第一章2 【火の魔女】
――それは、硝子細工のような声だった。
「収めなさい」
黒のローブで全身を隠す人影が、美しい声色で宥めている。
美しくも凛とした女性の声だ。しかし、その音色には他者との接触の一切を拒絶する刃のような鋭さがある。
「”火の魔女”がああああッ!俺の、俺の邪魔をするなあああッ!」
”火”という単語に、露骨に反応する狩人の青年の動きは早い。先程まで逃げ惑うゴブリンを弄ぶ猫のような歩みだったものが一転、まるで闘牛のような速度で一直線にローブの人影へ突き進む。
「バーク」
ローブの女性のその声色に、一切の感情の変化は無い。
しかしその無機質な言葉の色とは裏腹に、空気中の有機物が赤く熱を持ち始める。
次の瞬間、ローブの女性と青年の間に灼熱の炎が広がり、爆発を起こす。直撃こそしなかったが爆発を正面で受けた青年は爆風に吹き飛ばされ地を転がり、城壁に身体を強打し、もたれかかるようにへたり込んだ。
「――がっ、ぐはっ」
――蚊帳の外で呆然とするゴブリンの少年は、初めて見る”超常の光景に”心を奪われていた。
突如として現れる炎そして爆発。少年の世界にあった”石油”や”ライター”などの一切を用いず、それはこの空間に顕現した。
文字通り”火のないところに煙を立たせた”その所業は、まさしく――
「――魔法」
間違いない。目の前のローブの女性は、魔術の類を操ってみせたのだ。
「――ぐ、はぁ、はぁッ…てめえ、何の真似だよッ!」
”マジックショー”のような奇跡に魅せられたゴブリンの少年は、狩人の青年の声を聞いて我に返る。
あの規模の爆発をまともに喰らえば、ただでは済まないように見えたのだが――
「――何故、俺を殺さない。殺せよッ!てめえ…俺をこうして無様に生かして、どういうつもりだよっ!!」
「―――」
青年はひどく感情的になり、ローブの女性へ吠える。
見れば、青年の身体に目立った熱傷は見られない。寧ろあの爆炎を正面で受けたにしては不自然なくらい身体は綺麗で、衣服や鞄に僅かな焦げ跡が伺えるくらいだ。文字通り”軽症”と言って差し支え無いだろう。
「馬鹿にしてんのかよッ!?一度とは言わず三回も…俺を…俺の生き様を、侮辱するんじゃねェッ!」
青年が熱をこもった声で激高する。
この青年は、ローブの女性に情けをかけられたのだ。しかも、どうやら命を救われたのは一度では無いらしい。
その憤怒の熱は、情けなく無様に生きながらえてしまった自分と、狩りの妨害はするが命のやり取りを一切行おうとしないローブの女性を今にも焼き殺すかのような勢いだ。
目の前の女性の表情は黒のローブに隠されていてよく見えない。仕草一つ見せない女性は、
「収めなさい」
先程と何ら変わらない口調で、水のように冷たく静かに青年を宥めた。
温度差のある会話だ。まるで煮え滾る窯に氷塊を投げ入れたかように、互いに相容れないもの同士の会話である。
そのあまりにもかけ離れた隔たりに毒気を抜かれたのか、次第に青年の顔から熱が引いていく。
「――クソッ、覚えておきやがれ。…後悔すんじゃねえぞッ!」
そう吐き捨てるようにして青年は立ち上がり、逃げ去るかのようにしてその場を後にした。
「――っ、助かった…のか?…はーーーー良かったああぁぁーーー…、マジで死ぬかと思ったわ…」
全身が泡立つような感覚に苛まれていた少年も、青年の走り去る姿を見てようやく肩の力が抜けた。
咄嗟に大きなため息をし、全身特に足の力が抜けそうになる。しかし――まだこの場にへたり込むわけにはいかないと少年は残された力で何とか立ち上がり――
「あ、ありがとう。君が誰だかわからないけど、君のお陰で助かった…ありがとう」
少年は何とか力を振り絞り、命の恩人に謝辞を伝える。
頭を下げてから、ふと、少年は思う。
見計らったかのような襲撃イベント、そしてご都合主義のように現れたこの女性。これは…今度こそ”お決まりの展開”ってヤツだろう。この異世界転生して孤立無援のか細い命のロウソクに、優しく火を灯してくれる心の優しい美人魔法使いキャラに違いない。
彼の消えかかっていた希望の灯火が一段と燃え盛った。
「あ、あの!俺は――」
少年がローブの女性に話しかけようとする――
「帰って」
が、ローブの女は、硝子細工のように冷たく無機質な声でそう返す。
その声は多くの人を魅了するような美しさと同時に、繊細でどこか儚げで、いたずらに触れば壊れてしまうような脆さのような何かを内包していた。
