり潰して薬液を垂らした。
すると、試験薬がじわりと紫色に染まる。
「やはり、『霜影草』か」
「霜影草?」
老薬師は頷き、棚の奥から干からびた草の束を取り出した。
「この草は毒性が強く、ごく微量ならば無害だが、長時間肌に触れていると体に蓄積し、じわじわと毒が回る。
特に、夜ごと枕元に置いていたとなると……」
青荷は背筋が冷えるのを感じた。
「つまり、意図的に仕込まれた可能性が高い、と?」
老薬師はゆっくりと頷いた。
「そうだな。この毒を自然に摂取することはありえない。誰かが細工したのだろう」
青荷は礼を述べ、御薬房を後にした。
羽根に仕込まれた霜影草の毒、その摂取の仕方。
すべてが仕組まれた罠だったのだ。
③ 白い孔雀の羽根の出所調査
青荷は、後宮の倉庫へと足を運んだ。
重厚な木の扉を開くと、埃の舞う薄暗い空間に無数の木箱が積み上げられている。
調度品や衣装、装飾品などが几帳面に仕分けられ、それぞれに細かく記された札が下がっていた。
倉庫番の宦官が帳簿をめくりながら、眉をひそめる。
「白い孔雀の羽根、ですか……?」
「ええ、最近宮中に入ったものを調べたいの」
青荷が告げると、宦官はしばらく考え込み、それから奥の棚へと歩いていった。
青荷も後を追う。
宦官は棚の隙間から一枚の帳簿を引き抜くと、指でページをなぞりながら言った。
「確かに羽根の類は幾つか記録されていますが……白い孔雀の羽根となると、正式な備品ではないようですね」
「では、どこから?」
宦官はさらに帳簿をめくる。
「どうやら、外部の商人が納めたもののようです。宮中での正式な発注は確認できませんが、個人的な注文で持ち込まれた可能性が高いですね」
青荷は帳簿を覗き込む。
そこには、最近入荷した白い羽根の項目があり、納入者の名前として「慶安堂」という商家の名が記されていた。
「慶安堂……?」
「後宮に品を納める商家のひとつですが、主に香料や布地を扱っているはずです。白い孔雀の羽根など珍しいものを持ち込むとは、少し妙ですね」
青荷は静かに息をのんだ。
何者かが、この商家を通じて意図的に羽根を後宮へと流したのではないか。
「次は、この商家について調べる必要がありそうね……」
青荷は帳簿を宦官に返し、倉庫を後にした。
④ 商人との接触
青荷は、影衛司の協力を得て、その商人を密かに呼び出した。
夜更け、人目を避けるように指定された小さな茶屋へと足を運ぶ。
店内にはほの暗い灯りがともり、湯気の立つ茶器が静かに置かれている。
対面に座る男は四十前後の商人で、浅黒い肌に神経質そうな目をしていた。
「これはこれは、お役人のお方ですか」
商人はへらりと笑いながらも、視線は落ち着かず、茶碗を持つ手も微かに震えていた。
「慶安堂の者と聞いているわ」
青荷は静かに言いながら、卓上に一枚の羽根を置く。
「これは、あなたが後宮に納めた品でしょう?」
商人の視線が羽根に吸い寄せられ、一瞬だけ瞳に警戒の色が浮かぶ。
「さて、どうでしょうな。羽根など珍しくもありませんし……」
「この羽根には、毒が仕込まれていた」
青荷の声音がわずかに低くなる。
商人の顔色が変わり、額に薄く汗がにじんだ。
「そ、そんな……冗談でしょう?」
「試してみる?」
青荷が手袋を外し、指先で羽根をつまんで見せる。
「あなたも、少しの間触れてみればわかるわ」
「……っ!」
商人は肩を震わせ、あわてて手を振った。
「待ってくれ! そんなつもりじゃ……ただ、注文を受けて納めただけだ!」
「誰の注文?」
「……魏紫音という女官だ」
商人は、観念したように息を吐き出しながら答えた。
魏紫音──貴妃に仕える側近の名が出たことで、青荷の疑念は確信へと変わる。
「羽根が原因かもしれません」
青荷の報告を受け、太后はゆっくりと羽根を手に取った。
白く、美しい光沢を帯びた羽根。
しかし、その優美な姿の下に潜む毒を思えば、ただの装飾品ではないことは明白だった。
「試してみましょう」
太后は穏やかに告げ、影衛司の密偵・陳星河に羽根を渡す。
陳星河は無言でそれを受け取り、指で何度か羽根の表面をなぞった。
そして数時間後。
「……かすかに痒みが」
彼は手の甲をまじまじと見つめた。
そこには、ごく薄い発疹が浮かび上がっていた。
「やはり」
太后は微笑む。
「この羽根には微量の毒が塗られているのね。おそらく、長時間触れていると少しずつ皮膚から吸収される毒……例えば、『霜影草』のエキスかしら」
青荷は静かに息を吐く。
──これで、決定的だ。
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### 真相と犯人
青荷の調査により、この羽根は宮中の御薬房を経由せず、外部から特定の商人を通じて持ち込まれたことが判明する。
そして、その商人は貴妃・魏紫音と密接な関係があった。
青荷は静かに大后へ報告した。
「皇后派の貴妃が、麗妃らを排除するために仕組んだのですね」
大后は、微かに目を細めながら、掌に置かれた白い孔雀の羽根を撫でた。
美しく光を反射する純白の羽。
だが、その優雅さの裏に潜むのは、じわじわと蝕む毒。
「美しいものほど、時に恐ろしい毒を孕むものよ」
彼女はゆっくりと羽根を卓上に置き、侍女に目配せした。
「魏紫音を召しなさい。」
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後宮・謁見の間
魏紫音が足を踏み入れると、そこには静寂が満ちていた。
太后は帳の奥、燭台の揺らめく光の中に端然と座っている。
静かに湯気を立てる茶器。
香の煙がゆらりと立ち上り、まるでこの場の空気までも絡め取るようだった。
「貴妃、よくいらしたわね」
太后の声音は穏やかだったが、その目は冷ややかに魏紫音を見据えていた。
「何か、ご用でしょうか?」
魏紫音は平静を装うが、その指先は衣の裾をぎゅっと握り締めている。
太后は、侍女が捧げ持つ盆の上から、白い孔雀の羽根をそっと摘み上げた。
「この羽根、美しいでしょう?」
魏紫音の瞳がわずかに揺らぐ。
「ですが、残念なことに……」
太后は羽根を指先で撫でる。
「この美しさの裏には、毒が潜んでいたの」
魏紫音の喉が小さく鳴る。
「貴妃、お覚悟はよろしくて?」
静寂。
魏紫音の顔から血の気が引き、膝が震える。
扉の外では、影衛司たちが控えている。
逃げ場はない。
彼女の唇が何かを言おうと震えた瞬間──
「お茶が冷めるわ」
太后は静かに湯呑を手に取り、薄く微笑んだ。
魏紫音が崩れ落ちるのを余所に、彼女はゆっくりと茶を啜る。
ほのかに香る茶葉の余韻が、後宮に渦巻く陰謀の名残を洗い流すように広がっていく。
「少しは退屈が紛れたわ」
太后は微かに笑みを浮かべた。
シリーズ短編をここに集める予定です。早めに読みたい方は短編の方えお読んでください