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第10話

 いつからそこにいたのか。ひたりと背後に寄り添っている。

 顔を見れば、ひどく険しい表情でじっと目の前の男を睨んでいた。喋り上手な口は閉じられ、賑やかな少年には不似合いとも言える静けさだ。

 そう言えば、先ほどもこのようにどこか遠くを見ていたと、今更のようにアテカは思い出していた。

 自分のことに手一杯で、すっかりデシムのことを忘れていたことに気づく。

 想いばかりに囚われている自分などとは違い、このようなときでも少年には周囲が見えていたというのだろうか・・・

 「デシム・・・」

 少なからぬ驚きと共に、アテカは小さく名を呼んだ。

 だが、黒い衣服の袖に触れようとして、思わず指が止まる。

 なぜか、自分よりほんの少し背の高いこの少年が、突然別人になってしまったように感じたのだ。

 茶目っ気たっぷりだった若葉色の輝きはそこにはない。

 代わりにあるのは、警戒心の滲んだ凍るように冷ややかな眼差しだった。

 ナギの顔色を一変させた不審な男に対して、恐れはおろか怖じ気づく様子も全くない。大きな男に食って掛かった無鉄砲ささえ、すっかりかき消えているのだ。華奢な腰に片手をあてがい、疑わしげに目を細めている姿は鷹揚ですらある。

 まだまだ少年と言うに十分な年齢でありながら、この落ち着きようは一体どういうことなのだろう?

 そして、この冷たすぎる眼は・・・

 アテカは困惑から逃れるように、半歩ばかり後ずさった。

 そんな様子を目にしたのか、男がにやりと口の端を上げた。


 「いけねえな。坊や。初っぱなからそんな風に睨むんじゃねえ。美人の姉さんが気を揉んでるぜ?」

 少年の身体がぴくりと反応する。

 男は面白そうに目を細めると、緊迫した空気を楽しむかのように、葉巻をひとふかしさせた。ゆっくりと煙をくゆらせた後、赤い火口をアテカへ向ける。

 「さっきの続きをしようか。お嬢さん。そっちの野郎が何を言ったか知らねえが、何も出て行くことはねえ。ここは噂以上にいい町なんだ。何ならおれが面倒見てやってもいい。・・・生意気な弟も一緒にな」

 そうして、ぞくりと背中が粟だつような笑いを浮かべた。

 はっと息を飲んだナギが何か言うより早く、アテカの目の前を黒い背中が塞いでいた。むっとした、不機嫌極まりない声が言い返す。

 「この人は姉さんなんかじゃありませんよ。おじさん―――」

 「おじさん・・・だ?」

 「お、おい!こら!よさんか!」

 ぎょっとしたナギが慌てて止めに入る。伸びてきたその腕をデシムはするりとかわした。

 そして、唐突に皆の中心へと躍り出たのだった。

 「あ!」

 いきなりの出来事に、アテカは短い叫び声を上げた。

 デシムの行動は予想の範囲を超えており、何が起こったのかすら咄嗟にはわからなかったのだ。

 「アテカさんは、そこにいてください!」

 ぴしゃりと言い切られ、踏み出しかけていた足が止まる。デシムはちらりと横顔を見せてそれを確認すると、念を押すように低い声で言った。

 「大丈夫です。ぼくが話をつけますから」

 「な・・・!ば、ばか!やめねえか!もどってこい!」

 とんでもないとばかりに、ナギが叫ぶ。

 「話だと?クソ餓鬼!いったい、誰を相手にしてると思ってるんだ!やめるんだ!」

 「うるせえぜ。ナギよ」

 「サガート!」

 「てめえも女と一緒にそこにいるんだ。わかったな」

 「く・・・!」

 男のひと言が呪文のようにナギの動きを止める。

 それを尻目に、デシムは男との距離を一息で詰めると悠然とその前に立った。


 「おじさん」

 「嫌味は無しだぜ。坊や。おれはサガートってんだ」

 興味深げに見下ろす瞳は、赤とも紫ともつかない光を湛えている。飄々として表情の読めぬ男に、デシムはわずかに首を傾けた。

 「聞いてますよ。でも、あなたとは深く関わるつもりはないですからね。そういう相手はおじさんで十分です」

 「そうかい。だが、この町じゃ、おれは何かと頼りになるんだぜ。ここへ来たのは初めてなんだろう?」

 「押し売りを頼るのは馬鹿のすることですよ。余計なお世話です。ぼくたちは誰の指図も受けませんから」

 「ほう・・・」

 聞く者によっては逆上しそうな台詞も、サガートに通じた様子はなかった。

 にやついた笑みは消えず、言葉にも態度にも変化はない。

 ふと思い出したように、男は背後へと目をやった。

 「てっきり姉弟だと思ったがな。あの娘とはどういう関係なんだ?」

 「・・・ぼくのいい人ですよ」


 二人の会話は途中から聞き取れなくなっていた。

 意味を成さぬ低い声だけが、暗くなりかけた路地にぼそぼそと響く。側で固唾をのんでいるナギも同じらしく、焦りのみが募ってゆく

 二人は時に黙り込み、また何やら話し出すことを繰り返していた。サガートがおもむろに背広の内側に手を入れた瞬間には、ナギはおろかアテカすらも、どきりと心臓が止まる思いだった。

