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第5話 白い日傘の秘密





カーテンの隙間から微かに差し込む朝日、窓越しに聞こえる鳥の囀り。朝、それも早朝に目が覚めてしまうのは公爵家にいた頃の癖がまだ抜けていないのだろう。悪いことでもないから直すこともないが。



起き上がって軽く伸びをすると身体のあちこちからポキポキと音がした。最近は屋敷に篭りっぱなしでろくに運動もしていないせいだ。今度エリックに頼んで裏の森を歩かせてもらおうか。



軽く髪を梳かし、水に濡らしたタオルで顔を拭う。寝巻きから室内用の楽なワンピースに着替え、コップ一杯の水を飲んだところで部屋のドアがノックされた。




「はい」


「エリックです」


「どうぞ」




ちょうどいいタイミングで現れたエリックは使用人の鑑である。子爵領の屋敷で暮らす様になってから早三週間、最初の一週間以降にエリックが朝の声かけのタイミングを誤ったことはない。しっかり私が最低限の身だしなみを整えたタイミングで扉をノックするものだから部屋の中を監視されているのかと思うほどだ。



開いた扉から入ってきたエリックは本日も大変麗しい容姿をしていた。もう27歳になるはずだけれど一向に老けないその秘訣を教えて欲しいくらいである。




「おはようございます、ルクミシア様。朝の御支度をお手伝い致します」


「ええ、よろしく」




朝の支度といっても髪を整えて薄く化粧を施してもらうくらいなので慣れれば自分でもできると言ったのだがエリックは頑なにそれを拒んだ。なにか彼なりのプライドがあるのかもしれない。



鏡越しに彼の繊細な手先が私の髪を撫でるのを見ているとなんだか恥ずかしくなってきた。毎朝のことなのにこれでは先が思いやられる。




「ルクミシア様、本日の朝食ですが、オムレツのソースはトマトソースとキノコソースのどちらにいたしますか」


「トマトがいいわ」


「かしこまりました」




微かに微笑んだエリックは香油を手を垂らし丁寧に毛先に馴染ませていた。

朝食はなんでも食べると言っているが、毎日エリックは選択肢を出してくる。いつも2択で、ソースやパンに乗せる具材、スープの味などを選んでいる。初めはあまり気に留めていなかったが、今ではすっかり私の朝の楽しみになりつつあった。

そうしているうちに化粧と髪のセットが終わったみたいだ。




「今日は編み込みが入っているのね」


「はい、緩めに結いましたのであまり負担はないかと」


「ええ、素敵ね、ありがとう」


「恐れ入ります」




基本髪は全て下ろして流すのだが、エリックは偶にアレンジを入れる日がある。今日みたいな編み込みや、柔らかいウェーブをいれたり、緩くハーフアップにしたりバリエーションも増えてきた。

私が満足げに頷くと、エリックは使ったブラシや化粧道具をドレッサーの元の位置に閉まっていく。




「朝食にしましょう、食堂へ行くわ」


「かしこまりました」




朝にお腹が空くのは健康な証である。ちょうど良く感じた空腹感を満たすため、私はドレッサーの椅子から立ち上がった。









今日の朝食のメニューはじゃがいもとチーズのオムレツに春野菜のサラダ、コンソメスープに白パンだった。オムレツにはリクエストした通りトマトソースがかかっており酸味が効いていてとても美味しかった。



朝食を食べ終えるとエリックが手際良く空いたお皿を片付けていく。



さて、これから私はお昼まで読書でもしよう。この屋敷の書庫には意外と沢山の本があり、今読んでいるのはシリーズものの推理小説だ。

それで昼食が済んだ後は森に探検でもいこうか。運動不足は解消しなければならない。



今日の予定をエリックに伝えようと思ってふと気がついた。エリックは何をしているのだろう。



いや、貴族の屋敷で発生する仕事は掃除や洗濯、食事の準備に屋敷の管理まで多岐に渡るが、もしかして彼はそれら全てを一人でこなしているのか。この屋敷に来てから使用人はエリックしか見ていない。私の見えないところで誰かを雇っている風でもなさそうだし。


そういえばこの前読書の合間に窓の外を見れば、エリックが庭の低木を剪定していたような。あれは普通の屋敷なら庭師の仕事である。一応エリックはこの屋敷の家令であると聞いているが、彼が今行っている仕事は家令の範疇外だ。




「エリック」


「はい、ルクミシア様」


「あなた、もしかしてこの屋敷の管理と私の世話を全て一人でしているの?」


「はい、そうです」


「……働きすぎではなくて?」


「いえ、全て仕事のうちですので」




まさかエリックはこの仕事量を承知でここに来たのか。普通の屋敷ではまずありえない悪待遇である。なんて物好きだ。私だったら頼まれたってやりたくない。




「でも、あなたの負担が大きいわ」


「ご心配には及びません」


「いいえ、心配よ。もう一人使用人を雇う金銭的余裕はこの屋敷にあって?」


「…………………はい」




何故かとても不満そうに肯定したエリックはその表情のまま食後の紅茶を淹れ始める。普段は顔に出ないくせにこういう時に限って感情が表に出てくるのだ。いや出しているのかもしれないが。