「え」
少年が短く呟くと、ローブの女はマントを翻し立ち去ろうとする。
「――ち、ちょっと待ってくれ!なあ、君は一体何者なんだ!?俺に用があったから助けてくれたんじゃないの?」
少年は焦燥する。これは必然イベントではなく、偶発イベントだったようだ――と。
目の前の女性は、たまたまこの周辺を通りかかり、たまたま騒ぎを聞きつけて少年を助けただけだったようだ。
従って、これ以上の接触は無意味――と、女性はその場を後にしようとした。
「お、おい、頼むからちょっと待ってくれ!俺のこと、何か知ってるんじゃないのか!?」
迷子の童子のように、必死に叫ぶ少年。
――ようやくこの理不尽な崖っぷちの状況に垂らされた一本の頼みの綱。あの女性は、この意味不明な状況の鍵を握っているに違いない。偶発イベントだったとしたら尚更、ここで引いてしまえば最後。その機会は二度と訪れないだろう。少年は悟る。
この無様で情けない俺を何とか助けてくれよ。なあ。頼むから、俺を一人にしないでくれ――と、言わんばかりに。
そのあまりにも情けない姿に同情したのか、ローブの女性は歩みを止め、振り返る。
「あなたのこと、何も知らないわ。早くお家に帰って。もうすぐ衛兵が来てしまう。ここにいては危険よ」
「っ、んな塩対応しなくたっていいじゃん…つかそもそも俺、帰る家が無くて」
「――え?」
顔色、もとい声色の変わるローブの女。
短く呟かれた感嘆詞ではあったが、そこには先程よりも微かに熱が込められている。
「――あなたもしかして、帰る家を失ったの?」
「あ、ああ――まあそんな感じ、かな。ってか、家だと思ってた場所が朝起きたら家ごと引っ越しちゃってたっていう感じ?」
少年の主張は全く要領を得ないものだ。
しかしその言葉を聞いたローブの女は態度を一変し、今度こそ少年の方角へ身体を向ける。
女性が何か言葉をかけようとしたその時――
「――居たぞ!”火の魔女”だ!」
城壁の一部が開き、兵士のような身なりの男性が黒のローブの女性を視認すると叫ぶ。
どうやら先程”火の魔女”が起こした爆発音を聞きつけた”城塞都市ビスマルク”の衛兵が駆けつけたらしい。
「――っ、見つかった」
「6時の方角に”火の魔女”、および別の生命体一体を視認!……ゴブリンです!」
「…あ、やっぱ今の俺ってゴブリンなんだ!?アイツの目、節穴じゃなかったのね!?」
「訳わからない事言ってないで、逃げるわよ!」
「――え、ぁ」
「跳ね橋を下ろせ!総員、”火の魔女”を捕縛または掃討せよ!抵抗する場合は殺しても構わん!」
”火の魔女”が少年の元へ咄嗟に駆け寄る。
思いの外高い身長にちょっとだけ驚く少年。その実魔女の背丈そのものはそう高くはない。だいたい150cmぐらいだろうか。
現世では176cmあった少年だが、今の少年の身長はゴブリンに転生した影響で縮んでいるようなので無理もない話だ。
「走れる?」
「ぐ、ぐぬ。足が…竦んで動かねえ…」
”火の魔女”が少年にかける言葉は短い。それが切羽詰まっている状況であると少年は察知し、必死に歩みを進めようとするも足が動かない。
あれだけ狩人の青年に追われて足場の悪い草原を駆けずり回ったのだ。それも、2年間満足な運動すらしていなかった少年にとって、その体験は刺激的過ぎる。
「もう。…手なら動きそうね。掴まって!」
「え、何する気?つか何で追われてるの?」
「話は後!…しっかり掴まっててね!」
火の魔女は白く綺麗な左手で少年の右手を掴む。
その所作はぎこちなく不慣れな物であったが、この状況から何とかか弱い命を救い出そうとする。
握られた手が温かい。握手に不慣れなのは少年も同じであり、恐怖とは別の意味で少し胸が高鳴った。
城壁の一部である跳ね橋が、鉄の軋む音と共に降りる。草原だった所は跳ね橋の鋼に蹂躙され、鈍い轟音と地鳴りがする。
「逃げるぞ、追え!逃すな!」
「――ハーゼ!」
魔女はゴブリンの少年の手をしっかりと握り、”ハーゼ”と、短くそう詠唱する。
すると身体が風で吹き飛ばされそうなくらい軽くなる感覚がするのと同時に、魔女は地面を蹴り出した。
「うおおおおおお!?何だ何だ何だ!?てかそんな強く引っ張らないで!腕千切れる!千切れる!」
草原の丘陵を脱兎のごとく跳ね、走り、逃げる魔女。その動きは明らかに物理法則を無視している。高速道路を法定速度を超えて走る自動車のように、少年の景色が歪む。
