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第11話

 聞こえてくる声は秘やかなものだった。

 ひとりは若い女性。

 そして、年配の男が二人。

 どうやら、階下では家人と客人が集っているようであった。

 漏れ届く囁き声は、二階にいる珍客をおもんばかってのことと思われた。


 「・・・・・・ここ半月の奴らの動きだが、急に慌ただしくなっている。北回りの道を馬で下って行ったのを、子供たちが見たそうだ」

 「北回りと言えば、今度は、あの廃坑か・・・奴ら、あんなところでいったい何をしているのだ?あの一帯はもうひとすくいの鉱石もとれんのだぞ」

 「でも、わざわざ外から抗夫を雇い入れているのよ。かなりの賃金を支払って、廃坑の壁を片っ端から掘らせてるらしいの。何かが出たとかで、騒いでるときもあったらしいわ」

 「それは本当か?その情報はいったいどこからかね?」

 「マレッタよ。彼女は借金を返すためにグレコの屋敷で下働きをさせられているのよ。それに最近、グレコは終日どこかへ出かけているらしいの。夜明け近くに帰って来ることもあるらしいわ。それと、護衛の数も増えたって・・・」

 「わからん・・・大昔の廃坑で、いったい奴らは何をしているんだ・・・」


 水差しの瓶を抱えたまま、アテカは二階の踊り場で動けなくなっていた。

 立ち聞きをするつもりはない。水を汲むために、階下へ下りるところだったのだ。炊事場は右手の居間を抜けた奥にあると聞いている。

 だが、重苦しい議論の最中に断りを入れて通り抜けるには、いささか場が悪いようだった。


 「ナギ。あんたはどう思うね?」

 しばしの沈黙の後、問われた本人が、気怠そうに問い返す声が聞こえた。

 「どう、って・・・何がだ?町長さん」

 「何が?いったい今夜はどうしたのかね?あんたがそうも大人しいと、こちらの居心地が悪くなる。もう、怪我は治ったと聞いているが・・・シェイラ。彼の傷は完治したのではないのかね?」

 「ダンブリンさん。ナギは二階の二人のことを気にしているのよ。いつまでも、こんなところに置いておけるはずもないからって」

 「うむ・・・なんとか早いうちに隣村へ逃がせれば良かったがな。だが、誰にも見つからずに連れ帰ることができて良かった。また、おまえさんのところで匿ってもらえるのはありがたいが、十分に気をつけてくれ」

 「ええ、もちろんだわ」

 「それにしても、駆け落ちとはな。こんなところへ逃げてきたのは、運が悪かったとしか言いようがない。何事もなければ、ここで幸せに暮らさせてやりたいものだが・・・二人ともまだ若いと言っていたが、男の方の歳は幾つくらいだね?」

 「あ・・・と、そう・・・ね。とにかく若いわ。女の子は私より少し下かしら?」

 「金持ちの婚約者を捨ててまで逃げるとは…よほど愛し合っているのだな。今夜はゆっくり休ませてやってくれ。二、三日したら挨拶によるとしよう」

 「町長、くれぐれも、このことは内密に頼む。旅行者は揉め事の種になりやすい。住人らを刺激したくないのでな。とにかく、彼らのことは私たちにまかせて欲しい」

 「わかった。また、情報が入ったら知らせてくれ。そろそろ失礼する。それと、頼んであった胃薬をもらって帰りたいのだが」

 「おお、そうだったな。ナギ。悪いが町長を送っていってやってくれ」


 客が辞意を告げ、扉が閉まると、アテカはそろそろと段を下り始めた。

 客は帰ったが、家人はまだ残っている。もちろん、誰もいなくなるまで待つつもりはなかったが、顔を合わせるには少しばかりの勇気がいった。どんな理由があるにせよ、嘘をつくということは、かなりの精神的負担を抱くものだと初めて知る。親切な人々を騙しているという後ろめたさは、この家に来てからずっとアテカにつきまとっていた。

 

 (いいですか?アテカさん。生きてゆくためには嘘も必要なんです。やくざな連中にどうにかされるか、町から追い出されるかどちらかなんてつまんないでしょう?それより、町の住人たちに興味を持たれ、少なからぬ同情を引き、そして保護欲をかき立てるように仕向けるんです。人々はこの手の話が大好きですからね。そのうち、アテカさんのこともきっと受け入れてくれるようになります。ぼくに任せてください!)


