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「マックス、コウモリ飼ってるのイザベラ達に言ってなかったんだな」
「と言うよりもザックの他には俺も言ってない。知ってるのは屋敷の……俺の部屋に入る使用人くらいだ」
ウォーレンハイト会長を含めた一部の方は王都のタウンハウスから毎朝学園に通っていると話に聞いた事がある。過去に在籍されていた王族の方と同じ、警備上の問題でそうなっているらしい。
ウォーレンハイト会長の飼っていたキキちゃんは、そのタウンハウスから荷物に紛れてついてきてしまったらしい。キキちゃんに気付いたのが授業中で、授業の合間の休憩時間に対処しようと思ったがいなくなってしまい秘密裡に探していたとのこと。
「なんでペットがいなくなったの隠してたんだ? 相談してくれたら力になったのに」
「エメラルダ達は不気味がるだろうからと遠慮したのと、……一番は……ほら、例の、俺が吸血鬼だと噂を流された話はしただろう? 変に騒ぎ立てる材料を提供したくなかったんだ」
「ああ、あれ。男のくせに日傘なんて使ってるからだよ」
「仕方がないだろう肌が弱いんだから。それより、性別で決めつけるなんて、エメラルダがまた怒るぞ?」
たしかに男性で日傘を使う人は珍しいけど、と私は2人の斜め前をしゃかしゃか歩きながらそんな感想を抱いていた。
きっと特注だろう、高価なことがわかる真っ黒な日傘は確かに印象に残る。正体を隠して生きる人外の話をつい思い出して、慌てて頭から打ち消した。
怪奇ものとサスペンスものの読みすぎね。
キキちゃんはウォーレンハイト会長のタウンハウスの厩にいつの間にかいたらしい。天井付近に巣があったのだが、中身は空っぽで、この子だけ生まれつき指が曲がっていて上手く飛べずに一匹だけ残されてしまったようで、思わず保護してしまったそうだ。
自分にとっては可愛い小さい友人だが普通の人から見たら受け入れられない存在だと理解していて隠していたそうだ。
「だからクレザー嬢みたいな親切な人がキキを保護してくれて、本当にホッとしたんだよ」
「ひゃ、ひゃい!」
急に話題にされた私はびっくりして、また裏返った変な声で反応してしまった。ジャスティン侯爵子息がそれを聞いて、思い切り吹き出して笑う。
「ぶっ、ぶはは! ひゃいって、ひゃい……!」
「ザック、失礼だぞ」
それをたしなめるように肘でこづいたのが視界の端に映って、なんだか雲の上の方達だと思っていたのが普通の学生っぽくて。自分が笑われた恥ずかしさも吹き飛ぶほど意外で随分親しみを感じてしまった。一方的で、失礼な話なので口に出したりしないが。
「俺達4人……と俺の姉メリリースと、エメラルダの婚約者のパトリックの6人は幼馴染なんだよ」
「メリーとリックだけ2つ上だったから、もう学園にはいないけどな」
パトリック……様とはおそらくパトリック=アルスター・ティエンス王太子殿下の事だろう。国内のニュースで王太子殿下に婚約者が居る話は聞いたことがあるが、そのお相手がクォトルク公爵令嬢だとは知らなかった。末端の騎士爵の娘の知ってる社交の話なんてこんなものだ。夜会に出るような家の方ならご存知なのだろうが。
学年も違うし、何を話してるか耳を傾けた事もない。学園で時々見かけるが接点はそれだけ。皆さんが幼馴染で、互いにこうして親しげに呼び合っているのも初めて知った。
歴史の試験に出るような話ならいくらでも勉強できるのだが、変な野心を持っていると勘違いされないようにあえて知る姿勢すら見せないでいる方が良いものも多い。
中でもウォーレンハイト会長に関する情報は、興味を持ったそぶりを見せただけで高位貴族令嬢も多い熱心な会長のファン達からお叱りを受けると聞いていたのであえて遠巻きにしていた。
私が耳にしたのは真偽の分からない噂だけだったが、聖女ミヤ様を含めた美女3人が特に激しくウォーレンハイト会長を取り合ってる……その話は誤解のようだし、この分だと他の話も根も葉もなさそう。
人気者は苦労が大きいんだな。
「キキを保護してくれたために随分迷惑をかけてしまったみたいだね」
「いえ、そんな! ……ただの、自己満足だったんです、お礼を言われるような事なんて……それよりちゃんとお世話できていたか私こそ不安です。一応、図鑑で生態については調べたんですけど……綺麗な水と新鮮なササミの切れ端を朝晩与えていました。果物も食べると書いてあったので、チノの実も……」
「チノの実はキキの好物なんだよ、なんだ、むしろ快適な生活をしてたんじゃないかな」
気さくにお礼を口にしてくださるウォーレンハイト会長はこちらが恐縮するくらい感謝してくださって、なんだか悪い気すらしてくる。
