第一章1 【前職→人間/特技→皆無?】
「おい、そこの”クソ小鬼”。――角と皮、こっちに寄越しな」
――俺が、”クソ小鬼”?一切、心あたりがありませんが。
「とぼけるんじゃねえよ、ゴブリン!てめえの頭のソレと、てめえの皮膚を剥ぎ取らせろって言ってんだよッ!!」
――ああ、なんかついてるね。頭にツノっぽいのが。それとこの赤褐色の皮膚もなんだが前のより丈夫そうだ。
って。
「そんな易々と受け入れられる状況じゃねえだろ!なんだよこれ。何が、どうなってんだよ!?」
少年…もとい、元少年、現【ゴブリン】の彼は叫ぶ。
赤褐色の肌、長い耳、額から生えた角、低い身長…どれも、元いた世界のそれではない。その姿は明らかに彼の知る”ニンゲン”では、無い。
――俺が、俺じゃなくなっている。
”私以外私じゃないの”とかよくわからん歌詞の歌があったような気がするが、あれすら、今の少年にとっては詭弁だ。
この身体は、明らかに少年のものではない。俺は、一体、どうなって――
「――おい、テメエ聞いてんのか?いつまで何ぶつくさ言ってやがる。もういいか?そろそろ。…”ソレ”、寄越してもらってもよお?」
”ゴブリン”と対峙する青年が舌打ちを一つして、怪訝そうな顔が露骨に不機嫌になり”ソレ”を要求してくる。
なんだか剣呑な雰囲気になりそうだ。その原因が何処にあるのかいまいち理解できない少年は、何とか状況の好転を図ると共に現状を把握しようとする。
「待て!お、落ち着けよ…人違いじゃないか?あ、あとその失礼な話ですが…前にどこかでお会いした事が?」
「あぁ?」
俺が何をした?と言わんばかりにに両手を広げて弁明するゴブリン(元少年)。
――もしかしたら、この身体には元々”所有者”がいて、その身体だけ”俺”が乗っ取ってしまったのかも?
仮にもしそうだとしても、碌な事にはならない空気感だが――と。
目の前の青年のしかめ面に、笑顔が浮かび上がり、
「っく、はっはっはっはっはッ!!――あぁ、あるよ。会ったコト」
「――え、そうなのか?」
予想外の反応だった。頭が止まる。
一瞬、何か手がかりを掴めるのではないかと思う少年。
「ああ、あるとも。今まで何度も何度もお前等クソ小鬼共の角と皮を剥ぎ取らせてもらったからなあ?お陰様で稼がせてもらってるよ。――というわけで、そろそろお別れといこうか、クソ小鬼」
しかしその青年の応答は、彼の期待と全く的外れなものだった。
「てめぇの仲間のもとに、送ってやるよッ!!」
「な、何を――うぉお!?」
突如、青年のポケットから光り輝くモノが抜かれ、青年の胸元を掠める。
偶然紙一重で回避した少年。もとい”ゴブリン”。”光り輝くソレ”が何だったのかを改めに目にし、それが何を意味するのか理解した。
「うおおおぉぉおぉおぉあぁぁ!?!??!?ちょ、ちょっとまってくれよオォーーーーッ!?」
「逃がすかよクソ小鬼ィッ!」
咄嗟に一目散に駆け出すゴブリン。しかし青年も素早く反応しその後を追う。
草原の中、逃げる者と追う者。傍から見ればそれは少年の世界の「鬼ごっこ」であり、何とも微笑ましい。
――青年の右手に握られた、怪しく光る銀色の得物さえ無ければ。
「わわわわわ暴力反対!!俺は断固として暴力に反対するっ!!非暴力不服従ってヤツ!!平和主義で行こうぜ?なあ、話し合いで解決――」
「するとでも思うか?ははっ!馬鹿野郎!寝言は寝て言えやッ!」
「俺が――お前に何をしたってんだよッ!…はぁっ、はぁっ、いいからっ、その右手のソレ仕舞ってくれよ!!」
「あぁ?誰にモノ言ってんだ?あぁ?…はっ、はっ、っその生意気な口ごと、刈り取ってやるよッ!」
走る、走る、走る。
とにかく少年は走り続けた。
その身のこなしは不思議と軽く、昨晩までは2年間自宅から出たことすら無い引きこもりとは思えない物だ。
おそらくはゴブリンに転生した過程で、フィジカル面のステータスがゴブリンのものへと調整されたのだろう。
死物狂いで疾走しながら少年は思考する。その勢いは、いつまでも衰えない…わけではなく。現世で大した運動をしていなかった少年は走り馴れておらず、徐々にその足捌きが遅くなっていく。
それでも草原から一部分裸になっていた岩や、立派な大きさの木を障害物として利用し、なんとか逃げ惑うゴブリンの少年。まるでそれを、虫を弄ぶのかのように青年は平然と追随する。
――この青年は、俗に言う”狩人”というヤツだろう。そして先程青年が嫌味たっぷりに言い放ったあの言葉の真意はつまり端的に言えば「狩らせろ」という事だろう。
――俺、このまま角と皮剥がれて、財布とか装飾品とかになっちゃうの?”異世界転生”って…生き物に転生するとかじゃなくて、まさかの装飾品だとか道具に転生するパターンですか!?
