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見切り発車でまた新作を書き始めてしまった
いつもの当店自慢のスープとはちょっと違う感じでやる予定
この王立学園にはヴァンパイアだと噂される貴公子がいる。
もちろん誰も本気では言っていない、日傘を使っていることから膨らんだ噂なのは知っているけど。
銀の艶やかな髪、化粧品を使う女性よりも艶やかな白い肌に、長いまつげ。白眉の下にはどんな宝石よりも気高く煌めく、光の加減によってはルビーにも見える暗褐色の瞳、すっと通った鼻筋、薔薇色に色づく、しかし男らしい薄い唇。その全てが完璧なバランスで配置されている。
どんな芸術家が作った人形でさえカミーユ・ウォーレンハイト侯爵令息には及ばないだろう。きっと日傘の一件が無くても、人外の存在なのではと噂されてもおかしくないほど美しい方だった。
背は高く、さらに剣術と乗馬を嗜むため学園の制服がため息が出るほど似合う。その上試験の成績は常に上位、側近として幼少の頃から接している王太子殿下の信頼も厚く、魔術師としてもすぐれた腕をお持ちで、侯爵家という家柄とはまったく関係なく高く評価されて生徒会長を務めている。
まさに物語に出てくるような完璧な「ヒーロー」のような存在だ。
あの目立つ日傘をさして「正体はヴァンパイアだ」なんてやっかみ半分で囁き始めたのは誰だったのか……しかし、その根拠のない噂話は私ですら耳にした事があるほど水面下で広まっている。
噂を聞いた時は、確かにそんな話が出るほど人離れした美貌だと納得しかけたほど。当たり前だが信じている人なんていないし、侯爵家に対する名誉毀損とも取られかねないので誰も大声では言っていないが。本名を出して素敵だと話すのを避けて「あのヴァンパイア様が」と話題にするのだ。
読書という共通の趣味を持つ、私と似たもの同士ばかりの普段は物静かな友人達でさえウォーレンハイト様を目にするだけで「朝から運が良いわ!」なんて言うほど。たしかに私も大変な目の保養だという話には同意する。
ウォーレンハイト様と同じ世代で学園に通えた私達は幸運ねと女生徒の大部分は思っているだろう。
しかしそれは、夜空に輝く月を「ああ美しいなぁ」と感じるような、人ならば当然持っている程度の情緒の動きでしかなく「ウォーレンハイト様とお近づきになりたい」なんて身の程知らずな事を考えるようなものではない。私は話しかけたいと思った事すらないもの。
まだ婚約者のいないかの方を「自分にもチャンスがあるかも」と本気で望む方もいるらしいけど、私には関係ない。
近頃は外国の改革の流れに乗って身分を超えた話を国内でもよく聞くし、何よりウォーレンハイト辺境伯がおさめる辺境の地は実力主義で、絶対王政だった古い歴史の中にも平民やいち騎士から嫁入り・婿入りした例もあるから貴族家の令嬢でなくても十分チャンスはあるのよなんて誰かが話していた。
あの方にと言うより……身分を超えたロマンス自体にはちっとも憧れていないと言ったら嘘になるが、遠い世界の話だと分かっているから簡単に言えた。だって直接話をしたこともないもの。
物語の登場人物を話題にするように、やっぱり素敵ね、と友達と盛り上がる時間は楽しかったけど。
だから、あんなきっかけがあったとしても、話しかけていただけるような関係になれるなんて思ってもいなかったの。
「ああ……またクォトルク公爵令嬢と、ダフェスタ侯爵令嬢が嫌がるウォーレンハイト様につきまとってるわ……まぁ、聖女ミヤ様まで……はしたない……」
友人の声に視線の方を向くと確かにそこには美しい女性達と、更に美しいウォーレンハイト会長がいらっしゃった。
身分を問わず優秀と評価された若者が特待生としても通う学園の中では身分を振りかざす事は禁止され、誰しもが平等に学ぶ機会を与えられているが当然守らねばならない礼儀はそのまま存在する。
そのためウォーレンハイト会長は自分の家と関わりのあるなしに関わらず令嬢に失礼な態度を取る事なんてないし、下位の貴族令嬢や平民の方にも同じ学園に通う生徒として誠実に対応されている。
私は卒業した後が怖くて……高位の方に学生であることを免罪符に近付くなんて考えたこともないけど、「学生のうちにしかできない」とマナー違反をする生徒もどうしてもいる。
いつも囲まれてるなぁとは思うけど、しかしそれを見た通り喜んでにこやかに受け入れているのか、義務だと仮面を被っているのか……本人の心の内なんてわからない私は友人のそんな言葉に「そうね」とも「違うと思うわ」とも返せずに曖昧に微笑んだ。