 あの時、サガートの元から戻ったデシムにそう説得され、アテカは思わず頷いてしまった。何より、アテカの心を動かしたのは、彼の最後のひと言だった。

 (ぼくも、もう後には引けなくなっちゃったし・・・)

 そうして結局のところナギにも本当のことが言えず、ここまで来てしまっている。


 やるせない気持ちで階下へ下り立ったアテカは、石油ランプの灯りに目を細めながら中央へと歩き出した。

 この家の主であり、町で唯一の医師であるフェイベル・ロクシーがその姿を見止めた。

 「どうしたね?アテカ」

 火の気のない暖炉の前で佇むフェイベルは、最初に会ったときと同様、穏やかな笑みをアテカに向けて言った。五十は過ぎていると思われる柔和な面差しのこの医師は、同じ長椅子でくつろぐシェイラの父である。

 そして、夕刻に突然押しかけた見知らぬ旅行者を、何も言わず受け入れてくれた温情ある人物でもあった。

 「すみません。お水を少し頂こうと思って」

 「あら!遠慮しなくていいのよ。いらっしゃいな」

 気づいたシェイラが勢いよく立ち上がった。とたんに華やかな雰囲気が辺りに広がってゆく。

 すらりと背の高いシェイラは、ぱっちりとした瞳の美しい女性だ。父親譲りの茶色い巻き毛がふわふわと肩になびいている。

 医者の娘は側まで来ると、親しげにアテカを抱きしめた。

 「私が汲むわ。アテカ。あなたはそこに座ってらっしゃい」

 「いいえ。あたしが―――」

 最後まで言い終わらぬ間に、水差しはシェイラの手へと移っていた。

 「いいのよ。ついでに暖かいミルクとクッキーを用意するわね。それと・・・」

 片手で自分のショールを外す。と、それを器用にアテカの肩に広げた。

 「これを羽織ってなさい。旅行者は大概、長旅の後で病気になるの。ここは平地より少し高い位置にあるから、この季節は夜が冷えるのよ」

 「ありがとう。シェイラさん」

 「あら、シェイラで結構よ。私たち、もうお友達でしょ?」

 ふふふ・・・と魅力的な笑みを残し、炊事場へと消えてゆく。ここへ来て以来、事あるごとにシェイラはアテカらの世話を焼こうとしていた。

 それを見ていたフェイベルが、苦笑混じりに言った。

 「すまないね。お節介だと思うだろうが、大目にみてやってくれんか。面倒見が良すぎるのは、あの子の性分でね」

 「とても素敵な方です。それに、本当によくしていただいています。なんだか申し訳ないくらいで・・・」

 促され、脚の短いテーブルを挟んで腰を下ろす。その真向かいにフェイベルも位置取り、くつろいだ姿勢で軽く足を組んだ。 

 「あの子の母親は早くに事故で亡くなっていてね。私も仕事にかまけてあまり面倒を見てやれなかったのだが、あの通り、すこぶる元気に育ってくれた。おかげで、どんなときも家の中だけは明るい。ナギが来るまでは、もう少し静かだったんだがね」

 二年前、ふらりとこの町へ現れた厳つい放浪者の話をアテカはシェイラから聞いていた。

 ごろつきから彼女を救い、以来、この家の二階で居候まがいの暮らしを許されている。今では家族も同然だがね、とフェイブルは目尻の皺を深くして笑った。

 「ところで、君の連れはどうしたね?あれきり姿を見せないようだが」

 「デシムでしたら、先に休むと言っていました。少し疲れたのかもしれません」

 「食事もとらなかっただろう?とりあえず、私は医者だ。必要なら診てあげるよ」

 「私もそう言ったんですけど・・・」

 そっけない態度で夕食を辞退したデシムは、早々に二階に引き上げていた。

 フェイベルの意見で、デシムはナギの部屋へ。そして、アテカはシェイラと共に休むことになっている。サガートとの一件以来、必要なこと以外はほとんど喋りもせず、なんとなく避けられていると感じることがアテカの気分を重くしていた。