少年の元いた世界でも、当たり前のように行われていた”狩猟”――
その血生臭い役職に直接携わる人間はそう多くないが、そういった命のやり取りは、古代から当たり前のように行われてきたものだ。
強い者が生きる為、弱い者を狩る。
それは紛れもない、命のやり取りであり世の摂理である。
――このままでは、間違いなく殺される。
異世界に転移されて間もなく迫る「死の気配」に、少年は身体中の穴という穴から汗を出し、死から逃れる最善の策を思案する――
「――ッ誰かっ誰か、助けてくれ――ッ!衛兵さああああああん!!?」
――死にたくない。
逃げなければ。助けを呼ばなければ。
人のいる場所へ、行かなければ。
誰でもいい。誰か、誰か、誰かッ!
俺を助けてくれ――
少年は走る方角を明確に変えた。目の前草原からそう遠くない所にある《城塞都市ビスマルク》へと。
2年近く引きこもっていた男に、これほどまでの持久走は荷が重すぎる。動けよ、俺の足。動け動け動け動け動け動け動け動け動け――
人の手を借りるべく、この悪夢のような状況から彼を救い出してくれる希望を求め少年は懸命に走った。
しかし、それはいくら彼が望んでも絶対に叶わぬ願いだった事は、決して賢く無い彼でもそれくらい考えられた筈だ。
――《城塞都市ビスマルク》は、人間界と魔界を隔てる城壁の、人間界側にある――
しかし、どうやっても少年の位置から城壁都市ビスマルクに行くには、あの崖のように高い城壁を超えて行くしかないようだ。
ましては、城塞都市ビスマルクの住人の大半は何を隠そう、後ろから死の気配を漂わせる者と同じ、”人間”であり、今の彼は、ゴブリンだ。
結果は明白である。たどり着けもしなければ、着けたとてその先に待つ未来は、きっと輝かしい物では無いだろう。
溺れる者は藁をも掴むと言うが、正にこの事だ。そして――
「――っ、はぁ、はぁ、はぁっ…」
「…よく頑張ったんじゃあねえか?クソ小鬼にしてはよ」
少年は、巨大な城壁を目の前にして、止めてはいけないはずの歩みを止めてしまう。
それもそのハズだ。崖のように高く聳える城壁は間近で見れば先程の数倍以上に厳かなものだと錯覚するかのような大きさであり、それをよじ登り踏破できるだけの余力など、少年の身体の何処にも残されていなかった。
振り返れば、少年の逃げ場を塞ぐように、《狩人》がこちらを見て、笑っていた――それは、得物をようやく追い詰めたと、得物の怯える姿すら愉しむ狼のような顔だ。
――もう、終わりなのだろうか。
終われば、この悪夢から開放されるのだろうか。
いっそ、楽になれるなら、あのナイフは俺を、救う一筋の光なのかもしれない。
その、縋るような希望は――
「言い残す事はねえか?あ?」
「――ぁ」
目の前に迫る死の恐怖には、決して、勝てない。
怖い。
生きなければ。逃げなければ。
――目の前の男を、殺してでも。
目の前が暗転し、時間が緩慢になる感覚がある。
――これが、走馬灯というやつなのだろうか。
ここで、俺の人生も終わるのか。
もうちょっと親孝行したかったし、彼女の一人くらい、欲しかったなあ。
思えば、ろくな人生では無かった。
部屋に引きこもり、現実には有り得もしない、ファンタジー小説の執筆に没頭する毎日。
彼の描く物語に登場する《勇者》が見たら、何を思うだろうか。
勇者が――
「――ぁ」
「あ?」
――どうせ死ぬのなら。全部まで、足掻いてみせる。
やれることを残したまま死んだら、きっと、とても後悔するだろうから。
最後に、少年は僅かに残された《可能性》に賭けてみることにした。
「――”アル・バーク”ッ!!」
「――っ!?」
青年の顔色が変わる。
ゴブリンの少年は、細い右手を狩人のほうに向け、高らかに叫ぶ。最後の望みをかけて。
《アル・バーク》。
その叫びは、彼の執筆する小説の中に登場する炎魔法の名だ。