美しい花に囲まれて微笑むウォーレンハイト会長の暗褐色の瞳が何かを探すように彼女達を通り抜けて周りを窺っているような気がしたが、私には遠い世界の話だったのでそのまま意識の中から忘れていった。
「ヂヂヂッ……」
「きゃあ! はやくその汚い生き物をどこかにやってよ!」
特待生を含めた生徒が多く暮らす、追加料金のかからない一番安い女子寮に戻ってくると玄関の前で騒ぎが起こっていた。女子生徒達は先輩も後輩も、恐々してお互いの影に身を隠すようにしながら視線を向けている。
「あれは……黒い鳥、じゃなくて……コウモリ……?」
「そう! やだわぁ、あんな汚い獣が……どこからここまで入ってきたのかしら……!」
長く伸びた指の間に張った膜を畳んだ小さなコウモリは、ヨチヨチと地べたを這いずって周りをひどく警戒していた。
近寄るのも嫌だとそこだけぽっかり空いて、一緒にここまで来た友人も顔をしかめている。
皆どうしようかと騒めく声だけが響く。
通用門は鍵がないと開かないし、裏口は厳しい寮母の部屋に繋がる窓口の前を必ず通ることになる。みんな寮の出入りをためらって人が溜まってしまっていた。
誰かが用務員でも連れてくるのを待っているのだろう、別に横を通るくらいなら私は平気だし部屋に戻っちゃおうかな。でも目立つのは嫌だから、裏口から入ろう。みんな厳しい怖いと言うけど寮母のヘレンさんは礼儀正しくさえしていれば何も言われないもの。
そうと決めたら「私部屋で用事があるの」と言い訳を口にしてさっさと部屋に帰ろうとしたら、その蝙蝠の首に薄汚れた真紅のリボンを認めてしまった。
しかも……耳に付いているあれって……ピアス? 水滴か何かが光ってるんじゃない。軍馬の耳にあるような管理用の札とは違うがそれを思い出す。きっとあの子を認識するために飼い主が付けたのだろう。
じゃあ、あれって誰かのペットってこと?
ああ、気付かなければ良かった……と後悔するももう遅かった。でも私がやらなくても、用務員さんがあの子のリボンやピアスに気付いたら貴族のペットかもと下手な真似はしないだろう、けどもし気付かなかったら……?
蝙蝠はネズミの仲間だと誰でも知っている。病気を媒介する事もある、害獣として駆除される対象だ。悪魔を連想させる姿に、中々好意を持つものはいない。
これが薄汚れていても猫か小鳥なら違っただろう、誰かが保護したかもしれない。でもあの蝙蝠をペットとして飼っている誰かがいる。わざわざピアスとリボンを付けて見分けがつくようにしてるなら可愛がっているのかもしれない。
「ねぇ、あれよ! さっさと片付けてちょうだい」
「はい、わかりました! ただいま!」
一縷の望みをかけていた用務員さんは、誰かに命じられて今駆けつけたものの手に持った箒とチリトリを見るとゴミのように扱う気なのだろう。
かなり弱っているし、万が一その後殺されずに逃してもらったとしてもそんな事をされたら死んでしまうかもしれない。
目立つのは嫌だ。こんな事をしたら遠巻きにされて友達も離れるだろうというのも分かってる。
でも気付いてしまったのに、知らんぷりをして部屋に戻るなんて出来なかった。飼い主があの子の死を知って悲しむ姿を見たら……私はきっとそっちの方が申し訳なさすぎて、何度も思い出しては後悔する事になるだろうから。
「あ、あの……! 用務員さん、その子、誰かのペットだと思います!」
「え、ペット?」
「はい、首に巻いてあるのは汚れてるけどリボンだし、耳にピアスも……誰かが、大事に飼ってるんだと思うんです……」
「あれ、ほんとだ」
貴族の誰かのペットなら、死んだりしたら責任を問われてしまう。そう判断してくれたらしい用務員さんの手が止まった。
良かった、これで保護してくれるだろう。そう思って、私に集まる変なものを見るような視線を意識しないように必死に顔を俯けさせる。
大丈夫、こんなのみんなだってすぐ忘れる……数日話題になるかもしれないが、元々私の友人でもなければ、平凡な見た目の私なんて記憶に残らないだろう。
冷たくなった指を抱えるようにお腹の前で握りしめて、「きっとこれで大丈夫だからもう寮に入ろう」と思った時。
「まぁ、寮の中で蝙蝠なんて汚い動物を飼ってた学生がいたって事?」
声を上げたのは、クォトルク公爵令嬢と同じクラスの先輩だった。……先程用務員に早く片付けるように言っていた女生徒が彼女を窺うように立っていた。きっとこの寮に暮らす生徒の中では立場が上の彼女の指示だったのだろう。
「そんな穢らわしい存在、駆除されるべきよ」