使用人が増えるとエリックが楽になるならばそれがいい。そしてできれば女性の使用人が欲しい。それも早急に。使用人がエリックだけであることに不満はなくむしろ喜んでいる部分もあるのだが、やはり女性特有のデリケートな問題などをエリックに相談するのは私の中の乙女がまだ許してはいない。




「お父様にお伺いを立てなくてはね」


「私から連絡を入れておきます」


「ええ、お願いするわ」


「かしこまりました」




こうしてエリックの仕事を増やすことになるのだが、もう少しの辛抱だ。長期的に見れば使用人を雇う方がいいに決まっている。



そして私はエリックの淹れてくれた紅茶を飲み干し、カップをソーサーに置いた。




「今日の午後なんだけど、散歩がてら森へ入ってみようと思うの。確か整備された小道があったわよね」


「はい、三十分ほど歩くと小さな湖に繋がっています」


「湖!行ってみたいわ!じゃあ準備をお願いね」


「かしこまりました」


「お昼までは部屋で本を読んでいるから、何かあれば言ってちょうだい」


「はい、ごゆっくりお過ごし下さい」




予定の確認をして、私は食堂を出て部屋までの廊下をスキップする勢いで歩いた。森の奥に湖があったなんて、もっと早く探検に出ていればよかった。午後からの予定に胸を膨らませ、私は自室のドアを開いたのだった。









パタンと読み終えた本を閉じ、徐に表紙を撫でた。もうお昼前だろうか。随分と集中して読み込んでしまった。今回の話も主人公である探偵の男が華麗に犯人を突き止めて終わった。商会の利益を横領し、使い込んでいた犯人をはなんと探偵社に相談を持ちかけた会長その人だったのだ。部下に罪を着せようと証拠も用意して探偵社のミスリードを誘ったが、主人公はその穴に気付きついに事件の真相を解き明かした。



(とても優秀な探偵だわ…実際に雇いたいくらい)



ともすれ、物語の中の人物に現実寄りの想いを馳せても仕方がたない。物語は物語の中であればこそ、彼らは活き活きと輝くのだ。



ベルガモットの香りの紅茶を口に含み、次の本を手に取ろうとして、やめた。もうすぐ昼食の時間であるはずだし続きは後にしよう。

そう思ってソファの背もたれに体を預けて一息つくと、扉がノックされた。ほんとにタイミングの良い。




「ルクミシア様、昼食のご用意ができました」


「ええ、すぐ行くわ」




残りの紅茶を飲み干してカップとソーサーをテーブル横の給仕台へと置く。こうすればエリックがいつの間にか片付けておいてくれるのだ。

それから今日の昼食のメニューを想像しながら、私は膝に乗せたままだった本をテーブルに置き食堂へと向かった。










「……」


「……」



この屋敷の食堂での時間はとても静かだ。私が食事をとっている間はエリックはずっと壁際に控えていて一言も喋らない。私から話しかければ反応はするが、長い会話はしたことがない。




「……」


「……」




白身魚のソテーにナイフを入れる僅かな音でさえ食堂に響く程、エリックは人形の様に微動だにしない。

本来使用人とは主人の許した時以外は背景に溶け込むのが一般的だがあまりにも静かだと逆に気になってしまうのだ。それにこの屋敷には私とエリックしかいないのだから、彼が話さないと必然的に私に話し相手がいなくなるのだ。それは少し寂しい。




「エリック」


「はい、ルクミシア様」


「散策の準備はできているのかしら」


「はい、概ね整っております。後ほど外出用の衣服へお召し替えのお手伝いを」


「結構よ、自分でするわ」


「…かしこまりました」




この一ヶ月、エリックとは事務的な会話がほとんどで、彼は仕事をしているか、私の後ろで黙って控えているかのどちらかである。この間は読書中に夕日が差してふと本から顔を上げれば部屋の隅にエリックが立っていたので驚いたことがある。本を読み始めたのはまだ随分と日が高い時間だったので、その間ずっとその場に控えていたことになり、ともすればもう何時間も経過していたはずだ。



(まったく動かないわね…)



瞬きすらも最小限の動きで済ませているのではないか。先程から少しも変化がない。

毎日毎日同じようなことの繰り返しで彼は飽きないのだろうか。お世話をしてもらっている身ではあるがとてもつまらない仕事だと思う。エリックは何のためにこの屋敷で働いているのだろう。



