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元侯爵令嬢の十年来の文通相手は優しい公爵閣下でした  作者: ルーシャオ


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第一話 拝啓、アスター

本当は短編にするつもりがあれよあれよと謎の文字数増加現象が起きてしまったので連載です。


「あなたが婚約破棄をされたと聞きました。もうそんなところにいないで、私の住むウィンズ公爵領に来なさい」


 文通相手のアスターからの手紙には、そう書いていました。


 どうしてアスターはそれを知っているのだろう、と思いましたが、私はアスターの気遣いが涙が出るほど嬉しくて、雫を手紙に落としてしまいました。


 私、イリアス侯爵家のミリアライゼ……いえ、元イリアス侯爵家ですね。ほんの一週間前、私の生家イリアス侯爵家は取り潰しになりました。


 私の父であるイリアス侯爵は、ユルベール王国の大臣を長く務めていました。しかし、突如、貴族の間で専横の批判を浴び、軍を率いた第一王子が王国西方の防衛に失敗したことでその責任を問われ、辞任を余儀なくされました。謀られた、と父は言っていましたが、どうすることもできません。そのままイリアス侯爵家は爵位も奪われたのです。


 同時に、私は婚約者のテイワズ侯爵子息マークスから、婚約破棄の通知を送られました。もはや会うことも嫌なのでしょう、辞任した大臣の娘と会えばよからぬ噂を呼ぶ、などと理由を付けていますが、その本心はもはや侯爵令嬢でもなくなった娘との婚約など必要ない、ということです。私はそれ以来部屋に篭り、父と母がイリアス侯爵家の取り潰しに伴う後始末に追われている中、絶望感と無力感に苛まれていました。


 マークスとはもう会えません。決して悪い人ではありませんでしたが、父親の顔色を窺う癖のある人でした。彼の父、テイワズ侯爵は、私の父の後釜として大臣の座に就いたそうです。マークスがテイワズ侯爵の反対を押し切って私と結婚する、などということは、まずないでしょう。それは分かっていた、そのはずですが、どうしても悲しくなります。


 私は、婚約者から見捨てられたのです。もののように、いらないからと捨てられた。婚約という契約は互いに利益があるからこそのもので、愛があろうがなかろうが関係ない。


 その現実を前に泣き暮らしていてもしょうがない、と頭では分かっているのです。


 しかし、私は毎朝、泣きながら目を覚まします。メイドに付き添われ、部屋の外に出ようとしますが、あと一歩が踏み出せません。呆然と毎日を過ごし、せめて忙しい父母の邪魔はすまいとメイドを通じて心配しないよう伝えておく、そのくらいしかできません。いい加減猫っ毛で手入れの必要な栗色の長い髪も、ぼさぼさになってきていました。


 一週間、何も考えられなくなって、食事すらも嫌になってきた私に、幼いころから一緒にいるメイドのキュリアが手紙を持ってきました。


「お嬢様、アスター様からのお手紙ですよ!」


 アスター、という名前を聞いて、私は顔を上げました。


「本当に? アスター、私のことを聞いてしまったのかしら、心配をかけてしまっていないかしら」

「まあまあ、お嬢様、読んでみましょう。さあ、ソファに座って待っていてください、温かいお茶を用意しますから」


 キュリアはすぐに、私をソファに座らせて、お茶の用意のために部屋を飛び出していきました。


 私は、持っていたペンで封蝋を開けて、急いで手紙を読みます。


 アスターは、私の十年来の文通相手です。子供のころ、間違って私に届いた手紙を送り返したことがあり、それからずっと手紙のやり取りをしています。アスターは花の名前で、ペンネームですから、本名は知らないのですが——そんなことはどうでもよくて、日々の生活の出来事や楽しいお話、ちょっとした時事、ときには季節の押し花が添えられたりして、月に一、二回の手紙を受け取ることは私にとって何よりの楽しみでした。


 アスターは、私の一番の友達です。だから、言わなくてはなりません。私はもうイリアス侯爵家の令嬢ではなくなり、この屋敷も出ていくことになる。文通は続けられるかもしれませんが、しばらくはやり取りは難しい、と。


 それを思うと憂鬱ですが、とりあえずはアスターの言葉に触れなくては。


 私は、アスターの丁寧な文字を指で追っていきます。


ミリアライゼ(ミリー)へ、大至急、王都を離れウィンズ公爵領へ来なさい……え?」


 封筒の中に手紙は簡潔な文章が書かれた一枚だけ、アスターの住所の詳細なサイン入り地図、それに現金の束が入っていました。


「あなたが婚約破棄をされたと聞きました。もうそんなところにいないで、私の住むウィンズ公爵領に来なさい。地図は私の家に着いたときに出しなさい、私の数少ない友人たるあなたであることの証明となります。現金は少ないですが、旅費にはなるでしょう。幸運を祈ります」