「でも……でも、この子を飼ってる人がいらっしゃるんですよ……?」
「そんなのを飼ってる方が悪いんじゃない。なに、それともあなたのペット? やだあ汚い」
「それは違いますけど、でも……人が飼ってた子なら野生のコウモリとは違って病気とか、何か悪いものを運んだりはしませんから……っ」
思ったよりも大きな騒ぎになってしまって、私の声は震える。
誰かのペットかもしれないが、この寮の生徒は平民がほとんどだ。貴族の誰かがこっそり飼ってたペットが迷い込んだ低い可能性を考えるより、彼女の機嫌を損ねる方が愚かだと私もわかってるけど……
「そんなに慈悲深いならあなたが助けて差し上げれば? ご自分で」
そう言われてぽっかり空いた玄関の前で、用務員さんも彼女の顔を窺って助けてくれず、私は恨みそうになってしまうのを「自分で始めた事じゃない」と叱咤して膝を曲げて屈んだ。
ハンカチは汚れてしまうが、この子が死んでしまった時の後味の悪さを考えたらこのくらい何でもない。そっと布を被せて持ち上げると、手の中に包み込んだ。
ああ、やっぱり、人に触られる事には慣れているのか手の平の中で大人しくしてくれている。
鞄をどうしよう、と友達に部屋まで運んでくれないか頼もうとしたら、顔を上げた私と目が合うと勢い良く逸らされてしまった。……うん、仕方ない……よね。私と友達だって今周りに知られたくないのが分かってしまったので、名前を呼ぶのはやめておいた。
「ヘレンさん……すいません、お力を貸していただけませんか……?」
それを持って寮に入らないでよ、とあの場にいた人達に言われた私は部屋に荷物も置けずに途方に暮れかけていた。これはもう、迷惑をかけてしまうが助けてもらうしかないと考えた。
用事は夕方6時までにと言われているのに申し訳ないと思いつつ、寮母のヘレンさんの部屋の、プライベートルームへの入り口となる屋外とつながるドアを外側からノックした。
つっかえつっかえ、うまく説明できずに支離滅裂な内容になる私に辛抱強く付き合ってくださったヘレンさんは、一通り話を聞いた後に私の手の中の小さな蝙蝠を見て「事情は分かりました」と頷きながらおっしゃった。
「ミス・アレント、あなたも分かっている通り、ペットを飼うことは規則に違反しています」
「はい……」
「しかしそれがどんな生き物であれ、殺していい理由にはなりません。あなたの言う通り、飼われていた動物なら害獣として駆除する根拠を持たないでしょう」
「は、はい!」
ヘレンさんは
「もちろん、飼い主が見つかり次第規則違反については反省文を提出させますが……」
とただした上で、飼い主が見つかるまで私がこの子の世話をする事を許してくださった。相部屋のため部屋に連れ帰る事が出来ないだろうと、寮の備品をしまう物置の鍵まで貸していただいた。
リネン類の在庫やよく使う物品は寮の建物内に納戸があり、その屋外の物置にあるのは掃除と大工仕事に使う道具だけだそう。何よりあなたならこの鍵を悪い事に使わないと信用できますから、と言ってもらえてとても嬉しく思う。
私はありがたくその鍵を借り受けて、物置の中に小さな木箱にそのまま使っていたハンカチを敷いて粗末な巣を作った。とりあえず水は必要だろう、と瓶の蓋に入れた水も置く。
何を食べるかも分からない。けどネズミの仲間だし、リスと同じものなら食べるかもしれない……と寮の近くに生えている植木から、人も食べられるいくつかの木の実を採って巣箱の中に入れておいた。
中で身動きはしているが飛ぶ気配はなく、どうやら翼……蝙蝠はこれ長い指とそこに張った皮膜なんだっけ。その指が一本曲がっているのに気付いた。
だから逃げられなかったのだろうか?
動物の治療なんてできないし、治癒術なら治せるだろうが私に伝手はない。よく見たら……ピアスは本物の宝石のようだし、この子の飼い主はやっぱり貴族? ならなんとか出来るのかもしれない。早く見つかるといいのだけど。
案の定同室の子達は私のおこないに迷惑そうにしていて、手は洗ったけどそんなの関係なしに話も聞いてもらえない。
仲は良い方だと思っていたんだけど、私の一方的な思い込みだったようだ。少し悲しいけど、その気持ちは当然だと思う。ひどい、なんて言う権利のない私はせめて彼女たちを巻き込まないように気をつけるしかない。きっとこの分では学校でも私自身がハトやネズミのような病原菌の運び屋のように扱われるだろうから。
シャワーを浴びてきてもそれは同じで、返ってこない「おやすみなさい」や「おはよう」はとても心が疲弊してしまった。