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第4話

 ぐいと袖を押し上げ、露になった腕を目の前に差し出す。空いている方の指が、ちょうど手首と肘の中間辺りを指し示した。

 「これがその証拠というべきものです」

 辺りに気を配りながら、重々しく言う。

 身を寄せたラクタスが覗き込むと、確かに丸い指の先に見えるものがあった。

 「これは・・・」

 それは浅黒い肌の上にできた、小さな染みの様でもあった。

 親指の爪ほどの大きさで、青インクがこぼれて滲んだような色と形をしている。

 「よく見てください。これは『魔女の刻印』です」

 「『魔女の刻印』?」

 「さよう」

 ハロンズは目だけで頷き、更に声を潜めた。

 「これは魔女が相手に呪いをかけたときに浮かび上がる紋章なのです。魔女は闇の魔術に精通していて呪文を操ります。暗黒の世界の力を呼びこむことにより、憎い相手を呪い殺すこともできるのです。夜ごと悪夢を見させ、生気を吸い取り、生きる意欲をなくさせます。やがて狂気の淵をさ迷うようになり、ついには廃人となって死に至らせるのです。しかも、悲劇はこれだけではありませんぞ。刻印を受けた魂は天国へ行くこともできずに闇にとらわれ、永遠にさ迷うこととなるのです!」

 多少芝居がかったようなその言い様に、ラクタスがくっと吹き出した。

 「それが本当なら、あなたはすでに破滅への道を辿っていることになる。だが、見たところハロンズさん。あなたは大変健康そうだ」

 「健康?私がですか?とんでもありませんぞ!」

 いささか憤慨したようにハロンズは声を荒げた。

 「原因不明の病で通院中です!意味もなく動悸がし、息切れも激しい。寝付けない夜が続き、おまけに食欲が全くわかないのです!」

 ラクタスの視線がちらりとテーブルの上を流れた。店主が差し入れたクッキーの皿はきれいに空になっている。

 「魔女の呪いなのです!あの占い師の女が!皆はよく当たると喜んでいたが私は騙されなかった。弁護士の仕事に携わり、早六年。若輩といえども、人の真意を見抜く目だけは養ってきたつもりです!間違いなどではありませんぞ!絶対にあの女が・・・!」

 「ハロンズさん、占い師とは?」

 「え?」

 「占い師のくだりをもう少し詳しくお願いします」

 「あ、ああ。そうでしたな。では最初から・・・」

 激昂しかかっていたハロンズは、はたと気づいて振り上げかけていた拳をゆるゆると降ろした。

 「実は半月ほど前に、エルベック伯爵夫人の湖畔の邸宅に茶会で招かれましてな。そのときに余興で呼ばれていた占い師がおったのです。モーリアーナという四十がらみの女で、ご婦人方の間では何やらよく当たると評判のようでした。もとより占いなど信じていなかった私なのですが、話の流れもあってその女が私を占うと言い出して・・・」

 「占わせたのですか?」

 「とんでもない!そのような如何いかがわしいものに関わることなど!何より、その女が薄気味悪く感じられて断ったのです。『信じていないからよろしい』と。すると、そのことで少々場が白けてしまいまして。恥をかいたと思ったのでしょうな。帰り際に女が私にささやいたのです。自分は魔女の末裔だ。このままでは済まさない、とね」

 「魔女の末裔・・・本人がそう言ったのですか?」

 「そうです。背筋が凍ったとはあのことです。もともと顔立ちは美しかっただけに、鬼気迫るものがありました。なんというか、こう、心臓が締め付けられるような感じでした。いやはや、女に対してあれだけの恐怖を感じたのは生まれて初めてでした。それからです。体調が思わしくなくなったのは。その上、十日ほど前から、このようなものまで・・・ここまでくれば、魔女としか言いようがありません。あれは本物の魔女なのです!」

 顔を上気させ、大げさな身振りで最後の言葉を飾った。

 ラクタスは苦笑しつつ言った。

 「あなたのおっしゃりたいことはわかりました。ここで、私の見解を述べても?」

 「おお!勿論ですとも!どうぞ、おっしゃってください」

 嬉々として身を乗り出したハロンズに、ラクタスは指を一本立てて見せた。

 「まず、ひとつめはその『魔女の刻印』ですが、それはただの皮下出血です。霊的にも魔術的にも何の関わりもありません。恐らくあなたが気づかないうちに何らかの圧迫を受けて内出血したものです。よって、あなたがおっしゃる身体の不調とも何の因果関係もありません」

 「な、なんと?」

 「二つ目は・・・」

 抗議の声を遮るようにして、もう一本指を立てる。

 「そのモーリアーナと言う占い師ですが、その女は恐らく魔女でも何でもありません。本名は知れませんが、王都ではちょっと名の知れた詐欺師です。貴族や金持ちのサロンに潜り込み、金で仕入れた情報を元にさも占いをしたかのように当てて見せ、信用させて多額の喜捨を要求し、金品を受けとると煙のようにいなくなる。魔女の末裔だといって占いを信用させる手口も同じです。その女の目は明るいグレーではなかったですか?細身で背が高く、紗織りのストールをいつも身体に巻きつけ、指には赤い目を持つ蛇のリングが妖しく光っているような」