 だが、取り出したのは新しい葉巻で、それに火をつける様子をひどい疲労感と共に眺めなければならなかった。

 そんなとき、ナギがぽつりと呟いた。

 「慣れてやがる・・・」

 「え?」

 意味がわからず聞き返すアテカへ、ナギは真剣な顔を向けた。

 「あの餓鬼・・・じゃねえ。デシムだったか。いったい何者なんだ?ただの餓鬼じゃねえぜ・・・」

 「・・・」

 「嬢ちゃんの身内には見えねえ。雰囲気がまるで違うからな。だがよ、あんなことは度胸だけでできるもんじゃねえんだ」

 鋭い視線を避けるように、アテカは俯いた。

 ナギがこぼした言葉に、複雑な想いが重なってゆく。今や、その疑問はアテカのものでもあった。

 (デシム。あなたはいったい・・・)

 すらりとした細い後ろ姿を、アテカは食い入るように見つめた。

 謎が多く、名前しか知れぬ少年だが、今までアテカはそのことを深く考えたことはなかった。

 車窓の景色と同じく、旅先での出会いは、その場限りのものだとわかっていたからだ。出会ったすぐ後には別れがある。名乗らぬ者も多く、それはアテカにしても同じだった。

 だが、ここに至って初めてアテカは、少年が自らを語らぬのではなく、初めから何も知ろうとしなかったのは自分なのではないかと考え始めていた。

 (何も見ていなかったのは、あたしなのかもしれない・・・)

 彼の話す言葉を、誠意を持って聞いていたことがあっただろうか?

 執拗につきまとわれることを疎ましく思い、ただ邪険にして追い払うことばかりを考えてきたのではなかったろうか。

 (でも、あの子は・・・)

 少なくとも、デシムがアテカに示してくれた好意に偽りはなかったはずだ。

 実際に困っていたときも助けてくれたのは彼であり、時計の一件では容赦なくアテカを叱りつけ、諭そうとしていた。真実のみを語っていたわけではなかったが、信頼できる一面があったことも事実だった。

 だが、あの冷たい眼を見たとき―――

 恐ろしさに足が竦み、身体が震えた。

 このような眼ができる少年だったとは思わなかったからだ。

 だが、それは―――

 アテカはもう一度顔を上げ、その背中に目をやった。

 今ならば、その時の気持ちがよくわかる様な気がした。

 恐れおののいたたのはその眼にではなく、彼の深みに触れてしまったことだった。

 普段は見せぬであろう心の内側を覗き見てしまったと思った瞬間、震えが来てしまったのだ。 

 

 (もしかしたら、あたしは・・・)

 人と関わることを恐れるようになっていたのではないだろうか。

 旅先だからと言いながら、互いに深く心を触れ合わせることを避けてきたのだ。

 それは、大切な人を失う怖さを知ったからであり・・・

 だから・・・


 「おい!来るぞ!」

 急くような声に、アテカの想いは霧散した。

 目の前の光景に、思考すら止まってしまう。

 「デシム!」

 むすりとした顔に驚くほどの安堵を感じながら、今度こそアテカは走り出していた。



 *   *    *



 サガートは、ほの暗い夜道を歩いていた。

 すっかり人気の失せた駅への道は、すでに足下もおぼつかぬほど薄闇に溶けかかっていた。

 山裾の町であるだけに一度陽が傾くと、夜は恐ろしく早い。灯りのひとつもない道行きでは、おぼろに霞む月の光だけが頼りとなる。

 

 三人と別れて、すでに半時ほどが経っていた。

 一度、ねぐらへ戻ろうとしたサガートだったが、ふとあることに思いついて、きびすを返していた。

 こういう時の感が外れたことがないことは、彼自身がよくわかっていた。

 いつでもという訳ではないが、ある人間に限ってだけにおこる“虫の知らせ”というものである。わずかに目尻を落とし、時折小石を踏みつけながら歩く。

 目指す駅舎は、もうすぐそこであった。


 果たして、外灯すらない駅舎の街路樹に影は寄り添っていた。

 物憂げに頭を垂れた白っぽい顔と髪が、今しがた輝きだした月の光にぼんやりと浮かびあがる。身に纏っているものがフード付きの黒いローブなだけに、気をつけねば見落としていたかも知れない。