――もしこの世界が少年の執筆した世界で。もし彼が特別な存在なら。この世界に選ばれた存在なのであれば。
ひょっとしたら使えるかもしれない。世界を動かす力を、もしかしたら。
その急な叫びに、狩人の青年は顔色を変え、即座に体制を立て直しナイフを構えるが…その顔が、灼熱に飲まれ――
「―――」
灼熱…ではなく草原の涼しげな風が、花の甘い香りを乗せて二人の顔を撫でた。
「――ああやっぱり魔法は使えないのね!?俺の小説の中の勇者も魔法使えない設定にしちゃったしこれ完全に自業自得じゃん!詰み!?今度こそ詰んだ!?」
「っ、テメエ、ハッタリかましやがったなッ!あまり俺を怒らせるんじゃ――」
――その時だった。
狩人と少年の間の空気が、熱を帯び始める。
それは瞬く間に爆発的に大きくなり――空気を焦がし、文字通り”爆発”した。
けたたましい爆音と、凄まじい爆音と共に、灼熱の風が全てを焼き尽くさんとばかりに流れる。
「――がっ、ぐああッ!?」
狩人の少年が爆風に吹き飛ばされる。しかしその爆風は致命傷には至らなかったようで、即座に受け身を取る青年。
――使えた。使えたぞ!炎の魔法が!
どうやら俺は、ただ異世界に飛ばされたってわけじゃなくて、こういう、チート能力を持って転生したらしい…!
少年の目は、目の前に燃え盛る炎と初めて触れた《魔法の力》に、震えた。
しかし、その感動に浸る前に、やるべき事があるだろう。あいつに追撃をしなくては。
「火の魔法…ッ!?」
「どうやらそうらしいな!…俺も使えるとは思わなかったし、使うのは初めてだけど」
「…まさかッ!?」
「…これで…終わりだッ!!」
そう言うと、少年は叫ぶ。
「アル・バー――――」
―――叫ぼうとした。
しかし、その声よりも先に何故か灼熱のほうが訪れた。
それも、一度では無い。ズドンズドンと連続した爆発が、捕食者と得物の間で鳴り止まない。
ズドンズドンズドンズドンズドン。それはまるで「自惚れるな」と言いたげな、憤慨が入り混じっているような。
「――あれ。止まらなくなっちゃった?しかも、アイツに届いてないし。――熱ちちっ!つか、俺まで被害受けてるんだけど!? おい、どういう事だよこれ――」
その疑問の答えは、爆発の終わりと共に顕になる。
嵐のような爆発が止み、辺りに漂う焦臭さと煙のカーテンが徐々に薄くなっていく。
煙の奥に人影が見える。先程の青年だ。
しかし、どうにも様子がおかしい。
青年は腰を抜かし、怯えた顔で明後日の方向を見つめている。その目の先を追うと――
――城塞都市ビスマルクの城壁とは反対側――草原の丘陵の上に、黒い人影。
ローブから伸ばした右手がこちらを向いている。黒ずくめの人物はその右手をゆっくりと下ろすと――
「収めなさい」
黒のローブで顔を隠す人影が、そう宥める。
綺麗な女性の声だ。まるでその声は、一点の曇りも無い硝子を思わせる美しい声だった。
その声は短く続ける。
「収めなさい」
「っ!…やっぱりテメェかよ、化け物がッ…!!」
「え、知り合い?」
青年に問うが返事はない。
が、どうやら、この青年は黒いローブの女性(?)の事を知っているらしい。
「”火の魔女”がああああッ!俺の、俺の邪魔をするなあああッ!」
青年は、握っていたナイフを逆手持ちにし、ローブの人影に先程少年を追う時とは比べ物にならない脚力で大地を蹴り、目にも留まらぬ速さで走り出す。
明らかにゴブリンの少年を追う時とは態度が違う。それは、確実に獲物を殺める時の所作であると、武に精通していない少年にも理解出来た。
このままでは、あの黒のローブの人物まで危険だ。そう判断し少年はとっさに叫ぶ――
「あ、危ない!――おい、キミ、離れて――」
しかし、その検討違いで身分違いの少年の叫びは――
「バーク」
美しい声の女性の詠唱と、燃え盛る火炎が生み出した爆風により掻き消された――
ここまで読んで下さり誠にありがとうございました!
次回も見てね!٩(๑´0`๑)۶