100メートル走でこんな化け物のように早い選手がいれば世界記録更新は勿論、そもスーパースローカメラでも捉えられるか怪しいだろう。
そんなトンデモナイヤツに手を引っ張られて腕が千切れそうな少年。それでも、絶対にこの手を離してはならないと懸命にしがみつく。
「そう簡単に千切れないわ!…多分。初めてやるから保証はしないけど!」
「ますます不安なんですがあああ!?ちょ、あと揺れ、揺れが強すぎ!!引きこもりにはこの刺激辛いって!脳震盪起こすからもうちょい優しく、優しくしてーーーーー?!」
「逃がすか!総員、目標を見失――」
衛兵が怒声を上げる。しかし、少年にはその叫びが緩徐に歪んで聞こえた。これは”ドップラー効果”というヤツだろう。救急車がすれ違う時、サイレンの音が通り過ぎる前と通り過ぎた後で変わるアレだ。
それを鑑みるに今、少年の身体は人知を超えた速度で進行しているらしい。手を離したらただでは済まないと本能が理解し、手に汗を滲ませる。
魔女は草原を駆け、丘陵を飛び、岩場を進む。
「い、痛ェ!う、うぷ…ちょ、タンマ、吐きそう」
「いちいち五月蝿いわね!…もうちょっとだから頑張って!」
振り返れば、もうそこには衛兵達の姿は無かった。しかし、魔女はその足を止めずに突き進む。
暫く進むと開けた草原の中に木々がぽつぽつと見え始める。その数は瞬く間に数を増やし、いつの間にかあたりの草原は消え、代わりに森が少年たちの周りを取り囲む。
しかし魔女の速度は変わらない。時には壁蹴りの容量で木の幹を蹴り、どんどん森の奥へ進んでいく。
先程まで陽の光があたりを包んでいた筈が、いつの間にか緑のカーテンが空を隠し、暗闇が二人を包み始める。そこででようやく魔女は速度を徐々に落とし始め、ある所で静止した。
「――ふう。”結界”を超えたわ。もうここなら大丈夫」
「う、うううう…もう駄目かと思った…色々な意味で。色々な所から色々なモノが出そう。うぷっ」
「歩ける?」
「あ、ああ…まだ酔うような感覚が抜けねえけど、立ちっぱなしよりは歩いているほうが楽だ」
「この先に私の家があるわ。まずはそこまで行きましょう。それと、歩きながら私の話に付き合いなさい」
魔女は歩みを進め始める。初めて歩く土の道は何とも歩きにくい。場所によっては土が泥濘み、少年の足を止めようとするかのようだ。
アスファルトで舗装された道を恋しく思いながら、よろよろと千鳥足で歩みを進める少年。魔女はこちらには目もくれず淡々と道を進んでいるが、先程までの突き放すような態度は多少和らいだような気がする。
何より少年は、気がかりな事があった――
「あ、あの、えっと…手、離してもいいよ?もう歩けるから」
「駄目よ、強がらないで。あなた、まだ苦しそうだもの」
「まあ、苦しいのには違いないけど…」
初めて握られる異性の手だ。それは柔らかくも暖かく、すべすべとして綺麗な手だった。
先程は咄嗟の判断で握られたのでそこまで意識しなかったが、森の静かな空間に男女二人が手を握っている。
引きこもりだった彼は対人関係が浅く、この手の耐性が薄いのだ。
静かな森だ。静かすぎた。少年は、自らの心臓の高鳴りしか聞こえない錯覚に陥りそうになる。
何だか気まずい。何でも良いから何か他の雑音が欲しいと少年は口を開く。
「あ、あの。さっきはありがとう。殺されそうになった所と、衛兵に捕まりそうになった所を二度も助けてくれて」
「いいの。でももうあんな所に行ってはダメ。ゴブリンは森から出てはいけないの」
「あー…やっぱ、そうなのか。そうだよな…」
少年は改めて自らの立場を思い知らされる。
信じ難いが、どうやら少年は”ゴブリン”になってしまったらしい。その事実を再認識した少年は酷く落胆した。
そして、その現実から目をそらしたくなった少年は、魔女に疑問を向ける。
「なぁ…ところで君は一体何者なんだ?助けてもらった手前図々しいかも知れないけどさ。顔くらい見せて欲しいんだけど」
「私のことはいいの。それと今度は私の質問に答えて」
ぴしゃりと断られてしまう少年。ローブの魔女は振り返る事すら無く歩みを進める。
その魔女の拒絶には、どこか物悲しさのような寂寥感が入り混じっていた。
「あなた。あんな所で何をしていたの?まさか、”ビスマルクの城壁を越えようとしていた”なんて馬鹿な事言わないわよね」
