第1話 花が散る夜に呪いを
寒い寒い、冬の夜のことだった。
月明かりが差し込む女子寮屋上。色とりどりの花が咲き乱れる美しい花壇の前にその男は立っていた。
真っ黒な髪とエメラルドのような瞳が満月の光を受けてキラキラと輝き夜空に映えるその様子はまるで一枚の絵画のようだった。
自分の愛する男に夜の屋上に呼び出されて、期待するなという方が無理なこの状況で、しかしながらこの男はとんでもない交渉をして来たものだ。
湧いて来た憤りとその他激しい感情たちを抑え込み、必死に頭を回転させる。
どうやらこの男の主人の実家の伯爵家が不正の濡れ衣を着せられたらしい。そして、伯爵家が無実であるという証明のために、私に、そう、全く関係のない私に、とある公爵家との縁談を受けてほしいと。よりにもよってこの男が交渉に来た。
そして、このお願いを引き受けた私は、どうやらこの男を好きにしていい権利が手に入るそうだ。
主人である伯爵令嬢のために私に向かって地べたに頭をつける様は私がずっと望んでいた光景のはずだった。
______手に入るのか、この男が、私のものに。
羨ましかった。伯爵令嬢とその従者の関係が。美しいと思って、欲しいとも思った。
それでも、私が望んでも望んでも手に入らなかったものが、今向こうからやって来たのだ。
ゴクリと、唾を飲んだ。
欲しいものが手に入る瞬間、そして手に入れた後の満足感を想像したら、決意が揺らぎそうになる。
目を閉じて、心を落ち着けて、ゆっくりと息を吐く。
そして、私は意を決して口を開いたのだ。
「ええ、あなたの望み通りにしてあげる。でも……あなたは、要らないわ」
あまりにもあっさりと頷いた私に驚きを隠せない様子の美しいエメラルドの瞳が愛しいと思った。
その月の光にきらめく真っ黒な髪も、白い肌も、よく鍛えられた身体も、全て好きだと思う。
この男は最後まで本当の意味で私のものにはならなかったのだ。そしてこの先も私が望む形には収まらないのだろう。その上このような無茶なお願いをしてくるのだから、まったく腹立たしいことこの上ない。
それでも、一生に一度の恋だと思った。
「ああ、でも、一つ、あなたに呪いをかけましょう。あなたはこの先何度も、私を思い出して泣くといいわ」
私の人生でこれ以上1人の男を好きになることはないのだろう。
「いいこと、この私が、何の見返りもなく、都合よく言うことを、ええ、こんな理不尽な事を聞いてあげるのは、世界中探してもあなただけよ」
自分でも都合のいい事を言っているのは分かっていたのだろう。そして私の想いを利用し、自分の身を差し出して、私を頷かせようとした。私がどんなに望んでも拒み続けていたことを、こうもあっさりと。
彼の主人がそのようなこと許すはずもないし、きっとこれは彼の独断だろう。
腹の底からグツグツと熱くなる感覚がするが、それとは別に心は凪いでいた。
「大事な大事なお姫様を救うあなたのために、1人の女が踏み台になったこと、どうか忘れないでね」
泣いてなんかやるものか。殊勝に泣いて、見返りを求めて、この男の胸なんか少しだって晴らさせない。ずっと、私という靄を抱えて生きていけばいい。
私は今まで自分の培ってきた全てを込めて、丁寧に丁寧に微笑んだ。
本当に、恋なんて、馬鹿馬鹿しい。
こんな想いはもうごめんだ。