 ぼんやりと手元を眺めていると、フェイベルが静かに話を切り出してきた。

 「ずいぶんと冴えない顔をしているね。彼の前に君を診察した方がいいかね?」

 「いえ、そう言うわけではないんです・・・ただ、色々なことが一度に起こったものだから、なんだか頭の整理がつかなくて・・・」

 「そうだろうね。私もナギが君たちをいきなり連れてきたときは驚いたよ。事情を聞いたときは、正直、目眩がしたからね」

 「まあ」

 その言いように、思わずアテカは微笑んだ。

 実際にはその逆で、サガートの一件を交えて全てを話し終えたときも、この医師は眉ひとつ動かさなかったことを覚えている。そのおっとりとした風貌に似ず、しごく冷静に先を読み、すばやい決断力も兼ね備えていた。

 ナギが(この町で一番信頼できる人物)、と言っていたフェイベル・ロクシー医師とは、そういう人物だった。

 だからこそ、今のアテカは本当のことを打ち明けることが最善の道ではないかと考え始めていた。

 そして、今がそのチャンスではないかと―――


 「あの・・・フェイブルさん」

 おずおずと声をかければ、飲みかけのワインを口にしていた医師は、かすかに目を細めた。

 「あの・・・実は・・・その」

 だが、声は細く、言葉は喉の奥に飲み込まれる。

 先程の身の上話は嘘でした、と伝えるには、いささかの勇気を奮い起こす必要があった。

 すると、そんなアテカを見かねた様にフェイベルが言った。

 「言いにくそうに見えるが、もしや君が打ち明けようとしているのは、さっきの駆け落ち話のことかね?」

 「え・・・」

 「君が資産家の婚約者をもつ落ちぶれた貴族の娘で、いい仲の使用人と逃飛行中・・・という話だ。実にロマンチックな話ではあるがね」

 「あ、あの・・・」

 かすかな動揺を覚えながら、アテカは年配の医師を見上げた。

 ワインをゆっくり飲み干した医師は、何事もないように話を続けた。

 「実を言うとね。私は君たちの話をまるっきり信用しているわけではない。さっきは彼の熱弁に、つい、ほだされそうにはなったがね。どうにも君たちの様子を見ていて、これは違うと思ったのだよ。愛し合っているという割には君たちには距離がありすぎる。まるで、今日初めて出会った者同士の様に他人行儀だ。若い彼の言動には興味を覚えたが、君はどこか彼に引きずられている様にも見えた。何か理由があって一緒にいる、といった感じはしたが・・・違うかね?」

 アテカは激しい衝撃を受け、ただその場で身を固くしていた。

 フェイベルの話はあまりにも的を得ており、これ以上ないくらいに真実に近い。見ていた様に話すその口ぶりに、アテカは返す言葉すら思いつかなかった。

 (ずっと、気づいていたんだわ。でも・・・だったらなぜ?)

 その疑問に答える様に、フェイベルは続けた。

 「だが、誰にも事情というものがある。この町へわざわざ来る者にとってはね。だから、敢えて今は聞くまいと思った。それに、実を言うと君たちには感謝もしている。今回、その嘘のおかげでナギの命が救われたかもしれんのだからね」

 「ええ!?そ、それは・・・?」

 これには、さすがにアテカも驚いて聞き返した。そのようなことが、あり得るとは思えない。

 だが、フェイブルはなぜか苦い表情で、うむ…と言ったきり考え込んでしまった。それ以上の説明を迷っているといった様子が窺える。

 そこへ、カチャカチャという食器の触れ合う音と共に、若い女の声が届いた。

 「サガートは今度ナギに会ったら彼を殺すと言っていたのよ。二度目はないってね。そう言われて、ずっと隠れていたの」

 「シェイラ。しかし、そのことは・・・」

 「黙っていても仕方がないわ。お父様が途中で言いかけたことよ。あいつがどんなに危険な男か、あなたも知っておいた方がいいわ」

 銀色のトレイをテーブルに置き、シェイラは湯気の立つミルクをアテカへと手渡した。

 綺麗に盛りつけたクッキーの皿を中央へ置き、父親のグラスにワインのお代わりを注ぐ。次いで、渋い顔のフェイベルを澄ました顔でちらりと見やった。

 「仕方がないな。君のような娘に聞かせる話ではないのだがね」

 やむを得ないというように、フェイブルは語り出した。そして、その話はアテカにとって、驚愕とも言えるものだった。

 ナギは日頃から世話になっている町やレクシー一家に恩があるからと、今まで幾度もグレコ一味と渡り合ってきた。しかし、ついにひと月前、怒ったグレコがサガートを差し向け、ナギはひどい暴行を受けた。常人とは思えぬ力であのナギがねじ伏せられ、瀕死の重傷を負ったのだという。あちこちの骨を折られた挙げ句、今度顔を見せれば殺すと言われた。それで、怪我が治っても外出はするなとフェイブルが厳しく申し渡していたらしい。