「それが、俺もよくわかって無いんだよ…朝起きたらあの草原のど真ん中に居て、そこにアイツ――狩人みたいなヤツが襲いかかってきて…で、必死に助けを呼ぼうとして気がついたら城壁のほうに身体が走ってた」
「助けを呼びにって…”人間”に?…それこそ、命を奪われかねないわ。あなた、自分の行いが如何に支離滅裂で、危険な事をしようとしていたか分かってるの?」
「わかってないな。何が問題なんだ?」
とぼけた口調でも無く、まっすぐに自分の心を露にする少年。
開き直りにも捉えられるその口調に魔女は「はあ」とため息のようなもの一つ零すと口を進めた。
「”人間”と”ゴブリン”は決して相容れない存在なの。人間はコブリンの角や肉に高い商材価値を見出している。あの狩人だけじゃないわ。…それに、あの城塞都市は人間界の国防の要よ。ゴブリンのあなたがあんな所で人間なんて呼ぼうものなら、それこそ、翌朝にはあなたは骨と皮だけ――いえ、皮は雑貨や鞄なんか使われているでしょうから、骨だけ――ちょっと待って。確か、ゴブリンの骨からはいい出汁が取れるって――」
「わかったわかった俺が悪かった!!とんでもない無茶してたって事ね俺!?もう二度としませんすみませんでしたーーッ!?」
今一度、自らの行いを鑑みて総毛立ち、顔が青ざめる少年。
どうやらこの世界では、ゴブリンは余す所無く使われる”素材”らしい。少年の元いた世界で言う所の、ブタのようなものなのだろう。
また、”要塞都市ビスマルク”は人間界と魔物の住む世界を隔てる壁であり、人間の衛兵達が厳しく守衛しているようだ。そこを魔物が彷徨く事は自殺行為に等しいと、魔女はそう言いたげだ。
――というか、骨から出汁が取れるってどゆコトよ。
「安心して。私はあなたの事を食べたりなんてしないから」
「”私は”…って事は、他のヤツは食べるってコトだろ?え、この世界では、ゴブリンって食料なの!?”森のおやつ”とか呼ばれてる感じ!?」
魔女のそれは少年にとって見当違いの弁明だ。しかし、当の魔女は冗談を言うそぶりでもない。その言葉は寧ろ真剣そのものであるように聞こえた。
その言葉は冷たさや寂寥感の中に、どこか自分を受け入れて欲しいという願望のようなものが、入り混じっていたのかも知れない。
言葉の真意が見えない。故に受け取った言葉をそのまま受け入れるもののますます混乱する少年。
「――あなた、さっきから何を言っているの?様子が変よ。…帰る家も無ければ、自分が何故あそこにいたのかも分からないし、このあたりの常識も知らない。――あなた、もしかして」
「―――」
魔女がこちらを覗き込む。距離が近づくと少しだけローブに隠された顔の輪郭が見える。
白い肌に、焦げ茶色の髪の毛。そのいずれからかは分からないが、野草やハーブを煎じたかのようないい香りする。
「あなたもしかして、記憶喪失?」
「――あ?ああー…その表現が一番近いかもしれない」
「はっきりしないわね。まあ…いいわ。――着いた」
魔女本人と会話に気を取られていた少年は、陽の光が強まる感覚にようやく気がついた。
その光は、上から射すものではない。少年の真正面、目先の空間だけがぽっこりと空いており、その先から光が森の中に注がれていた。
そこから先は道がない。言わば崖だ。崖が、その森の終点である事を伝えていた。
そして、その崖の先には――
「――おお」
先程猛スピードで駆けてきた丘陵の草原が広がっており、その遠く先には先程少年が無様を晒した城塞都市”ビスマルク”の様子を一望できる。
西洋の風景画のような美しい光景に目を奪われる少年。その様子を黙って見つめていた魔女が声をかける。
「ここが私の家よ」
声をしたほうを振り返れば、魔女の後ろに小さく質素だが赤い屋根が可愛らしい、生活感溢れる家があった。
綺麗な水が流れる井戸と水路のようなものがあるがそのいずれも古びて苔むしている。しかしそれは同時にこの家が長い間重用されてきた証でもあり、その歴史の厚みを感じさせるものでもあった。
陽の光が丁度当たっている所には、物干し竿のようなものに魔女の物と思わしき衣類や洗濯物がきちんと並び、焚き火がそれを優しく見守っているかのように灯っている。
「入って。――心配しなくても大丈夫よ、罠とかは無いわ」
「逆に不安なんですが!?…お邪魔しまーす」
”魔女の家”となれば得体の知れない何かが入った釜や、カエルなどの小動物の身体が硝子瓶に入っているようなヤツ?
