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「あのヴァンパイア様のペットを盗んで、身柄を返すことと引き換えにはしたないお願いをした人がいるんですって」

「何を口にしたの?」

「なんでもこうして噂にできないほどの話だとか」

「まぁ怖いわ」

「それを腕に抱きついてねだったとも聞いてるわ」

「あの高貴な身分の方に? 身の程知らずね、なんて失礼な事をするのかしら。友人が離れたのも納得だわ」


 クスクスと嘲笑が廊下に響く。

 結んだりしていない、何も見返りなんて求めていない。腕に抱きついてなんかいないと声に出したい。けど私が反応すると「あなたの事なんて言ってないじゃない」「自意識過剰ね、それとも心当たりがあるから?」そう言い逃れをされるとここ数日で学んだ。

 たった数日の間に2回も周りは私に対して手の平を返した。一貫して信じてくれたヘレンさん以外の全ての存在が怖い。


 なるべく聞こえないように、貴族のお嬢様が追い付けない速足で少しでも離れようと移動教室からの帰路を急ぐ。


「何これ……」


 でもそうして逃げるように戻ってきた教室では、私の机にべったり赤い塗料が天面を覆うようにこぼされていた。これを事故か偶然だとは、私はもう思えなくて。


「やだ、びっくりした。血かと思ったわ」

「ああしてヴァンパイア様のコウモリも惑わせたんじゃないの?」

「こわぁい」


 何かただならぬことが起きてるのは既にクラスの全員がとっくに察していた。でもこうしてクラス内で一番身分の高い貴族令嬢が先頭に立って口撃していたら止められる人なんていない。移動教室から戻ってきたらこうなっていたのなら、きっと他のクラスの人も関わっている。

 見て見ぬふりをする人が悪くないとは言わないけど、逆らえなかったのだろう。


 それが私にもわかるし、担任はすでにあてにならないと判明しているので黙って一人で事態の収拾にかかることにした。

 ……教科書やノート類はその日使うものを全部持ち歩いていてよかった。


 昨日寮のベッドがびしょ濡れにされてから、警戒してて助かった。そう思おう。

 なので昨日は部屋を使えず、敷布団とマットレスを干した後ヘレンさんに相談して寮母部屋に隣接した客間を貸していただいたのだけど。


 普段は反省室として使われる部屋だが、事情を話すととても気の毒がってくれて……しばらくこの寮母部屋に帰ってきて良いと言われている。ヘレンさんが私を信じてくれた事だけが救いだろう、そうでなければ……違う方が、信じてくれない人が寮母さんだったら私は……どうなっていただろう。考えたくもない。

 犯人は不明となっているが、寮の部屋には鍵をかけるので確実に相部屋の誰かがやったのだろうとヘレンさんは言っていた。この分なら私物も全部ヘレンさんの部屋で預かってもらわないとダメそうだ。

 もう考えたくなくて、犯人探しはしなくて良いと伝えてある。いつになったらおさまるのか、ヘレンさんに悪いからなるべく早く出て行きたいと考えて気分が重かった所に更にこれだ。


 机は学園の備品だから新しいのを用意してもらわないと……。さすがに先生に言えば替えてもらえるだろうか。

 ……なんで、なんで。人気の高い貴公子のペットを偶然助けたからって、それでほんの少し口をきいたからってこんな目に遭わなければいけないんだろう。

 真っ赤に濡れた机を見ながら、とうとうこらえきれずにホロホロ涙が零れてくる。


 長期休暇の前の学力テストまでの辛抱だってずっと我慢していた。一番上のクラスはいつもピリピリしているから慣れなくて、1年の後期は特待生を維持できるくらいに手を抜いてわざとクラス落ちを狙った。

 今度は昇級すれば彼女達と離れられると思ったのに、別のクラスに協力者がいるならクラスが替わっても何も解決しない。それを突き付けられて限界がきてしまったのだ。


 授業が始まる前に、新しい机に替えてもらわないといけないって分かってるのに足は動かない。涙でにじんだ視界の中、赤い机を挟んで誰かが立っている。誰だろうと気にする間もなく、正面に立った人物は地を這うように怒りをはらんだ声を出した。



「彼女をこのような目に遭わせたのは誰だ?」


 パッと顔を上げると、そこには怒りで目を真っ赤に染めたウォーレンハイト会長が立っていた。

 比喩ではなく、感情が昂っているのだろう、虹彩が真っ赤に色づいている。いつの間に現れたのか……彼を取り巻く女生徒のざわめきは一切しなかったはずなのに、まるで突然姿を現したみたいだ。