保護はしたけど、もし予想通り高位貴族の方が飼い主で、ペットの誘拐犯だと疑われたらどうしよう……なんて根拠なく不安になったりしてたなんて絶対に言えないわ。
「マダム、マリア・ヘレン。クレザー嬢と、クレザー嬢の拾った小さな命に手を差し伸べてくださりありがとうございました」
「ま、まぁ……! そのコウモリはウォーレンハイトさんのペット……だったのね」
「保護していただいたクレザー嬢には感謝するとともに、たいへんな迷惑をかけてしまった事を心苦しく思います」
物置でキキちゃんと感動の再会を果たしたウォーレンハイト会長は、キキちゃんを入れていた小さな木箱を抱えたまま寮母のヘレンさんに事情を説明していた。
建物の中に異性を入れてはいけない規則になっているので、寮の正面玄関で。コウモリについて解決したと呼びに行った時にホッとしていたが……その飼い主が予想外すぎてさすがのヘレンさんも驚いているようだった。分かります、私もまさかウォーレンハイト会長が飼ってるだなんてかけらも予想してませんでしたから。
「それにしても、コウモリを保護してくれる優しい子がいて良かったなぁ、マックス」
「ああ、野生のコウモリと間違われてひどい目にあっていたらどうしようと、ここ3日ほど気が気でなかったんだ」
うちは田舎で、もぐらやコウモリも珍しくない。台所に出る黒いアレのように生理的に無理という訳ではなかったし、飼われてる個体だと分かったから危険はないと確信して保護しただけ。
それも優しさではなく、気付いてしまった自分が後味の悪い事になるのが嫌だったから。野生のコウモリだったら当然「仕方がない事」だと思って何もしなかった。
なんだか私がすごく気高い心で行動したように言われて恥ずかしくてそれを否定したいけど、虫が飛んでるような小さな声しか出ない。2人の芝居がかったやり取りで周りにはいっさい聴こえていないだろう。うう。
「俺が変わったペットを飼っていて、それを逃してしまったばかりに保護してくれたクレザー嬢に迷惑をかけてしまって本当に申し訳ない」
「そうだぞー。飼い主はお前なんだから」
わざわざこんな目立つ場所でこんなやり取りをヘレンさんとしてくれているのは、クォトルク公爵令嬢がおっしゃっていたように私に関しての話を打ち消すためなのだろう。
ウォーレンハイト会長がこんな所に何故、と玄関を取り巻くように人だかりができて、その話の内容に皆が興味津々で耳を傾けている。
あのコウモリがこの方のペットだったとすぐに広まって、飼ってたのがウォーレンハイト会長なら悪く言えないと、私への無視も止むだろう。止んで欲しい。
この件についてヘレンさんは飼い主に反省文を提出させると言っていたが、ウォーレンハイト会長はタウンハウスでキキちゃんを飼っていた。今回のことは不運が重なってたまたま起きてしまっただけだ。
しかし「事故とは言え学園に、勉強に関係ないものを連れてきてしまった上に騒動を起こしたのは自分だから」と署名付きの謝罪文を寮に掲示させて欲しいと申し出たウォーレンハイト会長に、むしろ私の方が慌ててしまった。
「そ、そんな! そこまでしていただかなくても……」
「いいえ、ミス・クレザー。ありがたくお受けしなさい。ウォーレンハイトさんの署名付きで事情が説明されている文章があればあなたへの誤解も解けるでしょう。でなければ、断片だけで面白おかしく騒ぎ立てられる可能性も十分に考えられますよ」
その言葉に、私が聞いた噂を思い浮かべた。ウォーレンハイト会長が美しいのは実はヴァンパイアだから、なんて作り話とすぐわかるようなものもあったが……周りによく居る女性3人が会長を取り合ってるなんて、聞いただけでは嘘とは断言できないようなものまで。
ウォーレンハイト会長の気遣いを、ありがたく頼る事にした。
結論だけ言うと、周囲からの私への対応はそれまでとガラリと変わった。それまで、というのは飼い主不明のコウモリを保護していた3日間、という意味で。
ただ遠巻きにしていた人達は「ウォーレンハイト様のペットの話、聞いた?」「ひっくりしたけど、でも変わったペットを飼っているなんてミステリアスで素敵」「ヴァンパイアの噂があるウォーレンハイト会長にはぴったり」なんて目新しい話題になっているだけだが。
コウモリを飼ってるのが私だと遠巻きにされるけど、ウォーレンハイト会長だとそこも魅力になるのか……と感心してしまった。そういった彼女達に対して意外と怒りは感じなくて、そうなのかと新しい世界の発見をした気分だった。
私も物置で寝ればいいのにと言った寮の同室の子達はそれを忘れたのか、そんな事なかったかのように私にウォーレンハイト会長の話を興味津々で聞いてくる。
