邂逅、特攻、妥協より棚ぼた 3
「じゃあ、そういうことで全部見たらまたおいで」
「えっ」「うそっ」
一瞬、コクヨウ先生の右眼が光った。
かと思うとふわり、と数センチソファから浮き上がり、私たちはそのまま廊下にはじき出されてしまった。
これ魔法か!!出てって欲しいなら口で言ってくれない?口なんのために付けてるの?
ルリが私たちを追って廊下を出たのを確認して、すぐさま扉が閉まる。
ドアの向こうではコクヨウ先生の「ばいばーい」という楽しそうな声が聞こえた。
腹立つなホント。わざとやってんの?ってくらい腹立つ。いや明らかわざとだけど。とにかく腹立つ。最初の調子取り戻した途端これか?訴えようかなやっぱ。
そう思ったのはエンジェも一緒だったようだ。おお、目が据わっている。
「……訴えはしませんがちょっと腹立ちますわね。蹴飛ばしますわよ、扉」
おお、倒置法。っていうかめちゃくちゃ怒ってるじゃん。
蛇足だがたまに見えるエンジェのこういう丁寧じゃない部分を見ると嬉しかったりする。まだあって全然時間も経ってないけど。
私はもちろんエンジェに賛成した。
「そうしよ、そうしよ」
2人で頑張って壁に穴開けてあの腹立つような腹立たないようなよく分からん先生を春先の冷たい空気で風邪ひかそうね。
せーの。
「「痛い!!」」
――そして、私達は、学んだ。学院の扉は重く、硬いということを。
「で、どうする?」
ドアに蹴りを入れた右足がまだ痛みで痺れている私は、出来る限り床に右足を付かないようにバランスを取りながらエンジェに聞いた。エンジェも同じように左足を庇いながら立っている。
あの後、試しにドアを叩いてみたり「ここに居るのは割れてんだぞ!」「借金返せオラッですわよ!」「体で返してもらうよ!」など極悪借金取り風に凄んでみたけど扉は開かなかった。
開かないならここにずっと居ても仕方ない。
でも全部見たらまた来い、って言われたから帰るのもな~。
ただ正直どうすればいいのか私には分からない。見るって何をどうやって?
「……では、とりあえず昨日言った私の“お願い”に付き合ってもらってもいいでしょうか。それを見てもらうことがコクヨウ先生の要望でしょうし」
エンジェにかけられてるっていう魔法の話だ。
私は頷いた。
エンジェは少しだけ視線を床に向けて、小さくため息を吐いてから、覚悟を決めたように私と目を合わせた。
「食堂に行きましょう、そろそろお昼ですからきっといらっしゃるでしょう。あの方たちも」
“あの方”っていうのが気になったけど、きっとすぐわかるだろうし、聞かないほうがいいんだろうな。
昨日もしてたけど、エンジェはこの話題になるとゲンナリした疲れた顔になる。
全身が胃もたれしてるみたいな、本当に疲れた顔。逆に分かりにくいか、この例え。
元来た道を辿り、食堂に近付くにつれて、今まで見かけなかった生徒たちがまばらに見られるようになった。春休み中、家に帰らない生徒だったり、用事で学校を訪れている生徒たちがお昼を食べに集まってきているらしい。
食堂にようやく着く、というところで私の胃のむかつきは最大に達していた。
原因は生徒たちを見かける毎に起こる現象だ。
――違う。逆だ。生徒たちが私達を見かける度に起こる現象。もっと詳しく言うならエンジェを見る度に起こる現象。
「――あの悪役、」
「――のご令嬢――」
「生徒会の――様が――」
「――きっと直ぐに巫女様が」
ひそひそひそ、と断片的に言葉が聞こえてくる。
それのどれもこれもがエンジェを見ての言葉だった。
私たちを見た生徒はすべて同じように、近くの生徒と声を潜めてこんなふうに話を始める。
小さな声だから言葉なんてほとんど意味を理解できない、なんの話かも分からない。
ただ言葉の断片だけが風に乗って私の、私たちの耳に届く。
声のトーンと、表情でエンジェを悪く言って、嗤って、哂っているものだということは分かった。
私がきっ、とそちらを向くと、すぐさまエンジェから「やめて」と小さく言われた。
本人にそう言われてしまっては、向こうに行って蹴飛ばしたり、目を狙ったり、喉仏を狙ったりすることは出来ない。
私はぐっと堪えた。下唇に歯が食い込んでちょっとだけ痛い。
そんな私の様子を見て、エンジェは困ったように笑った。
「気にしなくていいの」
穏やかで、諦めの滲んだような声だ。
まるでこれが日常なのだ、と言わんばかりのエンジェの慣れた表情と言葉が嫌で、辛くて、悲しくて、寂しかった。
これがエンジェの言っていた“魔法”に関することなのかな。
それなら、出来るだけすぐ。一刻も早くこの“魔法”を消し去ってほしい。その為に出来ることなら私、なんだってする。
そんな気持ちになっていた。
私はこの世界に来てまだたったの2日だ。でもその短い間でも私を助けてくれて、優しくしてくれて、一緒にふざけたり、話したり、お茶したり。
ともかく一緒に過ごしたエンジェのことが大好きになっていた。
大好きな人が悲しい思いをしてるのが、一番嫌だ。
エンジェがこんな寂しい笑顔を浮かべなくて済むなら。
エンジェがあんな不躾で失礼な視線を浴びなくて済むなら。
(魔法でもなんでもぶっ壊そう)
私は強く、深く、心の中で誓った。
そんな私を包み込むような優しい鐘の音が学院中ーーいや、国中に響いた。
12時の鐘の音だ。
ようやくチラッと悪役令嬢の話が出せました