最終話 こうして物語は手紙とともに綴られていく
私が何も知らずに一ヶ月を過ごしている間に、世間は何やら騒がしくなっていたようです。
私はアスターに呼ばれ、ウィンズ公爵邸の執務室にやってきました。よく考えると、アスターの執務室に入るのはこれが初めてで、壁一面の革張りの本と著名な作家の彫像や絵画、執務机に応接用のテーブルとソファ、どれも古くとも一流の品ばかりです。管理が行き届いた部屋からは、ディズリー広場が一望できました。
執務机を挟んで、私はアスターと相対します。
深刻な表情のアスターは、こう告げました。
「ミリー、突然だが、婚約者になってもらえないか」
私は理解が追いつかず、アスターは返事を待って、沈黙が部屋を支配します。
ちんぷんかんぷんな私の様子に気付いたアスターは、すぐに説明に取りかかりました。
「ああ、順を追って話すよ。とりあえず、聞いてもらえるかい」
「は、はい。それなら」
「まず、一週間と少し前に手紙が来たんだ。新大臣のテイワズ侯爵から、元イリアス侯爵が大臣在職時に公金横領や各所へ賄賂の要求をしていた疑いがあるため、身柄を引き渡すように、という内容だった」
元イリアス侯爵、つまり私の父が、横領や賄賂を?
そんなこと、あるのでしょうか。我が家は財産もありましたし、貴族とはいえ遊ぶ風潮もなかったので派手な生活はしていませんでした。そもそも私の父は誰も手を付けられなかったユルベール王国の赤字財政を立て直しましたが、それは貧乏くじのようなもので、日夜仕事に忙殺されていました。私と母はそんな父の邪魔はするまいと、心配をかけないよう外出を控え、たまの家族団欒を大事にしてきたのです。
私には、父が犯罪に手を染める姿が、とても想像ができませんでした。
「あのお父様が、そんなことをするなんて思えません」
「そうだね、僕もそう思い、君のお父上ともこれについては協議した。断じてやっていない、とおっしゃっておられた。だから、僕は君のお父上を支持する。ただ、それだけでは理由として弱いから、色々と他にも理由をつけて」
父の味方をしてくれるアスターの話に私はじっと耳を傾けて、話に集中します。
そのアスターは、一計を案じて、こういう話を作りました。
「僕はイリアス家のミリアライゼと婚約をしている、公爵の婚約者の家族を証拠もなく犯罪者のように扱う無礼な要求は呑めない、として拒絶したんだ」
確かに、その理由であればたとえ大臣であろうとそう易々とウィンズ公爵領で好き放題はできませんし、ウィンズ公爵の保護下にある私の父を強引に捕まえようものならユルベール王国とウィンズ公爵の関係が悪化します。そしておそらく、父の犯罪について明確な証拠はないのでしょう。官僚や貴族たちの証言が関の山と見受けられます。そんなものはいくらでも作れますので、当然アスターは納得せず、要求を突っぱねた、というわけでした。
そうであれば、私が協力しない理由はありません。私は鼻息荒く、自分のなすべきことを確認します。
「分かりました、私はアスターの婚約者役をすればいいのですね?」
ところが、アスターはううん、と唸っていました。何か問題があるのでしょうか。
アスターは咳払いをして、真面目な顔で新たな提案をしました。
「ミリー、いっそのこと、僕と本当に結婚しないかい?」
それは、アスターの決断でした。
私と結婚をしないかという話を、アスターは憶えていたのです。当然、私は困惑します。
「で、でも、私はもう貴族ではありません。ウィンズ公爵であるあなたに釣り合いませんもの」
「それはいいんだ、爵位がなくたってイリアス家は由緒ある家柄で、君のお父上、ご当主も信頼が置ける方だ。それに、事情が事情だからね。ここで君と君の家族を守らなければ、きっと僕は後悔する」
アスターはそう言ってくれましたが——私は、アスターに結婚を望まれるような娘でしょうか。十年の手紙のやり取りは、私のことをアスターへ十分に伝えているかもしれません。しかし現実の問題は、そればかりではないのです。
