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第三話 泣いてしまいました

 ウィンズ公爵邸は、いわゆる庭付きの豪邸ではなく、一等地に建つアパートメントが丸ごと一つ、邸宅となっていました。ユルベール王国では珍しい形式です。


「中は広いのですね」


 天井の高い三階の応接間で、私は周囲を見回します。シャンデリアだけでなく、この部屋の壁紙一つ取っても格調高さは一目で分かります。飾られた勲章や鎧盾は歴史の古さを、大理石のテーブルや片袖ソファといった家具は財産の豊かさを表していました。我が家は裕福なほうでしたが、それをはるかに上回るでしょう。


 アスターはソファに座り、私と相対します。


「よく言われるよ。数百年前に越してきて、代々ずっとここに住んでいるものだから、周りがどんどん発展して取り残されたようになってしまってね。都市国家では貴族の邸宅でもよくある形式らしいけど、ユルベール王国では珍しいだろう」


 どうやら本当に、アスターはウィンズ公爵であるようです。信じていないわけではありませんでしたが、実感が伴ってきました。


 出された温かいココアが身に染みます。家から今まで緊張が張り詰めていたので、やっと一息つけると思うと、気持ちが緩んできました。


「まあ、それはともかく、よく来た、ミリー。大変だったね」


 アスターの優しいその言葉が、私の心の重荷を取り去ってしまって、ふくらんだ風船に針を刺すように感情が溢れ出しました。


 あまりにも事務的な婚約破棄、実家の凋落、失われていく家と人々、どうしようもなく沈んだ気持ち、誰も助けてくれない現実と諦め。みっともなく喚いても何一つ状況は改善しないと分かっているから、貴族の娘として感情を露わにすることはできなかった。


 ずっと、私は誰かに助けてもらいたかったのでしょう。でも、甘えと思われたくない、自分の父親が悪いのだと言われたくない、責任転嫁をするわけにはいかない、そう思って、誰にも言えなかった。状況が流れるままに、抵抗せずに、静かに泣いて、いつつくかも分からない気持ちの整理を待っているしかなかった。


 いつのまにか、私の目から大粒の涙がこぼれていました。ぽたぽたと手や袖に落ち、拭こうにも、どんどん湧いてきて前が見えません。私は後ろに立っているキュリアを呼ぼうとしましたが、それよりも先に、私の隣に誰かがやってきました。


 ハンカチで私のまぶたを拭くその手は、キュリアの手ではありません。男性の骨ばった手です。やっと見えたアスターの顔に、またしても私は涙が出てきました。


「アスター、私」

「よしよし。君の家のことは聞いている、本当に災難だった。もしもっと早く知っていれば、手助けできたかもしれなかったが」


 アスターの声は悔しげです。イリアス侯爵家の窮状を早くに知っていれば、本当に支援してくれたかもしれません。


 しかし、それは嫌です。ウィンズ公爵家には関係ありません、あくまで私の父が政争で負け、家が取り潰されたのです。私は、ほんの少し、気持ちが落ち着く時間と場所が欲しかった。ただそれだけです。


「そんなことはいいのです、アスターに迷惑はかけられません。会えて嬉しいです、アスター」


 それは私の本心です。そのまま伝わるなんて都合のいいことは思いません、私はアスターに頼りすぎてはならない、それは肝に銘じておきます。とはいえ、今は涙声でそれを言葉にすることができないので、あとでちゃんと言わないと。


 アスターは私の背中に手を添えて、嗚咽を漏らす私を落ち着けてくれました。


「とりあえず、今日は休みなさい。疲れただろう、積もる話は明日だ。ブルーベル、彼女たちを部屋に案内してくれ」


 執事の女性、ブルーベルはさっきよりも声のトーンを落として、柔らかな口調で対応します。


「かしこまりました。ミリアライゼ様、私、ウィンズ公爵家の執事ブルーベルと申します。トワイス様のお客人とあらば、しっかりとおもてなしさせていただきますゆえ、何なりとお申し付けくださいませ」


 私はアスターにおやすみなさいと挨拶をして、キュリアとともに荷物を持ってくれているブルーベルについていきます。ブルーベルは、私へ、キュリアに視線を向けながらこう尋ねてきました。


「こちらの方は?」

「メイドのキュリアです。でも、もう」


 私もキュリアも、それにはあまり触れないようにしてきましたが、いつかは言わなければなりません。


 キュリアは、もう我が家では雇っていられなくなるでしょう。もちろん、キュリアほど有能であればどこでも雇ってくれるに違いありません。できればこの旅で、他のメイドと同じく我が家にいたことは黙って、王都から離れた土地で職を得たほうがいいはずです。


 ブルーベルはそれを察してか、キュリアに向き直り、意外なことを提案してきました。


「キュリア、ウィンズ公爵家で働きませんか?」

「えっ」

「ミリアライゼ様の逗留中だけでもかまいません。あなたも手持ち無沙汰でしょうし、ミリアライゼ様の身の回りの世話は慣れている者がやったほうがいいでしょうから」


 私はキュリアの顔色を窺います。しかしキュリアは、即答しました。


「お気遣い感謝します。では、今しばらくはその名目で働かせていただきます」


 こうして、キュリアはまだ少しの間、私と一緒にいられるようになりました。


 アスターとブルーベルに感謝して、ベッドに入り込み、私は旅の疲れですぐに眠りに落ちました。

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