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第七話 イリアス家の待遇

 それから、一週間と少し。私の父と母は、すべての予定を前倒しにして、急遽ウィンズ公爵領領都エヴァンゼリンへやってきました。移譲や売却手続きが煩雑な多くの財産を放棄し、少なくなった家財道具を抱えて、邪魔をされないうちに夜逃げ同然にやってきたそうです。


 そんな私の父と母を、アスターは快く出迎えてくれました。すぐに行動拠点となる住居を確保するため、到着した翌日には目星をつけてあった物件に下見に行く、という算段を整えていたのです。とても手回しが早く、私の父も驚いていましたが、これほど有難いことはありません。それに、アスターは道中、私の父へこんな話もしていました。


「よろしければ、ウィンズ公爵領の財政顧問に就任していただけませんか。ユルベール王国の財政を立て直したあなたの手腕があれば、ウィンズ公爵領はもっと効率的に、満遍なく栄えることができるでしょう。若輩者の僕を支えていただけると助かります」


 ふむ、と私の父は満更でもない反応を返していました。いくつか難しい質問をして、アスターはそれに答えます。それに満足したのか、私の父はアスターの提案を了承しました。


「分かりました。このような身にも仕事があるというのは幸いです。引き受けましょう」

「色よいお返事がいただけて嬉しいです。さっそく、明日から公爵邸で今後の計画を練りましょう」


 どうやら、お互いにいい条件で折り合えたようです。私の父は追い落とされたものの、長年大臣を務め上げてきただけに、得意分野の政治手腕は確かなのでしょう。アスターがそれを尊重してくれるというのは、予想外でした。普通なら領地経営の主導権を乗っ取られるとか、後釜に座った王都の貴族たちに睨まれるとか懸念して遠ざけようとするのでしょうが、アスターはそんな心配をしている様子はありません。もっとも、私の父ももう大それた野心などなく、家族で平穏無事に暮らしていきたいのかもしれません。


 私たちはアスターに先導されて、ウィンズ公爵邸から少し離れた住宅街にあるアパートメントにやってきました。アスター曰く、二ヶ月前まで隣国マースランドの商人が暮らしていた家で、その商人は商売が好調になって羽振りがよくなり、エヴァンゼリン郊外に新しく店舗兼屋敷を構えたので引っ越していったそうです。


 外見はごく普通のアパートメントでしたが、中に入ってみると公爵邸と同じく広々としており、部屋数は多くはありませんが使用人を雇っていない今の我が家にはちょうどいいところです。古いテーブルや棚など家財道具も少し残っているので、買い足さなくていいことも楽です。そういえば、今はウィンズ公爵家に置いてもらっているメイドのキュリアを雇いつづけることはできるのでしょうか、あとで父とアスターに聞いておかなくてはなりませんね。


 二階の窓から外を見聞していたアスターと私の父は、家の確認作業を終えて、話していました。


「この家なら大通りにも面していますし、周囲に商店もありますから便利ですよ。広さも十分でしょう」

「うむ、そうですな。ここに決めましょう。おーい、マギー、決めたよ」


 なんと、即断即決です。あっという間に決まり、父は私の母マーガレットを呼んでいました。


 細かい話は後回しにして、引っ越しの荷物を部屋に運び入れなくてはなりません。ウィンズ公爵邸から数人の男性使用人がやってきて、手伝ってくれました。もちろん、私の父母、そしてアスターまでも一緒に作業をしています。私はせいぜい軽いものしか運べませんから、邪魔にならないようはたきと布巾を持って各部屋の掃除です。母に教わりながらの、初めての作業に自分でも不器用ながら何とかやっていきます。


 数時間後、ひとまずリビングとキッチン、三人分の部屋は家財道具を運び入れて、人が住めるようになりました。馬車に積んであったものはすべて運び入れましたし、残りはおいおいやっていく、ということで一旦終了です。


 掃除中に母から話を聞いたのですが、母は元々田舎の伯爵家の令嬢で、忙しい使用人に混じって家事をすることも日常茶飯事だったそうです。それはそれで楽しかった、とてきぱき掃除を終える母は、もしかすると今のほうが本来の性分に合っているのかもしれません。


 母がキッチンでお茶を淹れて、アスターと家族三人でテーブルを囲みました。ちょっとした打ち上げ、というものらしいです。和やかな雰囲気の中、四人で談笑します。


「ミリー、よかったですね。文通のお相手が優しい方で」

「はい。とてもよくしていただいています」

「十年来の付き合いのある方ですものね。おまけに家の手配やお父様の就職の斡旋までしていただいて、感謝してもしきれないわ」


 褒められたアスターは、朗らかに対応します。


「大臣にまで上り詰めた才覚あるお方を放っておくなど、あまりにももったいないですからね」

「ははっ、そのように言われると照れますな。もっとも、私はその職を追われた身。笠に着る真似はできません」


 私の父も上機嫌です。アスターがわざわざ引っ越すよう誘ってくれたのですから、邪険にされることはないと知っていましたが、歓迎されるとも思っていなかったものですから、望外の待遇です。言葉はどうであれ父もプライドを傷つけられることはなく、アスターは上手く収めてくれました。


 その父が、こんなことを言ってしまいました。


「ところで、娘のことはどう思われますかな。もしお相手がいなければ、娘をもらってはいただけませんか」


 危うく、私は持っていたティーカップを落とすところでした。アスターも目を丸くしています。


「お、お父様? 突然何を」

「あら、いいですわね。お礼代わりではありませんが、いい話だわ」


 母まで乗り気です。いい提案をした、と思っているのでしょうか。私は、慌てて声を振り絞って、二人を制止します。


「やめて。断られたら、嫌だから」

「そうは言うが、お前も早く結婚したいだろう?」

「それはそうですが、アスターは」


 アスターは、私の友人だから。


 そう言っていいのかどうか、私は迷いました。確かにアスターは友人です、文通相手で、実家の零落と婚約を破棄された傷心の私を慰めてくれた人です。でも、そればかりでしょうか。


 戸惑う私へ、アスターは優しく尋ねてきました。


「ミリーはどうしたい? 僕のことはどう思っている?」


 私はうつむきます。どうしたいと言われても、どう言ったって私は——。


「まだ、決められません。気持ちが、落ち着かなくて」


 結論を先延ばしにすることが、必ずしも悪いことではないはずです。


 私は、まだ心の準備ができていません。だって、アスターと初めて顔を合わせて、二週間も経っていません。十年来の文通相手で友人であっても、結婚となると、いくら何でも話が早すぎます。


 一方で、私はこうも思うのです。もう私は侯爵令嬢ではない、その噂もあって結婚相手がそう簡単に見つかるとも思えず、世間知らずの私は世慣れた男性に騙されてしまうことだって考えられます。それならいっそ、アスターと結婚できれば、それは嬉しいです。問題は、ウィンズ公爵という身分の男性が元貴族とはいえ平民と結婚することなど考えられず、それにそんな図々しい、打算あっての結婚の打診なんて嫌だ、ということです。


 それをはっきり口にすることは、躊躇われます。この場にいる誰もが、そこまで踏み込んだことは言えません。 


 気まずい空気の中、アスターが状況を打開してくれました。


「そうか、悪い返事ではなくてよかった。大丈夫だよ、焦らなくていい。よし、この話は一旦保留だ」


 改めて、結論を先延ばしにすることは、悪いことではないのです。


 今はそう信じて、互いに棚上げすることにしました。


 しかし、私たちを取り巻く状況は、私とアスターがゆっくり決断するまで、待ってはくれませんでした。

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