それを、アスターは越えようとしてくれているのでしょう。
「僕は、君にならどんなことでも打ち明けられる。公爵らしくない僕も、君はよく知っているはずだ。僕もまた、君のことは知っている、何せ十年も手紙をやりとりしてきたのだから。それでも、僕と結婚は、嫌かい?」
嫌なわけがありません。
私はあなたに釣り合わない。
そんなことは互いに分かっているはずなのに、それでもと請われれば、私は十年来の友人を無碍にするなんてできません。傷心の私を憐れみ、見返りもなく優しく気遣ってくれるアスター、そんな人にはもう二度と巡り会えません。
「そんな言い方は、ずるいです。断れません」
照れ隠しに、私はちょっと拗ねてみました。
アスターはふふっと笑って、席を立ちます。
「よし。では、手続きを進めよう。君は何も心配しなくていい、ああ、ウェディングドレスを作るいい仕立職人を探すから、少し待っていてくれるかい。それと」
執務机をぐるりと回って、私の隣に来たアスターは、私の左手を取って、片膝を突いて跪きました。
アスターがポケットから取り出したのは、白銀の婚約指輪です。私を見上げて、頬を紅潮させたアスターは、完璧なプロポーズを演じます。
「改めて、僕と結婚していただけますか、ミリアライゼ」
あのころのことですか。
私は、正直に言って、あまり政治の話は詳しくありません。
それでも知っていることを語るとするならば、私たちの結婚後、ウィンズ公爵領はユルベール王国から独立することとなりました。
経緯は、そうですね、ウィンズ公爵トワイスがユルベール王国からの無茶な要求を受け、関係の断絶を宣言したのです。周辺国はユルベール王国よりもウィンズ公爵へ信を置いていたため、こぞってウィンズ大公国の成立を歓迎しました。もちろんその裏にはいくつもの思惑が絡んでいたのですが、その一つは旧ウィンズ公爵領の商工業にあります。ウィンズ公爵改めウィンズ大公は、他国も羨むほどの新技術の数々を、特許という形で開放したのです。これにより周辺国は自国の産業を強化することができ、取引が活発になりました。逆に、ユルベール王国はいくら技術があっても原材料はなく、せっかく私の父が再建した財政もあっという間に悪化してしまいました。西方の国との戦争も負けてしまい、そのままでは存続も危うかったのでしょうが——私にはどうすることもできません。
各国はウィンズ大公国との関係をより緊密にしていき、そして再度発揮されることになった私の父のコネクションもあって、国際関係上の中核を担うこととなったのです。
随分と昔の話です。今となっては、ユルベール王国はなくなり、西方のジャスミニア王国の一部です。そのジャスミニア王国には、私の次女アイリスが王太子殿下へ嫁いでいます。
ヘーゼル、私の可愛い娘。義理ではあっても、あなたにはたっぷりと愛情を注ぎたい母の気持ちが伝わりますよう、願っています。小さな私のファビアンと末長くお幸せに。
ウィンズ大公妃ミリアライゼより、ラスブランカ帝国皇帝ヘーゼル・グローカシア・アゼリア・ラスブランカへ。
追伸、あなたには教えておきますね。ウィンズ大公が私と文通していたときのペンネームは、アスターです。そう、性別も年齢も明かさずに、十年もの間、手紙のやり取りをしていたのです。驚くでしょう? 文字を介したやり取りでも、私たちはちゃんと絆を育んでいて、互いのことを古くからの友人のように知っていました。
数年前、あなたが見初めたファビアンへラブレターを送ってきたあの日、私はとても懐かしく、いつまでもこうして手紙は人を結びつけるのだなと思って嬉しくなりました。
それでは、またお会いしましょう。
というわけで完結です。
最後はざまぁってほどのことはないのでタグつけてません。
昔は遠方の人と会える機会が限られていたから、みんな文通してました。世界各国の王侯貴族のラブレターとか見ると面白いかと思います。