 だが、サガートにはわからずとも、もう一方の彼には見えていたはずであった。

 

 「兄さん」

 そう呼んだのは、ローブの男の方だった。

 「オーリ。やっぱりここにいたのか」

 サガートは呆れたような声を上げた。

 口にしていた葉巻を投げ捨てると、ひっそりと佇む影に近づき、その顎に骨張った指をかける。

 互いに上背のある身体だが、サガートの方が少しばかり高い。弟を上向かせると、その白すぎる顔をじっと見つめた。同じ両親から生まれた兄弟とは思えぬほど、似ている部分は少ない。父親よりのサガートとは違い、弟のオーリは完全に母親似だった。

 「冷えてるな。なぜ独りで出てきたんだ?モーリアーナはどうした?」

 「知らない」

 「黙って出てきたんだろう?」

 「あの女は嫌いなんだ。向こうもおれが嫌いだから、ちょうどいいんだよ」

 「おまえの力が羨ましいだけさ。よく当たる。今日みたいにな」

 

 ふふ・・・と互いに笑いあう。

 しばらくしてサガートは笑みを消して言った。

 「それで、どっちなんだ?」

 「わからない」

 「わからん?二人のうち、どちらかなんだろう?感じないのか?」

 「うん。そうじゃなくて・・・」

 オーリは兄を見た。正確には生まれてからずっと閉じられたままの目で、薄い瞼をとおしてその顔を感じた。

 「おれたちとは、少し違う気がするんだ」

 「違う?どちらかが異能者なんだろう?」

 「うん・・・」

 ぽそりとこぼした返事には確信の無さが滲んでいる。そんな弟の肩をサガートは抱いて言った。

 「気にするな。あいつらが来ることを言い当てたのは確かだ。おまえの目に間違いなんかねえさ。だが・・・」

 「兄さん?」

 「話に乗せられて帰したのはまずかったな。こんなことなら、予定通り両方ともかっさらってくるんだったぜ。少し痛めつけりゃ、すぐにわかったことだ」

 「それは・・・今はよくないよ。あれでよかったんだ。今は・・・」

 「そうなのか?口のうまい餓鬼に乗せられたんだぜ?見てたんだろう?おれともあろう者が、つい、欲に目が眩んじまった。でたらめだとわかってたんだがな」

 「ふふ・・・本当に食えない奴だったね。でも、女の子の方はとてもいい感じだったよ」

 「そうなのか?」

 「うん」

 こくりと頷く顔を、珍しげに覗き込む。

 その視線を気まずそうに避けた顔が、すぐに兄へと向き直った。

 「でも、あの話・・・本当かも知れないよ」

 「なんだ?餓鬼と駆け落ちした婚約者を連れ戻しに、金持ちが追いかけてくるって話だぜ?馬鹿げてないか?」

 「うん。でも、感じるんだよ・・・本当に追いかけてくるんだ・・・」

 「誰がだ?娘の婚約者がか?」

 「わからない・・・でも、確かに何かとても大きなものを感じるんだ。恐いくらいに大きなものが、近いうちにここに来る。そう・・・追いかけてくるよ」

 「異能者なのか?」

 「それもよくわからないんだ。ごめん・・・」

 「いいんだ。気にするな。いずれおれがはっきりさせてやるさ。それより、そろそろ帰るぞ。おれたちの姿が見えねえと、またあの野郎が騒ぎ出すからな」

 言いながらフードの頭をがしがしと撫でる。

 歩き出したサガートに追従していたオーリだったが、何かを思い出したように言った。

 「それはそうと、兄さん。あの子に虫を放っただろう?」

 「うん?」

 「あのデシムって子にだよ。兄さんが飼ってる赤い奴・・・」

 「ふふ・・・」

 「いいのかい?今頃、ひどい目に遭ってるよ」

 「なんだ?おまえが心配することでもないだろう。おれをあんな目で見やがったんだぜ?ちょっとした憂さばらしってやつさ」

 「死ぬかもしれないよ?」

 「だったら話が早い。死ねばただの餓鬼だ。残った方が異能者ってことになる」

 「でも・・・」

 「おまえは何も気にしなくていい。さあ、明るいうちに帰るぞ」

 「うん」

 二人はそれきり黙り込み、静かに石畳を下り始めた。

 空では、頼りなげな月が再び雲に翳ろうとしていた。

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