 だが今日、住人の誰かがアテカらを見てナギに伝え、見つかる前に逃がしてやらねばといつの間にか出て行ったというのだった。


 「そうだったんですか。ナギさんが・・・だから・・・」

 サガートを前にしたときのナギの狼狽ぶりを、アテカは思い出していた。

 こうして訳を聞いた上なら、なるほどと理解できる。あの痩せた男に対して、並々ならぬ畏れと警戒を抱いていたのは、こうした経緯があったからなのだ。

 それも、赤の他人の自分たちの身を案じて、危ない橋を渡ってくれていたとは・・・

 

 (―――タールでは毎日諍いが絶えない。君のような娘が行けば、必ず巻き込まれる。そして、それは君だけの問題ではなくなるのだよ)

 ラクタス・オールランドの声が胸に甦り、アテカは苦い思いを噛みしめていた。

 予言とも言うべき言葉は、着いた早々、現実のものとなってしまっていた。共にいたデシムはおろか、無関係なナギまでを危険に晒していたのだ。

 全ては自分の我が儘と、忠告を無視したことによって・・・


 「だけど、あの子のおかげで、当分は難を逃れることができるわ。あなたたちをナギに預けると言ったのは、サガート本人なんでしょう?それにしても、あなたを追いかけてくるお金持ちの婚約者を差し出す代わりに、自分たちの身の安全を保証させるなんて・・・ふふ、あの子、随分と悪辣で大胆極まりない嘘をついたものね。あのサガートを騙すなんてすごいわ!」

 「いや、このまま騙し通せるわけではない。その場限りの嘘なのだからね。だが、とりあえず、今日は助かった。君たちのことも、当分は今の話のままでいいだろう。さっき来ていた町長なども、随分と同情的だったからね。彼は胃と神経を患っていて、さすがにサガートが絡んでいることまでは言い出せなかったが、いずれ状況を見て話すことにする。それまでは、黙っていてほしい。いいね」

 「そうよ。あなた達のことは私たちが守ってあげるわ」

 瞼の裏に熱いものが膨れあがる。

 それを苦労して押しとどめながら、アテカはどうにかぎこちない笑顔を二人に向けた。

 フェイブルの判断は正しい。

 少なくとも、デシムの嘘が功を奏したのだと今は信じたかった。

「ありがとう。フェイブルさん。シェイラ」

 涙がこぼれかかる。拭おうとした指をシェイラの柔らかい手がぎゅっ、と包んだ。

 どういう訳か、異様に瞳が輝いている・・・

 「ところで、アテカ。あなた、本当はあの子とどういう関係なの?あたしは、満更でもないと思っていたのよ。あの子のあなたを見つめる目ったら!年下の男性と駆け落ちだなんて、考えようによってはすごいことだわ!お願い!本当のことだと言って!」

 「そ、そんな!シェイラ。あたしたちは・・・」

 言いかけたとき、その物音は起こった。


 「な!何なの!」

 シェイラが大声を上げて立ち上がり、泡を喰ったように天井を見上げた。

 ぱらぱらと舞い落ちる埃に目をしばたたき、呆然としている。

 どん、という家全体を揺るがすような轟音が、二階から落ちてきたのだ。

 「お父様!今のは何!地震なの?」

 「いや!それはありえない・・・今のは二階からだ!」

 「いったい・・・きゃあ!!」

 二度目の音が床を打ち付け、怯えたシェイラはアテカにしがみついた。

 先程よりもより大きな音で、家中のあちこちで何かが割れる音が繰り返し響いている。際限なく埃は舞い降り、菓子やミルクの中へと降り注いだ。

 冷静なはずのフェイブルすら、広い天井を見回したまま、突然の出来事に判断をしかねているようであった。

 「とにかく、おまえたちは外へ。それにしても、これは・・・ナギの部屋か?」

 決めかねたまま、テーブルをまたぎ越して娘たちを抱き寄せようとする。

 だが、その力強い腕を振り切って走り去った影があった。シェイラが大声で叫ぶ。

 「アテカ!戻ってきて!二階はだめ!戻るのよ!!」


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