 ハロンズの髭がぶるぶると震えた。

 「ま、まさにその通りです!なぜ、あなたが・・・」

 「リィ男爵のサロンで見かけたことがあるのです。招待客の一人が連れてきていたのが彼女でした。もう二年も前になりますが」

 「・・・」

 「しきりと男爵に売り込んでいたようです。やはり魔女の末裔と言ってね。その女の常套句です。あなたを不快にすることには成功したようですが、実害はありません。いずれにしても、あなたが気にされるようなことはなかったわけです。今回のことは・・・ハロンズさん?」

 いつしかハロンズは背筋をぴんと伸ばしたまま、固まったように動かなくなっていた。大きく見開いた目には何も映っていないように見える。ラクタスがもう一度名を呼ぶと、ぴくりと上体が跳ね上がった。

 「大丈夫ですか?加減が悪そうに見えるが」

 「ああ・・・よくないですな。今までで最悪です」

 のろのろと身体を揺らし、そのまま力を使い果たしたように椅子に沈み込んだ。

 「気にせんで下さい。あなたの言うとおり、今思い出しました。この腕の染みは恐らく、馬車を避けようとして転んだときに縁石に打ち付けたものです。どうして忘れていたのか・・・自分がこれほど愚かだったとは。驚きです」

 そう言って、眉間にできた深い溝を指で揉んだ。

 「女の毒気に当てられたと思うことです。想像力に罪はありませんよ」

 「想像力・・・ですか。そう思えば我ながら大したものですな。得意分野ではないので、王都の国立図書館まで出向きましたぞ。魔女についての史実や文献を読み漁ったのです」

 「『魔女の刻印』ですね?」

 ハロンズは面白くなさそうに目の前の男を睨んだ。

 「もう言わんで下さい。あなたも人が悪いですぞ。だが、リィ男爵もリィ男爵です。女のことを知っていたのなら、すぐに打ち明けてくれればよかったのです。なぜ、あなたを呼びつけるなど手間のかかることをされたのか・・・」

喋りながらハロンズは通りかかった店主を呼びとめ、疲れた声でコーヒーと茶菓子のお代わりを頼んだ。

 まどろっこしい手つきでカフスのボタンを留め直し、特大のため息をこぼした。やれやれと言う様に額を拳でつついては、今回の顛末を省みるかのように低く唸った。

 ふと顔を上げれば、珍しくラクタスが顎に指を当てて何やら考え込んでいる。

 「オールランド殿、もう私のことで悩む必要はありませんぞ。謎解きをしていただいたおかげで、憑き物が取れたように爽やかです。こんなに簡単に解決するとは思っとりませんでしたからな」

 「そうでしょうか」

 ラクタスはぽつりとこぼした。

 そうして、ハロンズにひたと視線を合わせた。

 「あなたは弁護士です」

 「そうですが、それが何か?」

 「あなたは紛争処理の専門家だ。事実に即して物事を冷静に見つめ、分析する能力に長けておられるはずです。なのにどうして、こうも簡単に魔女を信じる気になったのです?」

 「いや、ですからそれは・・・」

 女が恐かったから、とはさすがに言葉にできず、ハロンズは別の言い訳を引用した。

 「あの時はどうかしていたのです。全く持って私らしくありませんでした。きっと、働きすぎですな。報酬は少なく、厄介な依頼は次々とやってくる。極めつけともいえるのが、あの『坑夫変死事件』でして」

 「坑夫・・・もしかして、タールの人間ですか?」

 「まあ、そう言ったところですな。あそこは仕事がらみで何度か行ったことがありますが、いや、ひどい町です。その男も何か揉め事を起こして逃げてきたのでしょう。夜の酒場で大喧嘩です。店の損害を請求してくれと店主に依頼されたのですが、はっきり言ってあの男は頭がどうかしていました。魔物がどうの、影がどうのと手がつけられん状態で。おまけにその死に様がまたひどくて。さすがの私もうなされたというものです・・・そうです!」

 そこでハロンズは思い出したように、ぽんと拳で手の平を打った。

 「考えてみればあれからですな。やれ魔物だの、呪いだのと思考がおかしくなっていったのは・・・なるほど、そういう伏線があったわけです」

 ふむふむと納得したようにひとり頷いてみせる。

 「変死といわれたが、殺人ですか?」

 「それがよくわからんのです。犯人も見つからず、原因も不明。よって、変死、ですな。いや!これ以上聞かんで下さい。あの光景は思い出したくありません!」

 思考を振り切るように、ハロンズは何もない空間を手で払った。

 「いずれにせよ、これで全て終わりです。問題は解決し、憂いは消えてなくなりました。オールランド殿。勝手かとは思いましたが、湖畔のホテルに眺めのいい部屋を予約しております。しばし、くつろがれた後でセロース観光などいかがですかな?この上は、何処へなりともご案内いたしますぞ」

 言葉通りの生き生きした表情で、いくつかの名所旧跡を述べあげる。気のない返事で相槌を打っていたラクタスは、それなら、と身を乗り出した。

 「少し遠いのですが、案内してもらいたいところがあるのです。あなたもご存知のところかと思いますが、よろしいですか?」

 「おお!お任せください!私の知るところへならどこへでも!」

 「ありがとう。あなたにお会いできてよかった。リィ男爵に感謝しますよ」

 そう言ってラクタスは抜けるような青空へと瞳を投じた。




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