そんな光景を少年は想像し少し身構える。が、その不安は扉を開かるのと同時に消えた。
いたって、普通の家だ。大きな机に綺麗なテーブルクロスと、大きさの違う3つの椅子、寝心地の良さそうなベッド、大小様々な大きさの本が入った本棚に、いつでも換気出来るよう取り付けられた窓、その下にキッチンを思わせる調理場のような物がある。
そのいずれも前時代的ではあるものの、生活をする上で必要な物は、正に元いた世界のソレに等しい。
「疲れたでしょう、とりあえず、この椅子に座りなさい」
「あ、ああ。ありがとう」
魔女に案内され、机の前まで招かれた少年。魔女は少年の身体と大きさの違う椅子達の大きさを見比べて、そこにある物の中でもっとも小さいものの前に少年を案内した。
「うわ、こうして見てみるとマジで縮んだなあ…元の世界では低身長の気持ちなんてわからなかったけど、これは何というか色々クるわ」
「――とりあえず、ここで少し休んでいなさい。私はちょっと行く所があるからそれまで寛いでて。水とかは、外の井戸を使えば飲めるわ。食器はあの棚の中にあるから。――あ、ただ、花柄の茶器だけは絶対に使わないで。…それは私のお気に入りだから!」
「わ、分かった。ご親切にどうも」
「――間違っても変な事しようとか思わないことね!もし何かしたら、あなたの身体をまるごと私の飼ってる”マルル”の餌にしちゃうから!」
そう、ぶっきらぼうに言い残すと魔女は入り口の扉を閉めて何処かへ行ってしまった。
魔女という単語を露骨に警戒していた少年ではあったが、予想以上に人間っぽさの残る彼女の言動に毒気を抜かれ脱力する。
寧ろ、魔女のほうが来客を招き入れる事に強く緊張していたようにも見えた。
ともあれ、ようやく心を落ち着けられる場所にありつけたわけだが…
「…一体何がどうなってんだ?俺が書いてた小説の世界に異世界転生したかと思えば、俺は人間じゃなくてゴブリンになってるっぽいし…意味わかんねえよ。そもそも、あの狩人といい魔女といい、俺の小説の中にはそんなキャラクター出てこないぞ。…モブキャラなのか?あいつら」
確か魔女は『”ビスマルクの城壁を越えようとしていた”なんて馬鹿な事言わないわよね』と言っていた。
――彼女は、『ビスマルク』という単語を口に出した。
それは即ち、この世界が少年が創造した作品”精霊は勇者にSSランク級の力を与えた対価に、忌々しい呪いをかけていきました”通称”世知辛”の世界であるという仮説の裏付けにもなる。
しかし小説の世界だとすると主人公の初期配置と人物設定が絶望的にミスっている。これでは寧ろ”主人公”に狩られる側ではないか。
そしてあの狩人と魔女は何だ。あんなキャラクター用意した覚えも無ければ、セリフを与えた覚えもない。
仮にモブキャラだと仮定して…まあ、アイツ…あの狩人はいい。顔がいかにも噛ませ犬っぽいしアイツはモブキャラだろう。しかしあの魔女はモブキャラの立場に収まる器では無いぞ。あれは誰がどう見ても”急に現れて重要な助言をするヤツ”ではないか。
そんな強烈なインパクトを持った重要な役、書いた覚えもないが?
少年は必死に思い出そうと頭を捻るが、どう考えてもそんなキャラに聞き覚えもとい書き覚えなど無かった。
そして、少年はそもそも――と、ようやく冒頭の部分にあった違和感と向きあう。
「そもそも、なんで俺、こんな事になってんの?俺は昨日の朝フツーに起きてフツーに寝てただけだったんだけど…ああ、まあちょっと嫌な事とか嬉しい事はあったけどさ。ソレ以外は特に変わらない日常だったハズだ」
そうして少年は机に頬杖をついて、昨晩の事を回想するのだった。
ここまで読んで下さり誠にありがとうございました!
次回も見てね!٩(๑´0`๑)۶