「私が聞いた話と全く違うな。君は交流会で見た顔だが、同じクラスだから任せて欲しいと言っていたはずだが。口調からすると『これ』を知っていたように聞こえる」


 会話の中心だった伯爵令嬢が怒りを燃やす声に貫かれて、はくはくと酸素を求める魚のように数度口をわななかせた。


「学園の治安に関わる話だ、君の御父上の影響が及ばない教師を交えて調査させてもらう」

「ち、ちがいます! ウォーレンハイト様、……だ、だって私も移動教室から戻ってきたところなんですもの! 私はやっていません!」

「……実行犯が別にいたことなんて分かっている」

「違います! 私じゃない……指示したのは私じゃ……っ!!」

「調書を取る職員に言ってくれ」


 私を庇うように斜め前に立ったウォーレンハイト会長が、軽くひじを曲げた腕をこちらに差し出している。何をしているんだろうとぼんやり見下ろしていると、事態を把握できずに固まったままポカンとしてる私に気付いたウォーレンハイト会長が手を差し伸べた。

 ぼんやりしているうちにあたりに喧騒が戻ってくる。私は数秒か、数分か、少しの間固まっていたらしい。

 クラスメイトの伯爵令嬢は、ウォーレンハイト会長が呼んできたのか、私の母親くらいの職員に二の腕を掴まれて、振り払おうと顔を青くして身じろぎしていた。


「この件の当事者として、事実無根の噂話を訂正しにきたんだ。不注意で逃げ出したのペットを善意で保護してくれた女生徒が、悪意のある作り話を流されて虐げられていると聞いて」

「違います! 虐めてなんて……」

「君の意見は聞いていないんだよ、我々がそう判断したという話だ」


 当事者なのに、この空間にいる事が息が詰まって仕方がない。

 呼吸すら重く感じる空気の中、ウォーレンハイト会長は私の手を取ったまま歩き出した。



 これは……助けていただいた、のだろうか。


 まだ事態を受け止めきれていない私は自分の手を見つめる。あの日と同じ、触れる事なんて想像もしていなかった存在が私をエスコートするように手を繋いでいる。


「机に関してはこちらで新しいものを手配する。……間に合わずに大変な目に遭わせてしまい、申し訳ない」


 授業がもう始まっているのか、扉の閉まった教室の前を通ると教員の声が聞こえてくる。その音が耳を素通りする中、無人の廊下を私達は歩いていた。

 どこに向かっているんだろうとぼんやり考えながら手を引かれるがままに進む。この前通った道……思い当たる行き先が頭に浮かんだと同時に、予想と同じ扉がウォーレンハイト会長の手によって開かれた。


「アレントさ……まぁ、何があったの?! カミーユ」

「教室の机が汚されていた。ザック、頼んで良いか」

「ああ、証拠保全兼ねて回収するように指示してくる」

「こちらに座って、まずはこれで涙を……温かいものを飲んで落ち着きましょう?」


 突然敵意のむしろから連れ出してもらった私は高貴な方達にいたわるように声をかけてもらって、今度は安堵から、止まったと思っていた涙が溢れていた。


 何があったか教えて欲しいとおっしゃる皆様に説明したいのだが、頭の中は依然ぐちゃぐちゃでまったく整然と話せない。浮かぶ先から口から出てきて、事実だけではなくて「悲しかった」「ひどいと思った」と私の感情が混じってしまう。


「そ、れで移動教室から戻ったら机が塗料のようなもので赤く、濡れていて……」

「その時教室内に誰かいた?」

「先に戻っていた人は何人かいたと思いますが、誰かまでは……覚えていません」

「なるほど、そいつらは先に目撃していて何も騒がなかったのを見るに、やはりカミーユが言ってたように全員……共犯者ではないものの事情を知っていて黙っていた可能性が高いな」


 しかし皆様は辛抱強く私の話を最後まで聞いて、何があったかをしっかり理解してくださった。勉強だけではない、頭の良い方はさすがとこんな時なのに感心してしまう。


「本当は、君の意を汲んで目立たないように手を回せるように動いていたんだが……こちらの制御が追いつかず、安全を優先したせいで騒ぎになってしまった」


 煌びやかなサロンの中、今までの人生で座ったことのない程お尻が埋もれそうなふわふわのソファに緊張して腰掛けた私は皆様から謝罪を受けていた。

 謝罪を言われるなんて恐れ多すぎて、じわじわ混乱が引いた私はハッと目が醒めて手の平を小さく横に振って思わず全力で否定してしまう。


「いえ! そんな、ウォーレンハイト会長のせいではありませんから!」

「いや、俺が原因を作った事だ」


 神妙な様子で口にされた後悔は、私が軽々しく「そんな事ないですよ」と否定できない重さを持っていた。


「自分の身の回りが騒がしいことは俺自身も自覚している。善意でキキを保護してくれた君に迷惑がかからないように、説明していたはずなんだ」


 当事者のはずなのに、突然の展開にまだ頭が付いていかない。むしろ教室で、ウォーレンハイト会長の怒りを向けられて顔を真っ青にしていた彼女達はショックを受けていたから私より先にまずい事になったと理解していたように見える。