 それだけです。他に何かないか探しましたが、ありませんでした。


 ただ、アスターはきっと、私を助けようとしてくれています。私も、ここにいても何ができるというわけでもありません。外に出ることは気は進みませんが、どのみち屋敷を追われるのですから、外出できるようにならなくては。


 それに——手紙の向こうにいるアスターとやっと会える、そう思うと胸が高鳴ります。どんな人でしょう、貴族だとは思いますが、私の家のことを知っていてこう申し出てくれる貴族がいるのでしょうか。騙されたり、なんてことは考えたくありませんが、騙すつもりならもっと甘言を弄するはずですし、一般庶民には出せないような、少なくない現金を入れるというのもおかしな話です。


「……よし、お父様とお母様に相談しよう」


 私は、お茶を持ってきたキュリアへ、話があるから父と母を呼んでほしい、と頼みました。キュリアはまた、急いで部屋を出ていきます。


 引きこもっていた娘が話がある、と言い出したからでしょう、父と母は慌ててやってきました。呼びつけて申し訳ない気持ちもあります、しかし私が屋敷を歩き回って探して応接室に、という手順を踏むよりも早かったのです。


 少し髪の乱れた、中年に差し掛かったところの父と、出入りする商人の応対のため身なりを整えている母がやってきました。父は屋敷を走り回って財産目録と照らし合わせ、売却の手筈を整えています。一方、母はこれまで付き合いのあった商人たちに売れるものは売り、取引がなくなる旨の挨拶をきちんと済ませていました。


 私から、アスターの手紙の話を聞いた父は、目を丸くしていました。


「ウィンズ公爵領へ?」

「ええ。文通相手のアスターが、これを」


 アスターの手紙を父母に見せ、入っていた地図と現金もテーブル上に置きます。


 父と母は、アスターのことは知っています。娘の文通相手、おそらくは貴族、ということも分かっていますし、私がよく手紙を見せていますから、古い友人の一人と認めてくれています。


 そのアスターが、私を呼んでいる。しかも、婚約破棄の話も知っているということは、イリアス侯爵家が取り潰しになったことも当然ながら知っているでしょう。そんな災難から、私を守ろうとしてくれている、手紙からはそういう意図が窺えます。


「私、一人でウィンズ公爵領へ行ってきます。あ、でも、キュリアが一緒にいてくれると心強いのですが」

「それはもちろん、一人では行かせられんよ。キュリアと、そちらに故郷があるメイドたちも退職金と路銀を渡して、ウィンズ公爵領まで道中一緒に向かうよう頼んでおこう」


 父はあっさりと許可を出してくれました。できるだけ、何もかもなくなっていくこの家から気落ちした私を遠ざけたいのかもしれません。メイドたちへの退職金、という言葉に、私は気が重くなります。


「お父様、やはり……この家は、追い出されますか」

「うん、まあ、そうなる。すぐに、というわけではない、他にも財産を処分して、大体二、三ヶ月はかかるからそれは大丈夫だ。お前がウィンズ公爵領から戻るころには、といったところだから、新しい家が決まり次第連絡しよう。それまで、その……彼? 彼女? の家に逗留させてもらいなさい。いくらか持参金もいるだろうから、それも渡しておく」

「分かりました。ありがとうございます、お父様」


 使用人たちを解雇して、家も持っていた土地も売り払って、おそらく王都からも出ていくことになるでしょう。先祖代々の土地は爵位とともに奪われました、故郷などどこにもありません。それでも、父は生きていく意思がちゃんとあり、自暴自棄になどなっていません。


 それは母も同じ——なのですが、何か考え込んでいました。


「お母様、どうかしましたか?」

「いえ、気になったことがありまして」

「はあ」

「そのアスターという方、今まで見せてもらった手紙を読んでもさぞ教養のある人物でしょうし、決断も早く、ウィンズ公爵領という少し離れた土地にいながら王都の最新の情報にも触れて耳が早い。一体、どのような人物なのかと思ったのです」

「そう、ですね……悪い方だとは思えないのですが」

「ああ、そういうことは心配していませんよ。あなたを誑かす気なら、手紙はもっと書きようがあるでしょうから」


 母はきっぱりとそう言いました。私と同じ意見です。


 こうして、父母の許可を得て、箱入り娘の私は初めての旅支度を整え、キュリアや他のメイドたちとともに東方のウィンズ公爵領を目指しました。手紙を出すよりも直接行ったほうが早いため、アスターには悪いですが何も知らせずに、お邪魔しようと思います。

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