でも会話なんてほとんどしてないし、生徒会室からここまで案内した時にウォーレンハイト会長とジャスティン先輩がなさっていたお話は聞いていたけどそれを勝手に話すわけにもいかない。
「落とし物として届け出をしたらそれがたまたまご自分のペットだと気付いたウォーレンハイト会長が引き取りに来ただけ」
ろくな会話もなかったから、話すようなことは他にないと繰り返して何度説明しただろう。「私がコウモリを嫌ってたとかそんな話してないわよね?」「違うのよ、珍しいからちょっとびっくりしただけで」と言い訳のような事をひたすら言うからさすがにうんざりしてしまう。
私に言われてもどうしようもないのに……でもウォーレンハイト会長に言ったところで困るだろう。同じ学園に通っているというだけで生きてる場所が違う。私も含めて名前も知らない生徒が自分のペットを好きか嫌いかなんていちいち気にしないと思う。
翌日校舎に向かおうと部屋を出た時に、この3日ほど距離を取られていた友人……元友人達が部屋の前で待っていて私はそれにも驚いた。
「ごめんね、ちょっと先輩達も騒いでたから近づきづらくて」
「でも仕方ないし、分かってくれるよね? エミリーだって、逆ならそうしたでしょ?」
彼女達の言ってる事は分かる。でもその言葉をあの3日の間に聞きたかった。手紙でも良い、「表立って味方になれなくてごめんなさい」と一言でももらえていたらこんな気持ちにならなかったのに。
私は……逆だったらどうしただろう。少なくとも同じ状況で無視はしない。飼われていた動物の保護……それを知っていたら、見て見ぬふりをするほうが私は苦しい。
最初のあの時も逆の立場ならコウモリを保護しようとした友人の鞄を持ってあげただろう。一緒にヘレンさんの所に頭を下げに行って、巣箱を作っただろう。無視されるのも二人ぼっちなら寂しくなかったと思う。
けど、やってもらって当然と思ってはいけないと母さんは言っていた。彼女達を恨むのは間違っている。
少しばかり、「事を荒立てたくない」と逃げてしまった部分もあるけど。私は「もういいよ」と口にしてこの話を終わらせにかかった。……また彼女達と読書の感想を語り合い、オススメの本を持ち寄る関係になれるかは分からない。
でもこの3日の話を持ち出して友達をやめる勇気は私には出なかった。
「で、ねぇ。ウォーレンハイト会長とお喋りなさったんでしょう?」
「何を話したの? ああ、あのお声で名前を呼ばれてわよね、羨ましい」
「エミリーはあのコウモリに感謝しなきゃね」
羨ましいって。何?
何で? 私は望んでなかった。
あの子を飼ってたのがウォーレンハイト会長じゃなかったら羨ましいなんて言わなかったくせにって汚い感情が湧いてきてしまう。
「昨日ウォーレンハイト会長とジャスティン先輩が正面玄関にいた時、私もエミリーのすぐ後ろにいたのよ。紹介してくれれば良かったのに」
「そうよね、自分だけ親しくなっちゃって、ほんの少しズルイと思ってたの」
「ねぇ、今度私の事も紹介してね! 友達だって」
「きゃあ! ぜひ、その時は私も!」
何で私がズルいって言われなければならないのか分からない。
私はズルいことなんて何もしてない。ウォーレンハイト会長のペットだなんて知らなかったし、あの玄関先でのやり取りの時は私もいっぱいいっぱいで周りなんて見てなかった。人がたくさん見てるのは分かってたけど、そこに彼女達がいたことすら気付いてなかったのに。
この3日、無視されて挨拶も返してもらえなくて、でも仕方がないと思っていた。自分で選択した行動だから、悲しかったけど後悔はしないようにしていた。
けど手の平を返したようなこんな反応は……どうしても、傷付いてしまう。
「……そんな、無理よ。私は落とし物を拾っただけみたいな存在だから、ウォーレンハイト会長とは知り合いにもなってないもの。きっと数日経ったら顔も覚えてないと思う」
「そう、よね」
「でも一回きりとは言えお近づきになれたのは羨ましいわ」
「私も! ああ、次にあのコウモリちゃんを見たら絶対に私が助けてあげるわ」
「そうね、我慢して優しく保護してあげないと。1週間くらいして届けて差し上げればきっともっと感謝してもらえるわよね」
私の読んでいる物語の主人公達みたいな強い女の子になりたい。きっと彼女ならバシッと「あの時無視してたくせに!」と指摘できるだろう。そしてはっきり謝罪を求めた後、わだかまりなく友人に戻ってハッピーエンドだ。いや、あの日に「この子は誰かのペットだって分かるでしょ!」としっかり主張して手を借りられていたかもしれない。
私は波風を立てずにやり過ごす事を選んで、彼女達のことも、コウモリを助けた自分のことも少しずつ嫌いになっただけだった。