第一章3 【回想~†死の輪舞曲†、母親に中断させられる】
回想編です!
―――命とは、かように軽いものか。
「右」
青年の持つ得物が右に振るわれる。その一振りは卓越した剣技をも遥かに凌駕するもので。
「―――」
悲鳴は聞こえない。しかし、それは殺戮を否定するものではなく。
「―――」
鉄の臭い、肉が焼ける臭い、腐食臭がする。しかし、そんな事に意識を割く状況では無いのは誰が見ても明らかだった。
「”マルク”、後ろだ!」
「―――ッ!」
マルクと呼ばれた青年が前方の敵を切り払う隙、後方より青年たちに向けて襲いかかる、無数の影。
「奪われた同胞の仇だ、ここで死ねい!人間!」
それは鬼族の小隊だ。その奇襲は人間一人を殺すものとしては、いささか戦力過多に過ぎるが――
「すまない。――せめて、安らかに」
マルクはそう、短く謝辞を述べる、そして――
―――
―――――
ものの数秒前までは”命の形をしていた物”が、あたりに散乱する。
―――そこは、街だった。
かつて飲食店だったもの。街を彩る街路樹だったもの。生き物だったもの。
そのほとんどが火に包まれている、あるいは、血に塗れている。
その光景を、屍がかつて使っていたものであろう、使い捨てられた武器が、まるで緑一色の葉野菜サラダの中のトマトのように、異色の輝きを放つ。
まるでそこに存在する全てのものが、「生」を否定するかのような、極めて残虐な光景である。
まともな感性の人間がそれを見れば、口を揃えてこう言うだろう。
「―――地獄だ」
三人の青年たちの内の一人、錫杖を持った青年がそう呟いた。
「―――他に、言葉が見つからないな」
剣を握る青年も、その光景自体に見覚えが無いわけではない。しかし、あたりに散った肉片と漂う腐臭は幾ら見ても慣れなかった。
否、その光景を本能的に理解し順応する事は青年にとって容易い。しかし、それを認めてしまうという事は―――
「―――ッ」
「”マルク”」
唇を噛む青年を呼ぶ少女の声。それはどこか、慈悲深い女神のようであり、何か懇願する子供のような声だった。
マルクと自分を呼ぶ声に、青年は少しの間だけ目を瞑り、振り返る。
「――ありがとう、大丈夫だよ。…僕は大丈夫だから」
目の前に散らばった無数の死の欠片。最早それは原型を留めておらず、かつて人間だったものなのか、魔族の成れの果てなのか区別がつかない。
それら全てに、どうか安寧が訪れるようにとマルクは黙祷した。
――ズドン。
束の間の静寂は、突如訪れた地響きと共に終わりを迎える。マルクの脳内に警鐘が鳴る。
ズドン、ズドン、ズドン。
一定の波長を刻むそれが、ただの地鳴りであろうはずもない。
「おいマルク、何か…来るぞ」
マルクを取り巻く二人のうち、青年の一人が警告する。
ズドンズドンズドンズドン。
次第にこちらに、何者かが近づいてくる。
その連続する振動の正体が、何らかの生命体の”足音”である事は明らかで。
「…マルク!!」
「皆、構えて、僕の後ろに」
即座に、振動の方角に意識を集中させる。その刹那、マルクの左斜め前方の民家が割れた。
まるで卵を割るかのように、あっけなく、文字通り、割れた。
「――ッ!二人とも、逃げ――」
民家が破壊された凄まじい衝撃と爆風そして爆発音に、彼らは咄嗟に後ずさり、各々身を守る事しかできない。
砂煙と土埃と振動で血溜まりから跳ねる血飛沫の間から、”ハルト”の同等の丈の何かが”ハルト”達を覗き込む。
それは、正真正銘、「覗き込む」を体現した存在だった。
それは、目を疑いたくなる光景で、
それは、
「みつけた」
それは、ひとつの巨大な眼球だった。
「仲間、血の臭い、同胞の臭い、人間の臭い、追ってきた」
それは、”ハルト”達三人と赤く血塗られた街の姿を映し、燃え盛る炎と陽炎が反射し揺らめいている。
「お前だろ、人間、お前なんだろ」
否、その眼球に映るものは、街の惨状を映し出すに留まっていない。
充血している。涙を流している。そして瞳孔の奥に、どす黒い殺意を孕んでいた。
「――マ、マルク!”サイクロプス”だ!!」
目玉だけ覗くそれの全身が顕になる。それは、ハルトの背丈の十倍もの大きさの、一つ目の巨人、”巨単眼人”サイクロプスだった。
突如、周囲を取り巻く炎がけたたましい音と共に火柱を上げる。死を包む舞踏会に踊る新たな死の踊り子。まるでその存在を祝福し、歓迎するかのように。
「しかもこの巨人って、まさか、あの―」
「二人とも、下がっ―」
「――お前なんだろ!!仲間、家族、みんな、殺したのは!!」
言葉足らずの激高、叫びと共にマルクの周囲の構造物が、爆ぜる。
まるでそれは、そこにあった空間そのものが消滅するかのような所業で。
無残に散らばった屍と血肉、瓦礫諸共、光と爆炎に包まれる。まるでそれは、死者を冒涜するこの地獄のような惨状に射す、救済の光であるかのようだ。
易々と命を冒涜した冒涜者であるマルク達に、裁きの光が降り注ぎ―
「―――」
消える。
否。消えたのはマルク達ではなく、光の柱のほうだ。
何も消えなかったわけではない。マルク達の周囲の構造物はすべて、綺麗さっぱりと何一つ残っていない。
――マルクの翳す左腕に、死の色をした光の柱は吸い込まれていた。
自らの攻撃をいとも容易く免れたマルクに、巨人は激昂する。
「その力、”精霊”のもの――お前、精霊と、命、尊厳、穢した――殺す」
「二人とも、絶対に僕の側を離れるな!!」
マルクは半歩前に進み、後方の二人を庇う。目の前の死を招く巨人と相対し、浴びせられる殺気を受け入れる。彼にできる、最大限の警戒だ。
その勇者の果敢な振る舞いに巨人は一切の反応を示さず――何かを口ずさんでいる。それは言葉として意味を為さない羅列だったが。マルク達にはその言葉の随所に、並々ならぬ死の気配を感じた。
「――詠唱っ、何か来るわ!!」
「――くっ、間に合え!!」
巨人の眼球の前、文字通り目の前に光が収集されていき、球体状の構造物が生み出される。太陽ように光り輝くそれは、今まさに、世界を灼熱で包もうと――
その刹那――
「陽斗ー。ご飯よー。もうできてるから。そろそろ降りてきてねー」
それは絶対的な、”世界”の中断を意味する、極めて無粋な一言だった。