空を見上げた気持ち
言葉に出来ないくらいのことがあって、行き場を探して、同時にそんなものは何でもないことだとも思う自分が。慣れてしまうことは悲しいことではなくて、むしろ清々しいものだと受け入れるなら薄く漂う空の雲に肩入れしてしまうのだ。いつか聴いていた卒業ソングはたまらなくその場面を鮮やかに心の中に映し出す。どうしてそんなに鮮やかなのだろうか。そんな時の方が。
嘘か本当なのか分からないくらいのところで、世界に「新しい兆し」を感じて訪れた地元のライブハウス。リタイア後、私財を投入して念願だったオープンに漕ぎ着けたオーナーの話をネットで知り、青春時代ギターを齧っていた記憶が蘇ったら自然と足が向かっていた。飲屋街とは言っても小さな町の話、春を待ち侘びる人々が夜に出歩くということはあまりないように思われる。<本当にこの場所なんだろうか?>と訝しんで店内に入ると薄暗いと同時に正面から煌々とライトがやってきて、そこが「ステージ」であるということがすぐに分かった。入り口付近のいたオーナーらしき人に挨拶して話を伺うとその日にとある地元のバンドが演奏する予定であると知った。自由に席に座って、自由に飲んでもらっていいスタイルらしく、ステージ付近の席で話をしながら楽器の準備をしているらしい3人組が1時間後には演奏する模様。システムは理解したものの、自分がそこでなにをしたら良いのか分からず、とりあえず後方の席に座る事にした。しばらくしてそこに落ち着くと喉が渇いてきた。ビールを注文して、スマホで店内を撮影してみたりしながらぼんやりライトを眺めている。
そんな時、昔同級生に聞いた言葉を思い出した。
『理不尽なことばっかりだよ。だから歌うのかも知れないな』
音楽に青春を捧げるように生きていたその人はやっぱりそういう方向に行ったらしい。前に会った時に随分ビジュアルが変わっていたので驚いたけれど、カラオケで音楽の話題を話したりしていると心の底から嬉しそうな表情を向けてくれていた。今目の前で準備しているバンドの人達も同じように嬉しそうな顔でギターを弄っていたりして、それを見ていたら羨望ともいえそうなものが。でも多分それだけではないなと感じる。それは何というか、「不思議な」感覚なのかも知れない。
30分くらい過ぎて店にお客が数名でやってきた。明らかに「地元」の人間という感じでバンドの知り合いらしく、一人がメンバーに話しかけに行った。昭和だったら幾らでもあった光景なのかも知れない。この時代だからなのか新鮮に感じる。
ぼちぼちとメンバーが準備を始める。突如とハウスに鳴り響いたエレキの音は静かな夜と対照的でほろ酔い気分の耳には鋭く伝わる。アコースティックギターが鳴らしたコードは自分が馴染んでいた時代のものと共通していて、聞いているうちに弦を掻き鳴らすパチパチした音が臨場感を与えていた。次第に空間は音に包まれてゆく。
「サムシング」
オリジナルであるという最初の曲名のコールから演奏が始まった。年齢的にも若々しさよりかはパワーのある大人のロックという感じ。ステージの衣装がしっかりミュージシャンに見えて、ドラムの音も胸に伝わり高揚感がある。歌詞の全てを覚えているわけではないけれど、『ここから 風を切って』というフレーズはメロディーも含めて耳に残った。「万雷の拍手」とまではゆかない人数だけれど、場は大いに盛り上がった。演奏後、ボーカルのMCが始まってメンバーが紹介される。どうやら今日初めてきた自分の為に丁寧に紹介してくれたらしく、こちらに視線を送って一礼してくれた。その後、「うか」という語句が聞こえてバラードが演奏されたけれど、どういう意味だったのだろうか。少し厚みのある声の情熱的な歌い方で、サビの部分の解放感に思わず瞳が潤んだ。
たとえば大切な何か、が自分の中にあるとして、こんな時代でも誰かに伝えようとすることがあるとすればもしかしたら愚にもつかないことなのかも知れない。それでも。
何曲か演奏されて、あっという間に最後の曲になるということがマイク越しに伝えられた。
「最後の曲は、『スターティングオーバー』。新曲です」
曲の始まりはアカペラで始まる。
『いつか来た道を もう一度 辿るように』
ワンフレーズが終わってから、ドラムから壮大に演奏が始まる。何かの終わりを感じさせる切なやさ、新しい希望がコードに現れていて、なぜだろう語られていないのに明確に「春」を感じた。その日一番心を掴まれて、演奏中は無意識に首を振って身体を揺らしていた。分からないけれど「匂い」なのだろうか。
何ともいえない時間、何かがまだ続いているようなそんな時間が過ぎ、心の中に、満ちる。
演奏後、バンドのメンバーに挨拶をする。ぎこちない感じではあったけれどその時彼らに伝えたいことを言葉で伝えて、それに対してメンバーは感謝の言葉を述べてくれた。<ああ、キラキラしているな>と素朴に思うくらいには感動的な時間だったのだろう。
余韻が残るまま、「しん」としている夜の道を歩く。一瞬訪れた「春」が分からなくなるような寒さに何となく悲しいような気もしたけれど、そんな気持ちになったことを我ながらおかしく感じて「ふっ」と笑っていた。結局この日のことも、これまでもこれからも、自分はこんな感じで経験してゆくのかもなと思ったこと。
答えにはなっていないのかも知れない。何かの答えには。だけど大切な何かはあるんだなって。星空を見上げた気持ちはそういうものだろうか。