「カミーユにはファンクラブがあるのは知っているかしら?」

「はい、一応……存在だけは……」


 話し手がクォトルク公爵令嬢に移って、私は一瞬思い出すように頭の中を探して答えた。


 ファンクラブ、そんなものがあるくらい人気があると知っていただけで、詳しくは知らない。たしかきらびやかな呼び名があったような……そのくらい縁遠い存在だ。ウォーレンハイト会長を慕う貴族令嬢が集まってできた、学園非公認のクラブ活動のようなものだとは分かってるけど……ウォーレンハイト会長の周りは常にその、ファンクラブに所属しているらしい貴族令嬢で埋まっているから。


 そう言えば友達だった子が、入りたいけど自分は貴族ではないし、そこに所属する令嬢に伝手がないからあきらめるしかない、なんて話をしていたのを思い出した。なんでもそこに入るとたまにウォーレンハイト会長の出席するお茶会に招いていただけるし、直接挨拶できることもあるんですってと夢見るような瞳で楽しそうに語っていた。

 ファンクラブに入ってない人がウォーレンハイト会長に話しかけるのはどうやらマナー違反らしく、後でファンクラブの人に叱られると聞いて「すごい世界だわ」なんて感心したっけ。


「そちらの……銀嶺会をまとめる令嬢に、カミーユのペットの一件は話をしていたの。本当の飼い主について説明しただけとは言えカミーユは目立つから、当然、それであなたに危害が及ぶようなことがないようにと」

「それは……ご配慮いただきありがとうございました」

「いや、そんな……当然の事だから。それに、こうして現にちゃんと防げずに問題が起きてしまって、アレント嬢に迷惑をかけてしまった」


 銀嶺会、ああ確かそんな名前だった。ウォーレンハイト会長のご実家の景観と見事な銀髪についてかけたのだと彼女達が話していた覚えがある。

 会長のファンクラブだとは有名だが、表向きは定期的に身内でお茶会を開催したり詩を詠むための会なのだそう。


「でも、ベッドも机の学校の備品で、まだ個人的な持ち物には被害は出ていませんでしたし……貴族家の方には直接は何か言われた事はなかったから、効果はあったと思います」

「それは、守れていたとは言えない。……それが麻痺するほど、つらい思いをさせてしまっていたのか……」


 あまり気に病まないで欲しいと軽い気持ちで口にした言葉は、思ったよりも深刻な内容になってしまった。自分では自覚が無かったのだが。


「あの級内で扇動していた彼女は、俺の前では自分が君を守っているから何も心配しなくて良いと言っていた」

「……」

「それは真っ赤な嘘だと判明したが。教員も共犯で、問題を隠蔽していた」

「でも、……きっと、逆らえなかったんだと思います」


 この学園の中では誰しも平等で、変わりなく学ぶ権利を持つだなんて建前でしかないとみんな知っている。少なくとも、私達側の生徒は全員。教員もここの特待生だった人がほとんどだと聞いた。なら伯爵令嬢の言葉に従うしかなかっただろうから。


「アレントさんは優しいのね……でも、それを汲むことはもうできないの」

「面と向かってではなくても、通報する事も出来た。現にレディ・ヘレンが連絡をくれたんだ。……彼女一人だったが」


 ……ああ、そうだ。あの状況でも私を信じてくれた人はいた。

 正論でしかないその言葉に目が覚めたような思いだった。仕方がないと思って……思い込もうとして、諦めていた自分に気付く。なんて恥ずかしいんだろう。自分の事なのに、ヘレンさんに動いてもらって……

 でもこれでやっと、あの状況が終わるんだと確信できた私は希望を胸に顔を上げた。


「従っていた者たちは消極的な共犯だったと考えている。広めていた内容的に、俺の家も関わるから、学内の話でおさまるかどうか……」


 濁して説明された話では、もともとウォーレンハイト会長の周りで問題になり始めたところに私の話が出てそこに噴出したような印象を受けた。

 なんであれだけの事でこんなにと私自身困惑したが、やはり理由があったんだ。


「そういった事情があったのですね。……一応、理解できました。この状況が予期せぬ事態だった事も、複雑な事情も」


 ウォーレンハイト会長への思慕から暴走した人が他にもたくさんいたんだろうなというのは私もなんとなく理解していた。

 本人に言えないからと私への攻撃にすり替えたその人達は、これからは反省して憶測で根も葉もない噂を広げないようになって欲しい。

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