第五話 お買い物の仕方
昼になると、外は暖かくなっていました。歩くにはちょうどいい気温です。
私はアスターの家のクローゼットにあった服を借りました。今は亡きアスターの母やそのまた母……といった歴代の女性陣が残したもので、街歩き用にブラウスと巻きスカート、スカーフ、ハーフコートを選び、ブルーベルとキュリアに着こなし方を教わりました。実家でいつも着ているドレスは、こちらには持ってきていません。嵩張りますし、荷物を少なくしたかったから、必要があれば買おうと思っていただけに、とても助かりました。ついでに年代物の赤い革のハンドバッグを借りたのですが、他のバッグもどれを見ても先進的でエレガントなシルエットのものばかりで、思わずウィンズ公爵家の女性陣のセンスのよさに感嘆のため息が出ました。
一方、アスターはというと、中折れ帽と落ち着いた色合いのツイードのスーツを着ています。公爵とは見抜かれなくても、それなりな身分の男性であることは一目瞭然です。
私の希望した文具店のある、さまざまな店舗の連なる十字の通りは、領都エヴァンゼリンの高級な品々を扱う店が多く、少し隣の通りを入ると、また違った専門店街や市民御用達の商店街も繋がっています。目的なく歩くだけでも楽しく、またここなら大抵必要なものは手に入るらしく、買い物をするにはぴったりです。
私は老舗の文具店で万年筆とインク、便箋、封筒、それに切手を買いました。しかし、どんなものがいいのか私には見当もつかなかったので、アスターが先回りしていくつか候補を出し、その中から私がしっくり来るものを選ぶ、という方法を繰り返して揃えました。封蝋とスタンプは帰ってからアスターに借りましょう。それにしても、私が自分で買い物をして、自分用のものを手に入れる、というのは初めての経験です。今までなら、執事に頼めば屋敷にいながら何でも調達できましたし、そもそも買い物に外へ出ること自体とても少なかったのです。お金の使い方だって、この旅でキュリアに習うまで、紙幣と硬貨の違いもよく分かっていませんでした。自分がどれほど箱入り娘だったか実感してしまって、何だか肩身が狭い思いです。
文具店の紙袋とハンドバッグを抱えて、私はアスターにくっついていきます。アスターは慣れた様子で、別の店に入りました。外の看板や小窓の商品を見るかぎり、高級ブティックでしょうか。中は——ちょっと雑然とした棚が並ぶものの、置いてある品は立派な箱やベルベットの布に巻かれてあるあたり、ブランドものばかりだと分かります。ラベンダーの描かれた紙を貼った瓶詰めのヘアオイルもありますね。その向こうにはふわふわのタオルも棚に詰められています。本当に、何の店なのでしょうか。
店主は年嵩のいった女性で、ウィンズ公爵家執事のブルーベルを思い出させるようなきっちりとした身なりの方です。店で扱っている高級な品々を考えると、なるほどしっかりとしたお店だと納得が行きます。
先を進んでいたアスターが、私を手招きしました。
「ミリー、こっちに」
呼ばれて近付くと、アスターの手には新品のヘアブラシが二本ありました。白い毛と黒い毛です。何が違うのでしょう、ぱっと見では分かりませんが、触れていいのでしょうか。うーん、買い物の仕方が分かりません。
しかしアスターは慣れています。おそらく、ヘアブラシだっていいものを選べるのです。
「どちらがいい? ひとまず、この白い豚毛のブラシがいいと思うんだが」
「えっと……その、どうしてヘアブラシを?」
「君の髪、手入れしないと。せっかくの栗色の髪がもったいないよ」
そこまで言われて、はたと気付きました。そういえば、部屋に篭りはじめてから、髪の手入れを怠っていました。見た目が見苦しくないよう長髪は編み込んで体裁は整えていたのですが、やはり手入れが必要なほどぼさぼさになっているようです。
でも、すっかり化粧も髪の手入れもしなくなって、失念していました。
「そういえば、手入れの道具は全部置いてきてしまいました。できるだけ、荷物を少なくしようと思って」
すると、アスターの顔色が変わりました。すぐに店主を呼んで、こう言いつけます。
「ここにある髪の手入れの道具を一式もらいたい。あと、そこの青い髪留めも」
店主は機敏に反応し、雑然としている棚から目的のものをあっという間にピックアップしていました。ヘアブラシとヘアオイルはもちろん、最近流通しはじめた天然素材のシャンプーとトリートメント、炭酸を入れたクレンジングに、絹のナイトキャップまで揃っています。髪留めはネットと青いリボンがついたバレッタで、上手く使えば可愛らしくまとめられそうです。
商品が大きな紙袋にまとめられて、こんなに買うのか、と私がぽかんとしていると、アスターはまだ物足りないとばかりに尋ねてきます。
「他に必要なものは?」
「アスター、そこまでしていただかなくても」
「君は我が家の客人で、僕の友人だ。それに、レディは身だしなみを整えることも仕事の一つだよ。足りないものがあれば言いなさい」
そうきっぱりと言われてしまうと、私には断る理由がありません。有無を言わせぬアスターの気迫に負け、せめてそれ以上は買わなくていいので、と急いで店を出ました。
大きな紙袋を持って道を歩くアスターは、満足げです。そんなに私の髪はみっともなかったのでしょうか……いえ、アスターはきっとおせっかいなのです。誰かのために何かをしたくてたまらない人なのでしょう。
それはきっと、得難い性分です。貴族の、それも公爵ともあろう人が、積極的に誰かの世話を焼くなんて普通なら考えられません。それでもアスターは、私のためにとわざわざウィンズ公爵領へ招待して、髪が痛んでいるからとヘアケア用品まで買ってくれて、放っておくとまだ何か尽くしてくれそうです。
甘えたくないのに、アスターは私を甘やかしてしまっています。そこは、世話をしてもらっておきながら言ってはいけないのでしょうが、私はちょっとだけ不満でした。
作中の年代は明確には決めていませんが、とりあえず硬水の地域でシャンプーがある、ということは確定です。
多分、卵と蜂蜜のヘアパックとかカモミールティーとか使ってると思います。