そして食後の紅茶を飲んで一息ついた後、私は再びエリックの方を見た。




「お部屋に戻られますか」


「ええ、一時間後に散策に出るわ。エントランスで準備をしておいて」


「かしこまりました」




部屋に戻ってクローゼットを開けると色とりどりのフリルのついたドレスがまず目に入る。もうこんな少女のような服を着る年でもないのに、誰のセンスでこれを並べているのだろうか。



その中から室内用よりも少し生地の厚いワンピースを取り出し着替えていく。履物はヒールも装飾も付いていないシンプルなものを選んだ。ある程度舗装された小道を歩くのであまり気合を入れて探検用の格好にしなくてもよいだろう。

今朝エリックが結ってくれた編み込みを潰さないように髪を後ろで緩く纏めると準備は完了だ。湖で休憩の時に読もうと思っていた小説の続きを手に持ち、私はエントランスへと向かった。



2階の廊下からエントランスへ繋がる大階段を降りるとそこには既にエリックの姿があった。いつものように燕尾服を着て手には大きめの鞄と可愛らしいフリルのついた日傘を持っていた。




「あなた、その日傘は」


「外では日に焼けてしまいますので、お使いください」




持ってきた小説をエリックに手渡すと、彼はそれを鞄に入れ、代わりに日傘を差し出してきた。

白地に青い花の刺繍が施されフリルのついた傘は明らかに女性用なのできっと私のために用意してくれたものだろう。これはまた若々しい御令嬢に似合いそうなデザインだ。クローゼットに眠っているあのドレスたちに合わせればさぞ映えたであろう。




「それはあなたが選んで用意したの?」


「はい、お気に召しませんでしたか」


「……もしかして、クローゼットに入っているドレスを選んだのも?」


「はい、旦那様から頂いた資金の中から私が購入いたしました」




なんと。あの父が出戻り娘のためにわざわざドレスを贈るなんておかしいとは思っていたが。まさか選んだのがエリックだったなんて。




「ほんとうに?」


「はい、…なにか問題でもごさいましたか」


「いえ、いいえ…そんなことはないの、ただ…」


「ただ?」


「ただ…………っぷ、ふふ、ふふふっ」




伺うようにこちらを見るエリックの顔を見て私はもう我慢出来なくなった。吹き出すように笑った私にエリックはそれはもう驚いたような表情をした。彼がここまで感情を出すのは珍しい。それでも私の笑いは止まらなかった。




「ルクミシア様?」


「いえ、ごめんなさい、ふふ、悪気はないの、気にしないでちょうだい…ふふふ」


「あの…理由をお聞かせ願えますか」


「だって…、エリックが、あのエリックが、こんなにも可愛らしい服を選ぶだなんて、ふふふ、おかしくて」




あの無表情でフリルのついた可愛らしい色の服を購入する様を想像すると意外すぎて笑ってしまう。それに給仕や仕事は完璧で隙のない彼が、主人の、それも女性の趣味に少し斜め上な感覚をしていることもおかしかった。思わぬギャップが可愛くて口角が上がるのを抑えられない。


なかなか笑いの止まらない私にエリックは困ったような様子で立ち尽くしている。




「ふふふっ、ふー、あーおかしい」


「申し訳ありません、ご趣味に合いませんでしたか」


「え、ええ、そうね、昔はあのような服はよく着てたけれど、今はもっと落ち着いたものが好きかしら」




やはり20代半ばの女性には鮮やかなフリルのついたドレスは厳しい。学院時代や20歳くらいまではよく好んで着ていたが最近は歳に合わせた大人しめのドレスが気に入っていた。




「かしこまりました。すぐに今あるドレスは処分して新しいものと入れ替えておきます。この日傘も、別のものをお持ちしますので少々お待ちください」


「いえ、処分だなんて。今あるものも残しておいて」


「しかし」


「いいの、私、気に入ったわ」




一礼して新しい日傘をとりに行こうとするエリックを引き留めてその手から無理矢理日傘を奪う。

それから白いフリルのついた日傘を広げて、頭の上に差した。




「どう?似合うかしら」


「………はい、良くお似合いです」


「よかったわ」




私が満足げに笑うと、エリックは困ったように少し眉を下げた。その様子さえもおかしくて私は再び吹き出してしまう。




「それじゃあ、行きましょうか」


「はい、ルクミシア様」




ひとしきり笑うと、なんだか気分がすっきりした。ここで最近心から笑うことがあまりなかったことに気がついた。



(主人がずっと暗い顔をしているのだもの。エリックもさぞ扱いに困ったでしょう)




それでもこれからは少しずつ明るい空気をつくっていける気がした。自分でも安直だとは思うが、気の持ちようだ。まずは湖への森の散策を楽しもう。

私はこれからの楽しみに想いを巡らし、屋敷のエントランスの外へと踏み出したのだった。







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